†World of Azure†

†World of Azure†

依頼主


帝都では珍しいその洋装の人物は出されたイスに腰掛けて、頬杖をついている。
「あぁ…天河先生、お待たせしました」
そこに来た青年は微笑みを浮かべて、自分の席に腰掛けた。
「あぁ。『神落屋』の情報を掴んだからな、依頼主にコレを渡してくれ。くれぐれも中は見ないようにな」
紫水晶色の瞳を青年に向けた男は、ニヤリと笑いながら不思議な文字が浮かび上がった封筒を取り出す。
「やはりあの話は本当だったんですか?」
机の上に置かれた黒い封筒に視線を落とした新は翠玉色の瞳を神威へと移動させながら静かに尋ねる。
「さぁな。俺様は『神落屋』の話を知る人物にドコに行けば会えるのかを聞いてきただけだ。炎樹家の坊ちゃん一人で見るようにと伝えてくれ」
「何故…依頼主が彼だと?」
口の端を微かに上げてから肩を竦めた神威は、立ち上がって紫水晶色の瞳を向ける。彼の言葉に微かに驚きの表情を見せた新が目を細めて問うと、
「推理すれば簡単な事だ」
神威はニヤリと笑ってそう言ってから新聞社を後にした。
その背中を見送ってから新は封筒に視線を落とし、それを手に取った。







翌日、ひっそりと静まり返って客足のない『黎明の空』には“準備中”と書かれた札が掛けられていた。ドアの脇に置いてある看板兼『黄昏館』の郵便受けには、いつもは居ない白い梟が留まっている。
「眠そうだな、楸」
カウンターで頬杖をついている少女に視線を遣りながら神威は苦笑した。普段は洋装の彼が、今日は和装で、高い位置で結い上げられている髪も下ろされている。龍生は別件で出掛けており、代理として駆り出されたのだ。
「…ついに私の所にも来ましたからね。物の怪が」
細く、白い指で何かを弄びながら遊烏は溜息を吐く。肩甲骨までの長さの髪は不思議な髪型に結い上げられている。
「何だそれは」
「護法獣ですよ。昨日侵入してきた物の怪、使役者を見付け出す為に護法獣に探らせているんです」
少女の指にじゃれ付く小さな狐のようなモノを見て神威が眉を顰めると、遊烏はそれを指で撫でながら青玉色の瞳を男に向けた。『護法獣』と呼ばれた小さなそれは少女の指を上り始める。
「そいつは?」
「この子は“語る”子。“視る”子と“聴く”子の声を聞く子・雅礼」
少女の肩まで上った『護法獣』を、目を細めて見ながら神威が問うと、遊烏は微笑みながら男を見上げた。
「アラ?」
「そう…雅礼。視る子は阿杜、聴く子は楼斗。私が生まれた時から傍に居たらしいです」
首を傾げた神威に頷いてから手の上に雅礼を乗せて遊烏は微笑む。
「アトとルトね…」
桜色の小さな狐のような獣を見ながら神威が呟くのと同時に店のドアが開いた。
入ってきたのは帽子を目深に被った背が高い男。カウンターで腰掛ける二人に近付いて、紅玉色の瞳を向ける。
「えんじゅ…かい様ですね?」
「そうだ。…お前が『神落屋』なのか…?」
立ち上がった少女が近付き、青玉色の瞳を向けると、男は頷いてから微かに驚きの表情を見せる。
「…はい。天月の樹の一族、伍拾八代目当主・楸と申します」
「…」
一瞬、振り向いて異人の男を見てから遊烏は客に向かって一礼する。少女の言葉に今度は神威が微かな驚きの表情になる。
人見知りしてか、警戒してか、『護法獣』の雅礼は少女の着物の帯に隠れている。
「お掛け下さい。お話を伺いましょう」
窓際の時計から最も遠い席を男に勧めた遊烏はそれまで見たこともない程の真面目な表情。
「それでは、炎樹伽維様。先ずはこれだけお約束して下さい…この『神落屋』の事は決して口外しない、と。勿論、『黎明の空』が『神落屋』の居場所である事も。それさえ守っていただければ、これから先の貴方の身の安全は保証致します」
男が頷いて腰掛けると、神威が珈琲を入れたカップを前に置き、遊烏は微笑んでから、伽維に真面目な表情を向けた。いつの間にか雅礼の姿が見えなくなっている。
「あぁ…」
「それでは…お話を伺います。…の前に、阿杜、楼斗、戻っておいで」
少女を見つめていた伽維が頷くと、遊烏はそう言って腕を上げた。勿忘草色と美女桜色の光が少女の着物の袂に入って行く。
「…俺の妹の一件は知っているな?」
「…はい。御愁傷様でした…」
遊烏が膝の上に手を戻してから促すと、伽維は少女を見つめたまま口を開いた。神威に負けず劣らずの美貌が微かに歪んで、悲しげな表情を作るのを見ながら少女は静かに言葉を紡ぐ。
「直前まで普通に話していた妹が、翌朝冷たくなっているというのは不思議なものだな…。帝都警察は異人の犯行だと決め付けているようだが、あれは人ならざるものの仕業だ」
テーブルの上で手を組み、真っ直ぐに遊烏を見ながら伽維は本題に入る。静かな声は凛としていて、店の中に良く響く。
「…何か…見たんですね?」
確信を持ったような男の言い方に少女は目を細めた。帝都の人間は何か事件があると先ず初めに異人を疑うのだが、伽維は“犯人は異人ではない”とはっきり断言している。
「妙な物音と…走り去る黒い影。月明かりの下にも拘らず、そこだけ闇の固まりのように黒かった」
「臭いは…しませんでしたか?例えば…獣臭さのような」
遊烏からの問い掛けに伽維は視線をそらす事なくそう答えた。その言葉を聞いて、少し考え込んだ少女は一瞬、袂に視線を遣ってから次の質問を投げ掛ける。
「そういえば異臭がしたな…微かに腐臭も混じっていた」
一瞬、テーブルの上に置いてある自らの手に視線を落とし、考え込んでから伽維は口を開いた。カウンターで黙ってそれを聞いていた神威はそれを聞いて眉を顰める。
「…最下級の使い魔…なるほど…だから被害者は一部を切り取られただけで済んでいたのか…」
暫くの沈黙。真剣な顔で考え込んでいた遊烏が不意にポツリと呟いた。普段とは全く違う、男性的な口調と声音。青玉色の瞳は男から再び袂へと移動する。
「炎樹様、お話の続きをどうぞ」
ふうっと息を吐き出してから遊烏は袂の中を覗き込み、それからカウンターに視線を遣る。神威が頷くと、少女はもう一度、息を吐いてから伽維を見据えた。
「…伽維、で構わない。『神落屋』は物の怪専門の探偵だと聞いた。帝都警察では解決出来ない事件もたちどころに解決してしまう、と」
「それなりに報酬は戴きますが…物の怪の事ならお役に立てると思います」
微かに表情を緩ませてから伽維は話を本題に戻す。いつもは全く商売っけのない遊烏の口から『報酬』と言う言葉が出るのを聞いた神威は頬杖をつきながら紫水晶色の瞳を少女に向ける。
「報酬の方は心配するな、充分に出させてもらう。…俺は、妹を攫って殺したのは物の怪の仕業だと思っている。そんな事言っても誰も信じないがな…俺自身、アレを見るまでは物の怪の存在など信じてはいなかったし、『神落屋』の話も単なる都市伝説としか思ってはいなかった。だが、今は違う…この件は帝都警察に任せていたらいつまでも解決しないだろう…。『神落屋』…妹を殺した物の怪を探し出して退治して欲しい」
「今回の連続殺人事件には…物の怪を使役している人間が関わっています。私の領分は物の怪のみなので…そちらは帝都警察に引き渡しという事で宜しいでしょうか?」
薄い唇の端を引き上げた伽維は頷いて見せてから話を続けた。話している内に眉根は寄せられ、眉間には深いシワ。それを見ながら遊烏は静かに尋ねる。
「…使役している…人間?」
「はい。伽維様のお話からの推測なのですが、お屋敷に侵入したのは歪螺という下級使い魔です。歪螺は誰かに使役されない限り、人間に襲い掛かることはありませんから使役者がいると思います」
少女の問い掛けに伽維だけでなく、神威も眉を顰める。正面に座る男に真っ直ぐに視線を向けたまま遊烏は静かな声で説明をする。
「わいら?」
「完全に闇の世界の住人なので人の目には黒い塊にしか見えないのですが、全身を毛に覆われた物の怪で、腐肉が好物な為、歪螺の体臭は特徴的なんです」
少女の口から出た聞き慣れない名前に伽維が首を傾げると、遊烏は視線をそらさずに質問に答える。
「…なるほど…見た所、妹と大して年は変わらないように見えるが…流石『神落屋』だな」
「私と兄は家族が殺されてからずっとコレを生業としてますから。…それでは、この歪螺は退治、使役者は帝都警察に引き渡す、という事でよろしいですね?」
淡々と、説明していく少女を見ながら伽維が言うと、遊烏は肩を竦めてから真面目な顔で男に尋ねた。少女の言葉に神威は一瞬切なげな顔をする。復讐に縛られた兄妹。普段明るく振舞っている、彼らの心の中に深い闇を見た気がした。
「あぁ、妹を殺した犯人を罰せられるのなら構わない。それで、金はいつ支払えば良い?」
「『連続殺人事件』犯人逮捕の翌日、今日と同じように雫流を外に出しておきますので、その時に」
そんな神威に一瞬視線を遣ってから伽維は再び紅玉色の瞳で少女を見つめながら尋ね、遊烏は真面目な顔のまま、男性的な口調と声音に戻って言った。
「だる?」
「看板の所に居た白梟です」
「…あぁ、成る程。分かった」
片眉を上げて伽維が反芻すると、遊烏は入口の方に視線を遣ってから微笑み、男は納得したように頷いてから立ち上がった。
「それでは、頼んだぞ」
「確かに依頼、お請け致しました。くれぐれも口外する事の無き様、お願い申し上げます」
入口に向かう伽維を見送った遊烏はそれまでに見せたコトのない妖艶な笑みを浮かべてそう言い、男は頷いてから足早に通りを遠ざかっていった。

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