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昨年の今日、母が亡くなりました。状態が悪くなり叔母から、家に帰る時に母に着せる浴衣を準備するように言われました。 母を私は一人で看取りました。 朝父やおばたちと病院にいくと、母は痛みで苦しんでいました。 痛み止を点滴から追加してもらい、まもなく母は静になりました。みんな安心して私を残し、帰りました。 年末休暇に入ったので正月は病院に、泊まり込みかな、と思っていました。 午後になって母の呼吸が弱くなって、じっと見ていると本当に静かに止まりました。 やっと一年たって、冷静に書けました。時間の流れは不思議です。 母の顔はあんなにむくんでいたのに、亡くなる前に利尿薬をつかわないのに腫れが引きました。 看護師さんに綺麗にしてほしいと頼んで、死に化粧をしていただいた母はシワひとつなく本当に綺麗でびっくりしました。 幼い時から綺麗にしている母がすきでした。悲しかったけど母が綺麗な顔で、凄く慰められました。
2017年12月29日
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年末に旅立った母の法要をします。早いもので・・。昨年の今頃はまだ話もできたのに。いまだに毎日母を思い出しては・・・涙する私です。母の服を何点か着ています。このジャケットも母のもの。毎日の通勤に着ています。母は紫っぽい、ピンクベージュを好んでいて、この手の色のジャケットが4枚ぐらいあります。襟元のボアがやわらかく暖かいです。いつまでも悲しんでいてはいけないと思うのですが、こればかりはどうしようもありません。寿命でなくなったのでもこんなに悲しいのに、事故や災害、ましてや犯罪で命が亡くなった方の親族はどんなに辛いでしょうか。なので、悲しい事件やニュースを見ると、涙がすぐに出てしまいます。私は決して心弱い人間ではありません。自分で言うのも変ですが強い人のはず。母を失ってから年のせいもあるけど、いろいろ性格も変わってきました。
2017年12月01日
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母の葬儀から2週間あまり。すごくいろいろなことがありましたが、日常は淡々と過ぎています。年末になくなったので、正月もなく、ただ時間が経過しています。昨日からの大雪で、今週末は実家に行くことを断念しました。12月からノンストップで実家や病院通いだったので、父も「今日は休みなさい」と言ってくれました。4年前から発症したガンですが、毎日覚悟して生活していました。母の葬儀のシュミレーションも何十回もしていましたが、現実となると信じられず・・。お母さんという言葉を聞くと、心臓にキリを突き立てられた気持ちにまります。また、一人になったとき小さい頃呼んでいたように、「おかあちゃん」というと、私は小さな女の子になってワンワン泣いて母を探し求めてしまいます。母の最期についてブログを通じて記録しておかないと、忘れてしまうことがあるのですが、まだできそうもありません。楽しかった手作りの料理も、ダイエットも、運動も全て色あせています。でも少しずつ、日樹的な気持ちを取り戻しつあります。みなさんのブログも少しずつ回ってまた元気をもらいたいと思っています。
2017年01月15日
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今日、母の葬儀が終わりました。 皆さん、励ましの言葉をありがとうございました。 ご報告までに。
2016年12月31日
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毎日病院に通っています。 職場は、介護休暇を年末3日間とりました。 母の意識は無いわけではありませんが、口から食べ物が取れなくなり、点滴で薬剤のコントロールになり、調整がむずかしいようです。 うわ言を言って、起きようとします。 夜は看護師にまかせて、家で寝てます。 私が倒れてもいけませんので。 母は身体中浮腫んで、ガリガリだった手が、昔のように膨らんでいます。 循環がわるいのか、つめたいです。 昨日はうわ言が多く、不穏状態でしたが、今朝は、少し話ができました。顔もむくんで、だれかわからないほど。お茶もうけつけません。 意外に、生命力が強い。頑張らなくてもいいけど、身体はがんばってます。 癌に楽な終末期は、ないようです。 コメントありがとうございます。なぐさめられます。 毎日胸が痛いです。人は脳で考えるといいますが、心は胸に有るような気がします。
2016年12月26日
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一段と悪くなりました。 もうなにも口にできません。 うわ言を口にして、起きようとばかりします。 生きるために、身体は戦っているのでしょう。
2016年12月23日
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本当に久しぶりの晴れ。 大山がきれいです。 病院に来るとき、いつも大山に励まされます。 母は、大量のモルヒネで、ほとんど眠り、ポータブルトイレに降りるのも負担なので、カテーテルを、入れてもらいました。 昨日餅をついたので、てずくりの餡で、お昼に食べさせました。 病院にレンジがあるので、柔らかくすることができました。 たべるにも、介助が必要になってきたようで、手に持った食器を落としても、気づきません。 変わりゆく、母の姿をただ見守るだけです。
2016年12月18日
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今日は、休みをいただいて、母の付き添い中です。昨日から少し調子が良くなって、今日は笑顔がみられました。大根おろしを、昨日父が作ってきたら、食が進んだようなので、私も今日は酢で味付けをして、持ってきました。道の駅で王秋という梨を買って、食べさせることができました。いま、リハビリで足のマッサージを、してもらっています。いたれりつくせりです。母の側にいるときが、唯一母の事を心配しないでいられる時間です。
2016年12月16日
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母にもらった小豆で豆羊羹と栗おこわを作って、昨日病院に行きました。母が秋の間に皮をむいてくれた栗。昨日アップに失敗したので、簡潔に書きますが、黄疸が出て、麻薬増量と多分癌の進行による肝不全のせいか、少し意識状態が変でした。もう歩くこともできず、ぼんやりしたり少し興奮したり。今日主治医に電話で話をしたり、病棟の師長さんに様子を聞いたり。私の想像通りの状態で、個室に移してもらいました。母は今まで言ったこともないのに、父にそばにいて欲しいと言ったようです。父は様子を見ながら母が眠るのを確認して帰宅したようです。父も歳なので、夜は家で休んでほしいです。母の言うことはコロコロ変わるのですが、多分次第に意識を失っていくのでしょうね。私は明日どうしてもの仕事があるのですが、明後日以降は仕事の具合を見ながら、看病に行こうと思います。
2016年12月12日
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今日の出来事を書いたのですが、アップに失敗したようで、消えてしまいました。ちょっときつくて、もう一度書く気になれず、後日にします。母の状態が悪いので。
2016年12月11日
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久々の快晴。本当に暗くて寒い天気が続きましたが、晴れると気分もいいですね。大山のてっぺんは雪化粧。海も青いです。今日も母の病院へ行きました。母は大部屋に出て、同室のおばあさま方に翻弄されていますが、(笑)リハビリをしながら、良い日もあり悪い日もある感じで落ち着いています。病院に行ったあと、実家に行くと父が一人で家の周りの整備をしていました。池の周囲に砂を広げていました。「することがたくさんある」と、相変わらず意欲的です。先日母が「退屈だし、おやつが欲しい」と、父に携帯電話でおねだりしたようで、そんなことを言われたことがないので、父はびっくりして、お菓子や果物を買って、病院に届けたそうです。父に物を頼むことのなかった母でした。
2016年12月03日
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母は退院から10日ほどで、昨日また入院しました。1日のうちでも体調が変わり、麻薬の痛み止めもまた増量。先月家で転んでから、トイレ歩行程度で、立っていることもままなりません。病院は柔軟に入院させてくださいます。母が入院を希望すればすぐに、なぜか個室を準備してくださいます。なぜだろう?個室は気兼ねがなくていいけど、刺激がなくてぼけちゃいそうです。今朝母の携帯から電話があり、朝方トイレに行くのに転んだと。とても動揺して、入院しなければよかったと嘆きました。病院の看護師さんからも電話があり、転んだ事実、本人が落ち込んでいること、検査は明日になるとのことでした。病院に行くと、母の打撲はそうひどくないようでしたが、歩く自信はなくなってしまいました。でもね、真っ白い顔でも母は生きています。話もできるし、ボケてもいません。父もしっかりサポートしてくれているし。「お父ちゃんが元気で、なんでもしてくれるから、幸せだわ。」と私が言うと母は心から頷くのでした。転んだくらい大したことではないと、励まして帰りました。病院の玄関を出ると涙が出ましたが、なんの涙か私もわからなくなりました。
2016年11月23日
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退院して1週間ほどですが、母はより衰弱してきました。そもそも、転んだのも体の衰弱が原因です。老化とがんの進行と、抗がん剤でボロボロになった体のせいでしょう。自分で食べ物を口に運ぶ、トイレに行く。お風呂もかろうじて入っているようですが、打撲部の痛みは麻薬を飲んでいても、体を動かすと痛いようです。父が介護をしていますが、耳が遠く行き届かないのか、母はまた入院したがっています。私もいつなんどきでも、母が苦しんでいるのではないかと常に気持ちが落ち着かず、憂鬱です。母を送ったあと父は一人になってしまうのも悲しい。母は少し子供返りをしているようで、言動も少し変わってきました。私に来て欲しいというので、行くと大した用事でもありませんでした。ちょっとブログは休みがちになるかもしれませんが、私は娘として出来ることをします。
2016年11月19日
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今日母が退院しました。骨折は、経過観察できるぐらい小さなもので、1ヶ月入院して、リハビリ程度で退院になりました。母の好きな酢の物を紫大根とカブでつくりました。漬物や煮豆を作って、病院に迎えに行きました。発泡の箱に氷を入れて持っていきます。実は今日は偶然仕事で大きな会があり、その場所が実家に近いところだったので、会が終わってから病院に迎えに行きました。母は一段と衰弱していますが、病院の玄関までなんとか歩けました。家に連れて帰るとそのままリビングのコタツに入り、寝たままでした。ちょうど今日兄の孫、母にとってはひ孫の写真が送ってこられていました。母は嬉しそうに写真を見ていました。これからは父が介護しないといけません。私も毎週実家に帰って、介護を手伝いますが、最近仕事も忙しく、ちょっとばてています。
2016年11月11日
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母の入院している病院です。 2週間ベッドで安静にしていましたが、明日から歩行車で、歩行訓練です。 最近、抗がん剤の治療を、していないので、食欲はありますが、個室て単調な生活で、ボケないか心配です。 父は、あまり家事を、しないのですがきれいに生活していました。 母に聞いて生まれてはじめて、カボチャを煮て食べたようです。(^ω^) 心配ですが、老人とはいえ、大人なので、口うるさく言わないようにしています。
2016年10月30日
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昨日夜遅く、母の携帯から電話が。携帯から電話をするということは、病院からということ。そうなんです、やはり骨折でした。昨日は麻薬のレスキュー薬がもう1週間では足りなくなるので、いつもの外科を受診、転んだことを話したら、整形にまわされ、レントゲン、CTを撮り大腿骨頚部外側骨折と診断されました。ただ、俗にいいうヒビが入った状態といいますか、手術をしなくても、安静にしてリハビリで、1ヶ月ぐらいの入院予定。私は急遽、今日は休みを取って病院と実家へ行きました。母は10年前、凍結していた玄関で転んでスネを骨折して手術をして、この部屋に入院していました。なれた病院の、なれた病棟でとても日常的な様子。(外科も整形外科も同じ病棟です)母は看護師さんに上げ膳据え膳で、楽ちんな生活ですが、問題は父です。以前父はご飯一つ炊いたことがなかったのですが、10年前母が入院したとき初めてご飯を炊き味噌汁を作りました。今年に入っては4回目の入院で、父も炊事が少しできるようになりました。母のお見舞いに行ったあとスーパーで好きなお惣菜を買ってきて食べているようです。父のためにはいろいろやることが刺激になり、ボケ防止にいいかもしれません。今朝は雑巾がけをしたと言ってました。
2016年10月19日
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いつも優しく、コメントいただいています皆さん、ありがとうございます。本当に皆様の言葉がどれだけ私の支えになっているか。結果から行くと、母は病院を受診しませんでした。今朝は随分とよくなって、動かすと痛みがあるようですが、生活はできているようです。打撲した場所が張れたり、色が変わったり、熱感を持ったりしないか注意して観察をするように言っておきました。腰が曲がって、自分で見ることができないので、父にみてもらうように。心配の種がつきませんが、何かあれば病院へ行くように再度念押しをしておきました。
2016年10月17日
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今日はなんとなく気にかかって実家へ。庭にはツワブキの花が咲いています。父が外で片付けをしているので声をかけると、母が台所で、バランスを崩して転倒したとのこと。ベッドで横になっているので、声をかけると、右側の大腿部を打撲したのと、おでこにも青あざができていました。トイレには行けるようですが、痛むようで、寝室からなかなか出てこれませんでした。昼食は何とか一緒に食べて、私の買ってきたさんまを、塩加減がちょうどいいと食べてくれました。今週は化学療法もやっているのですが、意外と食べれました。あすの朝やはり痛みがひどかったり、張れたりしたら病院へ行くように勧めておきました。いま肝臓の治療をしている病院で、整形外科もずっと前からかかりつけですので、そういう意味では、安心です。いまのところ、じっとしていたら痛くない、歩行もまあできる状態です。麻薬の痛み止めをたくさん飲んでいるので、骨折していても痛みを感じないかもしれないので、やはり病院へ行くべきでしょうね。
2016年10月16日
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母が携帯電話を使って電話してきました。外泊するので迎え にきてと。 体調も、落ち着き、外泊するきになったのは、うれしいことです。 今日は久々のお天気。 山も海きれいでした。 母は、病院の玄関で、待ってました。 割りと食欲もあって、色々食べることができました。 そして、雨で収穫出来なかった栗🌰を、父と拾いました。 暑くて二人とも汗だくでした。 15キロありました。 沢山の人に押し売りしました。 いま、私も渋煮を作成中です
2016年10月02日
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昨日貧血がひどく入院した母。今日病院に午前中に行くと、ちょうど主治医に遭遇しました。せっかくお会いしたのだから、少し話をさせてくださいと、詰所に行きました。電子カルテを見ながら、現在のデーターやデーターの経過、CTの画像など説明してくださいました。胆管細胞癌は、CTで見ると境界が明瞭でないのでよくわかりませんが、肝臓全体の三分の一ぐらいに広がっています。でも肝臓の機能は正常なので、残った部分が頑張っています。結論は、あまり状態は変わっておらず、貧血以外は病状がすごく進行しているわけではないようです。これからも体調を見ながら、抗がん剤を使い、無理はしない。在宅時々入院、そして、最期の時までここで面倒を見て欲しいと話をしました。人工呼吸器など延命は望まず、自然に任せたいと言いました。でも、こんなに自由な病院、ないですよね。患者の状態を優先してくれる、当たり前のことですが、大きな病院ではやってくれません。地域に根ざした田舎の病院です。先生の説明の後、午後から輸血が始まりました。その間に、電波のつながっている病院で携帯電話の使い方の特訓です。母は、電話のかけ方をマスターして、家にいる父に電話をしてみました。帰宅してから、兄嫁に電話して、母の携帯電話に電話をして欲しいと頼みました。兄夫婦が次々母に電話をしてくれました。今日は1日中雨が止みませんでした。私は医師から現在の病状を聞いて、すごく気分はすっきりしました。
2016年09月29日
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今日は実家に行きました。母の体調が悪いので、ちょっとしたお惣菜を作って、様子を見に行きました。抗癌剤治療を今週したあとなので、副作用で辛いらしくベッドの中にいました。それでも私が行くと、出てきて昼食も、食べてくれました。帰りにまた、クリ畑で、大量の栗を収穫しました。母は体調が悪く、栗拾いができそうにありません。10Kgぐらい収穫して、おばに半分、残りは持って帰って近所のお友達におすそ分けしました。何もできないけど、少しでも顔を見て、そばにいることができました。
2016年09月24日
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今日は実家に梨を届けにいきました。 実家に行くときいつも行く道の駅。今日は巨大な鱈を買いました。魚の料理はダメなので、いつものように、さばいてもらいました。 お魚がところせましに、並んでます。とても新鮮で美味しいです。 母が病気になってから、いつもここから、魚などを買って持っていきます。 今日は鱈の煮付けと、しじみのお味噌汁。鱈は大きすぎたので、半分持って帰り、夕食に、夫や息子に食べさせました。おばあさんは魚が食べられないので、焼き鳥を買って、食べてもらいました。 母は小康状態で、少し食べられるようになりました。一口でも食べられるものがあればと、色々考えます。鱈も一口食べれました。
2016年09月11日
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畳の上ですが、スマホとらくらく、ケータイ。母が携帯電話が欲しいと言ったので、直ぐに契約に行きました。なぜか、絶対持たないと言っていたのに私のガラケーがスマホになっていました・・・?母は病院から父に迎えの電話をするときに、公衆電話まで行くのが大変です。やっと電話しても、耳の遠い父が電話に出ないこともあるでしょう。おばの葬儀の時に使い方をレクチャーして、いとこ達に笑われながら、練習しましたが、家で電話の子機なんか使っているので大丈夫でしょう。最近抗癌剤治療が白血球の現象のため、休んでいます。そのためか、食欲が少しあるようです。抗癌剤治療をすべきなのか、でも止めたら癌が急激に悪化しそうだし、痛し痒しな気分です。私のスマホへ電話してくれるようになったらいいのですが。
2016年08月20日
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母の姉が亡くなり、葬儀に行っていました。91歳でした。3か月前までは普通にしていましたが、突然癌の末期となり、入院生活。寂しくなりました。私のことを可愛がってくださいました。母と10歳も年が違いますが、母とそっくりでした。母は頑張って葬儀に参加しました。自分が送ってやらなければという気持ちがあったのでしょう。本当に仲が良かったのですが、自分が癌になって、姉より先に死んでしまうことを心配していました。おばさんありがとうございました。あの世で母を待っていてくださいね。
2016年08月19日
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実家のお墓掃除を手伝おうと、実家に行きましたが、父がほとんどしてました。ハナノキを切って花立てに立てて置く作業だけ手伝いました。お盆が来たらシブの木とお花に差し替えます。母は私のために、キャベツを収穫してくれました。家の裏の畑は50mも離れていませんが、電動車でやっと行けます。家で過ごしてくれるのは嬉しいですが、相変わらずの調子です。ご先祖様、母をもう少し私のそばに置いてくださいね。
2016年08月07日
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実家の母の作っている檜扇が綺麗でした。母が入院している2週間足らずの間も、咲き続けてくれていました。今日は土用の丑の日なんですね。母を病院に迎えに行ったら、昼食が配膳されました。お椀を開けると、うなぎが小さいけど2切れ乗っています。「初めて食べるわ。うなぎなんて。」母は意識してうなぎを食べたことがなかったようです。食の少ない母が、どれだけ食べるか見ていましたが、3割ぐらい食べました。美味しかったとも言っていました。実家に帰って、母の食べられそうな料理を3品作りました。かぼちゃの炊いたの、冬瓜と油揚げの炊いたの、ピーマンの炊いたの。あとはシジミの味噌汁と、キムチを買ってきておきました。父には白いかの刺身を作りました。病気が治ったわけではありませんので、帰ったら帰ったで心配ですが、遠くから見守るしかありません。幸い父は元気なので。
2016年07月30日
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兄夫婦が、名古屋から帰省してきました。鳥のおこわと、桃。家で採れた野菜やぬか漬け、その他いろいろ綾里を持って、実家に行きました。途中で母の入院している病院によると、昨夜から帰省していた兄夫婦と一緒になりました。母は兄たちが帰ってきたので、カラ元気を出していました。今夜は兄夫婦が実家にいると思うと、安心です。母に外出を勧めましたが、やはり痛みがあって、帰らないと言われました。義姉も、一生懸命掃除をしてくれています。帰ってくるだけでも、大変なのに。私は本当に、親族に恵まれていると思います。
2016年07月23日
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母は痛みのコントロールのために入院しました。で、今日はお見舞いに行きました。特に母の様子は変化なく、検査結果も特に悪くなっていないと言われたそうです。ちょっと入院してのんびりさせてもらいましょう。実家にトイレの改築工事を見に行きました。先週は、壁が出来ていました。写真が横になってしまいました。木目の板は、我が家の山で育てた木で作った板です。実家は広大な山林を所有していて、木を売ることもあります。私の家を新築するときも、材木をたくさんいただきました。大工さんは、私のいとこの宮大工さんです。今日は便器も設置されました。築200年以上ですが、改築を繰り返してきました。仏間です。写真に撮るとすごく立派に見えますが、実際はもっと古びています。フラッシュをたいたせいですね。山奥で、貧しく質素に生活してきました。
2016年07月21日
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昨夜は、豆おこわはあっという間に完売。みんなで花火を見ました。今日は実家へ行きました。実は母の具合が日に日に悪いです。痛みが強くなり薬を増量しましたが、全身衰弱が進み、ぐったりと横になっていることが多いです。食べ物も喉を通らないようです。義母さんが、実家のお母さんに「食べてもらって」と桃やメロンかぼちゃをとってきてくれました。かぼちゃなんてと思いましたが、実家に行って煮てあげたら、2切れも食べられました。久しぶりに食べることができたと母も喜んでくれました。来週は兄もかえって来る予定です。残り少ない時間を大切にします。
2016年07月17日
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今日は夫といっしょに実家に行きました。以前から計画していたトイレの改築が始まっています。台所と浴室の間に、新しいトイレ。冷蔵庫の移動などあるので、力仕事要員に夫を連れて行きました。でも私たちが着いた時はもう移動は終わっていました。昨日抗癌剤治療だったので、母は体が辛そうだし、痛みが今日は胸の方まであると言っていました。で、移動した食器棚の中身の整理などを手伝いました。昔から煎茶器をたくさん集めており、骨董品から最近の作品まで、10組ぐらいありました。いろいろ台所の品物を移動したので、勝手が悪くなったようです。捨てるものも、面倒なので私たちが持ち帰り、始末することにしました。ゴミ袋を持つのも大変そうです。今年は本当に衰弱が進んでいます。でも母と一緒に過ごせて良かった。ご先祖様にも、(死んだおじいちゃんとおばあちゃん)いっぱい感謝して帰りました。トイレ工事の費用も100万円以上かかりますが、市の補助が出てすごく安くて済みそうです。市役所の人がこられて、個人負担は約20万円とか。日本の福祉のありがたさを感じました。税金が高いなんて言いません。私たちの税金で母の治療費や、改築の補助がでるのですから。
2016年06月29日
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私の両親が、ひ孫と孫夫婦のために、お寿司とお刺身を準備してくれました。母の命が長くないのを知って、姪夫婦がはるばる愛知県から5ヶ月の坊やを連れて来てくれました。私は栗や黒豆、タケノコ、鶏肉などを入れた五目おこわを作って持っていきました。母はもう何もできないと言いながらも、姪に手伝ってもらって美味しいおはぎを作ってくれていました。坊やは天使のように可愛く、しかもご機嫌で、母乳もよく出るし本当に良い子でした。両親もひ孫に会えて嬉しそうです。父は坊やをだっこできましたが、母はもう力がなく、だっこできません。赤ちゃんの生命力を見ながら、消えてゆきつつある母の命との対比に、生きること、死ぬことの自然さに母の死も受け止められるような気がしました。この可愛い坊やは半年前にはまだこの世になかったのです。母は麻薬のせいか眠そうです。時々勘違いしたことを言う時もあります。何とか抗癌剤治療も継続していますが、衰弱は否めません。神様もう少し、穏やかな時間を私の両親にくださいね。ところで大量のビールですが、姪の夫、私の夫、私の息子があっという間に飲み尽くしました。その後さらに500mlの缶ビールを1ダース日本酒ものみ、本当にお酒をよく飲みます。なお、私の両親の血筋は、姪を含めてだれもお酒を飲まないのです。
2016年06月04日
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母の病状も思わしくなく、心配していましたが、昨夜無事に米寿のお祝いが終了しました。母も頑張って参加してくれて、珍しく食も進みました。海辺の温泉で、母は波の寄せてくるのを飽きずに眺めていました。私はこの朝日を見つめながら、親族の暖かさと、無事終わった嬉しさと、さみしさといろいろな思いで、なんか収集がつきません。父はこれで人生の終了の区切りがついたと、サバサバしていました。母は自分のためのお祝いのようだったと、満足そうでした。心の整理が私はつきませんが、実家に帰って母のそばでウトウトしていると、父が「いろいろ心配して疲れが出ているようだな~。」と母と私の労をいたわる会話が聞こえました。
2016年05月01日
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母は麻薬の痛み止めで、疼痛コントロールをして退院となりました。進行していく癌はどうしようもありません。これからは炊事も思うようにできないでしょう。父は年の割に元気ですが、父への負担は避けられません。父は、母のためトイレの改築の準備を始めました。昔の外トイレではこれから先大変です。明日はいよいよ父の米寿のお祝いです。母も退院できて、多分いけると思うのですが。私の娘も大阪から昨夜帰ってきました。兄一家も名古屋から本日帰ってきます。母のために(父の祝いとこじつけて)叔母たちも来てくれます。私は、豊かでもなく本当に平凡な小市民に過ぎませんが、本当に、この親の元、静かに生きてこれて幸せだったと思います。思い通り行かないと思った今までの苛立ちも、それは全て私の欲から出たものです。今の時間を、幸せに、過去を悔いず 先を心配せずっていうとこですかね。
2016年04月29日
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ブログをアップしてぼんやりしていたら、実家から電話。2週間ぶりに母が退院して電話をしてくれました。ああ、よかった。何が解決したわけではありませんが、腰の痛みもありますが、家で過ごせるのは何よりです。とても声が嬉しそうで、ホッとしました。あさっても休みを取っていますので、母に会ってきます。
2016年04月26日
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入院している母のもとへ。なかなか痛みがコントロールできなくて、退院できません。毎日心配しかできませんでした。洗濯をしたり、頭を洗ったりしてあげようと思って早く病院に行ったのですが、洗濯は病棟のコインランドリーで、お風呂も自分で入ったとのこと。石鹸は売店に買いに行ったそうです。私が思ったより動けています。リハビリも毎日しているようです。来週、抗がん剤の治療をしてからの退院だそうです。腫瘍マーカーは下がったけど、抗がん剤の治療をするたびに弱っていくような・・・。父も頑張ってご飯を炊いて、栄養バランスを考えて、朝は牛乳、夜はヨーグルト。野菜はトマト、みそ汁は玉ねぎと86歳の男の料理です。手作りの豆腐と、タケノコを煮て持って行ってあげました。
2016年04月23日
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みなさんから温かいコメントをいただいて、嬉しかったし、 いろいろ弱い自分を出して、恥ずかしく思いました。 休みになったらすぐにお見舞いに行こうと、 今日行ってきました。 まず、ひとりでいる父と、先日手術をしたおばのために 黒豆を煮たり、筍を煮たりして、準備をして実家に向かいました。 父はひとりでご飯を炊いて食べることができていました。 父に「これからは歩けなくなるかもしれないし、 寝室の横にトイレを作ったらいいんじゃないの?」 と、提案しておきました。 父も前向きに検討をしてくれました。 私はベッドのマットレスを、寝ていて楽なものにかえてあげようと思いました。 父と昼食を食べたあと、母の入院している病院に行きました。 母は腰の痛みが強くて、座薬を入れてもらったあとでした。 とても顔色が悪く、吐いていました。 座薬で痛みは止まったのですが、副作用の吐き気に苦しんでいました。 しばらくして、吐き気も収まり、顔色も良くなり、 私は病院をあとにしました。 ただ、この痛みですが、母は昔から腰椎椎間板ヘルニアで、 春先は毎年腰の痛みを経験しています。 痛みの原因がヘルニアのせいなのか、骨転移なのかはっきりしていません。 あとジュムザールの方も白血球が下がって、 思うように治療が進んでいませんが、 それなのに腫瘍マーカーは、急激に下がっていて、 効果があったようです。 痛みに苦しむ母を見るのは可愛そうでしたが、 抗がん剤の効果があったとしたら、 それは良いニュースです。 なんか少しでも良いニュースがあれば、 気持ちが明るく前向きになれます。 いろいろ心配してくださってありがとうございます。 頑張れるし、大丈夫です。 九州では大きな地震があって大変でした。 全ての人に頑張って欲しいです。
2016年04月16日
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夕べ母から電話があり、一週間ほど入院するように言われたとのこと。私が母の話から想像するに、腰椎にガンが転移をして、その検査と今後の治療のための入院だと考えられます。癌の進行とともに起きる様々なことは以前から予想して怯えていましたが、ついにこの時が来ました。50歳過ぎても、母を失うことを考えると、悲しくて、そんな自分も情けないですが、父が残っているので、それもさらに心配です。ご飯も自分で作ると張り切っています。月末には父の88歳の祝いをします。父のためではなく母のために計画したことですが、母は行けそうにないと言い出しました。週末には病院へ行きますが、今は私自身何もしてあげることがないので、淡々と生活を続けます。
2016年04月13日
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今日は実家の墓参りに行きました。 先週は法事三昧だったので、今日まで伸びてしまいました。 この墓は両親の墓です。 父は15年も前から、自分の入るお墓と戒名を準備しています。 なのでこの墓はお参りしません。 墓に向かって水仙の道ができていますが、 開花にはもうちょいです。 母は家の周りにもたくさんの水仙を植えています。 母の病状は、せっかく静脈ポートまで入れて、 ジュムザールを使う予定でしたが、 2回使った時点で白血球が下がって、 使うに使えない状況です。 体調的には特に変化がないのですが、 治療が行えないということは なんとも心もとなく感じます。 白血球が回復するといいですが。
2016年03月27日
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先ほど公衆電話から母が電話をしてくれました。今日新しいポートから抗がん剤を点滴したもらったそうです。ジュムザールという薬です。1時間ほどで終了し、今のところ何もないとのことでした。母は肝内胆管細胞癌なので、実はあまり抗がん剤が効きません。選択する薬があまりないのです。とりあえずこの薬でがんのサイズや腫瘍マーカーで効果を調べ、場合によっては肝動注もさらに考えるとのことでした。私としては、今回他臓器への転移が一番心配でした。肝臓の腫瘍の増大だけだったので、それは良かったと思います。ジュムザールも比較的副作用も穏やかな薬のようですが、効果は如何なるものか・・・。ちょっと悲観的になって取り乱しておりましたが、母の何事にも動じない姿をみて、自分を取り戻しました。明日は退院するということですので、甘酒など母の食べられるものを作って、明後日はまた実家に行こうと思います。実家は山奥なので、雪が溶けてくれればいいのですが。
2016年02月26日
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母が入院しました。医師から説明があるというので、父と聞きました。最近腫瘍マーカーが上昇し続け、CTをした結果、肝臓の腫瘍が増大していました。母の肝臓の腫瘍は3年前から肝動注していますが、サイズはほとんど変わっていませんでした。ここ最近急に大きくなったということは、今の薬では抑えられなくなったということです。で、次の薬は静脈内投与の薬を使うので、細い母の静脈では、点滴ができないので、鎖骨下の静脈に抗がん剤を注入するルートを作ったというわけです。3年前肝臓の動脈へカテーテルを入れるとき、なかなか入らず大変だったので、母は今回の手術を嫌がっていましたが、思ったより楽だったと言っていました。今週から新しいお薬を使います。副作用が少ないことを祈ります。
2016年02月24日
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昨日いつものように実家に電話をすると、母が水曜日に鎖骨下静脈にポートを入れるために入院するとのこと。油断していました。発病から3年、このまま天寿を全うできるかと期待していました。そんなことあるはずないのに。肝内胆管癌はあまり抗がん剤も効かないと言われています。肝動中で、3年間持ったのも奇跡かもしれません。母の話だと、腫瘍マーカーが上昇し続けたため、先週CTなどの検査をして、ポート挿入の運びになったとのこと。多分、局所の抗がん剤治療から、全身投与にチェンジするのでしょう。1段階上がったというところです。水曜日は休みをとって、病院に付き添うつもりです。昨日はショックで、何も手につかない状況でしたが、それではいけないと、弱虫の自分を押さえ込み、いつものように過ごしています。油断すると涙がこぼれるので、忙しく用事を作って・・・。身内のことになると、本当に意気地なしの弱虫になってしまいます。母のためにできることを探して、できることをやっていきます。みんなが通ってきた道です。親を見送るのは子供の義務です。私が悲しむことを母は望んでいないはず。そう思って頑張ります。
2016年02月21日
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母の手料理。 昨年のお正月も母の手料理をいただきました。 3年間抗がん剤の肝動注を続けています。 3年前、もう母の料理を食べることができないと涙した日々でしたが、 3年間の間に、母の生きている喜びや幸せを感じない日はありませんでした。 お刺身も母がぶりを切って作ってくれます。 私は魚料理、お刺身は無理です。 いつまで治療が続けられるのかわかりませんが、 腎機能が悪かったり、貧血があったりと 問題もありますが、 とりあえず、3年間とりあえず母は風邪をひいたこともありません。 今日は息子の誕生日でもありますが、(息子はどこを飲み歩いているのか行方不明) 母が生きていてくれているということが、私にとっては最高の喜びです。 年末には、姪に赤ちゃんが生まれて、 初ひ孫もできました。 姪にも感謝です。
2016年01月02日
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今日は実家に行きました。母は今週は肝動注の日でした。抗がん剤をたんまりと入れてもらって、きついと思うのですが、いつも通り、たくあんや、ハリハリ漬けなどたくさんのお漬物をいただきました。私は、肝臓によいシジミや赤カレイを買って、母の指示に従って、煮つけをにして、食べました。治療を初めてちょうど3年。誕生日を迎えて81歳です。体は衰え、腰も曲がって小さくなってしまいましたが、頭はしっかりしています。今年も母の漬物が食べられて幸せいっぱい。父も満86歳。母の病院の送り迎えをしていますが、とても元気です。来年はちょっと早いけど88歳のお祝いを考えています。
2015年12月13日
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実家へは自動車専用道路を使って1時間半。 とても山奥です。 100年以上家族を見守っている木です。 抗癌剤治療をしている母は、体調は変わりなく、 マイペースで生活しています。 今日は、白菜や柚などたくさん野菜をもらいました。 特に母の作ったたくあんは最高です。 私のソウルフード。 もうすぐ母の誕生日。 81歳になります。 病気になってから、母の誕生日の来ることに すごく重みを感じます。
2015年11月15日
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今の季節は花がいっぱいです。 昨日は実家に行きました。 母が育てた花が開いています。 実家は標高が高く雪深いところなので、 2週間ぐらい満開の時期がずれています。 母は相変わらずで、 痩せてはいますが、特に体調は変わりないようです。 抗がん剤の治療のあとは便秘が辛いとか、 多少の副作用もあるようですが、 幸い白血球が激減することはありません。 ありがたいことです。
2015年05月05日
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両親は花が大好きです。 実家の八重桜が満開です。 先週は母の化学療法の週でした。 1ヶ月に一回、肝動注。、 今月はCTや、様々な検査をしてもらったというので、 結果を聞くと、母曰く、特に変わり無いと。 1年以上主治医に会って話をしていません。 まあ、何か異変があったら、このご時世ですから、 呼び出されるでしょうけど。 次回の治療の時は、病院に一緒に行きたいのですが、 さあ、私が休みを取れるかな?
2015年04月28日
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テレビで有名な方の訃報をよく耳にします。 癌という病気は誰でもなりうる病気です。 母が2年前から癌で治療を受けています。 初めは絶望感に打ちひしがれましたが、 2年も立つと少し冷静になれます。 癌になると、命のカウントダウンを感じます。 同時に命の重さを感じます。 がんになって声を失うなど、 ガンを切除するためにからだの大事な機能をなくす人もいます。 でも、生きているということに大きな意味があると思います。 世間から見たら、ただのおばあさんの母ですが、 私にとっては唯一の母です。 母が生きているという事実だけで ホッとします。 癌になってもいつもどおり、 何一つ変えずに淡々と生きています。 私もいつかガンになると思いますが、 今私が感じたことを思い返しながら 最後まで自分らしく生きていきたいと思います。
2015年04月21日
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乾燥して天気がいいのに、 母が畑でちょっと草を燃やしたら、 あっという間に火が広がって、 枯れ草に広がり山火事になりそうになったそうです。 父は消防署に連絡して、 消防車が集まるだけ集まり、 火は消されましたが、大騒ぎになったので、 母はちょっとショックだったようです。 燃えたのは田んぼや畑の畦だけですみ、 被害はありませんでした。 母もやけどすることもなく、 私としては、山の値打ちより、 母の命の方がうんと大事です。 父は消防署などに出かけたり、後始末をしてくれました。 今日は日曜日なので母の顔を見に実家に出かけました。 先週抗がん剤の治療が終わったばかりですが、 健康状態は変化はないようです。 精神的ショックから早く抜け出して欲しいです。
2015年03月29日
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大学病院の医師に、治療をお願いしながら 私に出来ることを探しました。 癌の代替治療。 ネットで簡単にヒットしますが、実際何が良いのか 皆目見当がつきません。 効果がありそうで、 値段が高すぎたら継続できないし、 肝動注の邪魔になってもならないし。 で、結局選んだのがAHCC。 私は全くこういったものを盲目的に信じる方ではありません。 科学的根拠がなければ、この種のものはまがい物が多すぎます。 AHCCが効果があるかどうかはともかく、 藁にもすがりたく、楽天で買い求め・・・あれから2年。 効果があったかどうか、誰にも証明できませんが とりあえず母は、それを飲みながら、家で生活できています。 もし効いているのなら、と怖くて中断できず、 買い求めています。
2015年02月04日
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三大癌治療は、手術、化学療法、放射線療法だそうです。 母は手術療法を諦めました。 癌の出来た場所が悪くて 肝臓を一旦取り出して手術をしなければならないと 医師から説明されました。 そんな手術に母が耐えられると思えませんでした。 私はその場で手術を断念することを医師に伝えました。 そして、癌の近くの動脈にカテーテルを入れて 抗がん剤を注入する肝動注を選択しました。 母の体に、抗がん剤を注入するための ポートを入れるために大学病院に入院しました。 2年前のクリスマスでした。 あれから治療が継続しています。 前回胃の調子が悪く、抗癌剤治療が延期になっていましたが、 今週無事に終わりました。 胃の方も落ち着いたようでやれやれです。 何をしているか今日電話をしてみたら、 あす亡くなったおじいさんの法事で いま、赤飯をお供えする準備をしているとのことでした。 体調もそんなに悪くないようで安心しました。
2015年01月31日
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