アンティークな琥珀堂

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お茶の歴史2、信長、闘茶



<続き> 大航海時代の突風が、吹き荒れる中、”巧妙が辻”でも、織田信長の快進撃が続いていますね。

天下は、目前。

主だった武将は、光秀以外、それぞれ最後の戦いに出陣しています。

「オレの野望も、遂に、叶うのだ。にんまり。」
と、信長は、満足そうです。

【PS】信長の野望・烈風伝 with パワーアップキット  【PS】信長の野望・烈風伝 with パワーアップキット 

「よし、オレの力がどれほどのものか、見せてやろう。」
と、本能寺で、茶会をすることにしました。

ただの茶会ではありません。

「本能寺名物開き」と呼ばれる名物披露の茶会なのです。

そう、信長は、このために本能寺に行ったのでした。それまでに狩り集めた38種の名物を、わざわざ安土城から運んでね。

ドラマでも、先週、松永久秀に”ひら蜘蛛の釜”なるものを差し出せば、信長にとりなしましょうというシーンが出てきましたよね。

その”ひらぐもの釜”をはじめ、茶道具の逸品、いわゆる”名物”収集が、信長の趣味(?)だったんですって。
ただし、この釜は、ゲットできなかったけど。

オードトワレ 信長の夢 オードトワレ 信長の夢

なんたって信長は、怖ーい人ですから、「お前の持ってる***、なかなかいいじゃない?」

と、匂わせると、誰も逆らえず、「プレゼントさせていただきます。」となったらしい。

そうやって、信長は、どっさり、”名物”を集めたのです。

醴泉 大吟醸 蘭奢待 1800ml 醴泉 大吟醸 蘭奢待 1800ml

例えば、この”蘭奢待 ”。正倉院御物の香木ですが、香木って、焚くわけですから、使えばなくなってしまいますよね。しかし、焚かなければどんな香りなのかわからない訳で、使うこと自体、そりゃあもう、贅沢なのです。

その貴重な蘭奢待を切り取って、天下に信長の威光を示したりしたのだそうな。

実に、やなヤツであります。

拝啓 信長殿(はいけい のぶながどの) 拝啓 信長殿(はいけい のぶながどの)

ドラマで、どんなふうに、このお茶会のことが出てくるか、楽しみです。
もう、そろそろじゃないかなあ。
”本能寺の変”

それにしても、戦国武将とお茶の関係。
知っているようで知りません。

信長にとって、お茶は、どんな役割があったのか。そして、秀吉にとっても。
それを考えないと、利休さんのところまで行かれそうにありません。

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また、その名物とやらは、本能寺が火に包まれたとき、どうなったのでしょうか。

舘ひろしの織田信長って、案外はまり役?
かも。
最近、ちょっぴりファンにです。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。

織田信長とお茶の歴史



先週だったかしら、日本で一番人気のある歴史上の人物っていうのをやっていました。

3位は、誰だっけ?

2位は、坂本竜馬。

そして、1位は、織田信長でしたのよん。

ちょっと、意外だったけど、実は、信長は人気者だったのね。

歴史上、こんなに”性格が悪い”とか、”短気””意地悪””ケチ”などと言われながら、人気の高い人物はいないのではないでしょうか。

たいてい、実は、いい人だった。
など、今の日本は、いい人好きブームだと思っていたのですが、本当は、強烈なリーダーを求めているのかもしれませんね。

潜在意識で、ポスト小泉さんが誰か、心配してるのかも。

このワンマン織田信長が、名物といわれる茶道具を収集していたと、書きました。

どんな茶道具が名物といわれ、
なんでそんなに熱中したのか、というと、

そもそも茶道とは、何なのかって話になります。

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さて、”サントリーの伊右衛門”というお茶のコマーシャルをご覧になったことはありますか?

別に、たいしたコマーシャルではないのですが、

「日本にお茶を伝えた、栄西(ようさい、と呼んでいるみたい???)云々」

と、ナレーションが入ります。

思い起こせば、日本史の教科書に、臨済宗:栄西、っていう禅宗のお坊さんが出てきたんですが、覚えてる? 



彼は、 「茶は養生の仙薬なり…」ではじまる『喫茶養生記』を著し、お茶を日本に広めた人らしいですよ。

この本が出た?のが、1211年。

いい国作ろう鎌倉幕府:1192年ですから、まさに鎌倉時代の始まりのころですねえ。

『吾妻鏡』によると、歌人で夢想家の、3代将軍実朝が宿酔(二日酔い)のとき、

栄西禅師が、お茶と、この書を差し上げ、たちまち治癒されたと伝えられています。

で、一気にお茶が広まったらしい。

つまり、お茶は、平安貴族のものではなく、武士の文化として広まったんですね。

栄西は、禅宗のお坊さんでした。

禅宗は、厳しい修行が武士の気質に合っていたのか、鎌倉時代に大発展したわけで。

きびしい修行をすると、
とっても疲れちゃうわけで、

疲れると、眠くなる・・・・zzzzz


いかん、いかん、寝てはいけない。
お茶を飲んで目を覚まそう。

ごっくん。

おう、ちゃんとしてきた。

おうちゃんと、

お茶


と、なったのではないか。


実は、平安時代、お茶は伝わったことがあったんですって。
しかし、ちっとも普及しなかったらしいのです。

たぶん、ウーロン茶みたいなものでしたろう。
(憶測ですが、中国茶ということで)

これは、あんまり、カフェインの作用がないでしょ。

眠気覚ましこそ、禅の修業に必要だったので、緑茶が、それも、挽いて粉にして、カフェインの効用を余さずいただけるお抹茶が、日本では発達したのじゃなかろうか・・・

(勝手な憶測なので、違ってるかも。気にしないで下さい。)

で、武士の世界にお茶が浸透していきました。


すさましい勢いで。

どんなふうに?


ヒントは、飲む打つ買う。

・・・・・・・・・・・・・・

闘茶と武士

それは、やっぱり人間の本能に根ざしたものだったからからなのでしょうね。

1.飲む: お茶を飲む=美味しい

2.打つ: 闘茶

3.買う: お道具コレクション


1と2は、ともかく、この闘茶という言葉、ご存知ですか?

簡単にいうと、利き酒みたいな賭け事ですね。

今でも、 日本闘茶協会オフィシャルページ というものがあるそうです。

また、ニュースで、闘茶の様子を5月の始めに放送していました。
参加者は、お茶園の経営者などで、多分にお仕事のイメージでしたが。

以下、HPによると、

「闘茶」とは別名「茶歌舞伎・茶香服」とも言い、聞き酒と同様、茶の特質を判別し合う競技のこと。

最初は明恵上人から栄西禅師(1191)に伝承された茶を京都の栂ノ尾に植えてそこで採られた茶を本茶とし、その他の産地茶を非茶と言いこれらの飲み分けが「闘茶」として普及した。

全盛期は南北朝時代から室町初期の東山時代にかけてのことと言われている。




最古の茶園碑

明恵上人が栄西禅師からもらった茶の種はたった3粒。

そこから、少しずつ増えたんですって。



高山寺茶園


さて、この闘茶、

次第にエスカレートしていったのは、想像がつきます。

誰を呼ぼうか。

どこでやろうか。

どんなお茶碗を使おうか。


どの時代にも凝り性はいるもので、次第に競いあうようになります。


何を着て行こうか。

何を、飾ろうか。

・・・・・

宇治逸品銘茶 宇治逸品銘茶



置物を飾るなら、見栄えのいい飾り棚がほしい。

良い絵をかけるなら、床の間がほしい。


ほら、また、教科書で習ったことが出てきました。
銀閣寺の書院造。


それまでは、平安時代の住居様式、寝殿造りで、生活空間は、居室が中心でした。

しかし、室町時代、お茶会が盛んになって、客室や、書斎としての書院造とやらが、できましたよね。

床の間に掛け軸をかけ、違い棚に置物を置く。


いいものが欲しくなります。


「X X 殿は、さすがに目が肥えていらっしゃる。
これは、さぞかし、お高かったんでしょうねえ。」

「いや、ま、それほどでもオオ。」

と、コレクションの披露をしつつ、お茶の産地をあてたり、良し悪しをあてたり、

その、賭けの代価もエスカレートしていったのでした。


そして、お茶に現(うつつ)を抜かし、豪放大胆に明るい人生を送った人を、

”バサラ者”と、呼んだらしい。

”バサラ”といえば、水泳、踊り、???

バサラ神、なんていうのもいたような。

なんとなく、エキゾチックな呼び名ですよね。

よく知らないけど、こんなのもありました。

「コイ茶のお作法」 「コイ茶のお作法」

ボーイズラブ系の人気コミック・シリーズ『コイ茶のお作法』のドラマCDが登場。実力派の桜城ややがおくる、王道の学園ラブ・コメディのシリーズ1巻目をまとめた内容。ファン必聴だ。


曲目タイトル:
1. 茶道部入部
2. 厳しい特訓
3. 茶碗泥棒
4. 所詮は器
5. 隠し事
6. 闘茶
7. 据膳
8. 助っ人
9. 合格
10. 臆病な恋
11. ゴミ宣告
12. 心が欲しい
13. 不幸の遺伝子


参考:闘茶のやり方です。


■準備

●試料茶5種(または4種)
●急須(5個あればベスト、茶こしでも良い)
●茶碗(白色無地のものが良い)
●必要量のお湯を入れたポット
● 用水(不純物の少ない軟水に近い熱湯を使用し、臭いのきつい水道水の場合は、汲み置き水を十分沸かしてから用いる)

■競技の方法(フリースタイル)


5種1煎2席法とする。まず闘茶キットの5種類の茶を用意する。同一の条件(茶の量・湯の量と温度・煎じる時間)で浸出させたものを注ぎ分け、視臭味覚神経を駆使し、水色、香、味の特徴を吟味し前記5種類のうちいずれの茶であるかを判別し1煎ごとにのみ当てる。
1回目の投札が全員終了すればそれぞれの茶銘の発表があり、これと自分の投札順が総て合致すれば5点(皆点)獲得となる。1つ違えば当然もう一方も違うわけで、3得点となり、あと2点、1点、零点(チョット)の5段階の採点が生じる。2席法とはコレを2回繰り返し煎じ出すため、皆点を5点とすれば、合計10点満点がえられることになり、合計点数の多少で勝負が決まる。ただし2席目は5煎目を省きます。


■見分け方のコツ

一般家庭における玉露の飲用法は概ね微温湯で浸出時間も長くかけて味わうが、闘茶では煎茶も玉露も熱湯を用い同じ条件で煎じ出すことに注意しておかなければならない。

なお競技に入る全員に茶銘表に記された茶葉の展示が行われるが、拝見の際、外観(形状・色沢)の特徴を良く見て浸出状態を想定する。例えば上級品といわれるものは形が揃いよく締まったものであり、これに光沢が備わっていれば内質においても比較的無難なものが多く、すっきりした香味が感じられる。一方形状大きく締まりの悪いもの色沢の優れない茶葉は浸出液の色や香味にも欠陥が見られる。また、乾燥の過ぎたものは火香や水色に赤みを帯び、砕けた茶は水色が不透明となり味に苦渋味を感じることなどが推定される。

さらに官能的な識別で重要なのは水色は同じ光線のもとで観察し、香りは静香に持続性をもたせて嗅ぎ、味は舌の上で十分ころがすよう拡散させながらゆっくりと飲み干す方がよい。

得点力を左右するものには、その時の体調や周囲の雑言による迷いが影響することがある。特にカゼや消化器障害の場合は識別能力は著しく低下している。この時は直観力で補い、煎じ出された茶全部を飲み干さない方が良い。


下記で、体験も出来るらしいです。

闘茶体験、横濱茶館


今日は、まじめな歴史の勉強をしてしまいました。


・・・・・・・・・・・・・・


信長のバサラな心


さて、お茶が急速に広まって、世の中、バサラ者ばっかりになってしまいました。

贅沢な道具、

和食の発展、

賭け事の楽しみ、浪費、そして、退廃。

弱体な足利幕府は、再三、闘茶を禁止しますが、効果なし。

将軍より、闘茶の名人が威張っているような、乱れた世の中になりました。

そうです。

実力主義 = 下克上の世界感


闘茶の精神は、かなり、荒っぽかったというわけです。

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しかし、人間というのは、不思議な生き物で、
乱れを直そうとする白血球みたいな考え方が出てくるようです。

闘茶の、ギャンブル性を改め、禅の精神に基づいた、今に伝わる茶道の基礎が芽生えてきました。

娯楽性より、系統立てて、お茶を昇華しようとする人々が現れたって訳です。

千利休の先生たちです。

バサラな闘茶を一掃し、秩序を権威を回復しようとしました。

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そして、ばらばらだったお茶の道具を集めて、将軍様の書院造の、京都東山、銀閣寺のお蔵にしまったんですね。

奈良の、正倉院御物の向こうをはって、その名も、
東山御物。

だから、東山御物の内容は、お茶の道具です。

名品ばっか。

やっぱり、将軍様の持ち物が一番だ!!

と、武将たちは、羨ましがりました。
もう、バサラも闘茶も流行らなくなりました。


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その後、弱体な足利幕府は、少しずつお宝を放出します。
世は、下克上なのです。

それを、再度、集めようとした男がいた!!

ジャンジャン。

それは、もちろん、織田信長だった。

どこの国にも、三種の神器や、王の印鑑や、ロード・オブ・ザ・リング、みたいな権威の象徴は、つき物です。

で、信長は、東山御物の収集をして、自分の権威を高めようとした。
らしい。

これを、「茶の湯ご政道」と名付けた。

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信長が、茶道にどんな思いを抱いていたかわからないけれど、名品、いわゆる名物を上手に利用したのは確かだったようです。

「本当に、降伏するか。
本気なら、家宝の、**を差し出せ。」と、脅したり、

功労に対して、
「お前に、お茶会を開催する許可を与えよう。」
と、お茶会を許可制にして、序列を図ったり。

さらに、朝廷へのプレゼントにも有効活用したし、

野卑な自分の部下たちの、作法の特訓にも活用し、ボスの言うことを聞くようにしつけた。


信長の凄さは、ここにあるんじゃないか。


つまり、武力で天下統一を目指していることばかりが大河ドラマの主軸だか、

実際には、文化の面でも天下統一を図り、その手段に茶の湯がぴったりだと看破したんじゃないかしら。

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若い頃、信長は、尾張のうつけ者を装って周りの強国の目を欺いたんでしたよね。

それって、バサラの精神に通じるような気がしませんか?

あらゆる権威を否定し、破壊して、比叡山の焼き討ちを断行したり、既存の兵法を無視して、鉄砲による近代戦を実行したり、

その自由さは、バサラそのもののように思えます。
心密かに、オレは、天下のバサラ者だい!!と、昔のバサラに共感を抱くこともあったんじゃないかなあ。

ついでに、今日の「巧妙が辻」で、荒木村重がお城を見捨てて逃げちゃいましたよね。

残された家族や家臣は、ことごとく殺されました。
あの時、彼は、名物「荒木高麗」という茶碗をはじめ、ありったけを持って毛利に逃げ込んだのだそうです。

「荒木高麗」は、信長が欲しがっていたもので、持ち逃げに烈火のように怒ったのだそうな。

この茶碗は、その後、家康のものになり、今も現存しています。

ちょっと、見てみたいです。


なお、信長の名物収集については、ゲーム「信長の野望」に詳しく出てきます。

気が向いたらやってみましょう。



夕べは、”巧妙が辻”前半のクライマックス、「本能寺の変」でした。

エキセントリック・天魔信長も、遂に死んでしまいました。

例の、お茶会については、ドラマでは触れられず、最後に信長の所蔵であった青いお茶碗と香合だったかな?蛙の、
が、紹介されていました。

(参考までに、フリーページに「 お茶の歴史1 お茶の歴史2
 をどうぞ。)



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信長の生涯については、信長公記という記録書が残っているそうですし、宣教師のルイス・フロイスも詳しく記しています。

それによると、ドラマの信長とはかなりイメージが違って、中身痩躯、甲高い声で、発する言葉は、ひとことのみ。

有名なのは、

「デアルカ。」

相槌は、ほとんど全て、この一言だったようですね。

また、昨夜も出てきたこのセリフは、光秀の謀反を知った時のひとこと、

「是非におよばず。」

これがどういう意味か、短すぎてよくわからず、昔からいろいろ解釈されています。

彼は、頭の回転が早すぎて、言葉が追いつかなかったらしい。

実は、言葉の表現力が乏しかったのかもしれない。お勉強しないから。

まわりは、彼の省略された本意をいかに汲み取って合わせることができるか、
このスピードの勝負なわけで、
豊臣秀吉のように、要領がいいことが最も気に入られたポイント。

育ちがよく、おっとりしたタイプは、ついていけないんですね。たぶん。


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さらに、信長について、想像しましょう。

彼は若い頃、尾張のうつけ ”と、言われていたんですよね。

しかし、それは、仮の姿だった・・・・

周りの強国から自国を守るため、油断させようとして”うつけ ”の振りをしていたのだ。

さて、ホントかな。
曇りなき目で見てみよう。

私は、とりあえず、自分の息子を見てみます。
息子は、16歳、高校2年生。

信長は、この年頃に、父の後を継ぎました。

彼の日常は、

馬が大好きで、遊び仲間とつるんで遠乗りをしたり、

上半身裸でへんてこな派手な着物を着たり、

茶せんマゲという、変なマゲを好み、元結を真っ赤な絹で結んだり、

お城にいなさいと言われても、城下でたむろしたり、道端で物を食べたり、

おじいさん家老の言うことを聞かない。
勉強しない。
夜更かしする。

うーmm、これって、「理由なき反抗」のジェームス・ディーンと同じではありませんか?

うちの息子と、おんなじ。

試しに、「馬で遠乗り」を、「バイクでツーリング」に置き換えると、暴走族みたいなものでしょうか。
茶せんマゲは、リーゼントか????


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そして、次第に素行が修まった・・・

当たり前です。
信長だって、年を取ります。

しかし、昔、不良だった中年は、”ちょい悪中年”になりたがるものです。

新しいものも大好き。

南蛮渡来のマントや、洋服、ワインなんかも愛用しちゃう。
ブランド志向もあったのだ。

「余は、優等生は、嫌いなんじゃ。」と、

いつまでたっても、仲間意識が抜けない。
どんな権威も伝統も、うざったい。
尊敬しろ、なんて言う方が間が抜けた話で、ジャマなだけなのだ。

信長は、平然と足利幕府を滅ぼし、延暦寺焼き討ちなどしてしまうのだが、そこには、罪の意識とか、過去の権威への挑戦とか、そういう大義名分があったとは思えないんだけど。

もっと、幼い残酷さを感じます。

おとなになれない男として見れば、最低のお馬鹿だったかもね。

しかし、永遠の青春ヒーローでもあるね。
ちょっと、イケメンでもある。
かわいい男だったとも言える。


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新しいものが、なんでもカッコよく見えちゃうミーハーな信長は、当時、流行っていたものをいろいろ試してみた。

茶道、
能、
キリスト教、
鉄砲。

みーんな、最先端の文化だったのだ。

彼は、老人のいない、若者の国を作ろうとした。
老人は、みんな、リストラしてしまった。

戦国時代は、ひとりの若者によって、終わりを告げたのだった。

そして、信長は、どんな若者の国を作ろうとしたのだろうか。

それは、たぶん、

経済的に豊かな国だったんじゃないかしら。


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国というより、自分がお金儲けをすることに執念を燃やし、いろいろ試したんでしょうね。

自由経済都市、堺を掌握し、
南蛮貿易を推進し、
楽市楽座で、上納金を撤廃し、

とにかく、いろいろ、試しています。

戦は、部下に任せ、
自分は、名物茶道具やら、異国の宝物やらをコレクションし、儲けに走り、
いわゆる、勝ち組だったんでしょう。

しかし、時代が悪かった。
逮捕みたいな生ぬるいことでは収まらず、焼き討ちにされちゃったんですね。

言葉足らずで、いらいらしていた信長、彼が、長生きしたら、どんなことになっていたかしら。

着物の代わりに、洋服が一般的になったかもしれませんね。


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