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「引退教師の後輩に残す言葉」を聞く機会がありました。その折、個人的に語ってくれた言葉で、励まされました。それは私の父と同教区で長いこと牧会された方のことばでした。「あなたのお父さんを尊敬しています。いっしょにお風呂に入ったことがあったんですよ。そのとき「伝道は楽しかった」と語られた。そうだ伝道は楽しくするものだ。と今でも心に刻んでいます。」といった内容でした。学識ある方が名もない一介の父のことをこのように言って頂いて、うれしく、自分もこの言葉を胸に刻もうと思いました。同じ日「伝道が趣味これしか頭にない」と語られたもう一人の牧師の言葉も父とダブりました。やるぞー!!
2008年03月14日
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庭のランプを見ようと、ぼんやりした目を向けたら、緑のはずの茂みが何かかぶさっているように見えました。なに?と思ってもう一度目を凝らしたら、雪が積もっていたのでした!二年ぶりに見る、積もった雪でした。昨日は一日雪模様の天気、今日は抜けるような透き通った青空の一日でした。今日は立春、主人の誕生日。 板橋の病院まで、聖餐に預からせる御用に行ってきました。まだまだ生まれたばかりの魂で信仰のことはあまりよく解っていませんが、立て板に水のように、おしゃべりがあふれてくるので、聞き役です。以前おばあさんのお宅に伺ったことがありましたが、その時も一生涯のできごとを、ずっとお話されて、聞き役でした。人はそこに至るまでの生涯、たくさんの経験をして生きています。一瞬の会話、行動を見ると、すこしおかしいんじゃないかと思うことがありますが、案外ずっとお話をきいていると、つじつまが合っているのですね。しかし人生のつじつまはイエス様に出会わない限り、納得のいかないことが多いのでしょう。
2008年02月04日
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何ヶ月もお留守にしていました。主人が画面を出して、書き込むまでにしてくれたので、書き込んでいます。実は、ブログを作ったら、ただちに同志が集結するように夢見ていたのですが、実際にはそのような結果は期待できないことを知って、投げ出したのです。 その間、主が素晴らしいビジョンを与えてくださいました。世界の用いられている教会のノウハウを、いろんな方法で、教えてくださって、「ウス!これなら世界のリバイバルも夢物語ではない」と実行をどのようにすべきかを探っているところです。 それと同時に、世界の全ての現象を見る時、主のご再臨が近いことを思わされ、知っているものとしての伝える責任を感じております。手紙を書きましたが、まだちょっと書き直さないと完成しません。お祈りください。
2007年10月26日
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一昨日、買い物に行ったお店で、警報機が突然鳴り始めました。すわ火事か?と思って店員さんを見ると、何事も無いかのように、お仕事を続けています。お客もその様子に安心してか買い物を続けています。暫くして警報機も鳴り止んだので、買い物をはじめました。するとまた警報機が鳴り始めました。店員さんに「大丈夫なんですか?」と聞くと「さっきからなってんですが、なんか上のほうであるらしいんです」そのやりとりを聞いていたおじさんが「なんか言わなきゃだめだよ」「大丈夫だと思いますよ。」その落ち着いた対応のせいか「魚屋が言うんなら大丈夫か。」なんて言ってそれで終わりました。 最近温暖化現象が騒がれますが、地震や災害が起こると、危機感を持っても、過ぎると平静な生活を続けます。クリスチャンとして語るべきことをちゃんと語っていかなければ責任があると思いました。
2007年05月25日
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息子に会いに京都に行ってきました。片道8時間。行く前の気の重さにくらべて、思ったより大変ではなかったです。それは渋滞が何時間も続いた場合の懸念でしたが、実際には40分くらいで、(最も、行きの都内が2時間かかったのは少しうんざりでした)特に帰りは中央道を通って雪の峰や、桜の満開、新緑を見ながらの旅は快適でした。京都にせっかく行きましたが、御所を見たくらい。あと丸太町教会を見せていただけました。息子の赴任教会は素晴らしい緑のなか、広い敷地にゆったりと生活の場を当てられて、申し訳ないように思いました。いっしょに過ごせた時間はわずかでしたが、家族は一緒にいるだけでしあわせなんだなと感じました。
2007年05月16日
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4月は新しい生活が始まる月です。私のところも1人住人が加わりました。それまでも暮らせるように部屋はあったのですが、入る人がいなくて住み込んだらどんな感じになるのかな?と思っていたのです。可能性は少なかったのですが、「希望を言ったらだれがいい?」と教会内教師会で話が出た時「○○さん」と意見が出ました。それが思いもかけず、その名が上がった方の出身教会から事情が一番合うからそちらの教会で迎えて欲しい。とのお話がありました。役員会でも「是非」ということになり、現実になりびっくりです。娘2人も大喜びで、お姉さんができたような気がしているようです。すでにユースのリーダーとして2人の娘をジョイフルナイトのボーカルに引っ張りでしてくれて、乞うご期待といったところです。
2007年04月23日
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新年になったと思ったらもう3月です。イースターってご存知ですか?イエス様の復活を記念する日です。先日「イースターうさぎのようでした。」と書いたら、子供に「イースターうさぎなんてメジャーでないこと書いてほとんどの人解んないよ」と言われてしまいました。世界中の子供にイースターの卵を届けるうさぎを、長老うさぎが選ぶのです。が、娘時代になれなかった、お母さんになっていたうさぎが、子供たちを躾けて、家のことはできるようにし、向後の憂い無くその任を全うした。というお話です。イースターは新しい命の与えられる道が開かれたことを知らせる日です。このことを伝えるべく、わたしもできる限りのことをしています。どうぞ4月8日新宿大窪駅から徒歩2・3分の淀橋教会で持たれる、東京イースターの集いにお出かけください。
2007年03月09日
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24・25日と淀橋教会で持たれた、東京ケズイックに行ってきました。そこで、英国から来てくださった、スティーブ・ブラディー博士のメッセージをいただきました。その中で「わたし達は救いの約束をいただいただけでなく、今もあふれて生きることができ、それによって人々も求めてくる」このことを語られる中でのお話をここにご紹介します。『ある国際的に仕事をしている大きな会社に勤務するお父さんの子どもの話です。彼は英国の寄宿学校にいて、休暇ごとにお父さんの所で過ごすためにそこに行く事になっていた。その時は米国にお父さんが居て、会社がその子のためにファーストクラスのチケットを取ってくれた。その時はファーストクラスはその子だけで、スチュワーデスが3人も付くような旅であった。ところが空港に迎えに来たお父さんに「お父さん僕お腹すいた。」といったという事です。不思議に思ったお父さんが聞いたところ、自分で払わなければならないと考えて彼はサンドイッチを少しだけしか食べていなかった。というわけでした。このチケットにはキャビアでもなんでも食べる事が含まれていることをこの子は知らなかったのでした。なーるほどと納得。得てしてクリスチャンもこのような振る舞いをしていることです。王道を歩みたく思います。
2007年02月27日
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京都から、息子が帰っています。お休みを5日もいただいて。他の子がそれぞれ働きに(一人はバイトですが)出ているので、どこかに出かけるとか無いのですが、なんとなく居るだけで家中がうきうきしているようです。祈祷会の奨励をしてくれたのですが、派遣教会の写真など見せてくれました。「こんないいところに居るんじゃ、帰るのいやになっちゃうんじゃない?」なんて声に「でもねーやっぱ帰りたくなりますよ。」狭いながらも楽しい我が家でしょうか?妹が「お兄ちゃんとあんまりアクセスしてる時間がなかったー」と言いながら会社に出かけて行きました。祈祷会の奨励は祈り続けることを語ってくれて、その信仰が与えられている事を感謝しました。スポルジョンのことば「祈りの答えがなくて悲しみのシャベルで掘るのが深いのは、着く船が大きいから」(内容)とのことが心に残りました。
2007年02月15日
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4日は主人の誕生日でした。早朝礼拝に「おめでとうございます」とけして枯れないと造花の花を』持ってきてくださったかたがありました。「あリンドウですね、これは内村鑑三が好きだったんですよね。」それから花言葉とか説教の中にまで出てきました。次の日「先生はリンドウのような・・・ひまわりのような・・・水仙のような・・・です」とお手紙を添えてプレゼントいただいて大喜びでした。でもないしょですが、本当はそのいただいた花は「ききょう」だったんです。
2007年02月07日
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土曜の夕食時、「○○先生は花に譬えると、百合だって。」(男性ですよ)「うんそうかな」「男性を花に譬えるってあるかな?じゃお父さんは?」「ラフレシア」「えーラフレシアって肉食でしょだめだよ。」じゃなにがいいのかって話題で「ひまわりは?」「あーひまわりだそうだね。」と落ち着きました。それぞれ自分を花に譬えたら何がいいですか?他人から言われたので満足でしょうか?
2007年01月29日
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キリスト伝道会という、日本に何とかキリストを紹介しようとビジョンを持った方達が始めた働きで、50年くらいになるのがあります。それの実行委員長を夫がしていて、このごろ私にも実行委員に加われ。との声がかかりました。「必要に応じて」神様が働かれるとの信仰持って受けさせていただきました。しかし本来内弁慶なので、誰かが反対したらすぐにもやめるようなつもりでした。だれも反対せずに、決まってしまいました。でも今日はひとことも発せずにきました。しかし心は「日本中が救われるために用いていただきたい」「いや世界中」なんて思いです。お祈りください。そしてアイデア募集します。
2007年01月15日
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今年も断食聖会が新宿でもたれて、行ってきました。目が少し悪いので、はじめは一日とか、一日一食はいただくとかしていましたが、思い切って3年くらい前から全期間させていただきました。少しは目が見えにくくなったりしますが、一時的で、守られたのでしています。やっぱり一生懸命いのると神様がお働きくださって、一昨年は13名の受洗者が与えられました。何よりうれしいのは、一人でしているのと違って、その間メッセージがあり、讃美があり、祈りがありで、充実してその時が過ごせる事です。今年は「青年に夢を、団塊の世代に幻を」がタイトルで、多くの示唆をいただきました。団塊の世代とは正に私の事。神様に何を期待されているのか解ったきがします。「団塊世代これからでーす エイエイオー」と掛け声かけたい気分。この指とまれ!
2007年01月12日
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明けましておめでとうございます。 今年もよろしくおねがいします。 「頭なるキリストにしっかり付く」31日のメッセージでコロサイ1:16以下をとりつがしていただきました。主にいつもアクセスして歩みたいと願います。 昨日から新年聖会というのがあって、行っています。人生はマラソンですね。聖書フィリピの手紙からです。こけても、うずくまっても、そこに主がいて、「さあ走ろう」と手を伸ばして待っていてくださる。 聖会の中で、娘がユース讃美で出ました。マイクを下に持っているので、声があまり聞こえなくて、「マイク、マイク」と手で合図したのですが、後で「ボーカルの声が入りすぎるからちょっとマイク下げて」と練習で指導されてとのこと。それでもお世辞かもしれませんが、「こんどうちの教会に来てくださいよ」と言っていたかたがあったとか。
2007年01月03日
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昨日で、クリスマスの行事が全て終わりました。キャロリングは今年は10:30で終わるという教会の予定だしたが、皆を送り届けて帰ったら、12:30。「10:30に終わる訳ないよね。」と思いました。やっとお風呂に入って、バタンきゅー。前の日午前3:00就寝ということもあって、早天祈祷会に来た方に起こされました。申し訳ないことでした。しかし少しほっとしてブログ管理しているところです。大人と子どもの礼拝の中で、小学4年生の男の子が洗礼を受けてとっても神様の配慮を思いました。イブ礼拝も初めての方が「また来たい」といってくれて感謝。うす!と思っています。
2006年12月25日
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次聖日はクリスマス礼拝。今年は70にもうすぐなる男性と、小学校4年の男子が洗礼を受けます。齢の差を越えて、同じ誕生日で同期というのがいいですね。 先週土曜日に子どもクリスマス会をして、多くの初めての子どもと、大人が来てくれました。シティークリスマスに来られた聾唖の方がたも着てくれて、感激でした。 クリスマス礼拝の後は、祝会が計画されていて、壮年会や、青年会の劇や、ユースの手作り紙芝居とかお楽しみです。近所の方のためにも、祈ってきましたが、今のところ、2人来てくれることになっていて、もうひとり90歳超えた方も来れるように祈っているところです。 夜はイブ礼拝。あんまり特別なプログラムではありませんが、キャンドル礼拝をします。わたしがメッセージさせていただきます。一般のかたに福音が届くように祈っています。お祈り下さい。
2006年12月20日
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祈ってきたシティークリスマスが終わりました。上原令子さんの証しは初めて伺いましたが、不良少女だったそうです。でも主に救われて、輝いて落ち着いた素晴らしい方でした。増田先生のメッセージも素晴らしかったです。聖歌隊と聖書朗読(突然)をさせていただきました。主人が「風邪で、咳き込むといけないから変わって。」ということでしたが、声がうわずって、かえって主人が朗読したほうが、大丈夫だったかも。「晴れて暖かい日にしてください。」と祈ってきたことが良しとされて、久々すばらしいお天気の元、すばらしいクリスマスを迎えることができました。初めての方も多かったようです。手話も多くの聾唖のかたも着てくださって。やりがいがありました。お祈り感謝します!
2006年12月12日
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西日本は、雪マークが多くなり、東日本は、晴れマーク。これが毎年繰り替えされてきて、当たり前のように、過ごしてきましたが、それが崩れそうなこの地球。「黙示録の物を売ることも買うこともできなくなる。という内容が、このごろの住基ネットですかね?これをちゃんと説明して納得したら、クリスチャンになってもいい。」というおじさんが教会の前を通りました。性急に当てはめるのは、慎重でなければと思いますが、伝道が急がれるのは確かです。 いよいよ3日後にシティークリスマスが近づきました。祈ってきた方が導かれますように。増田先生が用いられますように。どうぞこのブログ見てくださる皆様、ぜひお出かけ下さい。聖歌隊の中にわたしがいます。ふふ。
2006年12月07日
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ああとうとう一ヶ月も空けてしまいました。 この間いろんなことがありました。教会員の召天、今年3回目がありました。召された兄弟は具合はあまりよくありませんでしたが、車椅子で散歩に行くように元気になっていたので、突然で、家族も看護士さんも3時の巡回には異常なし、5時の巡回で心肺停止状態だったという自然死だそうです。熱心な奥様で、「これからは教会の献身者のように集会に出席したりしたい」とおっしゃっています。でもきっと寂しくなられたことでしょう。教会が神の家族であることは、なぐさめです。今は北東京シティークリスマスに向けて一生懸命祈り、準備しています。求道者100が目標です。ご覧になった方、お勧めください。上原令子さんが讃美と証しに来てくださいます。乞う御加祷。
2006年12月01日
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先週の金曜日が、教会バザーでした。漬物やら、煮物やら、売る場所と食堂のセッティングやら、新会堂初めてのバザーで、てんやわんやのうちに、始まって終わりました。次の日は床をプロの掃除やさんに頼んであったので、何が何でも、荷物は整理する。ということで、倉庫を持っている教会員が、4トン車で持って行ってくれるように手配してくださいました。日曜日は聖徒の日、月曜から水曜日まで、『信徒教職ゼミ』というのが当教会でありました。木曜日は昼と夜、食事を共にするかたがあり、その日吐き気がして、金曜の昼やっとお腹に物が留まるようになりました。半徹祈祷会で1週間の感謝をしようとしたら、バザーから、まだ1週間しか経っていないと気がついて、びっくり。しかし半徹で、「リバイバルのために、主がなさせようとしている事は何でしょうか」と祈る兄弟の祈りに合わせながら、主の業が起こされるまで、「がんばるぞー」というきもちになりました。
2006年11月11日
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「僕は19才でイエス様を信じました。」「お前の顔は牧師になると似合う」との友達の言葉が気になっていました。教会に行って、何のために生きるのか、死んだら終わりならなぜ一生懸命生きるのか、の課題が答えを得て、命がけの仕事を見つけた」と特別講師の先生が語られました。牧師50年。喜んで伝え続けている姿に、涙が出そうな感動を覚えました。こちらが終わって、すぐ神戸で御用があると、発って行かれました。77才。だいぶ白くなった髪を見ながら、「僕ももうすぐ、神様が呼ばれたら行かなければです。30年ぐらいしたら。」とメッセージの中で語られたので、「先生又来て下さい。30年後。」といったら「あそう、30年。それぐらいがいいかな。」107才までがんばるつもりの先生。わたしも歳を数えてなどいられないと思いました。
2006年10月30日
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わたしの所属している教会は、ホーリネス信仰を掲げています。その同じ信仰を伝えようとしている者達が、毎年、講師を迎えて大会を開きます。今年も15-17日にかけてもたれました。ジム・ハリマン神学博士が来てくださいました。190センチ以上ある先生でした。学者肌というより、情熱的な、伝道者という感じでした。 思いが潔められたクリスチャンでも、意見が異なる場合がある。ハリマン先生のお父さんは宣教師でしたが、先輩の宣教師の意見を祈った上で優先させ、その後自分のビジョンに従って、教会を建てあげたということでした。一致を神さまが喜ばれるということを、伝えて下さいました。 ひとつのことを協力してしようとする時もそうですね。祈って、一致して、神様に喜んでいただける働きとされたらと願います。 今日も、国家朝餐祈祷会に行ってきました。韓国からも多くの祈り手が駆けつけてくださり、すごいものだと思います。たった2回の祈り会のために。日本と、アジア、世界の福音化のために祈りました。わたし達を兄弟の国と呼んでくださる韓国の兄姉の愛を感謝しました。
2006年10月20日
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このごろ更新が、一週間に一度になってしまいました。 7日の土曜日に、70歳になる姉妹が召されました。日曜夜前夜式、9日告別式でした。前夜式の説教をさせていただきました。彼女の何をお伝えしようか、と祈って示されたのが、タイトルの言葉です。彼女は20年前に救われましたが、その前に、夫が救われました。そして「おまえと一緒に天国に行きたいんだよ」と手をとって祈ったこと、多くの祈りが積まれて救いに預かりました。救われて祈祷会、礼拝を欠かさず、その時の証しの言葉の中に、タイトルの言葉がありました。死んだら天国に行った。と人は言いますが、何の保障からそう言っているのでしょう。しかし生きているうちに、「天国以上」の喜びに生かされているなら、そして死に臨んではっきりと「感謝です。」の言葉を残された。残されたご主人も愚痴のような事は一言も無く、「感謝します」とご挨拶されました。「あなたがたの間にある」といわれている天国を今から証しし続けたく願います。
2006年10月10日
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来週からいよいよ教会の特別メニューの礼拝が4週続きます。音楽が特別。メッセンジャーは2週は自前ですが、あと2週と28日(土)は招待メッセンジャー。久しぶりに28,29日は滝元明師が来てくださいます。先週は一斉チラシ配りをしました。思ったより多く、5000部も配られました。「チラシから来る人は少ないんですよね、1万配って、ひとりとかね。」なんて言っていたのです。でも一ヶ月以上前から、メッセンジャーのため。音楽奉仕者のため。チラシが用いられるため。等祈ってきました。すると、もう昨日の礼拝に、しばらく来なかった求道者がチラシが配られたと、浮間地区という少しはなれたところにもかかわらず、礼拝に見えました。電話で、土曜のチャペルコンサートに行きます。とわざわざ電話してきた方がありました。やっぱり祈りがあってチラシも用いられたと感じます。はがきも、電話も、メールもまず祈って主の業を証ししたいと思っています。ブログ仲間の皆様もぜひおいのりください。
2006年10月02日
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25日は首都圏キリスト教大会の報告記録のような本が出版され、感謝会がありました。クリストファー・サン先生も来られて、よき時でした。特に70代80代の先生方、兄弟姉妹が伝道の意気盛んなのには、教えられ、伝道を面倒がってはいけないな。と思わされます。サン先生も日本への伝道を使命をもって臨んでおられて、敬服でした。ちなみに昨日の祈祷会は、ヨシュア記18:1-10を取り次がせていただきましたが、すでに与えられている地を取りに行け、調べよ。と言われていることを聞きました。立ち上がることが求められている。祈って示された方法を行動していきたく思います。行動する力も神様に求めて。 その日はその感謝会の前に、いーすたーの集いの委員会もあったのです。なぜか姫○先生から出席するようにメールが入って、いぶかりながら出席したら、実行委員に名が入っていて、エーという感じでしたが、こんなものでも用いるといってくださるの断ってはいけないかなと祈祷委員にさせていただきました。あとは主の導きのままに。
2006年09月28日
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チャペルコンサートは115-120名くらいが来られました。ピアノ演奏が目的の方も多くいらしたと思います。しかし満足を求めてきたとしたら、ホームレスになり、どん底で、死にたいが、死ぬ勇気もなく、生きていても、社会の外にいて、何をする必要も無いというか、必要とされていないというころから、今生かされて、その命を証言された事に、インパクトを受けられたと思います。神学生の「お父さんの愛を感じられなかった、しかし主を知った時、父と僕は違わない、許された者ということが解って、父を許す事ができました。」との証言も聞かれた皆さんの心に、残ったことを信じます。「テープありますか?あの人に聞かせたいので」という声がそのことを証明しています。後は聖霊様のお働きに期待して、祈っていこうと思っています。
2006年09月19日
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来週、教会でチャペルコンサートがあります。そこで弾かれる曲は、多くは一般の曲です。そこで、芸術とは人間にとってどのような位置を占めているのか?と考えさせられました。衣食が足りないときは、芸術どころではありません。しかし衣食が足りたとき、人はそれでは満足できないもので、魂の渇きを満たすもの、心を表すものを求め、それが、芸術となるのではないか?と考えました。美しいものを表現する。自分の内にあるものを表現する。 ところで、先週、讃美歌、聖歌物語という書を書かれた、大塚野百合先生の講演を聴きましたが、讃美歌の背後には、それが作られれた、現実の経験があり、それが、与えられた表現力で、現されたものだと知りました。そして、それを歌うものも、その経験に同意し、心から表現する。命を見出した喜び。わたしも創る賜物は無いけど、せめて心は一緒で、そのことを伝えたいたいとおもいます。
2006年09月14日
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2学期が始まる前に、神学校では、公開講座をします。今年は讃美歌、聖歌物語の作者、大塚野百合先生が講師でした。一生涯で6000-9000の讃美歌を作ったといわれる、ファニー・J・クロスビーは、自分の讃美歌を通して、100万人が救いに導かれるように。と願っていたということを知りました。なんと大きな希望でしょう。いつも思うことですが、讃美歌って同じメッセージを繰り返し繰り返し歌っても飽きないし、その信仰の高さに励まされます。それが背後に確かな信仰に至るできごとがあったということを改めて知って、なるほど!と合点しました。創る才能は与えられていないので、せめて讃美するときは、同じ信仰のレベルで歌うようにし、聞くものが、救われるために用いられたらと願います。 イエスはなれを呼びたもう、いともの静かに、愛の神のもとよりなどて去りしと 帰れや 帰れや 帰れやと主は今呼びたもう 聖歌404
2006年09月07日
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9月最初の聖日を、教会では振起日といいます。東京では、震災訓練をしますが、(現に昨日はスピーカーから、「訓練、訓練、ただいま地震が発生しました」とつげていました)それとは逆の、振るい起きるという意味です。サンデースクールでは、分級の時間を、30分くらいの、DVDを見ました。特にお知らせもつくらなかったのに、夏の間、子供が5-8人くらいだった礼拝が21人来る事ができました。「お知らせする時間が取れませんでした、どうぞ子供達が立ち上がってくることができますように」と祈るばかりでした。『御言葉は永遠に変わらず、なくならない』がメッセージの中心でした。不安の世相の中で、子供達が今からこの守りをいただいて欲しいと切に祈っています。
2006年09月04日
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昨夜12時ころ韓国から帰りました。インチョン空港は広々していて、韓国の玄関として、輝く存在だと思いました。世界中どこも同じになってきているのかもしれませんが、レストランや売店が並び、日本にいるのと変わらない。ちょっとつまらなくも思います。 そんなことはおまけです。「心の友国際大会」「日韓の歴史を覚えて」の大会は「兄弟げんかのようなものですよ、それをしながら大きくなっていくんです」とクリスチャンのガイドさんが言っておられました。韓国人のクリスチャンのガイドさんの日本人の観光客にどう言ったらいいかと、祈りつつ信仰によってこう言うように導かれたのでしょう。でもパコダ公園で、吉田牧師がレリーフを前に、歴史を語ってくれましたが、それをガイドさんも聞きながら、「ありがとうございました」と吉田先生に言っておられました。気が重いその時間でしたが、「避けて通ってはいけない。」と参加しました。民族を否定し、意志を無視した植民地支配は確かに罪でありました。この罪を是正しようと、立ち上がったのが、クリスチャンたちで、(違う立場の方々も参加しましたが、主導)その信仰の歴史が今の教会の母体になっています。 しかし二日目のキムジュンゴン師の講演では、「今韓国の教会は下り始めていて、これは、教会が、宣教のために捧げられたものを、教会の設備などにつかって、自己のために。となった結果である。どうぞ韓国のために祈ってください」と語られた。これも衝撃でした。 にもかかわらず、成長期の教会(500名くらい)の信徒さんと同じ分団になり、「チームで、伝道を計画し、私達のチームは、8人?讃美し、後の2人?が教会案内や、あなたは愛されています。というパンフレットを地下鉄の入り口で毎週配っている。他のグループは施設に慰問伝道とか、それぞれ伝道計画を立て、伝道師を中心にしている。毎週10人のグループのなかの一人が、昼食を作ってきて、それを皆で出し合い、全員でいただいて、午後の集まり。夜のために、いくつかのグループが当番で、食事をつくり、(自分からやりますという方々で構成されているそうです)夕食もいただいて、夜の集会で解散。新来会者はプレゼントや写真を一緒にとって貼り出す。ひとりがお友達になる。家でも時間があれば祈っている」その方は、お嫁に来た家が、クリスチャンで、教会に導かれたそうです。そう聞くと、一人ひとりの信仰に導かれる道は、大きな教会でも、小さな教会でも変わりなく、その後も、ひとりが生かされるために、教会は生きて働くものである。と改めて、ビジョンも与えられて、「うす!」と立ち上がってまいりました。もちろんその他の集会もすばらしかったです。特に証に、生きて働かれた主の業を拝し、励まされました。この原則が、主に祈りつつどこにも適用されて、日本にリバイバルを!
2006年08月31日
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土曜日19日に、敬愛するN姉が召されました。3歳で母を、13歳で父を亡くし、病気の姉と、「わずかな蓄えがなくなったら、ふたりで死のうね」と暮らしていたところに、韓国からきた、(日本人ですが)伝道者に導かれて入信。姉が死んだ後、13歳で渡韓。結婚し盲人の御主人を支え続けました。幼い次男を交通事故で亡くし、次女の股関節脱臼、子供のご主人の早世。子供の脳梗塞。83歳までさまざまな事がありました。しかしその中で、周りの人々を愛し、神学生が、よくおせわになりました。そのひとりが、我が主人でもあります。週報を週末に配る牧会を前任者から委託されて。最後の家が、N姉の家でした。お茶をいただいて、楽しい昔話を御主人から聞いて。夜遅くなったこともしばしばだったようです。牧会29年になりますが、母のように心配りをいただきました。一線を退き、ご主人も先に送られた立場で、あまり連絡もしなかったというのに、150名以上の方がお葬儀に見えました。「家族と同じにお世話になった」と。その走るべき行程を走り終えたとはこのことでしょう。ご苦労様。「拍手を贈ります。」と弔辞を述べた方のことばです。
2006年08月25日
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京都に遣わされた長男が3日間のおやすみをいただいて帰ったので、1泊2日の旅行に行ってきました。台風が来るという予報があったのですが、主が良しとされたら天気も支えられるということで、焼肉セットを積んで、出かけました。(もし大雨だったらどうなったでしょうね。実際、朝はざーと雨が降って、荒れ模様でもありました)大月あたりで12時になったので、インターを降り相模川岸で、広げました。厚い雲に覆われて、丁度暑さからも守られ、雨も降らず、炭の熱も丁度で、いい焼き具合でした。「この肉おいしい。」「○○店の冷凍食品で、安いんだよ。」と次女がばらせば「いいな僕買って帰ろうかな」(どうやって京都まで持って帰るつもり?)丸かじりトマト、5分の1メロンをたいらげて、手早く片して出発。子供たちが大きくなったなと実感。駒ヶ根ロープエイに乗れたら子供たちに高山植物や空気を味あわせたいと思いましたが、間に合わなくて、谷川で遊んで、途中にあった村営野天風呂に入り、辰野の旅館に行きました。お祈りして安い旅館が見つかったのですが、それで夕食朝食付きということで、「ご飯と味噌汁とお漬物ぐらいなんじゃない?」「カツぐらいは付くと思うよ」予想に反しておいしいお刺身、天麩羅、茶碗蒸し、冬瓜の煮物、その他ごちそうでした。丁度諏訪の花火大会の日で、全部テレビで見せていただきました。すごい!ここまで技術と美観が一致できるのか。「花火って一番の贅沢だねー。一瞬にして、何百万が消えるんだからねー」「お母さんその言葉何度も言ってるよ」 朝早く、早天祈祷会してる教会ないか、と主人と歩き回って教会は見つけましたが、やってないようでした。「帰るだけじゃつまらない。新婚旅行で泊まった○○旅館に寄って行きたい。」「2時の祈祷会までに帰れますように」祈ってでかけました。実は10年目にも子供たちと「大人2人子供1人」と申込んで、2歳と4歳のこどもはおまけで泊まりました。そおとき撮った玄関前の狸の置物が「あったあったこれだ。」「我が家の原点がここだからね。」そーと記念写真を撮って、緑を満喫しながら帰りました。祈ったとおり、1時30帰宅。祈祷会に出席した長男の証し「東京は忙しい。京都はゆったり時間が流れます」。
2006年08月17日
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「おどろくばかりの恵みなりきー のアメージングググレイスの讃美は、『おどーろくーばかーりのー』と調子がはずれるようになるのが、本当にその恵みに触れたものの表現になるでしょう。」とは昨日まで当教会に来てくださった、聖会講師の先生のお言葉。 日本の救いのために、一日で3000人救われたという使徒言行録にある記事は女性、子供を含めたら、13000人ほどになったであろう。神様が働かれるとき、そのようなことも可能とも語られ、「アーメン」でした。しかし、今ここで何をすべきか? 開拓20年ぐらいの教会が最初の10年、愛し、受け入れる教会。をモットーにこの世であまり尊重されないような方々も受け入れ、次の10年は弟子となる器を育て、今伝道する教会ということで、伝道会に、クリスチャン100名、求道者100名の伝道会を開き、その内の60人が洗礼を受けたということでした。賜物もありましょうが、主に問いつつ、ビジョンを兄弟姉妹と共有して、主の業を拝させて頂きたいと切に願わされました。全日本、全世界にこのような業を!
2006年08月14日
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ブログ開いたら、お友達紹介されました。でも、入ったか心配です。今日は主人の中学時代の音楽の先生が、尋ねてきてくれました。担任でもなかったというのに。今でも人なつこく、気さくで、飾らないので、多くの人から慕われる主人ですが、成績も良かったらしく、H君の学年は優秀だった。と何度が言われました。ノンクリスチャンですが、お話は意気投合することばかり。「音楽の授業しないで、説教していた」今定年退職しましたが、講師で働いていて、若い教師に説教しているそうです。主人とあまり年が違わなく見えました。「染めてる」って慰めてくださいましたが。
2006年08月10日
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これからブログをはじめます。実はもう2日前から娘に作ってもらったのですが、書き込みの仕方が解らなくて、もし見に来てくださった方で、記事なしであった。という方がありましたら、失礼しました。生活の中で、こころに感じた事など書き込んで、お分かちできたらと願っています。祈りの友もできたら嬉しいです。愛する祖国日本の同胞のために。
2006年08月08日
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