完璧を目指して実験を重ね、白い食器を作るのが難しかった当時にしては画期的な乳白色の「クリーム ウェア」を生み出します。この優雅なクリーム ウェアは時のシャーロット王妃を魅了し、1766年、シャーロット王妃より「Potter to Her Majesty(王室御用達の陶工)」と認められ、「クィーンズ ウェア」の名が与えられます。ジョサイアはこの時点で満足せず、さらに研究、実験を重ねました。
1759年、28歳のジョサイアは、アイビーハウス工場(Ivy House Works)を借り受け、独立。すなわち、これがウェッジウッド社の創立です。その後、工場をブリックハウス(Brick House)、自身で建設したエトルリア(Etruria)へと移しながら、ウェッジウッド社を不動のものとしていきます。特に、当時としては最大級の工場であったエトルリア工場では、合理化、規律、品質管理、専業化、従業員の福祉・健康管理など、革新的なシステムを導入していき、科学と美と事業を一体化し、「質の高さ」と「多くの人々の手に」という一見相反した理念を実現していきました。このジョサイアの精神こそ、現在のウェッジウッド社に流れている基本理念となっています。
この美しさに目を奪われた時の王妃シャーロットは、ティーセットやコーヒーセットをウェッジウッド社へ注文し、さらに1766年には「クリーム ウェア」に「クイーンズ ウェア」という特別な名称を与えました。その後「王妃御用達の陶工(Potter to Her Majesty)」の名声は世界中へと広がり、各国の王侯貴族からも注文が相次ぐこととなりました
転写技術は装飾陶芸の先駆的な新しい技法として、ジョン・サドラー&ガイ・グリーンによって1756年に開発され、のちにジョサイア・ウェッジウッド(ウェッジウッドの創始者)により採用されたものとして知られています。 1700年代、その頃の陶器の流行として、中国から輸入されたもの(現在、Flow Blue「フローブルー」と言う名で知られる)が代表的でしたが、価格的にとても高価で、贅沢品として扱われていました。価格のより安価な類似品が、その頃から、1800年前半にかけて、イギリスの焼き物町、スタッフォードシャー地方の100ほどある、焼き物工場で、数多くの転写技術を用いて、中国のデザインをまねたものが、製造されていたと言う記録が残っています。('Survey of the City of Worcester' published in 1764)