2006/1月後半


葬儀から、1週間が過ぎて [ ひとりごと ]


なんだか 未だにお義父さんが居なくなってしまったって気がしない・・・

いつものように突如 ピンポーーン!!って チャイムを鳴らしてお義父さんの顔がひょっこり見られるような気がします。


14日のあの時間・・雫と旦那様はちょうど同じくらいの時間に実家の近くを走っていたけれど

お通夜の帰りだったから黒い服着ているしね あまり良くないからと思って直接家に帰ったの。


だけど あの時にそんなこと構わずに実家へ行っていたら まだ元気なお義父さんに会えたかな・・・・

それとも 時間が変わってくれたかもなんてね。

まさか よそのお通夜に行って家に帰ったとたんに お義父さんの知らせが入るなんて思いもしなかった。

後で知ったことだったんだけど、14日って「友引」だったのね。

普通は避けるんだけど・・・・・・

お通夜は行ったけれど 本葬は当然行けなかった・・・

あちらの方が 「友引にしたから 親父が一緒にひっぱってしまったんかな・・・」とか言っておられたけど・・・・


お義父さんね、本当に元気だったんだよ。

14の日も、いつもと変わらず 仕事して帰ってきて普通にご飯を食べてお義母さんと2人でテレビを見始めて・・・・

ほんの10分ほどしたときに お義父さんが急変したらしい・・・


すぐに救急車を呼んだけれど 救急処置 心臓マッサージや電気ショックなどをしたけれどダメだったって・・・

病院へ駆けつけて 聞いた説明では、人の心臓は止まって5分が分かれ目だって・・・・


なんとか心不全・・・って名前がついていたけど、心臓に大きな血の塊が一気に行ったみたいな感じで 即死状態だったらしい。


ほんと 人の命ってこんなに簡単にも消えちゃうものなんだって改めて思ってしまったよ。

だって本当に簡単にお義父さん逝っちゃったんだもん。

ついこの間まで元気に話をしていたのに・・

お義母さんを残して逝っちゃった・・・・


享年81歳でした。


次の15日はお寺の行事がある日だから忙しいし 1日早いけど「小豆粥」を食べようって 

お義母さんが焚いた「小豆粥」を「おいしい・・おいしい・・」って食べたのがお義父さんの最後の言葉だったって。

お義母さん、一言何か残して欲しかったって・・・泣いていた・・・・

だけどこれがお義父さんの最後の言葉だったんだよね。

お別れの言葉は無かったけれど きっと美味しい「小豆粥」を食べて幸せな気持ちで逝ったんだよって旦那様が言っていた。


死因が不明だったので 警察の検死を受けたり 家のほうにも警察が行っていろいろ状況などを調べたりで

簡単には家に帰してもらえなかった。

だけど お義父さんの訃報を聞いて おじさんやいとこさんなど親族がたくさん集まってくれたよ。

真夜中までずっと一緒にいてくださった。

お義母さんは できるだけ泣かないように頑張っていたみたい・・・・

泣いても良いのにね・・・だけど 家に帰るまでの間 雫の車の中で娘とお義母さんが話していた時

やっぱり人目の無いところでは涙があふれてとまらなかったって言ってた。


お葬式って 本当に忙しい・・・

悲しみに浸ってなんていられないんだね。

次から次へといろんな事を決めなくちゃならないんだ・・・・


旦那様はほとんど2日以上眠らずに必死でいろんなこと。やっていたよ

うちは長男だから喪主だよね。

義妹たちもみんなそれぞれ手伝ってくれた。

親戚の方たちの顔もはっきりとわからないしね、旦那様は忙しくうごきまわっているしで、義妹たちのほうがそれは良く知っているからお任せしたよ。

やっぱり 何にも出来なかったのは雫かもしれない。

旦那様は それぞれの家で誰か一人が動いたらそれで良いんだから 我が家は旦那様が動いているから気にしなくて良いって言ってくれたけど、やっぱり もっと気配りができ無きゃダメだなって思った。

お客様への対応は義妹たちがやってくれたし良かった。

雫は 公の席での人とのお付き合いは苦手でいつも旦那様の影にいたから・・・・・

娘が雫の変わりにいろいろと気を使って動いてくれていたよ。


とにかく雫は出来るだけみんなの足を引っ張らないようにだけしなくっちゃと思ってた。


今回 聞こえるようになっていて本当に良かった。

病院での症状などの説明もみんなと一緒に聞くことができた。

式場での何をどう言う風に進行するのかの式場の方がホールでしてくださる説明もどうにか聞いて理解することもできたし 良かった。

聞こえていなかったら 一人でうろたえていなくちゃならなかったと思う。

あの状況では多分雫一人の為に手話通訳を依頼するところまで行かなかっただろうと思うから。

そして ビックリしたのは 嵯峨に住んでいた頃の雫の友達(子供達の友達のお母さん方)がお焼香に来てくれたの。

約20年ぶりの再会。

お焼香の後 雫の所まで来てくれて言葉をかけてくれたの。

セレモニー会館での葬儀だから遠かったのに2人も来てくれていたの。

ありがたいことですね。

雫が聞こえなくなったことはご存知ないから以前のように普通に話しかけてくれたけど声がやっぱり変わって聞こえたな。



1週間 過ぎて・・・・

今日初めて ゆっくりと家で一日を過ごした。

朝から娘と2人で近くの耳鼻科へ行ってきた。

雫は 風邪が強くなってきているのと、娘は耳の調子がおかしかったのだけど 病院へいけなかったので今日やっと行ってきた。

娘はお葬式の間が中耳炎にかかっていたらしかった。

耳鳴りとか熱っぽかったりとか・・・・体調が悪かったけど 疲れからかと・・・・


でも その中耳炎も治りつつある状態だとかで ちょっとほっ

心配だった聴力検査も 凄く良く聞こえているみたい。

あはっ 雫の娘なのに 検査のグラフを見ると凄く良く聞こえている。

今日ね、お医者さんとの会話がスムーズに問題なく出来ることを とてもビックリされていた。

「以前は全く聞こえていなかったのにね」って 前の聴力のグラフを見ながら話しておられた。

「手術成功してよかったね」って娘に言ってくださったよ。



今日は 義妹の家族がお義母さんのところへ行ってくれた。

張っていたお義母さんの気もだんだんと緩んできて お義父さんが居なくなったことが実感として感じてきているらしく

寂しさが募ってきているみたい・・・

話し相手が無くなるのは本当に寂しいことなんだ。

それは 耳が聞こえなくなった時の雫の気持ちに似ていると思う。

でもお義父さんはもう帰ってこないんだよね・・・・・


今 息子がおばあちゃんと一緒に生活していて良かったと思う。

仕事の時間が普通と違うのでなかなか話し相手にはなれないかもしれないけど

だけど 息子を起こしたり お風呂や食事の用意をしてくれたりとかで ほんのちょっとは一人じゃないって思ってもらえるかな。

本当に一人で暮らすのはもっと寂しいだろうから 迷惑かけているけど それも良かったのかもしれないなって思ってる。


そして、お義母さんは未だに現役でお仕事をしているから これも良かったと思う。

お昼の間は 仕事で気もまぎれるだろうし・・

義妹も同じところで働いているから安心だしね。


何をどうって事はやってあげられないかもしれないけど お義父さんが楽しみにしていたお泊り旅行もみんなでしよう!!

できるだけ お義母さんと一緒にお出かけもすることにしよう!!



最後に 皆様からの暖かいお言葉を頂きありがとうございました。

あまりにも突然なことでしたので バタバタして なかなか日記の更新が出来ませんでしたが 又少しずつ始めたいと思います。

これからもよろしくお願い致します。


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2006年01月21日
葬儀から、1週間が過ぎて [ ひとりごと ]


なんだか 未だにお義父さんが居なくなってしまったって気がしない・・・

いつものように突如 ピンポーーン!!って チャイムを鳴らしてお義父さんの顔がひょっこり見られるような気がします。


14日のあの時間・・雫と旦那様はちょうど同じくらいの時間に実家の近くを走っていたけれど

お通夜の帰りだったから黒い服着ているしね あまり良くないからと思って直接家に帰ったの。


だけど あの時にそんなこと構わずに実家へ行っていたら まだ元気なお義父さんに会えたかな・・・・

それとも 時間が変わってくれたかもなんてね。

まさか よそのお通夜に行って家に帰ったとたんに お義父さんの知らせが入るなんて思いもしなかった。

後で知ったことだったんだけど、14日って「友引」だったのね。

普通は避けるんだけど・・・・・・

お通夜は行ったけれど 本葬は当然行けなかった・・・

あちらの方が 「友引にしたから 親父が一緒にひっぱってしまったんかな・・・」とか言っておられたけど・・・・


お義父さんね、本当に元気だったんだよ。

14の日も、いつもと変わらず 仕事して帰ってきて普通にご飯を食べてお義母さんと2人でテレビを見始めて・・・・

ほんの10分ほどしたときに お義父さんが急変したらしい・・・


すぐに救急車を呼んだけれど 救急処置 心臓マッサージや電気ショックなどをしたけれどダメだったって・・・

病院へ駆けつけて 聞いた説明では、人の心臓は止まって5分が分かれ目だって・・・・


なんとか心不全・・・って名前がついていたけど、心臓に大きな血の塊が一気に行ったみたいな感じで 即死状態だったらしい。


ほんと 人の命ってこんなに簡単にも消えちゃうものなんだって改めて思ってしまったよ。

だって本当に簡単にお義父さん逝っちゃったんだもん。

ついこの間まで元気に話をしていたのに・・

お義母さんを残して逝っちゃった・・・・


享年81歳でした。


次の15日はお寺の行事がある日だから忙しいし 1日早いけど「小豆粥」を食べようって 

お義母さんが焚いた「小豆粥」を「おいしい・・おいしい・・」って食べたのがお義父さんの最後の言葉だったって。

お義母さん、一言何か残して欲しかったって・・・泣いていた・・・・

だけどこれがお義父さんの最後の言葉だったんだよね。

お別れの言葉は無かったけれど きっと美味しい「小豆粥」を食べて幸せな気持ちで逝ったんだよって旦那様が言っていた。


死因が不明だったので 警察の検死を受けたり 家のほうにも警察が行っていろいろ状況などを調べたりで

簡単には家に帰してもらえなかった。

だけど お義父さんの訃報を聞いて おじさんやいとこさんなど親族がたくさん集まってくれたよ。

真夜中までずっと一緒にいてくださった。

お義母さんは できるだけ泣かないように頑張っていたみたい・・・・

泣いても良いのにね・・・だけど 家に帰るまでの間 雫の車の中で娘とお義母さんが話していた時

やっぱり人目の無いところでは涙があふれてとまらなかったって言ってた。


お葬式って 本当に忙しい・・・

悲しみに浸ってなんていられないんだね。

次から次へといろんな事を決めなくちゃならないんだ・・・・


旦那様はほとんど2日以上眠らずに必死でいろんなこと。やっていたよ

うちは長男だから喪主だよね。

義妹たちもみんなそれぞれ手伝ってくれた。

親戚の方たちの顔もはっきりとわからないしね、旦那様は忙しくうごきまわっているしで、義妹たちのほうがそれは良く知っているからお任せしたよ。

やっぱり 何にも出来なかったのは雫かもしれない。

旦那様は それぞれの家で誰か一人が動いたらそれで良いんだから 我が家は旦那様が動いているから気にしなくて良いって言ってくれたけど、やっぱり もっと気配りができ無きゃダメだなって思った。

お客様への対応は義妹たちがやってくれたし良かった。

雫は 公の席での人とのお付き合いは苦手でいつも旦那様の影にいたから・・・・・

娘が雫の変わりにいろいろと気を使って動いてくれていたよ。


とにかく雫は出来るだけみんなの足を引っ張らないようにだけしなくっちゃと思ってた。


今回 聞こえるようになっていて本当に良かった。

病院での症状などの説明もみんなと一緒に聞くことができた。

式場での何をどう言う風に進行するのかの式場の方がホールでしてくださる説明もどうにか聞いて理解することもできたし 良かった。

聞こえていなかったら 一人でうろたえていなくちゃならなかったと思う。

あの状況では多分雫一人の為に手話通訳を依頼するところまで行かなかっただろうと思うから。

そして ビックリしたのは 嵯峨に住んでいた頃の雫の友達(子供達の友達のお母さん方)がお焼香に来てくれたの。

約20年ぶりの再会。

お焼香の後 雫の所まで来てくれて言葉をかけてくれたの。

セレモニー会館での葬儀だから遠かったのに2人も来てくれていたの。

ありがたいことですね。

雫が聞こえなくなったことはご存知ないから以前のように普通に話しかけてくれたけど声がやっぱり変わって聞こえたな。



1週間 過ぎて・・・・

今日初めて ゆっくりと家で一日を過ごした。

朝から娘と2人で近くの耳鼻科へ行ってきた。

雫は 風邪が強くなってきているのと、娘は耳の調子がおかしかったのだけど 病院へいけなかったので今日やっと行ってきた。

娘はお葬式の間が中耳炎にかかっていたらしかった。

耳鳴りとか熱っぽかったりとか・・・・体調が悪かったけど 疲れからかと・・・・


でも その中耳炎も治りつつある状態だとかで ちょっとほっ

心配だった聴力検査も 凄く良く聞こえているみたい。

あはっ 雫の娘なのに 検査のグラフを見ると凄く良く聞こえている。

今日ね、お医者さんとの会話がスムーズに問題なく出来ることを とてもビックリされていた。

「以前は全く聞こえていなかったのにね」って 前の聴力のグラフを見ながら話しておられた。

「手術成功してよかったね」って娘に言ってくださったよ。



今日は 義妹の家族がお義母さんのところへ行ってくれた。

張っていたお義母さんの気もだんだんと緩んできて お義父さんが居なくなったことが実感として感じてきているらしく

寂しさが募ってきているみたい・・・

話し相手が無くなるのは本当に寂しいことなんだ。

それは 耳が聞こえなくなった時の雫の気持ちに似ていると思う。

でもお義父さんはもう帰ってこないんだよね・・・・・


今 息子がおばあちゃんと一緒に生活していて良かったと思う。

仕事の時間が普通と違うのでなかなか話し相手にはなれないかもしれないけど

だけど 息子を起こしたり お風呂や食事の用意をしてくれたりとかで ほんのちょっとは一人じゃないって思ってもらえるかな。

本当に一人で暮らすのはもっと寂しいだろうから 迷惑かけているけど それも良かったのかもしれないなって思ってる。


そして、お義母さんは未だに現役でお仕事をしているから これも良かったと思う。

お昼の間は 仕事で気もまぎれるだろうし・・

義妹も同じところで働いているから安心だしね。


何をどうって事はやってあげられないかもしれないけど お義父さんが楽しみにしていたお泊り旅行もみんなでしよう!!

できるだけ お義母さんと一緒にお出かけもすることにしよう!!



最後に 皆様からの暖かいお言葉を頂きありがとうございました。

あまりにも突然なことでしたので バタバタして なかなか日記の更新が出来ませんでしたが 又少しずつ始めたいと思います。

これからもよろしくお願い致します。


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2006年01月23日
お義母さん、仕事を再開!! [ 日常茶飯事 ]
起きて窓を開けてみたら 周りは真っ白!!

夕べ 旦那様の実家から帰るときに降り始めていたのが やっぱり 真っ白に積もってた。

相変わらず ニャンコの「あーと」君 毎日のスケジュールのごとく

寝ている旦那様の手を引っ張って カミカミしながら無理やりに起こして お外へ出してもらったら

やっぱり すぐにニャーニャー鳴きだした。

とにかく一度は自分の体で 体感してからでないと納得しないんだから(笑)


お義母さんは 今日からお仕事に行き始めました。

普通なら もう帰ってくる時間なのに一向に帰ってこないので心配していた旦那様へお義母さんから電話があったらしい。

仕事場の中がどうにもこうにもならないひどい有様になっていて 悲鳴を上げて電話してきたらしい。

今日も夕方から旦那様は実家へ用事で行っていたから 雫も一緒にいると思っていたんだと思うんだけど・・・

だけど今日は朝から一度京都市内を走り回ったので 一旦家に帰って 雫を置いてだんな様だけで出かけたの。

一緒に行っていたら すぐにでもお義母さんのお手伝いしてあげられたんだけど 今日は雪が降っていたから旦那様 雫の車に乗って行っちゃったから 雫の足がなくなっちゃったのよね。

旦那様の車はタイヤがノーマルだから 雪の上は怖いしね・・・・

旦那様 家に電話してきて 自分に出来る仕事かどうか聞いてきた。

そりゃーもちろんできるよ!!

お義父さんだってやっていた仕事なんだもの。

体力勝負の仕事だから大丈夫なんちゃってね。


お義母さんが休んでいた間に誰かを入れてくれていたと思うんだけど ほったらかしだったんかなぁ~~

旦那様が帰ってきたら状況を聞いてみなくっちゃ。

明日は火曜日だから忙しい日なんだけど。

一人で大丈夫かな?

まだ 仕事が残っていたら 雫が手伝いに行くよって 旦那様の携帯に電話した。

ほかの人が手伝うよりはまだ 雫のほうが知っていると思うしね。

お義母さん 久しぶりの仕事で疲れが残らなきゃ良いけどなぁ・・・

ほどほどに疲れてゆっくりお風呂に入って寝たら大丈夫だよね。


これから お義父さんは居なくなってしまったけど 又 以前のように元気に働いてほしいです。

体を動かしているうちは ボケ防止になるよねって 旦那様と話してます。



皆様からいただきましたコメントのお返事を書かせていただきました。

とてもうれしかったです、ありがとうございました。



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2006年01月25日
いろいろ忙しいなぁ~ [ 手話関係とサークル ]


24日はあさからお義母さんのお仕事の手伝いに行ってきた。
火曜日と金曜日は荷が入るので忙しい日なんだよね。
お義父さんの代わりの人が見つかるまで、しばらくは雫がお手伝いに行くことになるみたい。
帰りには ついでに伊勢丹や地下街などをちょっと歩いてきたよ。
携帯のストラップが壊れちゃったんで新しいのを買ってきた。
ちりめんで作られた可愛い梅の花とビーズとの組み合わせでちょっと可愛いよ♪~
だけど 普段があんまり動いていないからちょっと疲れちゃった。


25日の今日は手話サークルの日なんだけど・・・
実はミニ講演の日なのにお義父さんのお葬式などで内容を全く考えていなかったんだわ。
もっと早い目に考えておけば良かったよ・・・・
だけど何を話せば良いのか浮かんでこない。
お義父さんの話をするにはちょっとな・・・・とか思うし。


結局 全然考えがまとまらなくて ぶっつけ本番でやるかぁーと思ったけど、今朝は何でか早く目が覚めた。
故に朝っぱらから原稿考え始めたの。
だけど雫のこと 原稿書き始めたら・・あはっ 長くなっちゃった。
でも原稿が無いよりはましかーなどとええ加減な・・・・にゃははは
時間も無かったし 練習無しで原稿だけ持ってサークルに行っちゃった。
時間計算しないで 適当に書いた原稿だから 
実際 ミニ講演をしてみたら 時間がかかっちゃったよ。

だけどね、ここで助けてくれたのが旦那様。
雫の書いた原稿を見ながら
「これ見えるんか?」
あっ そうだよねぇ~~~ ○眼なもんで 見えないよぉーーー
そこでとってもやさしい旦那様
コピー機で拡大して見やすい大きさの原稿を作ってくれたよ。
ほんとこれ 凄く助かっちゃった(笑)
めがねはずさなくてもちゃんと読めたわ。


サークルの後は みんなと一緒にお食事して、今日はその後ふれあいサロンへみんなで行ってきた。
ある場所を借りて 障害を持っている人たちの集まるところなの。
いま新しい試みでやっているんだわ。
障害者だけでなくそのそれぞれのボランティアの人たちとの交流の場。
雫たちのサークルでは簡単な「手話教室」を開いたり、聴障協の婦人部の方が開く「手芸教室」とかね いろいろやってみることになっているの。


今日は目の見えない方が来られていたよ。
雫、その人とボランティアの方といろいろお話した。
こんな場所なら聞く訓練になりそうだわぁ~~
家だけだと 旦那様ぐらいしか話す人はいないけどここにくればいろんな人とお話が出来て良い練習になるかも?


夕方から 今日も嵯峨の実家へと向かったよ。
やっぱり 疲れているのかなぁ~
車の中ではずっと寝ちゃったよ。
実家でお義父さんにお題目唱えて 帰ってきたよ。


最近は 家に帰り着くのがほとんど10時から12時回るくらいに帰宅しているの。
ミミ&ラビ あーとがお迎えしてくれる。
寂しいのかな?
あーとがね、なんかいつもよりべったりとくっ付いてくるよ。(笑)


又明日も実家へ 明日は 二七日だからね。
きちんとお参りしなくっちゃ。
旦那様、染めの仕事をやりながら いろんな書類などの整理をして 本当に休む暇無いくらいにがんばてる。
体を壊さないようにしてもらわなくっちゃねぇ~~


ああーー やっぱ今夜も疲れているなぁ~
眠くなっちゃった・・・
うう・・・・眠い・・・おやすみなさいませ


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2006年01月30日
免許剥奪!? 警察でビビッた・・免許の更新 [ 日常茶飯事 ]


「裸耳でクラクションの音が聞こえますか?」

「えっ・・たぶん聞こえないと思いますけど・・・」

「じゃあ ちょっとこちらへ来ていただけますか・・」

「テストさせていただきます」


えっ・・ えっ! えっ!! なんで?

聞こえなかったらどうなるのぉ・・・

免許剥奪!?
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・

はぁ~~ ほんにビビッたわ・・・・

大丈夫だったけど ほっ


なんちゅうか ほんと雫ってタイミングが悪い人間なんだなぁ~~~

今日もね、更新の手続きをしている最中に しっかり電池切れ!!

まあその前から ピー音が鳴り出したから 新しい電池を用意していたんだけど、シールからはずして5分を待たないと入れられないから仕方なく待っていたら 順番が来て呼び出されちゃった。

そして 丁度 視力検査の寸前で音がプスンって切れちゃったの。

まあ 切れても一旦スイッチを切って又入れなおしたら ちょっとの間だけ又聞こえるんだよね。

それをやって視力検査は無事済んだんだけど・・・


書類の書き込みなんかをしていたら 突然警察の男の方に声かけられちゃって・・・

慌てて電池を入れて聞いたんだけどね。

聞いた内容が先の会話だった訳。


今まで こんな風に言われたこと無かったし ビックリした。

どうやら 補聴器(現実には違うけどね)を使用しているのに 免許に記述されていないってことが問題だったみたい。

以前に 車の免許を取ってから初めての更新時に 補聴器を加えなくても良いのかと自己申告したけど どっちでも良いですよって言われてそのままになっていたんだよね。

で、そのことを伝えたけど とにかく テストって事になったの。


当然テスト受けても 聞こえるわけ無いじゃん!!(・・って 偉そうにいってるなぁ~ 笑)


よくよく聞くに まあ 聞こえなくても問題なし。

とにかく 聞こえないから補聴器を使っていますって言うことを明記させるだけだったみたい。


今までこんな風に聞かれたこと無かったし ほんとビビッたよ。

免許取り消しなんて言われたら すんごいヤバイもん!!

でもさ、聾唖の人なんてほとんどが聞こえないのが当たり前だし それでちゃんと OK!!だしね。

って 受付のお姉さんと話してた(笑)


検査してくださった男の人も 自動車教習所に入る時にはちゃんとテストを受けて 聞こえていたから それで記載されなかったんだろうって言ってたよ。

ご自分も年でだんだん耳も聞こえにくくなってきているし 目のほうも遠くはよく見えるけど近くがさっぱりで困っているとか話してた。


まさか こうやって話している雫が数ヶ月前まで全く聞こえない聾だったなんて思いも寄らなかっただろうな。

だって 以前より今のほうが音的(デシベル的)には良く聞こえているんだもん。

何はともあれ無事免許証はいただけるようです。

但し 講習会に出なければならないのが・・・・・・

しゃーないなぁ・・・

以前に事故ちゃってね、それで受けなきゃならないのよね・・・・そう言えばその時の日記があったっけ

【 事故ったぁ~~…… 】


その後の経過も書いてあるからね

【 あああーーー高い授業料!! 】


【 事故の現場検証!! 】


そうそう 自動車教習所でのお話なども残っているよ。


【 自動車学校の思い出!? 】

もし興味があったら読んでね。 リンクしておいたからね。


耳が聞こえないのはどう言ったってしかたのないことだから 運転する時は充分に注意して運転いたしましょう♪~



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