SUB 幸せ探しの旅

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父母への手紙3(巣立ちへの想い)



先に話したように、私はとても感受性も強く、普通の人の目では見えない世界がある人間です。
家族からの愛情、期待・・・言葉にしなくても、当人に伝える気が無かった想いすら、拾い上げて、汲み取ってしまえる力があります。これは、どうしようもありません。
一例が、弟が生まれた時です。
あの幼かった頃の記憶はかなり失われているというのに・・・このことはよく覚えてます。
スイミングスクールに通いながら、お母さんのあの大きなおなかの中に、子供が居ること。弟か妹が居ること。
そして、もし、待望の男の子、弟だったら・・・
大きな大人たちから(誰だかは分からない)言われ続けていた
「本家のひらひらちゃん、ひらひらちゃんはお姉さんなんだか、頑張らなきゃいけない」
という想いから、解放される。
そして、それと同時に、今までの自分が崩れていくような不安を・・・特にあの頃の水への恐怖と重なって、強烈にインパクトつけられて残ってます。
最近、お母さんにその話を笑い話として話したら・・・誰もそんな風に、ひらひらにプレッシャーをかけた筈はないはずなんだけどね~と言いましたけど、
やはり、人一倍感受性の強い私のこと、何かを感じ取っていたのでしょうね。
そして、このことに深く自覚を持ったのが、神経症を患ったときです。
無意識のうちに刷り込まれていた、この「お姉ちゃんは出来なければいけない」という囚われ・・・
誰も悪くはないのだけど、やはり、今思うと、内孫筆頭で初めての子ということで、お父さん、お母さんの期待も大きかったのだと思います。
そのいい例が、私だけ1歳までの毎月のお誕生日会もあげられるほど・・・
私は、物質的に飢えたことがありませんでした。だけど、心はどこか歪み・・・易くなっていた根底がありましたね。誰も悪くないんだけど・・必然的に
病気になった頃、私は本当に完璧主義者でした、そして、その理由がカウンセリング治療を続ける上で分かってきて、
この「出来なければ許されない自分」という囚われだったのです。
悪いけれど、それは、特にお母さんの言葉に直結してきてしまい、それ故に、一時期お母さんにもカウンセリングを受けてもらっていました。専門用語では共依存と言われるもので、病的かどうかの判断は難しく、今は問う必要はないと思います。

私は今分かってます。
自分がいかに小さな存在かということを・・・何も出来なくて当たり前だということ。そして、小さな一歩一歩に喜びを感じることが出来、そして、人は決して一人では生きてないことも・・・
この小さな手でも誰かを支え、そして、それ故に多くの人に支えてもらえるのだと。
心に感謝を常において生きてます。
神経症を克服するということは、自分と向き合うことであり、いかに小さく愚かしく頼りない自分自身と向き合うことは、ものすごい恐怖でもあります。
だけど、あるがままの自分を受け入れたとき、そして、そのことを表現できるようになった時、人はやっと生きていけるのです。
今の私は、やっと歩き出したばかり・・・だけど、今度は確かな足取りです~
迷う時はあっても、必ず道はどこかに通じているのも知ってます。
あきらめる必要もなく、逆に夢を諦めなければ、必ず夢はかなうと思ってます。

私には、誰も悪くはないんだけど・・・私が求めていた目に見えないものを愛せる愛情ではない・・・家族の愛情が重たかった~
それこそ、その中の口にしない想い・・・心こそは誰にも見えませんけど、それを人一倍強く感じ取ってしまえる力があるがゆえに・・
小笠原時代に、初めて気がつきました。
この能力は、少し離れて暮らしてしまえば、見えないなりに程よく思いやることが出来、やっと家族とのいい距離が保てるのだということに。
だから、本当は小笠原から戻ったとき、彼と同棲できなくても、家を出たかった。
でも、あの頃の私は、神経症を克服も出来る前で、むしろ病み始めたばかりの頃・・・
とても、今のような考えに行き着けるほど安定もしていず、親の言葉に従うのが当たり前だと思い、大して心のうちを正確に話す術も持っていませんでした。確かに弱かった。幼かった。
ずっと、あの頃から何度となく、帰宅拒否症を繰り返し・・・それは、離婚し実家に同居した今でも続いてました。だから、大して用もないのに、夕暮れに喫茶店をはしごをして、時間をつぶしたり・・・帰宅時間が異様に遅いのです。定時には上がれる仕事しかついてないというのに・・・

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