アンティークな琥珀堂

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濃姫の誇り



信長の妻は、美濃の斉藤道三の娘、濃姫。

呼び名は、「帰蝶」。
綺麗な名前でしょ?

道三は、蝮と恐れられて、なんだか怒ったダルマみたいなイメージがありますが、娘に付けたこの名前からすると、教養もあり、繊細で、なにより、わが子を可愛がっていたように思えます。

一方、”濃姫”は、美濃から来た姫、という意味ですね。

さて、有名なふたりの会話:

道三は嫁ぐ愛娘に、
「三郎(信長)が、まこと評判通りのうつけであれば、この刀で刺せ」と短刀を贈った。

「承知いたしました。ですがこの刀は父上を刺す刃となるやも知れませぬ」…

濃姫孤愁 濃姫孤愁


いったい、誰がこの重大な密談を記録したのか、定かではありませんが、(笑)
とにかく、濃姫が、大変な覚悟を持って信長の元へ嫁いで来たことは確かでしょう。

この縁談、言いだしっぺは、信長の父、信秀だったようです。

彼は、尾張の虎と呼ばれ、自負心も向上心もあり、戦巧者だったけれども、蝮の道三には、どうしても勝てなかったんですって。

それで、戦うより、和睦を申し出たんです。
親戚になりましょうと。

しかし、図々しいでしょ。
負けてる方が、嫁(人質)を要求したんですね。

しかも、うつけと評判の三男坊に、お宅の、才色兼備で評判の一人娘をいただきたい、と言ったわけです。


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当然、道三は、信長のことを調べました。

「ほう、どうやら、うつけは、本当らしいなあ。
では、信秀が死んだら、尾張は戦わずして、美濃のものじゃ。」

どうも、うつけの方が、利用価値が高かったらしい。濃姫が殺しちゃってもいいし。というわけです。

では、信秀は、なんで、信長に濃姫を与えたのだろう。年頃ならば、他にも、息子はいたのです。
出来のいいのが。

しかし、信長を選んだ。

話は、ここから、ハーレクインロマンス風になりますが、

信秀は、男女の12人位ずつも持つ子沢山でした。その中で、目だって美しい子供が信長だったのでした。

信秀は、早死にしますが、本人は100まで生きて、天下を取ろうと思っているわけです。

別に、まだ息子に夢を託すような年ではありません。子供も、利用できれば利用しようと思っているのね。

そんな彼の目から見て、非常に端正な顔立ちの息子が生まれた時、その利用方法も考えたんじゃないでしょうか。

美しい娘は、もちろん財産だけど、美しい息子だって特殊な価値があるよね。


「信長なら、濃姫とかいう小賢しい娘が見ても、ひと目で気にいるだろう。よもや、殺されることはあるまい。」

当然、濃姫が刺客かもしれないという想定で嫁入りを待ち受けたのです。

実際には、濃姫の部下が刺客かもしれないというですけど。

12人も息子がいるなら、危険を冒してひとり殺してもなんの足しにもならないかもしれない。
ま、信長は、主役ですからね。

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濃姫は、信長を殺さなかったんですよね。結局。

二人は、仮面夫婦だと言われています。

信長には、男女を問わず、相手がたくさんいましたし、ふるさと美濃は、夫信長に滅ぼされてしまいます。

おんな三界に家なし。

彼女は、帰る実家がなくなってしまったのです。
姫として、嫁いで来たけれど、人質としての価値さえなくなってしまいました。

誇り高い濃姫は、この先何を支えに生きていくのだろうか。

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濃姫が亡くなったのはその光秀が倒れ、秀吉の天下が来て、その豊臣も敗れ
て徳川の世になった慶長17年(1612)7月9日です。本能寺の変の後、濃姫が
どこで何をしていたのかはよく分かりませんが、他の戦国の武家の女性同様
どこかの寺に身を寄せていたのでしょうか。享年78歳。









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