《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2014年04月15日
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カテゴリ: 幸せ読書日記

http://youtu.be/FHRaZtTBftE

新美南吉は代表作『ごん狐』で知られている、児童雑誌「赤い鳥」出身の童話作家です。

地方で教師をしながら童話を書き、若くして亡くなった(結核により、享年29歳)という生涯の共通性で、宮沢賢治と並んで語られます。

しかし、賢治のような宇宙哲学的作風ではなく、人間生活に基づいたせつない話が多いようです。

名作と呼ばれる童話には、子供の時に読んだ初めての感動と、大人になってから知る裏のテーマの深さに価値が隠されていることが多いものです。

読んだものがどう受け取るかは、資質や成熟度によって変わりますので、子供の頃に何を読んで感銘を受けたかにより、その人の本当の姿がうかがい知れたりするわけです。

僕が新美南吉の童話『でんでんむしのかなしみ』を知ったのは、美智子皇后様の講演でした。

1998年の「第26回国際図書評議会(IBBY)」ニューデリー大会の基調講演です。

その時の模様が、ご結婚50周年のTV番組で紹介され、「子供時代の読書の思い出」として他の作品とともに語られていました。


 まだ小さな子供であった時に、一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことが
ありました。不確かな記憶ですので、今、恐らくはそのお話の元はこれではないか
と思われる、新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」にそってお話いたします。その
でんでん虫は、ある日突然、自分の背中の殻に、かなしみが一杯つまっていること
に気付き、友達を訪ね、もう生きていけないのではないか、と自分の背負っている
不幸を話します。友達のでんでん虫は、それはあなただけではない、私の背中の殻
にも、かなしみは一杯つまっている、と答えます。小さなでんでん虫は、別の友達、
又別の友達と訪ねて行き、同じことを話すのですが、どの友達からも返って来る答
は同じでした。そして、でんでん虫はやっと、かなしみは誰でも持っているのだ、
ということに気付きます。自分だけではないのだ。私は、私のかなしみをこらえて
いかなければならない。この話は、このでんでん虫が、もうなげくのをやめたとこ
ろで終っています。

 あの頃、私は幾つくらいだったのでしょう。母や、母の父である祖父、叔父や叔
母たちが本を読んだりお話をしてくれたのは、私が小学校の2年くらいまででした
から、4才から7才くらいまでの問であったと思います。その頃、私はまだ大きな
悲しみというものを知りませんでした。だからでしょう。最後になげくのをやめた、
と知った時、簡単にああよかった、と思いました。それだけのことで、特にこのこ
とにつき、じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。

 しかし、この話は、その後何度となく、思いがけない時に私の記憶に甦って来ま
した。殻一杯になる程の悲しみということと、ある日突然そのことに気付き、もう
生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが、私の記憶に刻みこまれていたので
しょう。少し大きくなると、はじめてきいた時のように、「ああよかった」だけで
は済まされなくなりました。生きていくということは、楽なことではないのだとい
う、何とはない不安を感じることもありました。それでも、私は、この話が決して
嫌いではありませんでした。



 ご存知のように美智子皇后様は、「日清製粉」御曹司・正田栄三郎を父に持つ、超セレブお嬢様でした。

聖心女学院を首席で卒業、スポーツ万能、ピアノ、華道、料理にも優れた才媛でありました。

大学を卒業した23歳の夏、軽井沢のテニス大会で皇太子明仁親王と運命的な出会いを得て、皇太子様の猛烈なアプローチを受けご結婚へと導かれます。

しかし、いくら超セレブといっても所詮平民。

平民が天皇家へ嫁ぐには様々な障害があり、並々ならぬ覚悟が必要でした。

案の定、皇室内部からすさまじい嫌がらせを受け、美智子様の胸はかなしみでいっぱいになるのです。

ご長女の紀宮さまが、嫁がれる前の記者会見でこんなお言葉を述べられました。

「私が日ごろからとても強く感じているのは、皇后様の人に対する根本的な信頼感と、他者を理解しようと思うお心です。皇后様が経てこられた道には沢山の悲しみがあり、そうした多くは、誰に頼ることなくご自身で癒やされるしかないものもあったと思いますし、口にはされませんが、未だに癒えない痛みももっておられるのではないかと感じられることもあります」

皇族・華族の嫌がらせもすさまじかったようですが、下々のマスコミも美智子さまが反論なさらないことをいいことに、根も葉もない中傷記事でバッシングする時期がありました。

それ以前から、第2子流産や、子宮筋腫の手術など、ご本人の不幸までも攻撃のネタに使われるなど、悪辣な記事は容赦なく、皇后さまの心痛まされる日々が続いていました。

ついに59歳のお誕生日に倒れ(平成5年)、「失語症」に陥るまで精神的苦痛に悩まされるのでした。

回復した翌年、「どの批判も、自分を省みるよすがとしていますが、事実でない報道がまかり通る社会になって欲しくありません」とのコメントを発表されました。

美智子様は深く悲しみ、殻の中はいっぱいの”かなしみ”が詰まっていたでしょう。

それは人とは比べられないほどだったはずです。

しかし、そこから何かを悟り、立直っていきました。

回復時の第一声は「もう大丈夫、私はピュリファイされました」でした。

”ピュリファイ”とは、”浄化”という意味で、心から怒りや憎しみを洗い流しきれいにすることです。

そこに至るまでの道のりは、子供のころに読んだ本によって作られた、心の基盤が支えていたに違いありません。

IBBYの講演はその5年後ですので、苦痛は乗り越え、病は癒えたかのように見えます。

今振り返って、私にとり、子供時代の読書とは何だったのでしょう。

 何よりも、それは私に楽しみを与えてくれました。そして、その後に来る、青年
期の読書のための基礎を作ってくれました。

 それはある時には私に根っこを与え、ある時には翼をくれました。この根っこと
翼は、私が外に、内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、
大きな助けとなってくれました。

 読書は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました。本の中
には、さまざまな悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほどに深くも
のを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによっ
てでした。

 自分とは比較にならぬ多くの苦しみ、悲しみを経ている子供達の存在を思います
と、私は、自分の恵まれ、保護されていた子供時代に、なお悲しみはあったという
ことを控えるべきかもしれません。しかしどのような生にも悲しみはあり、一人一
人の子供の涙には、それなりの重さがあります。私が、自分の小さな悲しみの中で、
本の中に喜びを見出せたことは恩恵でした。本の中で人生の悲しみを知ることは、
自分の人生に幾ばくかの厚みを加え、他者への思いを深めますが、本の中で、過去
現在の作家の創作の源となった喜びに触れることは、読む者に生きる喜びを与え、
失意の時に生きようとする希望を取り戻させ、再び飛翔する翼をととのえさせます。
悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには、悲しみに耐える心が養われると
共に、喜びを敏感に感じとる心、又、喜びに向かって延びようとする心が養われる
ことが大切だと思います。

 そして最後にもう一つ、本への感謝をこめてつけ加えます。読書は、人生の全て
が、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きて
いかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係に
おいても。


でんでん虫が友達を訪ねて行ったように、読書は人生の疑問に答えを出してくれます。

それは直接的な答えではなく、間接的な比喩であるかもしれません。

読む者が、成長をして経験を積むと見えてくる世界であるのかもしれません。

答えは急がなくとも、いずれ心の中に芽生えてくるものなのです。






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最終更新日  2014年04月20日 09時37分29秒
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