同僚のQ君のリクエストで、懐かしいコミック系の曲を。
よく放送禁止にならなかったものだ。
調べてみると75年発売とある。
僕の大学1年のことだ。
高校の部活仲間と歌った思い出があるが、OBとして合宿に行っていた頃だろう。
当時「キンタ」というあだなの、後輩の女子がいて、いっしょに歌っていた記憶がある。
今ならさしずめセクハラなどど糾弾されるだろうが、みんなでけらけら笑っていた。
のどかな青春時代であった。
あれから36年。
世間の荒波に、僕らはそれぞれ漕ぎ出した行った。
あの頃の僕の悩みは、どんなものだっただろうか。
36年後の自分の姿など、微塵も想像していなかった。
当時憧れていた五木寛之や笹沢佐保、小松左京など流行作家もまだ40代、「中年御三家」と呼ばれた永六輔、野坂昭如、小沢昭一も40代、その辺が将来の限界の姿である。
50歳以後の人生は存在しなかった。
40代の自分が人生のゴールと思っていた。
戦前の人間は、敗戦に萎縮してしまったため、あの頃は表に出てこなくなっていたのかもしれない。
世の中は、戦中戦後(安保)世代が牽引して行った。
僕らの世代は、その後を子犬のように追っかけていくだけだった。
「もはや戦後ではない」と言われ、高度成長が始まり、日本は復興を果たした。
日本人の平均寿命はどんどん伸びて行き、人生も長くなった。
50歳以後の人生が、突然現れた。
年金のことなど、考えていなかったもんなあ。
あれから36年が過ぎ、これから30年以上を送ることになる。
30年後の自分は、今の僕に何を言うだろうか。
ちなみに、特別養老院に入居した義父は、30歳年長である。
自分の30年後はこうなのかと、寝たきりの姿を見舞って暗澹とする。
さしずめこうならないための、心身の鍛え方が今の緊急課題である。
数年前、キンタ嬢に部活の同窓会で再会したが、全く変わりなく可愛いオバサンになっていた。
30年後もみんな元気でいたらいいなあ。
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