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わたしも人生の盛りを過ぎ、まわりでも病で亡くなる人、連れ合いや子どもを亡くす人、離婚で生き別れを味わう人、いろいろな人の便りを聞くようになりました。
いっときは50歳を過ぎたら信仰に生きようと思ったこともあったのですが、子どもたちもまだ家にいるため、なかなかそういうわけにはいきません。
連れ合いとも宗教が異なることもあり、またビジネス上の都合もあり自称無宗教であり続けています。
でも瀬戸内寂聴さんのようにいつかは自分自身を求め探す作業に身をいれてみたいな、と思ったりもします。
それにしてもこのごろ思うのは、人の幸福、不幸はずばり言って「心の持ち方」なのかなあ、ということです。
わたしたちが「不幸」と呼んでいることに襲われた人は少なからずいます。子どもや親や配偶者の死、ケガ、リストラ、レイオフ、倒産、借金、など不幸はさまざまな顔をして人を訪れるものだと思います。
けれどもそれをどうやって受け入れ、それと向き合っていくのかはその人の内面の問題だと思うのです。
どんな状況にあっても動揺しない生き方ができたら…。
イギリスで見た古い聖堂の鐘の音を思い出します。スコットランドの女王メアリ・スチュアートに死刑を宣告したエリザベス1世。自らの従姉妹を抹殺することには彼女自身ずいぶんためらったそうです。
さまざまな決断と苦悶。それを冷ややかに下していけたら…。
いや、人生の海はやはり波風に満ちていて、ふつうの人はそれを精一杯泳ぎきることしかできないのでしょうか?
そんなことを思いながら「食欲がないの」と青白い顔で就職したばかりの新しい職場に出ていく娘を見送ります。彼女も今一番疲労がたまるつらい時です。
おそらく今がこの世で一番つらい、と思っているのでしょう。
苦しみながらも喜び、精一杯生きて行く一生。
母が以前言っていたことですが、ある人の孫が生まれたので顔を見にいったところ、その方は
「この子もこの世でさまざまな苦労をするために生まれて来ました」
としみじみとおっしゃったそうです。
その方は常識的にはそれほど苦労の多い人生を歩んではいないと思われるそうですが、人にはそれぞれの重荷があるのでしょう。