僕はお母さんのボランティア

これは雫の息子が 小四の時に書いた作文です。


「僕はお母さんのボランティア」

 ぼくの お母さんは、小学校四年のときに、病気で 耳が きこえなくなりました。
毎日 3・4時間目の授業をぬけて 病院へ通ったそうです。そして、向かいあって
1メートルから1・5メートルぐらいだったら 聞えるようになりました。
 三年前、○○に 引っこして来るまでは 聞えないけど、ふつうの生活はできていました。でも、今はほちょう器がないと 聞えません。左は 聞えないけど、右は ほちょう器で 何とかきこえるようです。
 きこえない といっても、まったく 聞えないことはありません。音がしていることはわかるけど、人が 何をいっているのかは、わからないのです。
 二人だけで 話す時は、ほちょう器から聞える声と、その人の 口の動きで、だいたいよんでいるのです。「かん音性なんちょう」といって、大きな声で話しかけても わかりません。ぼくがたちが、ゆっくりと 1つずつ、はっきりと いってあげればわかるみたいです。
 たくさんの 人の中では、まわりの音が ほちょう器の中にはいって、だれが、なにをいっているのか わからないそうです。だから、おかあさんは、家にかえってくると よく、「つかれた。」といって ぐったりしています。
 家の中で、話を するときに、ぼくが、歩きながら話をすると お母さんは、何回も 聞きかえします。それで、時々、ぼくは、はらをたてて、
 「もういい。」
と、おこったいいかたを してしまうこともあります。
 電話のベルも、聞えない といっています。おとうさんの車が かえってきた時も、車の音が 聞えないので、ぼくが教えてあげています。
 家の 外では、電車に 乗るとき、駅の放送が聞えにくいので、お母さんは、ぼくに聞きます。前にも、いつもとちがうホームに電車が止まって、放送しているのに気がつかずに、ぼくが、駅員さんに聞きにいって 何とか乗ったことがありました。
 今も、お母さんは、少しずつ 聞えなくなっています。だから、手話を勉強しています。手話は、耳が きこえない人や、しゃべれない人が、声の替わりに手を使って、話をするのです。
 ぼくも、夏休みの間、毎週木曜日の夜に、手話教室に 行きました。指文字で、あいうえお を練習しました。ぼくも、あいさつぐらい できるようになりました。手話は、むずかしくて なかなかおぼえられません。
 でも、手話教室では 、耳や口の不自由な人が、先生になって、みんなに教えているのを見ると、すごいなぁと思います。ぼくも、がんばって覚えて、お母さんと手話で、いろんな話が できるようになりたいです。
 耳が、きこえない人は、人と話をするのが とてもたいへんです。でも、体に不自由がなところがあっても、同じ人間です。耳が 聞えない人や、口がきけない人や、目の 見えない人のお手伝いを進んでして、みんなが、なかよく くらせたらいいと思います。
                     (原題・耳のきこえないお母さん)








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