アンティークな琥珀堂

アンティークな琥珀堂

ヘレンド


1826年に、ハンガリーの首都ブダペストから遠くないヘレンド村に、ショプロン出身のヴィンツェンツ・シュティングル(Vinzenz Stingl, またはシュティングル・ヴィンツェ・フェレンツ Stingl Vince Ferenc)により創業。以前から焼き物の盛んだったこの地帯は、16世紀からマヨルカ陶器の産地としても知られているが、シュティングルの掘っ立て小屋の様な会社はそんな恐れ多いものとはほど遠かった。
掘っ立て小屋経営から抜け出したのは、1839年にタタ (Tata) 出身のフィッシェル・モーリツ(またはフィッシェル・モール、モーリッツ・フィッシャー, Moritz Fischer, Fischer Mor(ic))が経営の手綱を握ってから。そのころはマイセンや中国産(今で言う骨董品)の高級陶磁器の修復会社であった。ヘレンドの名声を世に知らしめたのは、サルディニアの王が中国から持ち帰った陶磁器の食器セットの内、破損してしまったものの複製をヘレンドへ持ち込んだ事件がきっかけとなったからだ。一年近く実験を繰り返し、フィッシャーは破損した食器の複製に成功した。しかし、心配性の彼は言うなれば「偽物」である自分の作品に自信がなかったので、王に彼自ら作品を見せたいと願い出た。トリノの城に着いたフィッシャーは、本物の中国製陶磁器をテーブルに並べ、自分の作品は棚にしまった。王や従者たちが部屋に入ると、早速「偽物」の批評が始まり、ここがいけない、あそこが違うと批判した。しかし、フィッシャーが真実を明かすと、一本取られた王は素直に受け入れ、王を騙せるほどの作品を作ったフィッシャーを賞賛した。
この逸話とヘレンドの名が広まるとともに、フィッシャーは新しく自社製品のデザインを次々に世に送り出した。1851年ロンドン博覧会ではヴィクトリア王妃がウィンザー城のためにヘレンドに注文を入れた。中国風の絵柄に蝶の舞うデザインは、一般にも販売され「クイーン・ヴィクトリア」シリーズとして大変流行した。それからというもの、ヨーロッパ貴族の間では、ヘレンドの作品はなくてはならないブランド必需品となった。
上記解説文は、「ワイン - Wikipedia -」 より引用しました。

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