仙台市のワクワク系住宅専門店経営者の「でいりーれぽーと」

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[一級建築士合格]



少しだけ早いクリスマスプレゼントであった。
12月20日、1級建築士合格発表日。
10時からネット上で公表される。
9時40分頃、JAEICのホームページへアクセスしようとしたが、サーバー停止中と表示される。
10時を廻ってからアクセスする。
重くて戻ってこない。
アクセスが集中しているからと思うが、
ブラウザソフトのサファリが重いために、
表示されにくいのかと考え、
ブラウザをFIREFOXへ変えてみた。
すんなりとアクセスできた。

合格者一覧より宮城県を選択してPDFファイルを開く。
開き上がる瞬間、緊張感が高まる。

開いた時に番号だけでなく、名前も公表されていることに驚く。
自分の名前を探す。
中々見つからない、
後ろの方にやっとあった。

ホッとした。

合格したことを電話やメールなどで、家族、社員、友達に知らせる。
沢山の
『おめでとうという』
というお祝いの言葉をもらった。

みんなからのお祝いの言葉がうれしかった。

一級建築士を目指してから、長い道のりであった。
合格してみれば、
それだけの能力があったと確信するが、
勉強期間中はそんな風ではなかった。

学科の勉強中、
勉強すること自体は出来ても、
覚えること、
思うように記憶できないこと、
忘れてしまうこと、
意味を理解できないことに出くわすと
自信を失い掛ける事が度々あった。

勉強する範囲が広いため、
一部分を覚えたと思って、
他の事を勉強し1ヶ月経ってから、
見直してみると、
忘れてしまっていることが多く、
自分には無理かも・・・
と思ったこともあった。

家族には大変迷惑をかけた。
ゴールデンウィーク、
お盆休み、
正月休みをほとんど犠牲にして勉強に費やした。
子供達にしてみれば、
納得いかないことであったと思う。

[夢を実現させる]

初め一級建築士になることは、
何となく資格が欲しい的なレベルであったと思う。
しかし、40歳になってからの取り組みはそうではない。
一級建築士だからハク(なってみるとそんなものは無いことが分かった)
がつくなどの思いが全く無かったかと言えばうそとなるが、
そのような気持ちだけで取れる資格ではない。

[一級建築士になりたい]

建築に対する思いが、そうさせた。

住宅に関する仕事を20年近くもしてきた。
特に、この10年間は
『住宅リフォームはサービス業だ!』
と言い切って経営してきた。

そのこと自体は間違っていないと思うのだが、
この数年間何かが違うと感じるようになっていた。

サービス業として進むうちに、
その中で失ってはならない
建設業本来の技術力がぼやけ、
若しくは少しずつ欠落しつつあるように思えた。

[現場に興味の無い社員がいた]

お客様にご満足していただくことは、
お客様が喜んで下されば良いという解釈になっていた。

確かに、お客様に喜んでいただくのは大切な事なのだが、
そこには間違いない仕事をしてくれているだろうという、
お客様の期待感、信頼感があってのことであって、
そこに対する裏付けは必要不可欠なものであると思う。

しかし、お客様満足にフォーカスしすぎた事による
弊害として、ものつくりに対する意識が薄れつつあったのだと思う。

自分が蒔いた種であった。

[原点へ戻る]

子供の頃、工作が大好きだった。
NHK番組でやっていた、
”できるかな”(番組名は違うかも?)の
のっぽさん
に憧れていた。

プラモデルは当たり前、
割り箸を使ってゴム鉄砲、
立体凧を作ったり、
まっち棒で家を作ったり、
とにかく、何かを作るのが好きだった。

[ものつくり]

この会社に入って、
初めは現場での手元だった。
梅雨の雨の中、カッパを着て穴を掘った。
夏の暑い中、床下に潜って配管の保温巻きをした。
冬の寒い中、雪かきをしてから穴掘り、
かちんかちんに氷った地面をピックで砕いて穴を掘った。

いつも単調な仕事ばかりで
つまらなかった。

配管工の資格を取得してからは、
自分でも配管をしたり、
器具をつけたり出来るようになった。

工具をそろえ、修理の依頼が入ると自分で行って対応もするようになった。
バックホーも運転が出来るようになった。
穴を掘ったり、
ダンプへ載せて運搬もした。

社会人3年目には大概の事が出来るようになっていた。

何かを作るのは楽しかった。

それらの想いが一級建築士になるという意欲の
源泉であった。

[道が開ける]

建築士の勉強を通じて、
かなり自分を追い込んだ。

先輩に
『うつなんじゃないか』
と言われたりもした。

ダイエットも勉強と平行してやっていたため、
急激にやせたため、
そう思われるのは当たり前だと思った。

そこまで追い込んで、
見えてきたことは
建築が好きなんだということである。
ものづくりをして誰かに喜ばれるというのが好きなんだということである。

40歳を過ぎて、
やっとやりたいことが見つかったのかも知れない。

追い込み、
自分自身を疑う自分と向き合い、
自分に自信を持てるようになった。

そして、もっともっと勉強したい、
何かの役に立ちたいと思うようになった。

40歳という節目に、
一級建築士を取得することにチャレンジし、
目標を果たすまでのプロセスで、
大きな人生経験をすることができた。

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