全161件 (161件中 151-161件目)
我が家の庭にある、岩の板です!!何だかわかりますか・・・???この岩は、西日本を東西に走る大構造線の「中央構造線」の南側にある「三波川帯」の結晶変成岩です!!そう「阿波の青石」と呼ばれている「緑泥片岩」です(*⌒▽⌒*)♪写真は「こいのぼり」の柱をたてる支えの岩なんですヨ!!穴を使ってロープで固定します(^ ^ ;♪徳島の「三波川帯」の地層のあたりの古い家では、よく見られると思います!!我が家には、この他にも古い家を壊した時の庭石の「阿波の青石」がたんさん庭に積まれています(^ ^ ;・・・。私の住む吉野川市山川町(旧麻植郡山川町)には、徳島最大の銅鉱山がありました!!ですから小さい時から結構地質学的な事にも興味を持っていたのです(^_^)~吉野川の北側は「和泉砂岩層」という地層になります。南岸は「変成岩」で、北側は「砂岩」なのです。「変成岩」は長い時間をかけて圧力や熱によって岩石が変成したもので、鉱物を含んでいます。「砂岩」は堆積した砂の層が固まったものです。吉野川を挟んで、まず石垣の材料が全然違ってきます!!私の住むあたりは「変成岩」を使っていて角ばった岩ですが、北岸は「クリ石」と呼ばれている丸っこい「砂岩」が使われています(^ ^ ;♪最近話題の、吉野川北岸で発掘された「前方後円墳」のモデルになったのではと言われている「萩原2号墓」などに、なんとわざわざ南岸から大河を越えて運んで来た「阿波の青石」が使われていたのです!!そして「畿内」の有力者の古墳の石室に、「阿波の青石」が使われている事もわかってきています(^ ^ ;♪と言う事は・・・古代に海を渡って、阿波の国から「技術者集団」が「阿波の青石」とともに「畿内」に渡って、古墳を造った・・・!!古代ロマンが拡がっていきます(*⌒▽⌒*)♪徳島は岩を使った古代遺跡がとっても多い場所だと聞きました!!最近の古代史には「地質学」も重要な学問になってきています(^ ^ ;!!硬い話でした・・・(爆笑)!!(*⌒▽⌒*)♪
2007/07/04
コメント(5)
「貞光ゆうゆう館」の「鉛筆スケッチ展」を午後1時半にあとにして、板野町にある「徳島県立埋蔵文化財センター」へ行ってきました!!昨日、行くつもりが時間の関係で行けなかったので・・・きょうこそは・・・(^_^)~徳島自動車道の美馬ICから土成ICまで高速を走り、午後2時10分頃に到着しました!!今、考古学会で話題の「萩原2号墓」の最終報告を兼ねた出土品の展示があります♪ラッキーな事に、発掘担当の学芸員の方がいて、ていねいに説明をしてくれました(*⌒▽⌒*)♪これはわかりやすかったです!!「萩原2号墓」は、すべてを発掘調査しているわけではなくて、一部分だけの発掘です!!文化庁がうるさかったそうです(爆笑)!!棺のある場所を発掘すれば、かなりの出土品があったでしょうと言ってました♪将来の為に再び埋められて保存されたそうです(^ ^ ;!!前回行った時に気が付かなかった???のか、朝にアップした我が家の近くの「季邦遺跡」で出土した「石匙」が展示してありました\(^o^)/私の住む場所って、けっこう面白い場所だったのだと最近気がつきました(^_^)~(*⌒▽⌒*)♪
2007/06/24
コメント(4)
午後2時から徳島市の郷土文化会館で第4回目の「郷土文化講座」を受講してきました。今日のテーマは「阿波の古墳文化の成立と展開」で、講師は鳴門市教育委員会の森清治さんです♪近年の発掘調査の成果から、今までの様相から一変した徳島県鳴門市周辺の前期古墳群!!その立地は、陸と海を結ぶ要衝に次々と展開し、その後の時代にも大きな影響を与え続けました!!写真は鳴門市大麻町にある「天河別神社古墳群の2号墳」です♪今、話題の「萩原2号墓」の現地説明会に行った時に、一緒に行われていた現地説明会の写真です!!この古墳のふもとに、かつては港があって、阿波の青石を畿内に輸出していたのです(*⌒▽⌒*)♪これまで遺跡調査では後進県だった徳島県も、高速道路建設等の調査で新しい発見がドンドン出て来ました!!今や日本の古代史の歴史を書き換える勢いです(^_^)~!!徳島の最新情報を聞ける機会を大切にしていきたいと思います(^ ^ ;♪3時半の終了予定が20分程延長となり、終了後に予定していた「徳島県埋蔵文化財センター」へ行くのはあきらめました(^ ^ ;入館料は無料ですかが・・・閉館が5時なので・・・(^ ^ ;(*⌒▽⌒*)♪
2007/06/23
コメント(2)
徳島市の考古学資料館の駐車場で見つけた「銅鐸」のモニュメントです♪「銅鐸」は青銅器でつくられていて、「マツリ」の道具に使われていたと言われています!!「邪馬台国」の時代は弥生時代後期で、シャーマン・司祭であった「卑弥呼」が「銅鐸」を使って「マツリ」を行っていたのかもしれません(^ ^ ;徳島県は全国有数の「銅鐸」の出土地なんです!!なんで徳島県で「銅鐸」がたくさん出土するのでしょうネ?かつて考古学に興味を持っていた中・高校生の頃は、ただ凄いとしか思っていませんでしたず、最近再び考古学を勉強するようになって、「へぇ~、そうだったんだ!!」と思う事がたくさん出てきました♪今、古代史の世界では「阿波の古代が面白い」と言われています♪3世紀後半に大和地域南部に成立する前方後円墳には、東部瀬戸内海地域の弥生首長墓が大きな影響を与えています。「阿波」は「吉備」「讃岐」とともに大きな役割を果たしたと考えられています。その証拠がドンドン徳島から発掘されているのです!!昔興味を持って訪ね歩いていた「古墳」、小さい頃から聞いていた「忌部(いんべ)」という氏族、そして「須恵」という名前の由来・・・。最近、これらが共通の時代に展開していた事を知り、ますます古代史にはまっています(^ ^ ;♪6月21日から「鉛筆スケッチ展」が始まります。6月22日は、カモジマ公民館で「忌部の歴史」を受講します。6月23日は、郷土文化講座で「阿波の古墳文化の成立と展開」を受講します。仕事の予定も満杯で・・・忙しくなりそうです(*⌒▽⌒*)♪今日は1日「鉛筆スケッチ展」の準備です(^ ^ ;♪(*⌒▽⌒*)♪
2007/06/17
コメント(0)
午後2時から3時半まで、徳島市の郷土文化会館で「郷土文化講座」を受講してきました♪「遺跡発掘、いま」~阿波の歴史をかきかえる~、「武力への序曲 -阿波の高地性集落-」がテーマでした。「高地性集落」とは、ただ高い場所に作られた集落ではなくて、弥生時代に独立した丘陵に作られた「防御性」の高い集落の事です。古代の集落の形成も、時代によって移り変わっていて、弥生時代から古墳時代における武力の果たした役割と初期国家形成過程についての説明がありました。かなり専門的な内容なので詳しい事は省きます・・・(爆笑)!!古代において「阿波国」が果たした役割について、遺跡発掘の調査結果をもとに解説してくれており、全部の講座を関連づけて聞いていかなければ理解出来ないとおもいます(^ ^ ;♪帰りに徳島市国府町西矢野にある「徳島市立考古資料館」に寄ってきました♪このあたりは歴史的に重要な場所で、遺跡がたくさんある場所なんです!!企画展「鮎喰川流域の古墳文化」を見学しました(^ ^ ;♪駐車場も広くて立派な建物です!!なんと・・・入場料は無料なんです\(^o^)/素晴らしい・・・(*⌒▽⌒*)♪閉館前でお客は私1人でしたが、学芸員の方にいろいろと質問をしながら有意義な時間を過ごす事が出来ました!!無料なんで何回でも寄りたいと思います(爆笑)!!ついでに施設のすぐ近くにある「矢野古墳」も見学して来ました(*⌒▽⌒*)♪
2007/06/09
コメント(2)
ちょっと硬い(笑)石の話です(^ ^ ;・・・。忙しくて書けなかったのですが、5月26日(土)に「郷土文化講座2 青い石棒の行方」という講議を受けてきました(^ ^ ;♪「郷土文化講座 遺跡発掘 いま~阿波の歴史をかきかえる 青い石棒の行方 -縄文から弥生、阿波からの提言」・・・ちょっと長くて難しいタイトルです(^_^)~講師の中村豊さんは、徳島大学埋蔵文化財調査室助教で、大阪の出身です。徳島へやって来た時に驚いたのが「阿波の青石」と呼ばれている「緑泥片岩」だったそうです。地質学の分類で三波川変成帯に属する吉野川南岸地域は、「阿波の青石」と呼ばれる緑がかった色の結晶片岩が分布しています。その中で生活している私にとっては、ありふれた景色なのですが、県外から来た人にとっては珍しい存在だったようです!!歴史の講座ですが徳島を語る時、地質学も重要になってくるのです!!縄文時代の終期に「石棒」が近畿などの広範囲で発掘されてきます。この「石棒」が「阿波の青石」を加工して作られたもので、その生産地が徳島だったわけです。写真は徳島市の中心部にある徳島城趾の石垣です♪「阿波の青石」の緑泥片岩で作られています。私は小学生の時に初めて買ってもらった辞典が「岩石辞典」だったという、超変わった小学生でした。古墳巡りが趣味でした(爆笑)!!最近、歴史の勉強を始めているのですが、その昔に興味を持っていた事がどんどん繋がっていってます!!考古学に地質学、そして地理学・・・興味津々の毎日です!!6月9日(土)は、また郷土文化講座3があります。難しい内容ですが、できる限り出席したいと思っています(^ ^ ;♪硬い内容ですみません・・・(*⌒▽⌒*)♪
2007/06/07
コメント(2)
第25回郷土文化講座「遺跡発掘、いま」を受講してきました♪徳島市の徳島駅近くの徳島県郷土文化会館の講座で、全10回を月に2回のペースで開催されます。第1回目の講議は「銅鐸・朱・初期古墳~阿波からの発信~」でした(*⌒▽⌒*)♪約1時間半の講議です(^ ^ ;受付が1時15分からで、講座は2時からだったので、1時20分くらいに行ったら会場は前の方から半分近く埋まっていました・・・びっくり!!定員は120名と書いてありましたが、なんと受講者は160名もいました\(^o^)/そのうちの70名が郷土文化講座を過去に受講しているそうです(^ ^ ;受講者の年齢は高くて、自分と同じくらいの人はほとんどいませんでした(^_^)~受講料は5000円です(10回)♪写真は郷土文化会館です(^ ^ ;・・・。講議の方はかなり専門的な内容で、正直「銅鐸」の区分については知識がなくてついていけませんでした!!かなりの専門知識があるという事を前提に今回の講師は話をしていたようです(^ ^ ;ちなみに毎回講師はかわりま!!「朱」の話では、中央構造線など自分の興味のある分野も出てきて面白かったです(*⌒▽⌒*)♪「初期古墳」では、今年の3月に現地説明会のあった鳴門市の「萩原2号墓」と奈良の「ホケノ山古墳」との違いについての説明があり興味深く聞く事が出来ました!!頑張って勉強してから受講しないといけませんネ(^ ^ ;(*⌒▽⌒*)♪
2007/05/12
コメント(4)
今日の午後2時から、徳島県郷土文化会館で「第25回郷土文化講座」が始まります。副題は「遺跡発掘、いま~阿波の歴史をかきかえる」です♪新聞でこの講座の存在を知って申し込みしました(^ ^ ;講議は10回で、2週間に一回あります。今日は仕事なのですが、有給休暇を申請しました(*⌒▽⌒*)♪ほとんど使う事のないまま消滅していく有給休暇・・・(笑)!!たまには使わせてもらわないと・・・(爆笑)!!しかし・・・忙しくて・・・結局午前中は出勤して仕事をする事になりました・・・(T_T)・・・。第1回目の講議は「銅鐸・朱・初期古墳」となっています。写真は徳島市の名東遺跡で見つかった埋葬された「銅鐸(どうたく)」です!!徳島県は銅鐸の出土数が全国でも有数なんです♪「朱」は、古墳時代の埋葬施設には「朱」をほどこす風習がありました。赤色顔料にはベンガラと水銀朱が利用されていますが、水銀朱の原料である辰砂(しんしゃ)が阿南市を中心とする水銀鉱床群で採掘されていました。「初期古墳」は、最近現地説明会に行ってきた鳴門市の「萩原2号墓」が日本で最古級の初期古墳として一躍注目を浴びています。興味のない方には「何じゃそれ?」の世界ですが、小さい頃から考古学好きだった私にとってはワクワクするような内容です(*⌒▽⌒*)♪「須恵」について自分なりに勉強をしているのですが、インターネットや本屋さんで関係資料を探し出していますが、それよりも専門家の先生の話を聞いて、わからない事を質問出来る機会を喜んでいます(^ ^ ;♪さて、どんな講議になるのか今からとっても楽しみです(*⌒▽⌒*)♪ちなみに私の受講番号は78番!!締めきり間際に新聞でその存在を知り、駆け込みで申し込みました。受講者はたぶん100人くらいいるのでしょうネ♪(*⌒▽⌒*)♪
2007/05/12
コメント(2)
気になる木があります♪徳島県吉野川市鴨島町牛島、国道192号とその南にそびえる向麻山との間にある木です!!田の中に島のようになった場所があり、そこに1本の木がきれいな姿で立っています♪根元には小さな祠があるみたいで、何かの神様が祭られているのでしょうネ!!最近、すぐ近くでこの季節に鯉のぼりがたくさんワイヤーでつられるようになっているので、見た方もいるのではないでしょうか!!どこかの写真展で、この木を撮った写真を見た事があります。同じ事を考えて、この木を見ている人がいるんだなぁ・・・とうれしくなりました(^ ^ ;♪新緑の今、田植えが始まり水田となった時、そして実りの秋、枯葉の頃・・・。いろんな姿を見せてくれる1本の木を、これからも機会があれば写真で撮り続けたいと思っています!!私にはこの木の他にも、気になる木が何本かあって(笑)近くを通った時には写真を撮るようにしています♪田植えが始まり、水田となった時がまたきれいなんですよネ(^_^)~何気ない風景に感動してしまう私なのでした(爆笑)!!そうそう、今朝も午前5時から鉛筆画を描き、一枚完成させました\(^o^)/またアップしますので・・・(^ ^ ;(*⌒▽⌒*)♪
2007/04/25
コメント(6)
最近、よくとりあげた種穂山のふもとには「郡境石」という史跡があります。このあたりは四国山地の支脈の種穂山が吉野川まで延びた場所で、吉野川がもっとも狭くなっている場所でもあります。徳島県は県北と県南に大きく分けられ、県北部の吉野川流域は「阿波の北方」と呼ばれています。その「阿波の北方」をさらに東西で分ける場所がここ種穂山のふもとの「岩津」という場所になります。気候もこの場所で大きく変わり、雪が舞うような寒い時はこの場所が雪が積もるか積もらないかの境目となっています。この史跡「郡境石」は、徳島県の麻植(おえ)郡と美馬郡の「境石」で、昔の伊予街道沿いにあたります。麻植(おえ)郡の麻植は、麻を植えると書きます。このあたりは「忌部氏」が支配していた場所で、「忌部氏」は朝廷に麻で織った「あらたえ」を献上していました。「郡境石」のある場所は、旧麻植郡(現吉野川市)山川町麻掛(あさがけ)といいます!!麻を掛ける・・・場所・・・なんです!!江戸時代中期、川田村(現吉野川市山川町)と拝村(現美馬市穴吹町)は境界争いをくり返していました。昔の境界を印した石があるというので、立ち会いのもと「境石」を掘り出し、現在に至っているといいます。この下にはJR徳島線と国道192号が平走し、すぐ下はもう吉野川です。かつての河川交通の要所で「岩津」と呼ばれ、河港として栄えました。「岩津」の写真は「すえドンのフォト日記」にアップしています(^ ^ ;♪(*⌒▽⌒*)♪
2007/03/27
コメント(4)
徳島県鳴門市大麻町萩原の県道鳴門池田線の池谷トンネルの西から少し入った尾根で「萩原2号墓」が発掘調査されています♪3月15日の徳島新聞の朝刊を飾った「鳴門の萩原2号墓 石積み墳丘墓 国内最古」の記事!!その現地説明会が午前10時から現地で行われました!!午前10時前に駐車場となった大麻中学校に到着します。徒歩10分で受け付けへ、もらった整理番号は「191番」でした♪80人づつの入れ替えで見学となっていて、時間まで受け付けでの説明を聞きました(*⌒▽⌒*)♪小高い尾根の頂上付近に四角く剥がされた発掘現場が現われます。全部を発掘しているわけではなく、少しづつ様子をみながらの発掘調査だそうです!!詳しい説明は「すえドンのフォト日記」に写真解説付き(笑)でアップしています♪興味のある方はそちらをご覧ください!!(*⌒▽⌒*)♪そうそう・・・「萩原2号墓」が「萩原2号墳」と「墳」でなく「墓」なのは、古墳時代前の弥生時代終末期のお墓を「墓」と呼び分けていると学芸員の方が言ってました(^ ^ ;♪
2007/03/18
コメント(4)
全161件 (161件中 151-161件目)