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3月25日に福島県でスタートした東京オリンピック2020の聖火リレーだが4月3日土曜日には馬籠へもやってきた夏の本番も6種目のチケットは押さえているが観戦が出来るかわからないし地元開催なんだし、取敢えず聖火リレーも応援をしに行こうと思った。これは前日の夕刻の様子。既に用意万端だ。長野県から岐阜県のバトンタッチは、平成の大合併で長野県から岐阜県になった馬籠が相応しい岐阜県のスタートでもあるので、地元の子供歌舞伎なども披露しての式典があり恵那市の大正村で村長をしている縁から竹下景子さんが、トップバッターとして馬籠を駆け抜けるそうである私はクイズダービーを見て育った世代だがデビューのきっかけはNHK名古屋が制作をした中学生群像(中学生日記)で、同番組では、同じく名古屋出身の戸田恵子さんや声優の三ツ矢雄二さん(豊橋出身)と一緒だったとか馬籠(木曽)は、尾張藩で名古屋県(次に伊那県→筑摩県→長野県→岐阜県)だった時期もあるので遡れば地元みたいなもんだ近所の人も竹下景子さんの写真を撮りたいとカメラを持って出かけたみたいだが、私はあえて一般の方の走る姿を見たいと思った長野オリンピックの時の男子学生の走る姿が目に焼き付いている。学校から応援にきていた娘は、スポンサー企業が配った缶コーヒーの温かさを覚えているそうだ缶コーヒー自体を飲んだのも、生まれて初めてだったしあっ、長野オリンピックの時は宿場町は通らず、普通に平坦な車道を走りましたがなんで今回は、こんなコースにしたんだろ最近は外国人観光客も多いので、世界へのアピールなんだろうな。久しぶりに来たら水車がおNewに風光明媚で明治の文豪の島崎藤村の故郷馬籠宿だけど、聖火リレーで観光アピールどころか、危ないから住民は2階からの応援はやめてとか、家の前ではなくって決まった観戦場所で応援をしてといった制約が話題となってメディアなどが取り上げられて、ネガティブイメージが・・・。人によっては自分の家の前で見ても良いと言われたとか、店舗の中であれば良いとか色々だったようだ。私の場合宿場内ではないので、指定場所へ行かなきゃいけないのだけどメディアって問題になっている時にはこんなことが!と取り上げても、実際にはどうだったのかといった、結果についての後日談をする事はまずない。旦那は竹下景子さんを見に、下の方にやってきたんじゃないか?(笑)と聖火リレーでも誰それが走ったと、報道がされるのは芸能人ばかりで。スポーツ選手ならまだしも、長野や札幌、前の東京でも同じだったんだろうか? 盛り上げたいといった趣旨だとは思うけども、多すぎじゃないですか? 岐阜県。これも都道府県で考え方や温度差がありますけどもね景子さんは普段から恵那の大正村での活動がベースにあるけど、え?なんでこの人が走る訳?と思う人も。案の定芸能人見たさで、かなりの密になっている区間もあったようだそして4月3日土曜日の朝は、娘も休みなので二人で出掛ける事にした。旦那は農作業。上空にはメディアなどのヘリが4台くらい飛んでいて、家の上でずっとホバリングしているから、煩いとぼやく近所の人もいたそうだなにごと?と、いった表情の宿場ネコ観光地でもあるので、邪魔にならないようにとの考えか、朝8時台と時間も早く、私も早起きをし洗濯物を干してから家を出た奥の式典会場は、事前に選ばれた人しか入れず、うちの地区も1人の枠があったけど誰も行きたがらず区長さんが代表で行く事になった。道の反対側は自由観覧で竹下景子さん目当てと、式典で披露される子供歌舞伎や景子さんと一緒に走る地元の子供たちの家族なども多くいそうだし。坂道にある馬籠宿の中でも一番の急坂がここでしてふ~ふ~言いながら、ゆっくりと歩いていても坂の途中で一服したくなって足が止まるこの後の区間を走る聖火ランナーさんがやってきた。左側のお嬢さんは島崎藤村の玄孫にあたる島崎七海さんだ。藤村が長男楠雄氏の為に古民家を移築して、四方木屋(よもぎや)と命名したそうである。今は喫茶店をされてますよ四方を木で囲まれているから四方木屋であるらしい。戦後になって藤村の資料等5000点が楠雄氏より寄贈され、藤村記念館が作られたそうだ。手前の女性は茶道を広めている、大垣の方だそうです東京オリンピックの本番はどうなるかわかりませんが、聖火リレーに選ばれ延期されながらも、こうして走る事が出来て良かったです。観戦が出来なくても、競技自体は実施して欲しいなぁ闘病を経て、奇跡の復活を遂げた池江璃花子選手の為にも。オリンピックの紙チケットは6月に送られてくるそうですが、ワクチンいつになるんだろう現状では高齢の姉は連れても行けないのでとりあえず一週、二週共に同行者の名は娘に変更をしました。直前まで変更可能ですから、千葉の兄夫婦とかもいるしいざとなれば、私一人でいってもいいし無観客や、蜜を避けて観客数の間引きをするかもしれませんし都市部ではスポンサー企業のド派手なトラックが、ランナーの前をパレードしひんしゅくを買ってますが、馬籠宿はおまわりさんでした。幅広い道路なら距離も保ち、聖火ランナーの姿もよく見えたと思いますがあっ一瞬、隙間から見えましたが一眼レフのピントが手前の沢山のおまわりさんに合いピンぼけです。しまった~こんな事になるなら、おとなしく竹下景子さんを見物していたら良かったかもそれにしても、大名行列くらいにお付きの者どもを引き連れてますね・・・かなりキツイ坂も終盤なのに、笑顔を忘れぬ聖火ランナーさんもすごいです。流石に走る事など出来ません。ゆっくりとしっかりとした足取りで登ってこられますこの坂で応援をしようと思ってたので事前にどんな方かわかりませんでしたが見た目は着物も似合いそうだし、どこか旅館の女将さんで、70歳位の方かな?と、その時は想像をしていたんですが驚きました。次の日の中日新聞によるとお年が82歳だそうで、お若く見えますそのような高齢女性に、よりにもよってこの坂道をのぼらせるとは・・・新聞にお名前もあったので、ネットで検索すると幾つも記事がヒットしました加藤智子さんは百年以上の歴史を誇り昭和天皇の視察も受けたような多治見の老舗企業ヤマカグループを経営されて県内外で、経済界のみならず文化、教育女性関連と、様々な分野において社会活動を積極的にされています多治見の図書館や、火災にあった永保寺再建にも、多額の寄付をされたそうだし若手陶芸家の為、美濃陶磁育成智子賞も設けているそうです。このように地域の為に頑張ってこられた方こそが、本来の聖火ランナーに相応しいように思えますごく普通の専業主婦であったのが、夫の急死での社長に就任したのは40年近く前で、当初は舅の助けがあったとは言え昭和、平成、令和の時代を、地方企業を率いてきたのは、大変なご苦労もあっただろうと思います ここからは娘のスマホの写真。>女性だからといって甘えることなく、>謙虚さを忘れず、おごりがないように>する。私はこの三つのことを大切にし、>いつも心がけています加藤智子さんの言葉。十六総合研究所記事よりエネオス(オリンピックのスポンサー企業)の旗を振る人たちがいたけどエネオス系列のガソリンスタンドも経営されているので、個人的な応援に来られていだんでしょうね。私もこの方の応援が出来て本当に良かったですうちもエネオスを使ってるから、今度多治見方面に出かけたら、こっちよりも安いだろうし、そこで給油をしようと思います。それにしてもガソリン価格このところ高騰しすぎ・・・コカ・コーラの真っ赤なタオルを貰いましたが、昨年の日程が入っています当時、既に用意をしてたんでしょうかうちわもシンプルでかっこいいです↓このブログに訪れて来られる方も、地域奉仕や様々な活動をされている方が多く被災地にボランティアで駆けつけている方も。うちの場合は田舎なので持ち回りで様々な役が容赦なくまわってくるのだが2年間の旦那の大役が、3月に終わったのでこのような花束を貰ってきた。成人式とか卒業式など出席もあるからと、ジャケットを買ったけど、ここ一年は自粛中止でそうゆうのも少なかったみたい。ただし近所の葬式で俺は来賓席に座らなきゃいけないから親戚席にはおまえが座ってくれと二人出席になったりもしたが。先週末には地域の神事があり、代表の方が飲めないからと残ったお神酒を貰ってきていたおぉ!老朽化をした中津川市内の酒蔵が北海道の自治体からの誘致で、昨年から向こうで酒造りを始めたのだが、そこのお酒だぁ。原料がななつぼしと北海道のお米なのか~車の任意保険のインターネット契約の特典で、サーティワンの商品券を貰いダブルで頼んで娘と1個ずつ。娘は今回もお気に入りのチョコミントだ見切り品とはいえ、秋まで賞味期限のあるドルチェグストが、半額で売っていたので購入。ミルクティーは初めて買うので味も楽しみだ1年前はマスク不足で、大騒動だったけど今では値崩れもあり、しまむらのマスクは50枚で300円だった。手前のはドラッグストアのココカラファインで2千円以上の購入で貰ったもの今では、こんなに安く使い捨てマスクも手に入るようになったのに。旦那は使用をしたものを洗って使えと・・・洗うと性能悪くなるのにと娘も言うし、毛羽立ってむずがゆくなるものもあるのにぃ~流石にそうゆうのは直ぐに捨てはしてますが4月1日は買い物のついでに丸亀製麺で半額になった釜揚げうどんを食べてきた親会社のトリドールの株主優待券を使い支払ったのは40円だけだった。やっぱ普段から使う外食系の株主優待券はお得だトリドールは半年で3000円分貰えるが額面100円なので、吉野家(はなまるも利用できる)の額面300円のよりも使いやすい。ではでは・・・ 2021年4月3日に馬籠宿で撮影にほんブログ村
2021年04月06日
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正月(むつき)立つ 春の初めにかくしつつ 相(あひ)し笑(ゑ)みてば 時じけめやも令和の出典ともなった万葉集にある、大伴家持が天平勝宝2年(750)年に、宴で詠んだ歌ですその意は、お正月の春の初めなのだからこのように、皆で笑いあえるのは楽しいものですね。との事で、令和2年のスタートです。今年もよろしくお願い致します!今年最初の日記は、前回に続き地元の馬籠からご紹介します。昨年11月3日に開催をされた和宮降嫁行列です。皆さん、知ってらっしゃいますよね。幕末の孝明天皇の異母妹で仁孝天皇の第八皇女であった和宮親子内親王ですが公武合体(朝廷の権威と、幕府を結びつけて幕藩体制の再編強化を図る)の懸け橋として江戸幕府第14代将軍である徳川家茂の正室(御台所)になるべく、中山道をご降嫁されたという行列を再現したものです既に和宮には有栖川宮 熾仁親王という許嫁がいたのを反故にされて、東国に下ったのですが、皮肉な事に王政復古後の新政府によって、有栖川宮は東征大総督に任命されて東征に際しては、明治天皇から錦旗と節刀(天皇が出征する将軍や遣唐使の大使に持たせた任命の印である刀)を預かり、京都を出立し江戸開城を成し遂げたのであるさて和宮降嫁行列には、地元の有志や中津川の中京学院大学や、名古屋外国語大学の学生さんたちが当時の装束に身を包み、馬籠宿を下から上へ(東国へ)と練り歩いた和宮は、16才で降嫁をされたそうだがこの行列では、地元の中学3年生の女の子が和宮をやっているので、年齢的にもぴったり。こんな少女が、知らぬ世界に飛び込んでいくのは、さぞかし心細かった事だろうお付きの女官たち。中津川の中山道歴史資料館には、降嫁行列で和宮のお世話をした家に、礼の品物などが贈られたとして展示がされている文久元年10月20日に京都を出立した降嫁行列は京都方が一万人、江戸方が一万五千人京都からの通し人足が四千人というもので、その長さは50キロにも及んだそうである行列の先頭が通過してから、最後尾が通過し終わるまで4日間もかかったそうだ。和宮を奪還すべく過激な攘夷派が行列を襲撃するという噂があり、御輿の警護に12藩、沿道の警護に29藩を動員し、幕府の威信をかけての大行列となったのだ馬籠宿では行列の為に、街道沿いの石垣を2尺引っ込めて、道幅を2間(約3.6m)に拡幅する工事がされたそうだ迎える宿場、街道でも様々な約束事もあり伝馬役以外は一切の外出禁止前後3日間の遊興と売り物禁止女は姿を見せないこと通行を上から見下ろしてはいけない正座して迎えること看板を取り外し、2階の雨戸は閉めること寺の鐘などの鳴り物を鳴らしてはいけない犬猫・牛馬は、鳴き声が聞こえないよう遠くに繋いでおくことその降嫁の道中に、和宮が歌ったのが 落ちて行く身と知りながら、もみぢ葉の 人なつかしくこがれこそすれこのような経緯があったにも関わらず和宮と同じ年の若き将軍、家茂とは仲睦まじい夫婦であったそうだが、僅か4年後に、家茂は脚気衝心のため亡くなってしまうそんな中山道には欠かせない和宮ですが私が知ったのは、替え玉説の有吉佐和子「和宮様御留」の大ヒットからです。中学くらいでした。私にとって中山道を旅したといえば、西行法師で、その次は新選組といったところでした今回の御降嫁行列は100名程のもので地元有志や、大学生が美しい装束を身にまとって、再現をしているものだけど皆さん、なかなかお似合いですよね宿場の中ほどの藤村堂記念館で、お昼の休憩の前には、しばし写真撮影タイムちょっぴり現代人の表情にも、戻ります和宮を中心にハイ、ポーズ和宮そっちのけでハイ、ポーズ扇子使いも様になり現代人にまじっての休憩タイムお侍が小さく樹の奥に。この写真なかなか好きです。タイムスリップしたみたいさてさて、後半戦のスタートです幅が広くて、ここって奥まで行列が綺麗に観れて、なかなか良いですね歩くより、正座して輿に揺れるというのも大変そうな気もしますさてさて前回の燈籠やライトアップの準備もですが、今回の時代絵巻にも地域役員の旦那は参加をしておりますハリボテですが刀も持てて喜んでました図柄を決めるのも面倒なので、うちの今年の年賀状は、この行列での旦那の時代装束姿です。まっ、正月らしくていいんじゃないかとこれはないなと思った、くしゃくしゃの宝くじマークご祝儀も募ってました子供たちは後半だけ、行列に参加をしてました馬籠は左右に並行して脇道(車道)もありそれを使ったりして、行列の先回りも出来ます。このあたりまで来ると見物客も随分少なく、見やすいです緑も多くて、下の方より良い写真が撮れるかも今回は旦那も出るので、気合を入れてあちこちで、写真を撮りまくったので行くところ、行くところにお前がいるから恥ずかしいと旦那に言われましたが次は、上の方と展望台だけでいいな。あっ旦那の写真はたくさんあるけど、ここでは特に紹介しませんいよいよ行列も終盤。陣場の急坂ですキツイ勾配で、普通に歩いていてもふ~ふ~言います(ここと、最初の大きな水車のところ)草鞋なんでしょうね。歩き心地はどうなんだろうキツくても、顔には出しません宮様もあと、わずかゴールの展望台が見えてきました既に展望台にいた娘が、スマホで上から撮影した行列。私も次回は先に上に行っていようかな車の前を、御輿に揺られる和宮行列も無事に終え、表情が明るい和宮その背後には恵那山もよく見えます令和の世になっての、幕末の時代絵巻楽しませてもらいました。皆さんお疲れさまでした♪という事で、皆様。今年もよろしくお願いします 2019年11月3日に中津川市馬籠宿で撮影にほんブログ村
2020年01月01日
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たぶん今回の日記が、今年最後となります。旦那も明日より年末年始の休暇(9日間)入ります。形だけでも家の事でもしないとね日記の方は、11月の紅葉の写真の紹介が続きます。毎年恒例の馬籠の宿場まつりが11月に行われまして静かな宿場の夜も、華やかにライトアップされました宣伝が下手なのか、まだ知名度が少なく中津川や恵那の近場の人も、こちらにはこず、曾木公園あたりのライトアップにでかけている模様。私は曾木公園は昼間向かいにあるの日帰り温泉に行く位で会場は東京オリンピックの聖火ランナーも坂を走るという馬籠宿の中と、少し離れた(徒歩数分)島田公園の二つがありましてまずは島田公園に行ってみましょうか娘と二人でてくてく歩いていきました旦那は設営側です。ほんと幾つ役員をしてるんだろう?って、感じですけど高齢者家庭は役員は出来ないというし家族が病気だとか、本人が病気という家庭もあっておのずと役員を出来る人は限られてきます以前の様に60歳定年ならば問題もないのですが、今は高齢者雇用で65歳まで働けるので、安くなった給与でも貰えるならばと仕事を続けており、平日の昼間にある会合とかは有休をとったり私も旦那のかわりに、あそこに行ってこれをやってと頼まれたりしています島田川に沿うように、綺麗な燈籠地元の幼稚園や小学校の子供たちの手作りみたいです。無邪気でかわいい絵柄です。自分の顔なのかな?島田川に沿うような小さな公園にはモミジが植えられて、かなり大きくなってきたので、紅葉も綺麗ですよ夏には川のホタルを見る催しなどもやってますこのイベントですが、11月の中頃の週末毎に行われてまして、娘とは最初の時と、後半の週の2度出かけてまして。写真はいっしょくたになってしまっています最初に行ったの時に緑色の多かったモミジも、一週間後には真っ赤になっていたりしてまして、見頃になってました島田川にうつる逆さモミジです。結構綺麗だと思いませんか? カメラですがかなり前に購入した望遠レンズも込みで数万円のキャノンの一眼レフを使用しています手持ちでオート機能利用です。モードもそのままで、ブレることもあまりなかったです。歩きながらは流石にブレました竹に穴をあけて、このような幻想的なライトアップもされていました。冬の都会のイルミネーションには、かないませんが、静かな山里にキラキラとやっぱ宣伝下手なのか、地元の中津川付近の人もあまり知らないんじゃないだろうか。ネットニュースに日本人の京都離れが書かれてました外国人の増加による混雑や、ホテル不足などで、京都に出かける日本人観光客の数が減っているそうで。もともとが京都はリピートする人が多くて、私も年に2度は出かけてましたが、足が遠のきました国宝展とか無料の日帰り旅行など、目的がある時に行く位で。せっかく日本に行くならといった海外から来られると、やっぱ京都浅草、富士山といった著名な観光地が人気なのでしょうねまっ、ここ馬籠宿も海外からの観光客が多い方ですが京都に比べたら、かわいいものです。大昔にアンアン、ノンノだのディスカバリージャパンが騒がれていた時には、日本人がわんさかと来てましたあのころに比べたら・・・静かなものです宿場には、中山道の宿場の名前が書かれた燈籠が置かれています宿場のお店なども、店頭にぼんぼりを置いているところもあるので、そんな灯りもあって、暗闇も程よく明るくてより幻想的にもさてさて平成から、令和にかわった今年の我が家を振り返ますと・・・旦那、前から地域の役員をしてたけど春からパワーアップ。週末は地域行事参加で壊滅好きなドライブも行けず(いいとこ松本に夏と冬に出かけた位)、舅は旦那が家の仕事をしないとおかんむりでした~。消防団の年末夜警の激励や消防の出初式とかで年末年始も忙しいみたいです息子は高卒10年目にして、愛知県に転勤になって、会社の借り上げ社宅(自分で選べた)での一人暮らしを夏から始めました。当初は娘と二人月イチで出かけてましたが、最近はご無沙汰1DKで、息子の寝室には入らずにしているので、あまり嫌がれる事もないし、たまに来てくれると部屋を綺麗にしようと思うから歓迎というスタンスらしいので、お正月に帰省した息子が戻る時に娘と便乗息子の運転で、娘と今度は浜名湖方面に出かけようかと話してますそして娘ですが、前からアマゾンで通販とか利用をしてましたが今年のアタマに、アマゾンプライムにデビューしまして、居間の大きなテレビ娘の部屋のテレビで、アマゾンプライムを視聴で来るようになったら、旦那が少し前のアニメとか喜んで見ています来年の年会費(5千円弱)は、たぶん旦那が払う事になりそう。私はBSや地上波のドラマや映画を録画したのを見るので精一杯だし。娘は春には本をダウンロードできるタブレットを購入毎月千円弱の定額で本を読み放題出来るプランを夏の間はやってたみたいです。そして最近になって「アレクサ」ですよ。数千円する本体が、千円以下で購入できるというチャンスがあってうちにもアレクサがやってきました娘はテレビよりも、音楽聴いている方が好きなタイプなので、ケルトやミュージカルや、Jポップとか色々聴いているみたいです送料の問題などもあって、そういえば楽天とアマゾンはライバルでした(汗)更に娘は、春の老後資金3千万円に感化されまして。というか前から老後が心配タイプでしたが今春から個人型確定拠出年金(iDeCo)も娘は始めましたよ。その開設に手数料の安いネットバンクやネット証券など。扶養家族も個人保険も入ってない娘には、減税効果にも期待しての加入です。そんな娘でもあまりわからないようで電子マネーはやりませんクレジットカードもガソリンの給油カード(旦那の口座落ち)1枚で。おこづかいに毎月3万円を下ろして、そこから使った方が支出もわかりやすいそうだし、アマゾンで買う事の方が多いし。最近は電子マネーとか支出が把握できず、無駄使いに繋がる人も多いのかもしれないしかも5%還元だなんだとスーパーなら78円の飲み物をコンビニで128円で購入でもしてたら本末転倒。私はというとやっぱ東京オリンピックのチケット予約に翻弄をされた年でした。どの競技にするかああでもない、こうでもないと・・・・一次、二次予約で、数日はそれにかかりましたし、それに伴っての首都圏のホテル予約も。来年早々は東京ディズニーやUSJ大阪など人ごみに行くので、娘とインフルエンザの予防接種を受けたところがカユイです最後にオマケをひとつ。予約をしないままショートケーキでも買ってこようと思ってた24日の昼前姑が近所のスーパーで買い物をしてきてケーキセットをくれました。娘の好きなチョコケーキも、旦那の好きなイチゴのショートもあるしで、それをイブに頂戴しての次の日の午後に、コンビニに料金の支払いで立ち寄ったら、25日午後だけどクリスマスケーキがどれも3割引きになってましてミュゼ ドゥ ショコラ テオブロマの土屋シェフ監修によるテオブロマ ル ショコラジャンドゥージャ。税込みで3千円弱のが3割引きで購入でき、本格的なお味で美味しかった♪ 良いお正月をお迎えください 2019年11月に中津川市馬籠で撮影にほんブログ村
2019年12月27日
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今年もあと数日となった。このブログの更新も今年の最後になるのかな。あと1回位はしたいけど、旦那が金曜日からお正月休みになるので、パソコンの前でまったりする事も当分は、出来そうもないさて、遠くに恵那山も鎮座する急こう配の棚田の風景は中津川市落合の大久手地区からの風景。少し前になるけども11月11日。ポッキーの日に車でいつも通るが歩いたことなどないこのあたりをてくてくと散歩をしようと思いついて市街地で買い物をした帰り道、旦那が運転する車から降りて、娘と馬籠まで歩く事にしたこのあたりからの風景は、岐阜県を舞台にした今年のNHK朝の連続ドラマ「半分、青い」で、おばあちゃんのお墓参りに家族そろってやってきたシーンでお馴染みかもしれない少し左に目を移すと恵那山。そこまではテレビでは出てはこない西の方を見れば、よく夕焼け風景で登場する笠置山の優美な姿11月に突入しながらも、今年は暖かな晩秋だった為に、てくてく散歩も暑くもなく、寒くもなくちょうどいい感じ路傍の石仏とは言っても、やっぱ11月だけに紅葉なども始まっており今年も、特には紅葉の名所なども行く機会もなく、近所でお茶を濁す有様だ大久手地区から、いよいよ山間の中山道の石畳に入るここも近い割には、3度位しか通った事がなくって、せいぜい15年に1度程度かこのあたりは、オリジナルではなく後世に整備した石畳のようだ↑詳しくは、看板を読んでくださいとぎれとぎれに江戸時代に敷かれた石畳があるのだが、どこの部分にあたるのか、イマイチわかんないたぶん、このあたりが古いものだとは思うのだけど自信はない。お城の石垣ならば、はっきり時代もわかりそうなものだが山深い中山道に、日の光がさす苔むした石畳にもとりあえずオリジナルか、復刻版かはわかんないですが結構、でこぼこしてますね。この辺り落合の石畳も抜けて、馬籠荒町地区に入ってきました。是より北木曽路との石碑はかつては美濃と、信濃の国境に建ち、島崎藤村の文字であるそうだこちらは一里塚跡の石碑。本来の一里塚はぽこっと盛った小山に樹が、道の両側に一つずつ詳しくは、↑でこちらは道の反対側の松尾芭蕉の「送られつ送りつ果は木曽の秋」の 句碑なんだか、のんびりと里の秋を楽しめるなぁ。こんな近場観光も時には楽しいし番犬のわんこが吠える。うちのあたりは柴犬がやっぱ多いような気もするこちらのお宅は、こんなににゃんこがいるのかぁ~知らなかった! この道は細いので、普段はあまり通りもしないがここからの夕焼けがとても綺麗なので買い物の帰りに、たまに旦那の運転でまわって貰う事もあるかつては信州サンセットポイント百選にも選ばれたけど、平成の大合併では岐阜県にお引越ししたし・・・そんな時に、車をちょっと停めるには良い車の除け合う為のスペースはアスファルト馬籠あたりの中山道は、当時の風情を出す為に、少し高価な石の入った茶色い舗装だこちらは正岡子規の「桑の実の木曽路出づれば稲麦かな」の石碑数多くの文人墨客に愛された木曽路も、今や海外からの観光客が歩く方が多いくらいだでも冬場は寒いのか、最近は外国人の姿も殆ど見る事はなくなった。この日は栗きんとん購入のついでなのか、日本の人ばかりだったし写真はとりあえず撮影した順番に載せてあります。ええ感じです昔から地元では美味しいと評判の湧き水だけど、水質的に飲めるかは不明岐阜県はモネの池が評判だけど、遠いしなかなか行けない。今年は半分、青いで東濃地方への観光客が増えたけど再来年は明智光秀で、生誕地の岐阜県が脚光浴びるかも。ちなみに生誕地は諸説あって可児市の明智城だとか、恵那市の明智町や、山県市、瑞浪市、大垣市とか色々あるが、美濃の国(岐阜県)であったのは確かみたいだユダヤ人に命のビザを発行した杉原千畝も八百津町と美濃市がどちらも生誕地として揉めているらしい。なんと中津川市街でも子供の頃に住んでいた時期があったらしくその家のあったあたり↑今は、↑中津川図書館となっているあたりにあった中津町立尋常小学校(南小学校)へ入学したそうだ。中津川に住んでいたのは1年半だったらしいが千畝関連の↑2枚は、参考で載せましたが中津川市街地にあり、中山道にも近いですかつての木曽郡山口村のもの。今は中津川市馬籠となった見上げると紅葉の樹路傍の双体道祖神いよいよ馬籠宿も間近となった。馬籠の鎮守の諏訪神社は宿場ではなく、少し離れた荒町に建ち、夜明け前の主人公のモデルである藤村の父、島崎正樹の石碑が神社の入り口にあります(写真は忘れた)車であれば数分もかからない道を、てくてく歩いてこそ、普段は見逃していたものも見え感じるものもあった秋の週末だった 平成30年11月11日に中津川市内で撮影にほんブログ村
2018年12月26日
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秋は夕焼けが美しい。ここ数日は秋めいて街では栗きんとんの販売も始まった。そうなると、つるべ落としのように日の入りも早くなって夕焼けなども楽しめるようにもなったような9月になって冷房もお役御免。天気も安定したので湿度も適度な数値になって、秋は電気代もあまりかからず、家計にやさしいなんていうのも短い期間。窓を開ければ夜などは寒いくらいだし、今度は外気と室内の温度差が激しくなって、10月になれば朝から家中の窓を結露拭きをしてまわらなきゃいけないだろう。あれはあれで面倒だし真夏を過ぎて中山道を歩く人たちの姿も最近は増えてきた。栗きんとんの販売が始まると、それ目当ての近場の観光客も増えるだろうし、中津川や恵那を紹介するテレビの情報番組も増える昨年は雨にもたたられて田んぼが柔らかいから大型コンバインが入れないと乾くまで無理!と、業者に随分遅くまで稲刈りをして貰えない間に、周囲はどんどん稲刈りが終わり、舅のイライラも頂点に達していた事もあって今年は、先週末に近所が2軒が稲刈りをしていたのでもう稲刈りが出来そうだし、田んぼも程よく乾いている。週の半ばからは雨が続く予想で、また田んぼが柔らかくなっては困ると舅が、業者に明日にも稲を刈ってくれ~と頼みこんでいたうちだけじゃなく、多くの地域の田んぼを刈っている業者に、そんな融通を聞いては貰えないのでは?と思っていたのだが、あの田んぼは、去年は遅くまで大変だったから(もしくは舅がうるさそうだから?)と思ったのかわからないが、稲刈り完了! 案の定次の日から雨の日続き今年は早々に稲刈りをして貰えたので、舅はニコニコでご機嫌だ。田んぼが耕地整理され大きくなる前はコンバインなど入らないので家で稲刈りをして、はざを作って天日干しで脱穀機でモミにしたのを業者に出して乾燥や籾摺りをして貰っていたそのはざかけで、天日干しをしている時期は台風シーズンなので、台風が来ませんようになんて祈ったりもして。稲刈り、はざかけ脱穀といった農作業もかなりの負担だったが今は大型コンバインで業者に稲刈りをして貰えるので数時間もかからず秋も終了本当に楽になったもんだ。でもお金は随分とかかりますけどもね、仕事休みの土日が全部農作業と行事で全滅という事もなくなったおかげで、そば祭りやヌーボーワイン祭といった秋の行楽も気軽にできるようになったそんなグッドタイミングに、長野県各地の日帰り温泉を49ケ所中、12ケ所に入浴が出来る物味湯産手形が、1300円のところを千円ポッキリでいつものジョイセブンで購入できたので、これで温泉三昧千円なので全部に行けば、1ケ所を84円程と格安価格で入れる計算で、3つも行けば完全に元も取れるというものだ。以前は南信州だけで充実していたのに全県版になったら、北信や東信なんて行けそうもないし、行ける温泉が逆に少なくなってしまった交通の便が良くて、普段から使っているような温泉ではなくって、人里離れた場所にあったりするような温泉の数も多い。まっ、交通の便の良いところばかりに行ってしまう傾向もあるので利用者が増えすぎてここから抜けてしまったんだろうなぁ~伊那のみはらしの湯とか、木曽のせせらぎの四季(1年のみ加入してた)とか、良かったのにな 「信州物味湯産手形HP」下界に靄が湧き出て、天空の城ならぬ天空の宿場、馬籠。うにゃっさて、ここからは馬籠にいた猫たち。僅か1日で11匹も見てしまったという。中には飼い猫もいたけど、野良猫が殆どだと思うこの猫、逃げないし飼い猫か野良かは??屋根の上からこちらをのぞいている猫瓦の隙間に逃げ込んだ猫の尻尾警戒されてるし。野良だと思うが真横を堂々と横切る猫茂みに猫この子たちは首輪をしていたので飼い猫のようで毛並みもきれいだ。手前の黒白のは子猫だったのが大きくなっていた。いつも心配そうに後ろの黒猫が見守っているやっぱ観光客にほいほいされているのか見知らぬ人間にも警戒心は全くないのかカメラ目線で、目線もそらさず。写真の他にも、真っ白のとか逃げ足が速くて撮れなかったが、僅か1日で11匹の猫がいた・・・特に話すこともなし。ワールドカップサッカー出場決定よりは、王子が貸し切りで無料で開放をしたサウジアラビアに興味津々スディリー・セブン? 清宮がホームランを打ったとか、新体操躍進とか、柔道で金メダル量産とかスポーツなども盛んな時期だけど夏に撮りためた番組なども、せっせと見るようにしていた中で、名前は聞いた事があるけど詳しくは知らなかったのが名古屋の野口四兄弟。お知りですか?「1942年のプレイボール」というNHKのドラマで彼らの事をやっていた明、東京セネタース、西鉄軍、大洋軍、阪急、中日二郎、東京セネタース翼軍、西鉄軍、大洋軍、阪急昇、阪神軍渉、近鉄日本長男の明は、黄金期を迎えた中京商業(中京大中京)で春夏の甲子園に4回出場。史上初の夏の甲子園での三連覇のかかった昭和8年の準決勝で、明石中学相手に延長25回の死闘を投げ切った吉田正男とバッテリーを組んでいた。後に「東京セネタース」に投手兼正捕手としてプロの世界に。元祖二刀流!昭和11年4月29日の第一回日本職業野球大会開幕戦では、阪急相手に先発し勝利投手となった。翌年の春のシーズンには19勝7敗、秋は15勝と大活躍をしながら、翌年の昭和13年より昭和16年まで兵役で手りゅう弾を投げすぎて肩を壊してしまったそういえば沢村栄治も手りゅう弾を投げすぎて肩を壊したそうだ。その後は一塁手に転向して昭和17年の大洋軍で出場をした対名古屋軍の試合が延長28回の記録を作り、プロとアマの延長戦記録の試合に両方出場をした唯一の選手である。更にこの試合で投げたのが弟の二郎だ更に昭和23年に中日に移籍し捕手に戻り昭和26年と27年には捕手としてベストナインにも選ばれ、昭和29年の中日球団初の日本一にも貢献した名選手だ。後には中日の監督にもなり、引退後は中日球場の近くに喫茶店を開いていたらしいNHK名古屋放送局制作の「1942年のプレイボール」では、イケメンの勝地涼が演じていた。あまちゃんでの前髪クネ男のイメージが今も目に焼き付いているけど 1942年のプレイボール公式HP一般的には野球殿堂入りをした弟の野口二郎の方が有名であるが、だからと言って明の記録が決して劣っている訳でもなく、戦争によってのブランクがもし無ければ、更なる個人記録を残していたのかもしれない。その点について運が悪かったですねと聞かれた際に>そうじゃありませんね、私は運がよかったん>ですよ。生き残って、野球でメシが食えて、>今でもこうやって、私を忘れないでいてくれる>人がいるんだから…… 「昭和20年11月23日のプレイボール」より他の弟については次回、後半戦で紹介をします平成19年8月下旬から9月上旬に馬籠で撮影にほんブログ村
2017年09月07日
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1月下旬に娘と出かけた東京旅行の日記にとりかかっているが、それが終わって3月に投稿するのも季節的にはどうかと思われる「極寒ネタ」を1つ、差し込んで紹介したいと思う毎年恒例となっている「木曽路氷雪の灯祭り」が2月に開催をされて、木曽路の主要な宿場等が手作りのアイスキャンドルで灯され、近隣住民、観光客などでにぎわっていたのだ2月11日土曜日には、平成の越県合併で岐阜県になったといっても今も木曽路の一員である坂の宿場町である馬籠宿が灯りで照らされ、前に紹介をした紅葉のお祭りの時より随分多くの来客者でにぎわっていた実の話。このイベントがあるのは前から知っていたけど寒いのが大嫌い、坂道も苦手な私なので過去には一度も来たことがなかったけど、娘が行きたいというので今年初参加早々にお風呂も作って、息子も仕事からまだ帰宅してはなかったけど、旦那と娘とでお出かけしてみましたけどその日もすんごく寒くって、ぶるぶるぶる~~。石畳が凍っているような・・・・滑らないように気を付けて上手くともっていなかったキャンドルに、係りのご老人が身をかがめ灯りをつけていた。こういったイベントも多くの人の協力があってこそのもの。宿場の下から上まで幾つものアイスキャンドル器で凍らせての準備、大変だっったんだろうな・・・って事で日本には日本政府を頂点として都道府県や、市町村といった自治体が存在し、我々の税金を使って国民(住民)サービスを担っているその末端である地域自治体などは手が回らず、地元住民の献身的な協力があってこそ、地域や生活が円滑にまわっているのが現状だ。このイベントは観光主体だけど観光業に携わっていたり地域が好きな有志によって実施されたものだと思う過疎どころか限界集落が多く、地方から人も仕事も生活もなくなりつつある中で、馬籠宿という観光資源が存在してくれているおかげで、観光業で若い世代が離れなかったり路線バスも観光客用にあるおかげで、舅や姑も自分らでも病院や買い物にも行けるそして観光には関係のない集落なども、区長だ、会計だPTA、環境整備、農業、お寺、神社・・・本当に数多くの役が存在し、住民主体で動かないといけないのは今も昔もかわりはしない地域住民では担えないような部分は、市町村などの自治体が我々の税金を使って運営をしてくれている訳だけど、やっぱ企業の少ない地方は、人まで減ってたちゆかなくなっているのが現状で、平成の大合併で周辺部の自治体が合併して面積だけは大きくなった中津川もその運営は大変だ観光収益もあり名も売れた馬籠宿はウェルカムだったかもしれないが、企業も少なく山林ばかり。平成の大合併自体こういった地域過疎の現状をなんとかしなければと、国をあげて行った訳だけど。総合病院も元の他に、合併をした自治体にもあって、どちらも存続させるのは無理もあるし閉鎖をしたくても、当然その地域の人に不満も出るし周辺部の人たちはわれわれは切り捨てられた。どうでもいいんだみたいな感じで。うちの地域でも前にも書いたが集落ごとにあった選挙の投票所が統合されて、遠い地域の人たちは、随分と遠くなり車でもあればともかく高齢の人などは歩いての投票は非常に不便になった確定申告なども馬籠ではできず、バスの便もないような国道沿いの山口地区の会場まで行かないといけないので車のない高齢者は自力では厳しい。私がかわりに舅の確定申告いかされているし。近所のお年寄りは1時間以上はかかる山の坂道を歩いて帰って来たみたいだし。簡単に頼む人もいなければタクシー代も勿体ないとにかく節約が重要なので、確実に住民サービスの質を落としているような地方自治体の為に始めたと思われるのがふるさと納税。田舎の故郷で高齢になった父母の事をみてくれているふるさとの自治体の手助けをしたいからってのだったと思うが更には、地震台風などの災害によって多大な被害を受けた地域自治体に役立ってほしいというのが、本来の趣旨であったんだと思う。それがいつしか豪華な返納品とか換金出来る商品券、グルメな返納品などが様々な媒体で紹介をされて、もはや「ふるさと」とか名ばかりたった2千円の手数料で、やれメロンだ、高級牛だ、パソコンと自営業の人が経費で節約するように、会社天引きでなすすべもなかったサラリーマンの人たちが、ここぞとばかりと自分たちの節税に、縁もゆかりもないような自治体に返礼目当てで納税をしているのは、なんか納得がいかないまっ、普段からふるさと割で半額で旅行へ行ったりとか住宅の省エネポイントだなんだとお得な思いもしている私だから説得力がないかもしれないが、その当時でもいつもお金がある人、お金を使える人しか使えない制度なんだし消費者にお金を使って貰おうという、その関連業界の為の経済対策でしかないっていうのが見解だけど、今回の「ふるさと納税」だけは違うんですよね。なんもゆかりもない地域に納税をする事で本来、払われるはずだった自分の住む自治体の税収が減ってしまう。私はいくらお得になるからと言ってもやっぱ自分が住んでいる自治体の収入が、たとえ1万円でも減るのも何か嫌なので、興味はあってもふるさと納税には手を出しません昨今も国会で勝浦のふるさと納税の返礼品である商品券がネットで転売をされていると問題になりました。毎日新聞によると>各区は減収拡大に危機感を募らせる。世田谷区の>保坂展人区長は2日の記者会見で「学校一つ分の>減収だ」と述べ、不快感をあらわにした。30億円の>税収減は学校1校の改修費に相当するという<ふるさと納税>返礼品競争過熱 困った目玉なし東京23区更に逆にふるさと納税を受けて増収を得た自治体でもそのお金は返礼品に使われたりもするし、そりゃその地域の為に使われるとは言ってもね・・・もっと他に使うべきお金じゃなかったのかなんて思いもしますふるさと納税が問うものは NHKクローズアップ現代ふるさと納税をしている人を非難する訳ではないです私同様に節税対策で、家族に美味しいものを食べさせたい日々の生活にゆとりをもたせたいという庶民のささやかなゼイタクなのだから理解もしていますただ国の借金が増えつつある中で、地域の住民サービスすらもたちゆかないなかで、本来使われるべきところは、もっと他にあるんじゃないかと思う訳で、制度上の問題だと思うんですわてな訳でお得だとは思っても、自分の住む地域に税金を納めている訳です。これ以上、住民サービスの質を落とされたら困る単にお金があれば地域が活性する訳ではなく、要は産業創出なんだと思う。仕事があれば人もあつまる訳で地方から人がいなくなってしまうのも、それも時代だとあきらめなきゃいけない部分も多いとは思いますが自分の先祖が耕した農地、故郷があれ果てたた原野にもどるのも忍びない話ではありますねと、しんみりしたところで何やら行列を発見。これはとりあえず並ぶしかないです。午後6時になると無料で豚汁と甘酒をくださいました。寒い夜にこれはあたたまる~! うちのあたりはイベントとなるとまず豚汁サービス多いですこのにゃんこ、フォト蔵とかで見たことがある。木曽松本あたりのイベントなどによく出没してるにゃんこなので、前にも松本でも2度程遭遇した事があるしっそれにしても寒い日だった。寒かったり、暖かだったりと日替わりな天気に振り回されて。早く春になればいいなぁなどと花粉症がないので簡単に言うが、旦那は外出が嫌になる春も、もうそこまで娘の会社も加入している勤労者福祉サービスのジョイセブンでナゴヤドーム初戦にあたる、ロッテ戦のペアチケットが当たったオープン戦なので安い価格とはいえ、普段なら全く手が届かない年間シートのプラチナ席だ。こんな良い席で見るのは初めてかもあと1試合位は自腹でもオープン戦に行きたい。そっちは千円ぽっきりのいつもの内野B席だろうケド 平成29年2月11日に岐阜県中津川市馬籠宿で撮影にほんブログ村
2017年02月22日
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バレンタインも過ぎて、もう2月も後半に入ったが今日も寒い・・・・。食べ物の近況ばかりが続いているこのブログだけど、新築の家の状況はどうしたの?もう住んでるの??とか、娘は家から仕事に通っているのかとかかなり私も説明不足だったので最初に補足しときます家の進捗状況は予定通り。ベテランの大工さんの造作は3月一杯で、最初っからゴールデンウィーク明けでの引き渡しなので、まだまだ先です。家の事も書かなきゃとは思いますが、なかなか家にも出かけられないのでそれでも、家(仮住まいアパートだけど)に戻ってきた娘と家に立ち寄った出かけたついでに、久々に馬籠宿をてくてく歩いてきました。すんごく寒い日だったんですけどね~娘の方は有給休暇を使ってて2月末日で、今の会社を退社し3月から無職です。横でネットで職探しとかも始めてますが地元は無理でしょうね。新築の家には娘の部屋も用意してますが、名古屋での一人暮らしも厭わないみたいです 1年目は 大学1年目の教養課程を松本古いアパートで 2~4年目を 大学の専門課程で伊那の古いマンションで 5年目の半分を入社研修で塩尻のレオパレスで 6年目の後半まで1年間を富士の大東建託で 7~9年目後半までを松本の寒いマンションで 10年目 仮住まいのアパートって感じで、果たして10年目の春は新築の実家暮らしなのか、名古屋での一人暮らしになるのかは、今後の就職活動次第だけど、やっぱ時期が悪いよね。秋口の方が良かったけど、仕事もなかなかやめさせて貰えず本来は昨夏に辞める予定が年を越しちゃった寒さの底、大雪の前に松本を離れたかった娘の意志と大雪に引っ越しはなぁ~~とお正月明けの引っ越しとなった訳で、そんな寒さの底の2月の馬籠・・・・松本程ではないかもしれないがやっぱ寒かった。今シーズンは暖冬のはずだったのに!そんな寒い中でも、流石に春節だけあって中国あたりからの団体客がやってきていたしテレビか観光関連なのか、ドローンで撮影もしていた無料の休憩所には猫がひなたぼっこをしていたカメラで何やらとってる外国からのお客様とりあえず馬籠宿のてっぺんまで歩いてきたが恵那山のてっぺんは見えない模様帰りはクローンの撮影に邪魔になってもいけないので宿場の外側の道路をてくてく歩いてみようか根っこで盛り上がってる道何やら動物の足跡ここから見る馬籠宿もなかなか良い。寒くても雪の降った日に来たかいもある近くでたき火をたいていた煙でもやってるルイルイとえびすさんが見たら泣き出しそうな時刻表。これ中津川駅から大久手経由の路線で、一般的な湯舟沢経由の路線は朝から夕刻まで1時間毎位はあるグーグル+が加工をしてくれたので、なにやら雰囲気のある写真になった松本も寒かったが、馬籠もやっぱ寒いわネットにつららまで出来ているしこんな寒い日には温かなお蕎麦とか、五平餅でも食べるのも良いし、お~~七笑! いつもの木曽の地酒もおいしそう娘が何やら怪しげな張り紙を見つけた。今までは気が付かなかった新メニューだ。ご当地グルメの五平餅の上にどか~とソフトクリームが乗ってる斬新なアイデアに娘、興味津々。早速、注文をしてみるとアツアツの五平餅の上に、写真よりも豪快にソフトクリームがどか~んと鎮座している。ソフトクリーム300円五平餅2本で300円それを単純に足しての600円の「五平餅ソフト」だが少し貰ったけど、違和感なく美味しく食べれた。というか、ここの五平餅美味しいし!既に、会社から旦那が風邪を貰ってきてた事もあって私も娘もこの後に風邪をひいてしまい、最後に息子が風邪で誕生日を迎えた後日、期間限定とかプレミアムといった言葉に弱いのでなにやら、お待たせしたらしい「スガキヤ」の期間限定ザ・プレミアムラーメンを食べてみた焼き豚がゴージャスで生玉子が入っていた。全部、娘とはんぶんこするように、ラーメンは100円で大盛りにしてみた球界のレジェンドであった山本昌投手が、50歳にして引退をしたので、ナゴヤドームでのドラゴンズの最初のオープン戦で引退試合が行われるというので、チケット発売初日の朝には、チケット発売10分前からコンビニに出かけて無事にチケットをゲット! 最初から比較的人気の無い、いつもの3塁側内野Bにした事が良かったかも。ネットの書き込みなどに寄れば数分程で売り切れたらしく、後から5階のパノラマ席を追加販売したらしい。流石に球界のレジェンド。昌ファンの甥と出かける予定でいる「シャトレーゼ」へ、夕刻に息子の誕生日ケーキを買いに立ち寄ったら、4つのケーキがおつとめ品で3割引きとなり私はイチゴの生ケーキが良かったけど、娘が食べたいと選んだチョコレートケーキのセット。甘かった・・・ 平成28年2月10日に馬籠宿で撮影 ブログの日記更新を先にさせていただきが、限られた時間での ネットの為、皆さんのブログには今週中の訪問になるかもしれませんにほんブログ村
2016年02月16日
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娘が同窓会があるというので戻ってきたが、お昼まで時間があるので、午前中は二人で馬籠宿へ出かけた早い時間だったけど夏のトップシーズンだけに、家族客などで、それなりに賑わってもいた土産物屋の店頭にはごろごろ~~っと看板にゃんこなんかカメラを向けられているにゃ~今日もいっぱい客がきているにゃ~~と、いたってマイペース夏の花も咲いていてだるまにお金とはこちらにも、にゃんこ馬籠って7月のお盆だけど、櫓が出来ていた観光客にサービスなのかなかわいらしい、しつらえ レトロな丸ポストヤマには、クマもいたりするんですわ 前に紹介したNYタイムズの「死ぬまでにもう一度訪れたいお店」に掲載されたパフェのお店はご店主が病気で亡くなられて閉められてましたここの店先にいたタヌキのはく製もないし変わらぬようでも、少しずつ変りもする 久しぶりの馬籠宿、雨も降り出したのでそろそろ戻ろうか恵那山は残念ながら、雲のかなた。特に書く事ないので写真中心の日記にさせていただきました 平成26年8月14日に馬籠宿で撮影
2014年08月21日
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以前にはトラックバック機能が無くなったとか、メール 機能が無くなったとか、掲示板が無くなったと大騒ぎで あった楽天ブログだが、6月になって今度はコメントが 無くなった え? あるよ。書き込めるしと思われるかもしれないが 6月下旬に、ある方の日記のお返事を読もうと再訪を したら自分が書いたハズのコメントが無い? あれっ 迷惑コメントすらお返事を書くような人だから、削除 するような人でもないし、変だなぁ~と思っていたら 私の所の日記にコメントをしたのに、コメントが消えて いるとか、コメントがあるのは判るのに、それが読めない なんてお話なども複数の方から聞いて、どうやらほんの 一部だけど、日記のコメントが忽然と消えてしまっている ようだ 私は日記更新時に、前の日記にコメントを下さった方に お返事の形で、ご訪問をさせていただいているし、第一 自分が書いたコメントも消えてたら、不義理なやっちゃ なぁ~なんて思われているかもとか考えると、信頼関係 崩しかねないよ、なんとかして~楽天ブログさん てな訳でアレ?と思われている方は、ご自身のミスでは ないです。ここのサイト上の問題ですので、まっ気長に やりましょう・・・・といっても、SNSを始めた人とかなど ここを卒業された方って結構いたりして、コレも世の流れ なんだろうなぁ なんてしみじみしてたら、このブログを始めて9年近くは なるんだけど日記件数が、前回の日記で1000回に達して いたし。石の上にも三年じゃなくて、千里の道も一歩から いやぁ~~、長いようでもあっという間の年月でした 当時は中学生だった子どもらも就職して、私? 私と言えば あいも変わらず根なし草 そんな訳で娘の連休をダシにして、九州へ出かけよう との母の悪だくみは、娘の「久しぶりに家に帰りたい」 という、至極まっとうな願いで消え去って、娘と二人で やってきたのは、初夏の花が咲く「馬籠(まごめ)宿」 一番近い観光地な割に、蓼科高原や、朝霧高原よりも 出かける事の少ない馬籠宿。坂道がキツイのがどうも ネックかもしれないです。残念ながら梅雨時のお天気で 目の前にある恵那山は見えず、でも暑くないから歩く 分には逆に楽かもしれない それにしても誰もいない! 夜はともかく平日とはいえ 昼間っからこんなに人のいない馬籠宿って、たぶん初めて かもしれないです。今年のGW中に親戚を案内する為に 来訪した、人だらけの馬籠宿とのギャップが・・・・ 参考画像。親戚を案内したGW中の馬籠宿 馬籠宿ってこんなイメージがあるので、まるで別の所みたい う~む。人の頭より紫陽花の方がやっぱり綺麗 まっ、ある意味で近代化に乗り遅れ時代から取り残された 為に、いにしえの景観を平成の世に見せてくれる木曽路で あるだけに、こんな静かな宿場の方が観光客には望ましい ものかもしれないが といっても馬籠宿は、江戸時代の町並みがそのまま残った 妻籠宿とかと違って、明治28年と大正4年の2度あった 大火で殆ど焼失し、それ以降に建て直されたものだけど でも、この坂道沿いの宿場と、恵那山や美濃路を見下ろす 景観などは、妻籠宿や奈良井宿には望めぬものだ これだけ人がいないと・・・宿場の上の方にある目的のお店が 営業しているのかが心配になって、ドキドキしながら先を急ぐ そう、今回。娘と馬籠にやってきた訳は・・・前にもブログで 紹介をした事のある、このお店にくる為だった その目当ては、NYタイムズの「死ぬまでにもう一度、訪れたい お店」という企画の中で紹介された、恵那山の良く見える喫茶店 「穣」のフルーツパフェで、こう見えて600円也は安い だいたい↑実物大です(笑) この裏側にはバナナと、リンゴも突き刺さってましたし、よくも 盛ったものです。食べる方もフルーツが落ちないように、ぐぐっと スイカとかメロンを奥に差し込み・・・まずはパイナップル上が 危険だな・・・とジクソーパズルなみ 残念ながら恵那山を望みながら食べるのは、天候の関係から 出来なかったけど、でもでも望みのモノは食べれたのだし・・・ あまりのボリュームにお昼ご飯はもう食べれなかった 折角だから恵那山周辺(岐阜東部、長野南部、愛知奥三河)での ソウルフードの五平餅も食べたかったけど、今回は素通りです 最初は娘は馬籠宿から妻籠宿までを歩きたいとか、言ってたん だけど、前の日にもうちから飛騨方面に遊びに出かけたばかり だったし馬籠宿くらいにさせた。だって、それじゃぁ家にいる 時間って殆ど無いよなんて親心も関係なく、家にいたらいたで 1巻からの「はじめの一歩」を読破しただけの娘 折角、家に帰ってきたのに漫画かい!とか思いもするが、家に いるというだけで、まったりできるのかもしれないし。九州の 夢は消えたが、そろそろ娘の所にでも出かけて、そこを拠点に 仕事に出かける娘を見送ってから、江の島だ、鎌倉だ、横浜だと 遊び歩くかぁ~ JRの普通列車が乗り放題で利用出来る、青春18切符の夏休み 期間は7月20日からで待ち遠しい。これでソラカラちゃんに 会いに行くのもいいのかも 皆さんは夏休みのご予定はありますか? 平成24年6月25日に馬籠宿で撮影
2012年07月02日
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まだ紅葉も美しかった、昨年11月の話である なんでも「馬籠宿ルネッサンス」というものが 実施され、馬籠宿の11月は和宮時代行列など イベントが幾つもあったそうだ 「紙と木と竹と石のあかり街道」と称して、週末は 真っ暗な宿場町も、この時ばかりは様々な灯りに 彩られて、観光客や地元の見物客が夜の宿場町の そぞろ歩きを楽しんだのである ちょうど娘が家に帰ってきていたので、私も娘と 二人で、また旦那と二人で2度にわたり出かけて みたが、デジイチ(三脚なし、手持ち)はともかく コンデジでの夜の風景の撮影は完全にアウトだった 昼間にしか来た事の無かった馬籠宿は、ほんのりと 優しい灯りで、まるで江戸の頃の・・・過去へでも タイムスリップをしたようにも思えた なんでも2月11日には、今度は「氷雪の灯祭り」と いうものが夜に行われるのだが、これは「木曽路」の 宿場あちこちで、1月28日から2月11日にかけて 催されるという 寒いので今までは一度も出かけた事が無いが、今年は 出かけてみようかなぁ・・・・ 詳しい日程&内容は、下記サイトで↓ 「1012木曽路 氷雪の灯祭り」 そんな訳で、ここからは何時ものように。写真とは 全く違う話を・・・ 前回の日記で、今回の楽天ブログの一連の出来事を 技術革新でというのはないだろうと御指摘があった 通り、実は技術革新によって面倒だったり、不便な 事もあるってのは、本来は今回の話の前振りである ちょうど楽天の話がタイムリーだったので、途中まで 今回の話を書きかけていたのが脱線してしてしまった よくあるパターンだ という訳で仕切り直し > 長く今まで普通にしてきた方法が、身に染みて > いるのに、それが技術革新などによって今までと > 全く違う新しい方法に変わるのを、また一から > 覚えて身につけるのは、なかなか億劫にもなる 年末からお正月休みで自宅に戻っていた娘を、旦那の 車で送っていって、5日から仕事のある旦那は一足 先に車で家に帰りながら、私の方は10日まで娘の ところで避寒生活を送っていた 娘の休みの4日に二人で電車で静岡へ出かけ、戻って きてからは、娘の街のショッピングセンターに寄った ところ、既に地元で1万円の洋服の福袋を1つ購入を していたが、この店の1万円の洋服の福袋もなかなか 良いではないか! しかしケチな娘が同行していたので、「同じようなのを 持っているし、勿体ない」とか言われて買わずに帰宅 したものも4万円位はあったし・・・と、諦めきれずに 次の日に出勤する娘を会社に送って、車を借りて買いに いっちゃおう~~♪と、決心をしたのだ 1月5日は、とっても晴れた清々しい朝で富士山なども 美しいし、娘を送った足で富士山の撮影スポットでも 出かけてみようと思いついたのでカメラも持参 そんなウキウキ気分で、娘を助手席に乗せ会社の近くで 下ろしてから岩木山かな、富士宮、いやいや朝霧高原? なんて車を運転していたら・・・・・ 市街地にありながら、ここからって富士山が良く見える んだよね~と、前から気になってた公園で車を停めた ・・・・・・・? 車の鍵が無いっ!? そう車の施錠や解錠。エンジンもかける鍵なのだけど 昨今の技術革新で、センサー付きの鍵をカバンに 入れておいたままでも、指で触れば車のドアも開け られるし、車のエンジンもボタン一つだったりする 出かけるときに娘が一緒にいたから、娘のカバンの 中のセンサー付きの鍵で車にも乗り込め、エンジンも かかったけど、その鍵はもはや出社した娘の会社の ロッカーの中! 私は鍵がないのにそのまま運転が 出来て、よりにもよってこんな所でエンジンを切って しまった あぁ、そのまま素直にアパートに戻れば良かったのに もはや、センサー付きの鍵を持っていない私には エンジンもかけれないし、車の施錠すら出来ず・・・ タクシーを呼んで、娘のアパートに戻って合鍵を 持ってくるしかないか・・・・ !?・・・・・・・携帯電話を娘のアパートに忘れたし 公園だし周囲に人家は無く・・・。公共施設に隣接 していたおかげで、今時、公衆電話BOXがあるし! お~~~、分厚い電話帳も! タクシー、タクシーと 判っていても、慌てていて焦ってなかなか探せず なんだかんだでタクシー呼んで、娘のアパートに戻り あたふたと合鍵のあるはずの貴重品BOXをまさぐるが えっ!? ないじゃないの。ひっくり返して探しても あるはずの合鍵が無い でも12月に新車を持ってきて、古い車と交換した時に 確かに合鍵をここに入れたはず・・・・。もしかして自分の 家に持ち帰っていたりして? 携帯電話で仕事中の 娘や旦那に聞くのもはばかられるが・・・・混乱する頭で とにかく、娘の会社のロッカーに鍵があるのは事実だし それを取りにいくのが確実だ そこから車で20分近くかかる娘の会社まで、タクシーで 行って貰い、娘から車の鍵を預かって再び公園に戻ると うっ・・・・無事だ。施錠してなかった娘の車がそのままあり その足で厄払いに、例のドラえもん神社に参拝に出かけた その夜。娘が「あれ?お母さんに電話で話さなかったっけ 会社用のカバンと、遊びに行く用のカバンのどちらにも 車の鍵を入れておけば、いちいち入れ替えしなくてもいいし 面倒くさくないし、合鍵は遊び用のカバンの内ポケットに 入れてたのに・・・あぁ!、お父さんに話したんだった」 知らんわ、そんな事情。おかげで娘のアパートで合鍵を持ち 出せたら2千円程だったタクシー代は、娘の会社まで寄り道 する事で4750円。朝からタクシーの運ちゃんほくほく 無論、1万円の福袋を買う事は無かった。あ~~、富士山が 無情に綺麗だし! それにしても朝霧高原まで行かなくて 良かった~~~~~っ! 平成23年11月に馬籠宿で撮影 (神社、公園は今年1月5日に富士市で)
2012年01月17日
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昨年の暮れ。お天気が良かったので青空に誘われ 娘と二人で、久しぶりに馬籠(まごめ)宿を散歩を する事にした まだ朝早かったせいか、まったく観光客の姿も無く 静かな宿場をてくてくと登る。坂道沿いに作られた 宿場はそうは無いと思う 江戸時後期の街並みがそのまま残るお隣の妻籠宿と 違って、馬籠宿は大火で家並みは新しいが、でも 妻籠にはない高台から、恵那山や中津川を眺める 風光明美な宿場であるのが、魅力の一つである 地域のお年寄りが手作りをした素朴なお土産なども 売られ、平成の世になっても古人(いにしえびと)の 見た風景を、垣間見せてくれるのだ 「木曽路はすべて山の中である。」とは明治の文豪 島崎藤村の「夜明け前」。彼は馬籠宿の本陣や庄屋 問屋も務めた名家の島崎家に、明治5年2月17日に 四男として生まれた といっても明治14年には上京し、泰明小学校に通い 卒業後は、当時の進学予備校で学んで、明治学院の 普通部本科(明治学院高校の前身)に入学をしたそうで 馬籠には幼い頃にしか住んではいないのだが 彼の生家は明治の大火で焼けてしまったが、祖父母の 隠居所だけが唯一焼け残り、その二階が藤村が少年の 頃を過ごした部屋であったそうだ 例え遠くにあろうとも、己が生まれ父母や兄弟の住まう 馬籠は藤村にとっては、「血につながるふるさと、心に つながるふるさと、言葉につながるふるさと」であった これは後年に、藤村が地元の神坂(みさか)小学校で 講演をした時に語った言葉であるそうだ そんな馬籠付近では、おいしい郷土食の「五平餅」があるが 藤村も馬籠に帰ると食べていたのかもしれない。うちの姑は 息子や、義兄弟が里帰りをすると、きまって五平餅を買って ご馳走にしている 栗きんとんなどの和菓子は、中津川などの和菓子屋のもの 蕎麦屋もあるので、蕎麦なども楽しめる これは娘の好きな和スイーツで、久しぶりに購入して 娘は喜んで食べていた。ソフトクリームにわらび餅を トッピングし、黄粉と黒蜜がかかっているものだ 大学進学で馬籠を離れて4年を過ごした娘も、春には 故郷に帰る事なく一人暮らしでの就職が決まり、無論 何かあったら駆けつけられる距離なのだけど・・・ 家が狭くて娘の帰る部屋も無ければ、遊びに行くにも 映画を見るにも、名古屋位しかないような田舎の生活は 一度、家を出た人間には到底無理のよう。第一が大卒の 雇用が地元には殆どないのだから帰りようもない 中小企業に目を向けよとか、そんな状況にはない地方の 厳しい雇用。息子の友人は高卒入社後1年も満たずに 国内地方工場の合理化により工場閉鎖。長男なので他の 地方に行くのは想定外で、まだ21歳なのに新卒では ないから、地元の中小企業の就職といっても契約社員で 仕事ぶりが良ければ後日、正社員になれるかもしれない そうだ。頑張れよ~! 東京にいただけでは、この国の本当の姿は見えてこない 農業再生だとか、地方の時代だとか言われるがそんな 悠長な事を言ってる場合ではない。テレビでやっていたが 元ハト内閣の頃の発案で、都市部の若者を2年などの 期限付きでの雇用を、田舎の自治体で与えているらしい その期間が終わったとしても、昔のように農業などで自給 自足が出来るわけもなく、その日、その日を暮らすには 仕事に就かなければないらないが、それが無いのだから 結局は、都市部に帰える道しかまずは望めないようだ つ~か、地元の若者すらも卒業後の雇用がないのに・・・ 地方に産業をといっても、民間は効率的ではなく採算も 合わないだろうし、第一が地方とか都会といったすみ分けも 無く、日本だけの商売では成長はもう望めず。日本経済の 岐路にたっているのではないのだろうか 団塊の世代は年金世代となり、若者は減りゆく高齢化社会 消費も減り、政府は相変わらず選挙対策の為の心地よい 言葉ばかりで、将来を見据えているとも思えない 日本企業であっても、海外に活路を目指さないと生き残れ ないと、海外進出を視野に新卒日本人ではなくて、現地に 詳しい外国人を積極的に採用し、国内でも社内は英語を 使う企業も増えてる。某有名企業などは8割が外国人枠で 残り2割も、日本人だけを採用するつもりではないそうで 円高も関係がなく人件費の安い海外に工場を移して 国内は空洞化。娘に今度買った日本メーカーの価格の 安いPCも、メイド・イン・チャイナと後で知った そんな中で国内生産維持の為に、子会社の新工場を トヨタは東北にたちあげ、中部、九州に続く国内第3の 生産拠点に再編をして、競争力を高めるそうである 先日のサッカーで活躍した李選手は、在日韓国人4世だった そうで、それがサッカーの為に日本国籍を取得して帰化した そうだが、4世って・・・どれだけ家族は日本に住んでいる んだろ。そんな長い年月を、日本では外国人籍のままでいら れるのに驚いた 果たして日本はどこに行こうとしているのか 平成22年12月12日に中津川市馬籠で撮影 前回の日記にも沢山のコメントを頂戴し有難うございました 日記更新を先にさせていただきました。お返事を兼ねさせて いただき、皆さんのブログには本日中に伺わせていただき たいと思いますが、これから娘のところに行きますので 場合によっては一部、明日にずれ込む場合がございます
2011年02月08日
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NHKの朝の連続ドラマの影響もあって、ゲゲゲの鬼太郎 大ブームの年だった。いつもなら手ぬぐいを頭に乗せて 茶碗風呂に入っている目玉の親父が、なにやらカワイイ これは10月初旬に馬籠で行われたお祭りで、子供たちが 地域を曳いて歩いた花車。地域で当番制で手作りをするが それに乗せるのは、その年に流行をしたキャラクターだ この地域では、小学6年生の女の子らが夏休みから 練習を続けてきた「浦安の舞」を、お祭りで神に奉納を する。人数の多い年には、二組に分かれて舞う 「浦安」とは心の安らかという意味で、平和を祈る 心の舞であるそうで、昭和15年11月10日に開催を された「皇紀二千六百年奉祝会」を記念し、全国の 神社で行われた、奉祝臨時祭で奉奏する為、新しく 作られた神楽舞である 昭和天皇の御歌(昭和8年)がうたわれている 「天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの 海のごとくに波たたぬ世を」 地域を若い衆に担がれて、練りあるいてきた神輿も 神前に飾られて、その脇では奉納の太鼓が始まった 地域を中心に活動する二つの太鼓グループが、演奏を 行ったのだが、その小気味よい太鼓の音が鎮守の森から 地域へと広がっていく 体にも振動を感じるような太鼓の音に、驚いたのだろうか 見物の少女は耳を塞いでた この地方ではお祭りや、イベントの最後を飾るのは 「餅投げ」である。先ほど綺麗な舞を披露した少女らも 勇ましく、けらけらと笑いながら餅を投げる 沢山の餅を持つお父さん。こんな時には、やっぱ レジ袋を持参じゃなきゃ~ そしたら、今度は餅ではなくて菓子投げに突入をした 花車を曳いたご褒美に子供たちが貰うお菓子の 詰め合わせの残ったものが、景気よく投げられる 祭りも終わり、神社を後にする人は誰もが満足顔で 「私の前にどばどば~と餅が落ちてきて、20個も 拾ったのよ」と嬉しそうなおばあさんの声! そりゃ すごい!! カメラで撮影をしながら、ほんの少し転がってきたのを ひろって5個。あと80歳近い姑、息子と三人で拾った 収獲の餅の山 さて、テーブルの阪神ファンの舅の小物入れに、こんな 菓子が入っていた。どこで手に入れたんだろう。今日から セ・リーグのクライマックス第一ステージがあると言うが 地上波も、BSも中継がない? パ・リーグの試合はBS NHKでやるみたいだが・・・ クローゼットには、会社に出かけた巨人ファンの旦那のが 中継もないし、仕事に出かけて良かったかも。ま、関東や 関西などでは、地上波で生中継をするだろうけど・・・ そんな東海地方はもっぱら、来週に迫ったナゴヤドームで 巨人か阪神の勝者を迎えての、クライマックスファイナルに 話題も移っていたりして その貴重なチケットをゲットしました~。インターネットでの 先行販売で6試合まで応募できるけど、幾つも当選したら?と 珍しくの自腹なので、お財布の心配もして、第一試合は高価な 内野席で、他の試合は外野席で合計4試合に応募をした そしたら、4試合のうち、土曜日以外の3試合が当選した! 3つも行けば旦那に叱られるのは必至と遠慮し、1試合を 当選権利を放棄した 既に、ネットオークションで高値で売買もされているチケット だけど、転売や第三者への譲渡が不可で、購入者の名前も 入っています シーズンチケットや、ファンクラブの優先の先行販売などで 一塁側は人気だと思い、ビジター側を選択したのも正解かも しかも先行販売だった為か、その価格帯の中でもマウンドに 近くて、通路側だったり、5階でも前から2列目だったりと かなりの良席で、たぶん周囲はドラファンになりそうだ 平成22年10月3日に中津川で撮影
2010年10月16日
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信州の日記が半数以上を占めているので、私が 信州人と思いの方もいるかと思うけど、一応は 馬籠(まごめ)在住。今も昔も木曽路に変わりは ないけれど、ちょっと前までは長野県民で、今は 岐阜県民 そんなオトナな事情に関係なく、島崎藤村が眺めた 恵那山と何らかわりなく、木曽路はすべて山の中 先日も海外のお客様が増えたと、ここに書いたけど どうやら、レストランの格付けガイドでも知られる ミシュランの「緑のガイド(ギド・ヴェール)」での 日本編に星一つで、木曽路の馬籠や妻籠 奈良井などが紹介をされたのも影響があるかも かのニューヨークタイムズの「死ぬまでにもう1度 訪れたいお店」という企画で、紹介された喫茶店も 馬籠にあると知ってはいたが、なかなか紹介できず やっと先日、娘と食べてきました 急な坂道の馬籠宿の上の方にある、その喫茶店は まるで蕎麦屋のようであり、「死ぬまでにもう1度 訪れたいお店」という雰囲気は感じないけど、奥は オープンテラスになっており、そこからは恵那山の 絶景が望める その日は桐の花が咲いていた。私たちがいる間にも 海外の方が二組、「いらっしゃいませ」の言葉を受け 「ノー、ノー、ピクチャー!」と言いながら、店の中に 入って、テラスで写真を撮影し、サンキューの言葉も 無く足早に店から立ち去っていくので、お店の方も 気の毒だなぁと思った そんな絶景だけではなく、ニューヨークタイムズに 紹介をした人が魅かれたのが、芸術的なフルーツパフェ だそうで、東京あたりで頼んだら千円は軽くするけど なんと600円♪ 二つでも1200円! う~む。見た目どころか価格も魅惑的だ パフェを平らげたばかりの娘は、更に里芋をつぶし 練りこんだ「いも焼もち」なんぞも食べ歩く 信州塩尻近辺のワインなども、販売をされているが その特徴がアイスワインに・・・・高いワイン! なるほど~~と納得 木曽の木工品を紹介したけど、ここでもお買い物が 出来る。檜、栃はともかく、う~~む。読めないし 坂の途中のなじみの水車が いつの間にか電力発電してるし! ここからはオマケ。今まで全国で普通に食べられて いると思っていた「からし豆腐」(木綿豆腐の真中に からしの塊が少し入っている)が岐阜県など一部の 限られた地域でしか売っていない事を知って驚いた そんな地方色満載のからし豆腐や、ビタミンちくわに 馬肉の盛り合わせを、「娘の住む南信州の伊那市」で 購入をしてみた 更に、愛知県に本部のある大手スーパーなども進出を しているので、売り場では中日ドラゴンズの歌がかかり ドアラ商品も購入できる 中日新聞や中日スポーツも購入できるし、お店に置いて あるような、伊那市の権兵衛トンネル付近の夕焼けが とても綺麗な5月中旬の話だった やっと冬物を洗濯に出して、半袖も出してはみたのに 今日は寒くて、衣替えのやり直し? 平成22年5月中旬に馬籠&伊那で撮影
2010年05月23日
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太陽の前を月が横切って、太陽を隠す「日食」のうちでも 月が太陽全体を完全に隠すのを「皆既食」といい、一部を 隠すのを「部分食」というが、日本国内で久しぶりに見られる というので、7月22日に空を見上げた人は多かった 連日のように土砂降りが降り、22日当日も朝からの大雨では もう日食もままならないと、車で移動でもするかと娘や、姉の ところの空模様を聞いても、あまり代わり映えもせず諦めるか などと、ワイドショーを見ていると、沖縄は晴天かいいなぁ~ 10時過ぎに姉からの電話で、時折、日が差し込むというので こりゃ、お天気も回復傾向?などと、10時半過ぎに見上げたら ちと青空なども見えて、久しぶりのお日様がちらりとのぞく 早速にもカードの小さな穴越しの観測を試みるが、日差しが 弱いのか、こりゃ駄目だ・・・時間だけが過ぎていく。太陽も無い 日差しも感じられず、諦めながらも上空を見上げたら、あっ! 三日月・・・ではなくって「部分食の欠けた太陽」が朧月夜の ように、雲の隙間にぽっかりと浮かんでいた 岐阜県中津川市で、平成21年7月22日午前11時8分に撮影 ある意味では曇っていたのが幸いだったのかもと、いつもの デジカメでパチパチと2枚ほどを撮った時点で、また厚い 雲の中に姿を消していった。同時刻に娘は大学の授業中で 見えた!などと外から歓声が上がると、教授ともども外に 飛び出すが、間に合わず・・・ しかし、正午頃に学校からの帰り道で、食の終わりかけの 「少しかじったような欠けた太陽」が水溜りや、車のサイド ミラーなどに映っていたそうだ。そうか~、水溜りってのも あったのか! 息子も仕事先で見る機会に恵まれて喜んでいたが、厳格な 旦那は「仕事中にそんな暇はない!」と言う訳で・・・ そんな神秘的な天体ショーを終えながら、その日の夕焼けも 燃えるようにダイナミックだった。自然は人知を超える < ここからは7月上旬に、犬の散歩中に見た畦道に咲いた > < 初夏の花々などの写真を紹介しながらも、日食の話は続く > 子供の頃に天体にも興味があって、擦り切れるくらい星座の 本も読んで、望遠鏡なども買って貰った。大流星群の雨だれの ように降り注ぐ流れ星の絵は、今も頭に焼き付いている 図鑑などで「日食」の写真を見て、皆既食よりは月が太陽を 完全に隠せず、太陽の縁がリング状に残った「金環食」が ロマンチックだし見たいなぁ~と思った その憧れの「金環食」なのだが、2012年5月21日にトカラ列島 屋久島、種子島、九州の一部、四国の一部、近畿南部、中部南部 東海の大部分、関東の大部分、東北南部で観察が出来るそうで 他の地域でも今回のように「部分食」が見れるそうで楽しみだ 1183年11月24日の「金環食」は、讃岐の屋島を本拠にした 平家軍と木曽義仲(源義仲)軍との間で行われた「水島の合戦」の 最中にあったそうで、天文博士を擁している朝廷に近かった平家は 日食が起こると知っていて、太陽が欠けていくのを恐れおののく 木曽義仲軍を撃退したと、源平盛衰記に書かれている イラン北西部にあったメディア王国の軍と、古代アナトリア 半島 (今のトルコ)のリディア王国の軍が、長い間にわたって 決着の付かない戦争を続けていた。その日も今のトルコ中央部を 流れているハリス(クズルウルマク)川の近くで戦っていると 日食が始まって、にわかに天は暗くなり、神の怒りか?と恐れた 両軍の兵士たちは武器を捨てて戦いをやめ、戦争自体も終結を したそうで、このハリス川が国境となった 紀元前585年5月26日の「皆既食」といわれている そして、アマテラスが天岩戸に隠れてしまって、世界が 闇になるというのは「日食」を表したものだという解釈と 冬至を過ぎ、太陽が弱まった力を取り戻すという事では ないかといわれているそうだ 泣いた、笑った、諦めた、感動した7月22日。多くの人が 空を見上げた。皆さんはいかがお過ごしでしたでしょうか? 見れました? 国内で見れる次の皆既食は2035年9月2日で 富山と茨城を結ぶ一帯で見えるそうだ 平成21年7月22日、13日に岐阜県中津川で撮影
2009年07月23日
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落合宿は駐車場もないし、あ~、やって いるなぁと、遠くから気配を感じるだけ だったのだが、ここではJRのさわやか ウォーキングの参加者に栗きんとん1個と きのこ汁を振舞ったらしい。うらやましい♪ 私といえば、馬籠で一番の人出で賑わう ごへー祭に潜入だ。栗きんとん同様に 全国に名を馳せた五平餅は、中津川に 限らず、恵那、奥三河、木曽、伊那などの 地方で愛されてきた郷土食。ダンゴ型2個 3個タイプと、御幣(ごへい)型がある 長野県木曽郡旧山口村で、地元・各地区の 素人が手作りをした五平餅を、販売をする ごへー祭が始まって約20年。岐阜県への 越県合併問題で、元田中知事に横槍を入れ られ、以前の時のように村を二分するような 事態になりそうだったのも、今は昔 岐阜県中津川市になってもなお続く、祭り なのだが、山里は、ご他聞にもれず高齢化も 進み、参加する地域も年々減っており、私の 地域もやめてしまった。それを補うように 普段から販売をしている地元業者系も増えた 焼きたてアツアツならば、めちゃ旨いという 馬籠・峠地区のエゴマ、ヤマグルミの入った ものは一番の人気で、午前中にして2時間 待ちだそうだ。私も食べた事はない幻の味だ こちらは中津川の郷土食のいもやこもち サトイモのやーこい(やわらかい)お餅が 名前の由来ともいわれている 恵那の実家では、いもごねもちと言い その昔、貧しい農家の人がご飯の量を 増やす為に、ご飯に里芋を混ぜて 握ったものを焼き、生姜醤油や、ねぎ 味噌をつけて食べるのだが、なかなか 美味しい素朴な味だ 恵那のマツタケのお祭りでも、紹介をした へぼ飯の横には、蜂の子まで売っていた そのお隣のお菓子は、栗きんとんよりも 地域の人には身近である「からすみ」だ 4月3日のひな祭りには、欠かせない 米の粉を使った蒸し菓子で、岐阜県の 東濃地方から、愛知県奥三河にかけて 各家庭で作られ、世間一般に知られている 魚のそれとは、まったくの別物である 中津川付近の道の駅が、いくつも出店を しており、前にも紹介をした市内福岡の あじめコショウ、豊臣秀吉が朝鮮への 出兵の際に、兵士の士気を上げる為と 体温を高める為に、持たせたとか・・・ 付知川に生息をする、アジメドジョウに 似ており、福岡では唐辛子をコショウと 呼んでいたから、あじめコショウと言う 余談であるが、前の栗きんとんで、全国に 知られた中津川の「すや」(中山道でも 有名な酢のお店が、和菓子に鞍替えをした ので酢屋から)と、「川上屋」であるが 暖簾分けをしたのか、お隣の恵那市には 「恵那寿や」と「恵那川上屋」があって こちらも支店なども多い 特に、恵那峡の近くの恵那川上屋などは 近代的なおしゃれな店舗で、なかなか繁盛を しており、この前も娘にねだられて、恵那 川上屋のマロンソフトをご賞味~♪ 別にお味がどうだと言う訳でなく、恵那の お店も、美味しい栗きんとんを販売をされて いるのだが、もしも老舗の中津川のお店と 勘違いして購入をすると、別のお店と知って がっかりという事もあるので、ご注意を 私の実家などでは、恵那駅前の創業90年の 菊水堂の「傘岩まんじゅう」を、贈答品で よく貰って、一番の馴染みのお菓子だった 平成19年10月28日、中津川市 馬籠で撮影(栗ソフトは恵那市で別日) ドラゴンズ日本一についてのは、夢穂の 日常的ブログの「毎日が日曜日。」の 「感動をありがとう~♪」の日記に書き ました。よろしかったらのぞいて下さい 「感動をありがとう~♪」
2007年11月01日
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そろそろ馬籠の山も、赤く色づき始めた いよいよ受験突入でストレスのたまった 娘と、久しぶりに馬籠を歩いてみた 可愛らしい椅子の喫茶店で、栗きんとん アイスクリームを食べてみる。確かに 栗きんとんの粒々が・・・上品な味だ 馬籠といえば、名物の五平餅は 家で待っている息子にお昼ご飯で お持ち帰りをしよう それにしても良い天気で、超・近場 観光も、思いのほか楽しむ事ができた その「ごへー餅」を、お店ではなくって 地元の人たちが、地区ごとに作って販売を するという「ごへー祭」が開催をされた 朝9時30分から販売開始でありながら もう9時過ぎには、並ぶ人が出始めたそうだ 当日は、中津川宿のお菓子祭り、落合宿の お祭りなどもあり、ハシゴをするお客さんも いたそうだが、落合からの馬籠に続く道路は 2キロ近く渋滞をしていた 岩魚や、マツタケ蕎麦、馬籠産の林檎などなど 様々な食べ物も販売をされており、200円で 豚汁を購入したが、けっこう良い肉を使ってる 青空の下で、美味しいものを食べるのは格別だが ごへー餅にありつくには、相当な覚悟もいるかも 皆さん秋の旅行のご予定は?なんて、言って いたら、名古屋で宝塚観劇ペア招待(しかも 前から数列目、真ん中近くのかぶりつき)に 続き、日帰り温泉バス旅行招待が当たったんで 今から楽しみだ♪ 18年10月22日、29日撮影
2006年10月30日
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明治時代のポスト 春先には雛人形が飾られていた、城へとむかう 岩村の目抜き通りには、こぞって、おそろいの 風鈴が軒先つるされ、涼やかな音色をたてていた それにしても落ち着いた城下町だ。ご先祖が 岩村藩で、鉄砲鍛冶をされていたお宅もしぶい 岩村町は、江戸時代に東濃地方の政治・経済・ 文化の中心として栄えた城下町で、平成10年 岩村町の岩村本通りは、岐阜県では3番目 全国では48番目に、国の重要伝統的建造物 群保存地区に選定をされた 岐阜県東濃地方の商家町として、特色ある 歴史的景観を良好に伝え、平成15年には 読売新聞主催による「城址と古い町並み」と 「遊歩百選」にも選ばれた 選定当時にはアルミサッシの建具や、トタン貼りの 壁などがも多かったのが、これらも木造の物に 改修をして町並みを整えたそうだ。今回はいつもの メイン通りではなく、駅に近いあたりを散策をした この町のいいところは、無料で、幾つかの町屋の 内部を公開していることだ。話好きな管理人さんと お話をしながら、綺麗に飾られた町屋を楽しめる 久しぶりに・・・というか、約20年ぶりに 明知線に乗る事にした。恵那市街地から南へと 明智町へとつながる明知線は、明知鉄道が 運営をするローカルな鉄道路線だ 25キロ程の区間で、2つの峠を越えるという 急勾配と急曲線の連続する路線であり、途中の 飯沼駅と野志駅は、日本で第1位と第2位の 急勾配駅(鋼索式鉄道を除く)だそうだ 岩村駅では、2年前までは「腕木式信号機」が 稼働されていた。今年春には産業遺産として 駅構内に、腕木式信号機がモニュメントとして 復活されている 帰りには、道の駅らっせい三郷で、お蕎麦を 食べる事にしたのだが、モロヘイヤ蕎麦~? まるで山芋のように、とろ~~とした感覚の モロヘイヤは、クセも無く、美味しいよ~! 平成18年9月3日 撮影
2006年09月14日
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さて、下界が葉桜になった頃、馬籠宿にも 春がやってきた。言葉は要らない。写真だけ 楽しんで下さい♪
2006年04月23日
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今朝は今年一番の寒さだったようで、外部の水道管は 断熱材に電線がまかれて、一定の温度を保っている はずなのに、凍ってしまい、水が出るようになったのは 昼近くになってからだった 道もかちこちで、中津川で氷点下4度。またもや 国道に車の部品が散乱をしている。そんな厳しい 冬の日が続いているのだが、青空の下の雪景色は 美しい。いつも見慣れた山々が、スイスの山にも 見えてしまう 紅葉の残った山に、まだらに雪が残って不思議な 光景を作っている。なんて、わき見運転をしていると きゃ~~~、車があっちむいてホイしてるなんて 事にもなりかねない(笑) この坂道のカーブは、かつて雪の日にスリップして シャシャシャーンを、タイヤを何度も空まわりさせて やっと、登れた苦手な坂だが、それでも他の道より 危険度は少ない 薬局で、息子が愛用しているホカロンを購入を してきたのだが、指先などが冷たくならない クリームがあったので、試しに購入をしてみた 果たして効果の程はどうだろうか? 娘も、校内ではミニのスカートの下に、ジャージを はいて寒さをしのいでいるという。今週末は さらに寒くて、大雪という話もあるが、息子の 送迎は、旦那に任せられるのが嬉しい ネットニュースでは、インフルエンザや、集団風邪 などによる学級閉鎖も、目立ち始めているようだ 新型ウィルスのニュースも騒がしかったので、今年は 私もワクチンの接種をしたのだが、美味しいものを 食べて、睡眠をとって、体力をつけるのが一番だろう 寒い冬を乗り切るために皆さんは、何か工夫をしてますか? そして寒い冬、雪だけど、こんなところが好き!といった 楽しみ方はありますか?
2005年12月16日
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今朝、息子を部活に送ったついでに、そのまま 旦那と二人で、この春に出来た日帰り温泉にいってきた 場所は、以前にも良く取り上げた、中津川市街地から 下呂しにむかう途中、付知峡倉屋温泉にある「おんぽいの湯」 すでに名古屋方面の車が沢山駆けつけており、中には 京都ナンバーまで! さらに旦那の会社の人も2組 来ていたそうで大人気だ。泉質はアルカリ性単純温泉 普段は、にごり湯だなんだといっているが、こういった 日帰り温泉も、気軽にリラックスが出来てよいものだ さて、おんぽいとは? 先日、20年に一度の伊勢神宮のご神木が、木曽と 裏木曽から運び出された様子は、東海地方の方は ご承知の通りだと思う。御嶽山の裏側にあたる 付知方面は、裏木曽と呼ばれて古くより、良質な 木曽五木を産出をしていた 山で切り出された材木は、木曽川をいかだに組まれて 下流に運ばれていた。その作業で「おんぽい~~~」と 掛け声をかけていたそうだとか 木曽五木とは、ヒノキ、サワラ、ネズコ、アスヒ、コウヤマキ であり、この温泉にもふんだんに、裏木曽の材木が使われ まだ新しいので、「コウヤマキ」の樽風呂も、良い香りがした この温泉の湯を運んで、近くにある道の駅には 足湯もあるので、もしも、通りがかった時には利用を してみてください♪
2005年07月03日
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午後は高山と並ぶ、飛騨の小京都飛騨古川の 町並みを散策をした。ここは津和野と同じように 瀬戸川に鯉が泳ぐという、初夏にはもってこいの 景観を楽しむ事ができた 「恋の水」などという飲めば、恋愛成就の 湧き水があった。さすが「三寺まいり」の町 その昔、信州へ糸引きの出稼ぎに行っていた 娘さん達が、着飾ってそぞろ歩いたことから 「嫁を見立ての三寺まいり」とも、いわれ 今では、若い娘さん達にも人気です お祭りといえば、毎年4月19日~20日に かけて行われるのが、「古川まつり」 日中は、華麗な屋台が町に曳き出され からくり人形や、子供歌舞伎を上演します 19日夜には、勇壮な起し太鼓が行われ 観光客に人気を博しています 2002年の春夏の、NHK朝の連続ドラマ 「さくら」で、高山市と共に、この飛騨古川が さくらの下宿先として、重要なロケ地に選ばれた 私も、このドラマを見てから、行きたいな~と 願っていて、やっと実現が出来たのだ。ホント 笑わせてもらいました♪ すでに、ドラマの記憶も薄れてしまったけど なかなか情緒のある街ですよ。大正から昭和の レトロな雰囲気を、新築の建物も意識をしていて 町並みに合わしているから、落ち着いた雰囲気を かもしだしています 古川の建物の特徴は、鴨居下の、軒下の垂木や 腕木の木口が、白く塗られています。これは 防腐と、装飾のために塗られているとか その下の小腕(肘木ともいう)には、装飾された 美しい彫刻があります。これを「雲」とよんでいます 家によって、デザインが違っているので、それを 見るのも楽しみのひとつですね
2005年06月29日
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昨年の秋、車で2時間ほどで行く事ができる 格好の行楽地「飛騨高山」に、主人とむかった 代表的な小京都でもある、飛騨の高山は 旅情あふれる、大好きな素敵な街である 宮川にかかる赤い橋の上で、買ったばかりの デジタルカメラで写真を撮ろうと、カバンから 取り出すと、あらまぁ~! 双眼鏡では ないの! ケースが似てるんだもん!! そんな訳で、今回の日帰り旅行では、リベンジと 言う訳でもないが、デジタルカメラを手に 日帰り温泉がてら、飛騨の高山にむかったのだ 日帰り温泉までの時間に、「飛騨国分寺」を 訪れた。奈良時代に、聖武天皇が国家の太平を 願って、 全国66カ所に建てたられ、現在 全国で四か寺しか遺っていない国分寺の一つだ 室町時代の建築である本堂や、飛騨地方では 唯一の三重塔。平安後期、藤原時代の本尊である 薬師如来坐像や、国分尼寺の本尊であった 聖観音菩薩像など、国の重要文化財にも指定を された寺宝が多く残っている さらに境内には国の天然記念物にも指定を されており、樹皮が垂れている様子から 乳イチョウの名で呼ばれる、樹齢1200年の 大銀杏がある 最初に創建をされた国分寺は、七堂伽藍を 備えた大寺で、七重塔を、飛騨の匠が 精魂をこめて、建立したものであったそうだ 塔の建立を命ぜられた匠は、若い匠のミスに よって、柱の寸法を、短く切ってしまった 困った棟梁をみかね、娘の八重菊が、柱の上に 桝組を作り短いのを補えば、飾りにもなると 助言し、塔は無事に完成をした しかし、日ましに「桝組」の評判は高まり 棟梁は娘の助言とはいえず、娘の口から 桝組のことがもれるのを恐れて、八重菊を殺し 遺体を国分寺の境内に埋め、墓標として イチョウの木を植えたそうだ さらに、高山市の北側に位置する、飛騨国府には 飛騨地方で唯一の、国宝建築物がある 安国寺の経蔵と、彫刻のほどこされた八角形の 輪蔵である。こまのように回る輪蔵には、一切経の 経典が収められていて、それを軽く回しながら お経を唱えれば、その全てを読んだだけの 功徳があるというそうだ
2005年06月27日
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明日、6月26日は「露天風呂の日」である 岐阜県の「奥飛騨温泉郷」の4つの共同露天風呂が 無料解放をされ、各露店風呂を廻るスタンプラリーが 行われるという。今年は日曜日に重なったから さぞかし、にぎわう事であろう 4つの公共の露天風呂の開設予定時間 平湯温泉「神の湯」7時~18時 福地温泉「昔ばなしの里」8時~17時 栃尾温泉「荒神の湯」10時~21時 新穂高温泉「新穂高の湯」8時~21時 その日にあわせたわけではないが、私も主人と 明日は、「昼食付き日帰り温泉」で露天風呂を 楽しんでくる。懸賞を再開をして、2ケ月 そこそこ、当選をするようになり、これも お菓子メーカー&スーパーの無料招待である 今日は、久々に、当選品が3つ届いた NHKの歌謡番組の、公開録画ペア招待に リキュール酒瓶を2本、カールおじさんの 変身ぬいぐるみだった 多い時には、1日に8個とか届いた事も あるので、珍しい事ではないけど、久しぶり なんで、やっぱ、嬉しいな~~。こうゆうの 暑い日が続きますが、たまには露天風呂で リフレッシュをされてみませんか?
2005年06月25日
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愛知県は、戦国武将を数多く生んだ土地柄だ 三河の徳川家康、対する尾張からは織田信長 その信長に愛されたのが、猿と犬。かつての 大河ドラマでも有名な二人。太閤。豊臣秀吉と 加賀百万石の祖、まつの内助の功や、破天荒な 傾奇者(かぶきもの)前田慶次郎の近親者でもある 前田利家である。彼は、幼名を犬千代と言った 名古屋駅にそびえ立つJRセントラルタワーズから 西の方向に、開業したばかりの「あおなみ線」で 荒子(あらこ)の駅に降りる。ここが犬千代の故郷だ 子供らが遊ぶ公園の隅に、小さな神社があった 富士権現社。ここが荒子城の跡だそうだ。天文年間に 前田利昌が築城をし、その長男利久、4男利家、 利家の長男である利長が、相次いで居城をするが 天正3年(1575)に、利家が越前に移り、更には 天正9年(1581)、利長も越前に移り廃城となった たぶん「利家とまつ」の放映時に整備をされたであろう プレートにそって、荒子観音に向った。笠寺、竜泉寺 甚目寺と並び称される「尾張四観音」の一つであり 729年の創建と伝えられている。境内の多宝塔は 1536年に再建をされ、名古屋市内における最古の 建造物であり、国の重要文化財に、指定をされている 正式名称は、「浄海山円龍院観音寺」という。織田信長の 比叡山の焼き打ちの際には、天台宗の寺院であった為に 焼失をしたが、前田利家によって再興をされた。さらに 太閤検地によっても、寺領を没収されたのだが、尾張公 徳川義直の庇護を受け、再び繁栄をしたという 荒子観音が有名になったのは、昭和50年、ご住職が 多宝塔内から、1000体にもおよぶ円空仏を発見を したからだ。この円空仏は、毎月第二土曜日の午後に 一般公開をされるので、私は見る事が出来なかった しかし、3メートルを超える、巨大な二体の仁王像を 拝見する事が出来た。その昔、寺の敷地内にあった蓮池に ヒノキの大木を浮かばせながら、この仁王像を彫り その木片を使って、千体仏をはじめとする木像を彫ったと 言われているそうだ すぐ向かいの和菓子屋さんで、円空最中が食べられる 草もちも美味しそうだ。私は境内で、柏餅を食べで 一服をした
2005年05月12日
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家庭の主婦は、家事をこなしてからでないと お出かけ出来ないので、初日の5日は、家族に お昼ご飯を食べさせて、午後から名古屋に出た 午後遅くに栄に着いて、まずは、愛知県美術館で 山水画の後期展。4月上旬の前期の展示とは がらりと作品が変わってますよ。雪舟の国宝 「天橋立図」や、伊藤若冲の「野菜涅槃図」など 感動をしましたよ。中身の濃い展覧会でした その後、松坂屋美術館のミュシャ展。名女優 サラ・ベルナールの一連のポスターが並んでるのは 圧巻です。めくるめくミュシャ・ワールドです 夜は、栄の新スポット「ラシック」で、知多半島の 名物「まるは食堂のエビフライ」を食べました ホテルはビジネスなのに、部屋が広い! お風呂も ユニットではないです。シティホテル並みのサービス アメニティも、ハーブのシャンプーなど、心配りが 気が利いていて、これで、1人素泊まり6000円台 次の日は朝から夜まで万博でした 3日目の、5月7日。本当は、奈良県の吉野まで行く つもりでしたが、もう、そんな元気も無くって 名駅のささしま会場でも行くか~って、事になりまして 歩いて、デ・ラ・ファンタジア! ポケモン目当ての 家族連れがほとんどですね。新しい映画館で、ギアの Shall we dance? 客が10名ほどしかいない・・・ 土曜日なのに・・・・ポケモンはすごかったけどね そして、エピソード3を中心にした、スターウォーズ展 いや~、ウーキー、背が高い! かっこいいなぁ ダースベーダー。まさか、新庄さんは入ってないと 思うけど・・・プラネタリウムは、また今度という事で
2005年05月09日
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いよいよ明日から「黄金週間」が始まる。29日から 1日の日曜日の3日間。3日から5日までの3日間 7日と8日の2日間で、合計8日間が学校が休みになる 企業によっては、10日間のロングバケーションに なるので、ヨーロッパ旅行なども人気らしい 我が家は、兼業農家であるので、農機具を使う旦那は 田んぼに出勤をする。娘は宿題を山ほど貰ってきている 息子は部活で、学校に行く日もあるそうだ。そんな訳で 家族でノンキに行楽が望める訳も無く、私と姉の二人で 4月上旬と同様に1泊2日で、名古屋市内と、懲りずに 「愛・地球博」を楽しむ算段だ 皆さんも長いお休み、様々なイベントも、あちこちで 開かれるので、お出かけの予定などあるのだろうか? それとも「混んでいるのに、外出しなくても」と 家でのんびりとされるのかな? ここは穴場だと思う ってのありますか? スポーツのブログの方でも書いたけど、一世を風靡した あのオグリキャップが、北海道からやってきて、岐阜の 笠松競馬場で、明日とあさって、ファンに披露をされる 愛地球博では、ゴールデンウィーク中、オーストリア館に 世界最大の金貨として、このほどギネスブックに認定された 「ウィーン金貨ハーモニー1000オンス」展示をされるとか 名古屋市の徳川園は、約1000株の牡丹が、真っ盛り なにも遠くに行かなくても、ニュースポットも多くて 行き先は困らないのだが、反面、人出も多そうですね ゴールデンウィークに、予定はありますか?
2005年04月28日
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平地の桜も、桜吹雪になって舞う中で、岐阜県恵那市と 中津川市の境にある、大井ダムによる人口湖、恵那峡の さざなみ公園にお花見に行った。ガソリンも高騰し おいそれと遠出も出来ないので、買い物ついでの、近場 行楽だ。ここの桜、会社の組合行事で旦那も植樹をした らしく、「オレが植えたんだぞ~」などと、自慢をしている 中日新聞のお花見情報でも、満開になっていたので 飛騨や、三河など、中部地方の車も多いようだ 数百メートル上にある無料・大駐車場はガラガラなのに 多くの車は、さざなみ公園の近くの駐車場に入るために ひたすら待ち続け、周囲の道路に違法駐車もしている 数百メートルの坂道を歩けないようでは、万博公園は まわれないかも・・・・大型スーパーマーケットでも 立体駐車場があり、上の方はがらがらなのに、キャッシュ コーナーの横の通路や、障害者用の駐車場に、平気で 駐車をしている車も多い。めんどくさいのも、歩くのも 大人も、子供も大嫌いな国民性になってしまったのかな 桜吹雪の中で、湖畔ではモーターボートが幾台も疾走し 家族連れは、そちらを眺めていた。山には桜のほかに 山ツツジも先、紅白で、美しいコントラストを見せてくれる 恵那峡には「傘岩」という珍しい岩があある。黒雲母花崗岩で 頭部は周囲10メートル、下部の最も細い部分は2.3メートルと 風化作用なのか、巨大なキノコのようなこの岩は、国の 天然記念物にも指定されている。この他にも、恵那峡は奇岩で 有名なのだ(いつか、紹介します) みやげ物店には、現役の古い車が置かれていて、懐かしいと 車好きの旦那は感激。店先でうとうとと寝ている犬の背中を 小さな子供がなでると、眠たそうに、目を開けるが、また 深い眠りに落ちたようだ。のどかな一日だった
2005年04月18日
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「愛・地球博」に、旦那の勤める会社の 組合の慰安会に、家族で参加をする事になった ところが、同じ週に息子の学校の遠足でも 愛・地球博に行くというので、息子は 二度も続けて行く気はないと、留守番をするという 今日の、愛・地球博の中継も、制服姿の学生が うつっていた。なんでも学生の団体の優先枠が あるそうで、運がよければ、サツキとメイの家の 見学が出来る学校もあるらしい 娘の学校は、混雑をするのでといった理由から 愛・地球博ではなく、通常の遠足になった 昨年は、小学校、中学校に続いての3度目の リトルワールド(愛知県)だったそうだ どうしても、同じような施設になりがちであるようだ 昔の遠足って、テーマパークなどには行かない バスを使って、そういったところに行くのは 社会見学であり、遠足は学校から歩いていくものでは 無かっただろうか? 田舎だから、そうだっのかな? 周りには、手ごろな観光地もあるし(笑) 恵那峡の紅岩の上でお弁当を食べた 中山道は、合計3コースを歩いた ツキノワグマ(檻に入ってます)も見た まさか、自分が学校の遠足で来た所に住むとは 思いもしなかった。遠足で、みんあと恵那山を見ながら お弁当を食べた土手は、犬の散歩コースである あなたには、どんな遠足の思い出がありますか?
2005年04月14日
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1泊2日の名古屋旅行。お天気にも恵まれ、5日には名古屋市内を 6日には、「愛・地球博」を楽しみました。朝、旦那の通勤の車で 駅に送ってもらい、1時間ほどで、名古屋市内に到着をしました まずは、名古屋市博物館で、エジプト展。なかなかの内容でしたが それより、2階で行われていた常設展で、「大須観音」の宝物が 展示をされていたんです。国宝、重文のお宝文書に、目が点! しかも4月15日から、5月8日までは、国宝の「古事記」が 特別展示をするそうで、こりゃ、もう一度、行くしかないです そして、名古屋ボストン美術館でのゴッホや、ルノワールの特別展を 見に、金山に。ここでも、4月10日まで、万博の長久手愛知県館に 映像が登場をする「アイスマン」の、特別展をやってました 精密に復元をされたアイスマンのミイラや、所有をしていた品々 わかりやすく彼の生活や、殺人現場の様子を再現をされてます アイスマン? はいはい、地球温暖化で氷河が溶けて、5000年前の ミイラが発見をされたんです。しかも、彼は誰かに殺されたらしい お昼ごはんには、金山に登場したアスナルで、¥980の焼肉~ 午後から、まずは愛知県立美術館の、山水画の特別展。平安時代の 大和絵や、絵巻物から、現代日本画壇の重鎮の作品まで、よく見る ような作品が勢ぞろいをしてました。これも、来週からは、後期の 作品に切り替わるんで、もう一度、見に行かねば! 県美のあるビルの空中庭園の樹木も、新緑になってました そして、疲れが出てきたところですが、今日の締めくくりは 名古屋博で、金シャチにタッチ!ですよ。もう、名古屋城は春爛漫 金シャチはね~、でかいです。なかなかの迫力です もう、右手でも、左手でも、べたべた触ってきましたよ 桜も今週末あたりが、よさそうですね。外国人の方が 沢山いらしてましたよ。和風なお土産も人気があります 名古屋市内のホテルは、結構な稼働率でしたが、ネットで 見つけたホテルに、午後5時過ぎにチェックイン 夕方のニュースを見てるうちに、爆睡。1時間くらい 寝込んでから、夕食は名古屋名物の味噌煮込みうどん! は~~、盛りだくさんで、つかれてしまいました。でも充実!
2005年04月07日
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信長の叔母の女城主や、下田歌子の出身地で有名な 岩村の城下町。こちらでも、その町並みの美しさ などを紹介をした この城下町では、今、雛祭りが開催をされている 私達の住む地域は、3月3日ではなく、旧暦に近い 4月3日に雛祭りが行われるのだ 2月から4月3日まで、岩村の城下町の商家などでは ウィンドウなどに色とりどりの、お雛様が飾られ 旅行者の目を楽しませてくれるのだ 私達の地方では、かつて、お雛様は、その家の長男が 生まれた時に、お祝いにもらうものだったそうで 私の兄の、御殿のついた立派なお内裏様が飾られていた 4月3日。私の実家の地域は、子供達が「お雛様を 見せて下さい」と、よその家の、雛飾りを見に行くと この地域の雛菓子「からすみ」と、お菓子をもらった スーパーの袋を2つくらいになった覚えがある その地域行事が、今もなお生き続けているというのが 嬉しいものだ 私が、お菓子をもらいに、まわっていた時には 色あせた土雛や、錦絵が壁に飾られていたものだ
2005年03月28日
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お金が無い時には、道の駅が、行楽の目的になる事も あります(笑) 駐車料金無料、入場料無料、トイレ完備 風光明媚であったり、レストランに、お土産も買える 最近は、温泉を併設した道の駅も、たくさん出来た 今日は、隣接をする恵那市山岡の、道の駅に遊びに行った 日本一大きな、直径24メートルの木造の水車がある ダムで沈む事になった、與運橋(ようんばし)と呼ばれる 石積み橋も、一部が移築されている そして、帰りには手打ち蕎麦が美味しい、恵那市三郷の らっせいみさとに、立ち寄った。680円のざる蕎麦は 美味しいではないの~♪ は~~。今日もまた、充実した日曜日でした。ご馳走様でした
2005年03月27日
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私の家から一番近い、国宝寺院は虎渓山永保寺 (こけいざんえいほうじ)は、土岐頼氏の援助を うけた夢窓疎石(むそうそせき)が開祖、その 法弟の仏徳禅師が開山をした、岐阜県多治見市に ある臨済宗の寺院である 昨日は、名古屋からの帰りに、このお寺によってみた すると四国や、関東地方など、遠県のお客さんまでが 来訪をしているのには驚いた 京都の天竜寺や、等持院の作庭でも有名な夢窓国師 が 道に迷っていた時、谷川沿いに、白馬にまたがった 美女が現われ、こつ然と姿を消した。国師が祈ると さきほどの美女が黄金の小仏像になり、大きな岩の上に 出現しました。夢窓国師はこの地に草庵を結んだのが 寺の始まりである 夢窓国師は、中国の聖地「虎渓」にあやかって 虎渓山(こけいざん)と名付けたそうだ。庵を結んだ 翌年の1314年に、観音堂が建てられ、夢窓国師が 亡くなった翌年の1352年に、開山堂が建てられた 観音堂は、唐様建築のなかに、和様建築の手法取り 入れるなどして、鎌倉時代を代表する、最古の名建築 であり、国宝に指定されている。建物内部の中央に 位置する、須弥壇(しゅみだん)の岩窟式厨子には 本尊の「聖観音菩薩坐像」が安置されている 観音堂前の庭園は、夢窓国師の手になるものといわれ 国の名勝に指定されている 開山堂は、礼堂(らいどう)と祠堂(しどう)、それを つなぐ相の間で形成されており、神社建築の権現造 (ごんげんづくり)の原型といわれ国宝に指定をされている このお寺は、最近、火事を出していまったのだが この国宝の観音堂と開山堂は無事さったのは、本当に 良かったと思う。名古屋から車で30分 少し、足を伸ばせば、京都気分も満喫できますよ♪ お寺の公式ホームページ http://www.kokei.or.jp/
2005年03月21日
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舅を親戚の家に送らなければならないので、そのまま 主人と二人で、日帰り温泉に出かけることにしました 舅を下ろしてから、まずは腹ごなしに、喫茶店の モーニング。これでコーヒー代の360円です! 儲けはあるのかな? 中津川市の一員になった、元・蛭川村は、恵那峡や ミニピラミッドもある博石館。そして天然マツタケ! 蛭川から、笠置山を間近に眺めながら、峠を越えて 白川町方面に向かいました 岐阜県には、世界遺産にもなった合掌造りの白川村があります しかし、ここは下呂町の東側に位置しており、美濃の急峻な 山あいを流れる白川沿いの傾斜地に、お茶が栽培されてます 山間地特有の厳しい、気象条件(昼夜の温度差が大きい)で 育った白川茶は、とっても美味しくって有名な銘柄なんです いよいよ目的地の飛騨金山温泉。道の駅に併設をされており 道の両側に、2つの施設がありました。アルカリ単純温泉 なんですが、料金は、たったの400円! これは安いです その後は、中山七里を見て、トンネルに入ったり、鉄橋を 渡る高山本線の線路と交差しながら(列車は見れなかった) 下呂方面に出て、お昼ごはんは、下呂町で、大好きな自然薯の 昼食をとりました。これで1200円程。刺身もおいしい! 帰り道は、中津川探訪でも紹介をした、例の道を南下をして 中津川市街地に帰ってきたのですが、さて、このお城は 何でしょうか? え? 廃墟になったパチンコ屋? いえいえ 中津川市には、もうひとつの城「福岡城」があるんです! その城の正体は!? 先ほどの白川町の業者のひとつ 「白川園本舗」の販売店舗なんですよ(笑) ちなみに トップのマンモスは、このお城の目の前におります いかがでしょうか、愛・地球博の人ごみに酔われたら 中津川から下呂に、マニアックな旅をされませんか お金をかけずに、楽しいドライブも出来ますよ♪
2005年03月19日
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岐阜県中津川市に合併をしてから、ちょうど1ケ月となった 今までは意識をしなかった地域であっても、先日の事件が 「中津川で・・・」と報道をされたりで、子供もどこまでが 中津川であるのか気にするようになった。そこで、学校が休みに なったら、中津川市を探訪をする事になり、今日は市街地から 国道256号を下呂方面に、北上をする事にした 市街地から木曽川を渡ると、中津川市の苗木地区。苗木城や 野外教育センターがあり、名古屋の子供たちには知名度がある さらに、風光明媚な福岡ローマン渓谷の元・福岡町を通って キャンプ場で有名な元・付知町。最後に、元・加子母村となる 加子母から舞台峠を通れば、もう飛騨。お隣は温泉地で有名な 下呂市になった。ここまで、中津川の中心地から車で1時間 下呂温泉は駐車場がなかなか無くて、仕方が無いから、足湯も 川原の無料温泉も、車の中から見物をするだけになってしまった あの有名なアッパッパーな川原の温泉。じっちゃんが入ってた 勇気があるぅ~~♪ 美濃と飛騨を分ける舞台峠は、鎌倉時代に、源頼朝の命を受けた 文覚上人(もんがくしょうにん)の創建とされる大威徳寺に 二代将軍の源頼家が参詣をした際、頼家が諸大名の参詣の退屈を 慰めようと、この峠に舞台をつくり、都の美しい白拍子たちを 集めて「能」を催したことからだそうだ その文覚上人のお墓が、加子母村にあるだが、不思議な伝説が 残っている。この方は、出家をするまでは、遠藤盛遠といって 京都の御所を警備する「北面の武士」でした。彼が十八歳の時に 従兄弟の渡辺源左衛門亘の妻である、袈裟御前(けさごぜん)に 横恋慕をして、その夫の亘を亡きものにして、袈裟御前を自分の 妻にしようとしたが、夫の身代わりとなった袈裟御前を誤って 殺してしまい、その罪を恥じて、出家をしたのだそうだ いつの頃からか、袈裟御前が没した旧暦7月9日の深夜には 毎年、刀傷のような模様のナメクジが、墓碑に数百匹はい上がる ようになったそうで、ナメクジは文覚上人の罪を許して 慕い寄る袈裟御前の化身との伝説が、生まれたそうだ 旧暦七月九日にお参りをすると、九万九千日分の御利益が あると、毎年、なめくじ祭りが開催をされています 山深い美濃の山里に、平家物語や、鎌倉武士の伝説が残って いるのも、また面白いものですよ なめくじ祭りの様子 http://www.kashimo.net/ 文覚上人と袈裟御前の物語 http://www3.ocn.ne.jp/~mh23/heike66.htm 中津川市のホームページ http://www.city.nakatsugawa.gifu.jp/index.shtm
2005年03月13日
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昨日は、妻籠宿の歴史的な建造物や、町並みを中心にして 紹介をさせていただいたが、妻籠宿の魅力はそれだけで 語りつくすことが出来ない。土産物店ひとつとっても ちゃんと絵になるのですから ねこやなぎもふくらみ始めていた。山の上に位置する 馬籠宿よりも、春の訪れは、ほんの少し早いような気がする 家から車で10分。ほんの1時間程度の小旅行ではあったが 妻籠宿の魅力を、充分に堪能をする事が出来た。住んで いる方が、軒先に生花を飾ったり、さりげない心遣いを 感じさせる、もてなし上手の宿場であった
2005年03月02日
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木曽路「妻籠宿」は、住民の率先した意思により、昭和43年に 町並みの保存が始められ、昭和51年には、国の重要伝統建造物 存地区に選定された、江戸時代の往時が偲ばれる宿場町だ 寺下地区 妻籠で、最初に保存運動が行われた寺下地区は、妻籠宿の原点の 町並み。昔の旅籠そのままに、出梁造りや竪繁格子の家々が並ぶ 妻籠宿本陣(復元) 現在の建物は1995年に、江戸時代の間取り図をもとに忠実に 復元されたものである 脇本陣奥谷(国の重要文化財) 代々脇本陣・問屋を勤めた家で、現在の建物は明治10年に建築 島崎藤村の初恋の人「おゆふ」さんの嫁ぎ先でもある 高札場(復元) 幕府が庶民に対して、禁制や法度等を示したところ ところ 長野県木曽郡南木曾町 交 通 JR中央線「南木曽」駅下車 近くの観光地 南木曽温泉 馬籠宿など
2005年03月01日
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いよいよ、明日2月8日に、「山口村」の閉村式が 行われて、田中知事も式典には、臨席をするという 46年前、神坂村が分村合併をした時に、中山道が 通っている三部落は、長野県に残された その三部落とは、「馬籠宿」と、「荒町」(中山道 紀行。馬籠宿から落合宿へ 1/28日記に記入) そして「峠」だ。馬籠宿からひたすら上り詰めた先に 小さな峠の集落が残っている。峠を越えれば、山また 山の木曽に入っていく。美濃の国々を見渡せる最後の ポイントになる かつては、荷物などを運ぶ牛方が多く住んでいたそう であり、島崎藤村の「夜明け前」にもその様子などが 描かれている。妻籠宿や、馬籠宿のように、観光化が されてないので、ひっそりと、かつての集落を残して なおかつ、生活臭のある町並みが、私は好きだ 旅人のノドを潤していた峠の清水は、美味しいらしい 主人の祖父が亡くなる前、この峠の清水が飲みたいと 騒ぎ出した。今年のように雪の多い年だった。雪深い 峠地区まで、清水を汲みに行くのは、到底出来ないと 「荒町」(1/28日記)の清水を、替わりに汲んで 来て飲ませたそうだ。「峠の清水はうめえなぁ~」と 言って、亡くなったそうだ 峠への行き方。 おんたけ交通バス。馬籠、妻籠線利用 2月5日、午後5時撮影
2005年02月07日
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1月に、降りしきる雪の日に、馬籠の写真を撮影を した。その時には、色も無くなり、ノスタルジックな 馬籠宿は、まるで過去に旅をしたようだった 今朝、雲ひとつ無い青空の下、再び、馬籠宿を訪れた 爽やかな青空、輝く白い雪の中、馬籠宿は、生き生きと 生命の伊吹を感じる事ができた
2005年02月03日
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今朝も、青空が広がり、子供を学校に下ろして から、このまま家に帰るのも、勿体無いので 帰り道がてらに、写真を撮ってきましたよ♪ 今までは宿場町や、城下町でしたが、今回は その途中の街道の風景です♪ 中山道は、木曽路の最後である「馬籠宿」を過ぎ 眼下に広がる美濃路へと、街道を進んで行く 宿場のような、にぎやかな雰囲気は無いのだが 田舎びた街道を歩く事で、昔の旅人の気分も 少しは、味わえるのではなかろうか? 天正12年、秀吉は家康の攻撃に備え、木曽路を固め 木曽義昌が妻籠城を守っていた。その家臣が、この城を 守っていたが、家康勢の攻撃に、夜陰に乗じて妻籠城に 落ちのびた 十曲(じゅっきょく)峠のあたりから、眼下には 落合宿など、美濃の国が眺められる。右手の山は 恵那市の笠置山(かさぎやま)。悪名高き、かの グリーンピアがあって、私が行かないうちに潰れた いよいよ中山道は、美濃路。落合宿へと向かう 道は、京へと続き、新撰組の面々の参加をした 浪士組も、水戸の天狗党も、この道を西へと 向かった。彼らの見た風景は、今も、まだ残って いるような気がする
2005年01月28日
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まさに島崎藤村が描いた「夜明け前」は、このような 世界であったのだろうか。どんよりとした厚い雲 降りきしる雪の中で、「馬籠宿」は、モノクロームな 物悲しい風景をしていた 中山道69次。板橋を1番目とすると、43番に位置 する馬籠宿は、木曽路の最後の宿場であり、西に美濃の 国々を見下ろす急斜面に作られた「坂のある宿場」だ 山の尾根のため、水に恵まれておらず、火災が多いのが 特徴であり、幕末から大正にかけて数度の火災にあった 明治の文豪、島崎藤村の生誕地であり、「夜明け前」の 舞台でもある。2月13日をもって、岐阜県中津川市に 平成の合併で、全国で唯一の越県合併が行われ、馬籠は 長野県から、岐阜県に移ることになる 桝形。宿場の入り口に道路を、直角に2度曲げた地形で 軍事的な目的を以て作られた。 高札場。村人や旅人に法令を、伝える手段として設けら れたもので、宿場の入り口にある(復元) 中山道。木曽路「馬籠宿」 所在地 長野県木曽郡山口村神坂 交通手段 JR中央西本線「中津川」駅下車。濃飛バス25分「馬籠」バス停 自家用車、中央高速道「中津川インター」下車20分 高速バスの場合「中央道馬籠」下車 徒歩15分 近くの観光地 木曽路「妻籠宿」江戸時代にタイムスリップ したような宿場町。脇本陣が現存 恵那峡 奇岩で有名。遊覧船で見物をしたり 温泉でのんびりするのも良い
2005年01月12日
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別名を「霧ケ城」とも呼ばれ、蛇骨を霧ケ井に投げ込むと たちまち霧が発生するという伝承も、残っているんですよ 岩村城は、大和の高取城、備中の松山城と並ぶ、日本三大 山城の一つであり、江戸諸藩の府城の中で、最も高い所に 築かれているんですって 源頼朝の重臣である加藤景廉が、遠山之庄の地頭になった 際に、築城をされて以来、明治時代の廃城令で廃城される まで、城として機能をしてきました。今は石垣しか残って はいませんが、麓に太鼓櫓などが、復元をされていますよ この城は「女城主」の城としても、よく知られていてます 戦国時代に、武田信玄の家臣の秋山信友が、夫遠山景任を 亡くし、修理夫人が女城主をしていた、岩村城を攻撃しま した。岩村城がなかなか陥落しそうもない為、計を巡らし 密使を城中に送り、「私と結婚をし、城を明渡してくれた のであれば、(当時、女城主が、養子として育てていた) 織田信長の五男の御坊丸に、家督を譲ることにする」と 女城主は、城を守ることが出来ないと悟って、この提案を 承諾をしました。しかし、秋山信友は、武田信玄のもとに 当時7歳の御坊丸を、人質として送ってしまったのです 長篠の戦いで、武田勝頼の軍が、敗戦をしたことによって 織田信長はこの機を逸せず、軍勢を岩村城攻略に送り込み ました。織田信忠の大軍は数日間激しく攻め立てましたが 容易に攻略は出来ず、6月から10月にもおよぶ持久戦に 城中も次第に糧が乏しくなり、兵卒も疲れ果て、武田方の 応援も無くなり、ついに岩村城は陥落をしてしまいました 織田信長は、我が子御坊丸を人質とした事を憎んで、秋山 信友をはじめ、おばの修理夫人らを、逆磔けにして惨殺を しました。この時、夫人は「我れ、女の弱さの為に、かく なりしも、現在の叔母をかかる非道の処置をなすはかなら ずや、因果の報いを受けん」と、絶叫をしつつ果てたとか 岩村藩の重臣、平尾信享の長女として生まれた、下田歌子 は、明治4年に、18才で上京をして、女官となりました 昭憲皇太后より、歌子の名を賜り、下田猛雄と結婚。華族 女学校の校長になり、退官後は実践女子学園を創設。愛国 婦人会長をするなどして、明治の女性教育に活躍しました さらに小泉首相の「米百俵」でにわかに注目を浴びたのが 幕末の学者、佐藤一斎。34歳のときに、朱子学の宗家の 林家の塾頭となり、林述斎とともに多くの門下生の指導に あたったが、朱子学の純粋学問にはあきたらず、陽明学も 学んだそうだ。55歳で岩村藩の家老となり、藩政改革に 力を尽くした。70歳で幕府の学問所「昌平黌」の儒官を 任ぜられ、激動の時代において、維新の志士達にも大きな 影響を、与えたとされます。彼の門下生には、佐久間象山 山田方谷、渡辺崋山などがいるそうだ 私の実家の祖先も、幕末においては、寺子屋を営んでいた そうで、岩村のお殿様のお子様の、手習いをした書が家に くあったそうだが、今、あるかどうかな・・・大物でも なく、それでも、明治になって、地元に出来た小学校では 初代校長を務めたらしく、以来、我が家は、教師を生業に する者が、多く排出をされることになった
2005年01月06日
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岐阜県の東部にあたる、恵那市、中津川市などは かつて岩村藩に属していた。この山深い城下町は 明治の才媛、下田歌子女史の生誕の地でもあり 戦国時代には、織田信長のおばが、女城主として 統治をし、甥の手によって、非業の死を遂げた 女城主の里でもある。時代に取り残されたような 山里に残る、情緒ある町並みが好きだ 商店の小さなウィンドウを利用した、小さな博物館が 町の人の暖かさを感じる 岩村酒造では蔵開きもあり、「女城主」など、美味しい地酒を販売 松浦軒のカステーラ しっとりして、しっかりした食感が魅力 かんから餅。ゴマや、あんこ、きな粉をまぶした小さなお餅 残念ながら、お正月休みだった 観光地としては、あまり有名ではない、そんな小さな町を 気ままに旅したいと、そう、思います 所在地 岐阜県恵那市岩村町 電車 JR中央西本線恵那駅から 明知鉄道で「岩村」下車 近くの観光地 大正村(明智町) こちらは、大正時代のレトロな街並み
2005年01月05日
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岐阜県東濃地方の冬は、雪は降らないのですが 朝夕の冷え込みは格別であり、昼間との寒暖の 差が差が大きいです。それを利用をして、山岡町など では、この時期、寒天干しの作業が行われています 天草から作ったトコロテンの「凍結乾燥」を 2週間程、繰り返して、「細寒天」を作ります この時期にしか見られない風物詩です また岩村町富田地区は、かつて、美しい日本の むら景観コンテストで、日本一の農村景観に 選ばれた事があります。美しい山々。田畑 鎮守の森・・・・ 高台にある展望台には、「うさぎ追いし かの山~♪」と、歌詞が掲げられておりました 私の住む地域も、また美しい農村であると 思いますが・・・・・
2005年01月03日
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先日、オセロの中島知子さんが、主演される テレビドラマのロケが、家の前であった 私の家が映る事はなかったのだけど、目の前で 中島さんを拝見をして、色白で、顔の小さな かわいい女性だな~~って、感激しましたわ でも、声は、すんごく、元気があるんだよね~ 私の住む地域は、旅行番組がよくあるので 子供が外で遊んでいても、「ちょっと、走ってみて」 なんて、テレビの方にいわれて、帰ってくると 「今日、テレビに出たよ」なんて、真顔で言われる 写真集などでも、我が家はもちろん、うちの洗濯物が たなびく写真・・・ 近所のおばさんが、雑誌に登場をしていたり・・・ 道端でたたずんでいるのは、女優さんではないの!? しかし、スッピンで、家から出た途端に、カメラを しょって、駆け寄られるのは、すこし、恐怖かも 新聞、テレビ、果ては写真集・・・もしかしたら 私や、我が家を、あなたも見ているかもしれないよ 記憶の隅で・・・・
2004年11月23日
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