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久しぶりの更新です。今日は、ちょっと深刻な「告知」 お話です。4ヶ月前のこと。。。ある30代の男性患者さんから電話がありました。昨年の12月から、突然体調を崩し、ずっと地元の病院に入院していました。 「もう、何時どうなるかわからない状態だから、 今のうちに、ご家族に伝えたい思いを伝えておきなさい」こう、地元の主治医に言われた彼は 見放されてしまったようですそう、電話口で弱弱しく呟きました。彼とは、ここ数年来、懇意にしていました。定期的にメールが届きましたし、ご家族の写真を何度も送ってくれました。2011年に虫垂癌の手術。その後、腹膜播種で再発して米村先生の元へ。米村先生の手術を受けたのは、2012年秋でした。彼の場合は、単なる虫垂癌ではなく、印環細胞癌で、癌の中でも性質が悪い癌のタイプです。彼が、地元の病院で受けてきた処置や治療はよく知っています。定期的に米村先生の外来に出向いていましたが、術後の抗癌剤治療は、米村先生のメニューを取り入れてくれていました。顕著な再発の症状が出たときも、的確な処置を施してくれて、それ故に彼は、再発してからも普通に仕事をこなしていました。全国の病院事情を耳にする私からすれば、ベストと言える病院環境に恵まれていました。良くして貰っているなぁ~って思ったものです。ここまでしてくれる病院(医師)は、そうそういませんから。そんな素晴らしい医療環境にいても、当の本人は、「きょとん」 って感じでしたけどね。私、声を大にして、その恵まれた環境を伝えたんですよ。今頃、寝たきりになっていても、不思議じゃないんですよってね。仕事まで出来ているなんて、そちらの先生に大感謝すべきですよってね。ステージ4の癌患者に、医療は優しくなんかありません。これ、現実です。それでも、その「ありがたみ」は伝わらない。恵まれている人ほど、それに気付かず当たり前だと思っているものです。地元の医師との関係が良好だってことなんでしょうけどね。そんなある日、突然、癌は逆襲してきました。酷い腸閉塞に、感染症を併発。ここまで来たら、どんな医師でも諦めるところですが、それでも、この医師は一か八かの提案をしてくれました。バイパス手術をやってみよう。ですが、術後は敗血症にDIC、傷口が何時まで経っても塞がらないという状況に。それで万策尽きたこの医師が、 「もう、何時どうなるかわからない状態だから、 今のうちに、ご家族に伝えたい思いを伝えておきなさい」と言ったのです。これを見放されたと受け取った彼から電話があったのでした。彼は子煩悩な人です。自分なりに、父親像を持っていたようです。そして、自分が背負っている「責任」も自覚していました。再発する前、元気な頃、彼は奥さんに言いました。もし、再発するようなことがあれば、もう仕事はできなくなるだろう。今だって、医療費は親に迷惑をかけている状況だ。仕事が出来なくなれば、生活費が稼げなくなるその時は、悪いが実家に帰ってくれと。奥さんとお子さんへの責任が果たせない、それに加え、医療費が増える。奥さん、子供に苦労はかけられない・・・そう思ったようです。奥さんには、こっぴどく怒られたようで、大喧嘩になったと笑い話に教えてくれました。この彼は、こんな人です。だから、地元の医師はこんな最終告知をしたのではないかと思いました。医師として言うんじゃなく、大人の先輩として、一人の一人前の男と見込んで、親心で言ったんじゃないかと。彼には、幼い子供が2人いて、父親としての義務がありますから。余命告知を受けると、憤る人もいます。だけど、世の中には社会的な立場から、大きな責任を背負っている人もいます。こういった責任ある人は、残酷であっても知らなければなりません。社会人となれば、誰でも大なり小なり「義務」と「責任」を背負います。命の期限を知らねばならないこともある。。。だから私は言いました。見放したのではないと思うと。お子さん達のことを考えて、父親として考えて欲しかったのではないかと。お子さん達にとっては、たった一人の父親です。お子さん達の成長を見守ることができないのなら、せめて、父親としての思いを伝えておくべきではないかとそう、その医師は思ったのではないかと。私自身も、同じ思いでした。彼には、子供達の永遠のヒーローでいて欲しいと思ったんです。彼に、この思いが伝わったのかどうかはわかりません。連絡が途絶えて、4ヶ月が経とうとしています。
2015年07月01日
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つい先日の話です。こんな相談メールが届きました。患者さんは大腸癌(60代・女性)で、メールは娘さんからです。今年の夏に大腸癌で母親が手術を受けたそうです。その時に、腹膜播種が認められたようですが、取れるだけ癌は切除したとのこと。腹膜の癌はそのまま。腹膜播種なら米村先生に是非、診て頂きたいと言われます。患者さんご本人は、真実の病状を知らされておらず、ご家族は真実を隠したまま、ご本人を連れてセカンドオピニオンに来られました。ご家族は、是非とも再手術を受けて欲しくて、治療に前向きに取り組んで欲しくて、本人を連れて来られたようです。当の本人は、 もう手術なんて嫌だ、このまま静かに逝かせて欲しいという精神状態でした。と言うのも、腹膜播種という真実は知らないまでも、家族が総出で何かを隠している、遠くの病院まで連れて行こうと言うのだから、自分は相当悪いのだろうと疑心暗鬼の塊だったようです。それならいっそ、このまま逝きたいと思い詰めておられたご様子でした。ご家族は、とにかく本人を連れ出す事には成功したものの、これからどうやって本人を説得しようかと案じていたところ。。。家族と一緒に米村先生から、ご自分の病状を聞いたこの患者さんはその場で 先生、手術してくださいと申し出たそうなこれには、ご家族の方が驚いたそうです。患者さんというのは、実に空気に敏感になるものです。家族の嘘は肌で感じるもの。特に女性のカンは鋭いですからね。この患者さんは本当の事を知りたかったんですねぇ。それが過酷なものであっても、ヒソヒソ隠れ話をされるのは嫌だったんですねぇ。家族が信じられなくなるのが、嫌だったのかもしれません。真実の小出しが一番良くないのだと、これまで書いています。可哀想だからと様子を見ながら、真実を小出しにされると、未だ何かを隠しているんじゃないか?って思ってしまうからです。可哀想でも、告げると決めたらズバッと告げる。可哀想だから内緒にしておくと決めたら、最後まで嘘をつき通す。中途半端が一番良くないと、これまでの経験から思っています。それで、今後は米村先生の治療を受けることになったようです。で、これまで健康が自慢だったこの患者さんが突然、癌になった事で、患者さんのご主人も自分の体が心配になり、大腸の検査を受けたそうです。そしたら、ご主人の大腸からも癌が見つかりましたで、本当は母親のセカンドオピニオンだったんですけども、父親も米村先生にお世話になることになりました・・・と、報告メールが届きました。
2010年11月28日
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もう何ヶ月も前の話なのですが・・・(ひょっとして、過去に書いたかも?です)スキルス胃癌の末期と言える状態の患者さん(60代・女性)の娘さんから相談メールが届きました。一縷の望みを・・・という思いを持ちながらも、もう、どうする事も出来ない状態である事もわかっておられ、言うならば、私から最終通告を受けて納得したい・・・という風な思いを感じ取りました。何度かメールのやり取りがあった後、訃報の報告が届きました。この娘さんは、何年か前に自営業者の父親を亡くしていました。突然倒れ、それから間もなく亡くなったそうで・・・自営業の社長さんという立場柄、他界直後から、この娘さんは母親と一緒に、それはそれは大変な思いをしたそうです。泣くヒマもなく、とにかく慌しい日々が続いたそうです。ようやく落ち着いた頃、母親が もし、私がこれから死ぬような病気になったら、必ず、真実を話して頂戴 残した人に、こんな大変な思いはさせたくないからと娘さんに言ったそうです。残した人へ負担をかけたくないという思いと、ご自分自身が残したい思いやら、やっておきたい事やらを考えたのでしょう。それから時間が経って、この母親がスキルス胃癌である事が判明しました。娘さんは、以前言われていた通りに、包み隠さず真実を伝えたそうです。現代で癌治療を受けるに当たり、患者さん本人が、「真実を知る権利がある」 というより、「知る義務がある」 と言えます。その上で治療の選択が許されるとでも申しましょうか・・・時代は変わって「知る権利」から、今は「知る義務」 となったように思います。真実を告知された母親は淡々と聞いていたと言います。治療も前向きに受けていたようです。ですが病状は進み、治療が出来ない状態となり、少しでも自宅で過ごせるようにと工夫された生活に切り替わりました。そんな生活の中、 本当のことなんて、知らなきゃ良かったと呟いたのが聞こえた娘さんは、そうとう落ち込んだそうで・・・ご本人が、「必ず言ってね」 って言っていたから、言ったのに、「知らなきゃ良かった」と言われてしまったんです。元気な時と、実際に癌になった時では「違う」のだけれど、言わなければ言わなかったで、きっと後悔したでしょう。真実は時に残酷で、嘘は時に希望になるけれど、嘘が更なる残酷を招くこともあり。。。何が正解とは言えないけれど、患者さんが背負いきれない重荷はご家族が背負う・・・これが癌という病気なんじゃないかと・・・その荷物は、時として患者さんが旅立った後に、ご家族が背負わねばならないモノかもしれないけれど。。。
2010年10月10日
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まだまだ、お返事メールを溜めちゃっておりまして、誠にあいすみませんです。この頃は、更新もままならず~・・・で、ご心配をおかけしている方もいるようで、これまた誠にあいすみませんです出来る時に更新しとこっ!!って感じになっております。題目に書きました「告知」ですが、これはある意味永遠のテーマで、私はこれに関して書きたくて、書きたくて・・の思いをずっと持っております。50代後半のスキルス胃癌の患者(男性)さんの話です。私にメールをくれたのは、息子さんで、最初のメールが届いたのは6月の上旬でした。手術不可との診断で、TS-1+シスプラチンの治療が始まりました。ご自宅から遠い地元の大学病院で、入院しながらの治療という事でしたので、息子さんは経済的に無理をしながら、病院近くのマンスリーマンションを借り、母親を住まわせました。息子さん自身は、腹腔内化学療法に関心を持っていましたが、どうにも、この治療法は地元では無理で、となると、かなりの遠路の病院になる事から、断念しました。このTS-1+シスプラチンの治療法は、今や奏効率70%とも言われる治療法で、胃癌の治療法の中では郡を抜いた奏効率です。殆どの患者さんに効いてくれる治療法と言えます。ところが、この50代の男性患者さんには効いてくれませんでした。過去にも、この治療法が効いてくれなかった患者さんを知っていますが、当時、この患者さんはある癌患者さん専用の掲示板で70%にも入らなかった俺って、一体何??と、書き込んでいるのを見つけた事があります。病気の事、治療の事、ちゃんと知っていた人でしたから、それからは、時間の使い方も考えながら、治療を受けていました。時折、思い切り腐る事もあったようですが、楽しい時間も作っていました。ところが、この50代の患者さんにはその時間さえ無くなってきました。病気が判明して、未だ3ヶ月です。本人への病気の告知も、まだ充分ではなく、次の手のタキソールも効いてはくれず、病状が一気に悪化・・・ホスピスという選択肢まで出てきましたが、その選択肢すら難しくなってきました。息子さんもとても焦り、無駄足になっても構いません、後悔はしたくないから、今更ですがセカンドオピニオンを受けたいのですと言われました。父親の為というより、残される自分自身の為かもしれない・・・と、内心思っておられるのが、伝わってきました。急いでセカンドを組めるように手配しましたが・・・つい先日届いたメールには、もう、どうにもならないと思わざるを得ない状況となりました残念ですが、セカンドオピニオンは諦めますどれだけの時間が残されているのか、わかりませんが、これから思い出を作りますでももう、無理かな・・・と、書かれていました。ご本人は、まだまだ、年単位で生きられると思っています。だけど、体が言う事を聞いてくれません。治療を受けているから、病気は治るハズ・・・なのに、どうして体は言う事を聞いてくれないのか・・・・この頭と体のギャップは、時に、精神に異常をきたす事があります。この患者さんは、精神薬を処方されるようになり、少し落ち着きを取り戻しました。知らない事が幸せなのか知る事が幸せなのか知らせる事は、家族自身の肩の荷を降ろすだけなのか知らせない事は、本当に本人のためなのか末期になって、精神に異常をきたす患者さんを、他にも何人か知っています。その患者さんの殆どが、事実を知らない人なのです。事実を告げて、重い鬱病になってしまったという患者さんもいます。また、逆に事実を知ったら、鬱病が回復してきたという患者さんもいます。要は、どう事実を告げるか・・・これが問題なのではないでしょうか。そんな迷い、悩める時間もなくなってきてしまいましたが、この50代の男性患者さんは、この週末は、外泊で楽しい思い出作りとなりました。沢山の笑顔が見れますように・・・と願っております。
2008年09月19日
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告知のお話を、もう少し。沢山の患者さんやご家族と接して参りましたが、患者さんて、実に冷静で大人だと感じます。「そんな事ありません!冷静でもないし、大人なんかじゃないです!!」と、反論される患者さんもおられると思いますが、ご家族の方はですね、その比じゃないですよ、ホントの話。時間の使い方と、自分がいなくなった後の事を、頭のどこかで考えています。本当はんな事は考えたくなんか無いんですが、考えなきゃいけなくて、仕方なく嫌々でも考えています。考える事に疲れると、ボーッとしたくなるようで、何も考えなくて良いような事を始めたり。男性の場合だと、パチンコが一番多いかな。女性の場合は、何だろう・・・友達と遊びに行くとか、カラオケとか?かなぁ・・・考えるって、疲れますものね。私はねぇ・・・父には言えませんでした。手術できずに化学療法を受けていた父は、薬で治るって思っていたのかなぁ?10年は生きられないけど、5~6年は生きられると思っていたフシがあります。家族としても、元気にフツーに生活している父を見ていると、ずっとこのままいけるんじゃないか?って思いたくなってしまうんですねぇ、つい。私の中では2年生きる事を目標としていたんですが、それは言えず・・・元気な時に、もっとあっちこっち連れて行けば良かったと、今も思います。本人も行きたいって言う場所や、食べたいって言う物もあったんですから。 じゃぁ、行こうよと言う私に来年なと答えた父。来年が無いかも?なんて、本人が少しでも自覚していたら、腰を上げていたかもしれません。それとも、自分には来年もあると言い聞かせていたのか・・・本当のところはわからないけれど、行きたいと言った場所には行けなかった事、食べたいって言った物が食べられなかった事だけは事実。行ける体力も、食べられる元気もちゃんとあったのに・・・・父がいなくなって今年で6年目だけれど、今も尚、この病気に関わっているのは、米村先生に対するご恩返しだけではく、父に対する罪滅ぼしかもしれません。
2008年03月05日
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これまでも、多くの方から「告知」に関する悩みのメールが届きました。現在も、何人もの方から同様のメールが届いておりまして、「私のこと?」と思い当たるフシがある方がいるかも?ですが、どなたかを想定して書いている訳ではありませんので、あしからずです。実際、癌治療って患者さん側に選択肢がある治療です。薬剤にしても、ガイドラインが設けられているとは言え、選択する事はできます。また、「治療をする」「治療はしない」という時点から選択肢は始まっています。ですが、大抵の方が「癌初心者」な訳で、どうすれば良いのか???という状態。迷っても悩んでもわからないので結局、「主治医にお任せします」って事になります。ですが、医師から厳しい現状を告げられている場合、その医師の結論が本当にベストなのかどうか迷いが生じます。厳しい現状は、患者さんご本人にはフィルターをかけて話す事が多いです。ですから、特に本人は主治医任せで何ら異論なし。ですが、「治る」とは、なかなか言われない病気・・・・愛する家族ゆえに、治療法を探り、それぞれがベストを見つけようとします。ですが、どれがベストという正解がありません。だから、ご家族の中でも意見が分かれ、時に無用な言い争いになってしまう・・・家族という間柄ゆえに、遠慮のない言葉で傷つけ会ってしまう事もしばしばです。何故、家族の中で傷つけ合ってしまうのか?それは、そこに患者さん本人の意志が存在しないからです。何故、患者さんの意志が存在しないのかと言えば、真実を伝えられないから。じゃぁ何故、真実を伝えないのかと言うと、可哀想だから。落ち込ませてしまう、絶望させてしまう・・だから、可哀想だと皆さん言います。だから、本人の意志は考えずに、ベストを探そうとする・・・だから、意見が分かれてしまう。ご家族にとって、理解出来ない選択肢であっても、本人が望むのであれば・・・と、納得できるのに、それが出来ない。体は嘘をついてくれません。いつか、必ず疑心暗鬼に陥る時がきてしまう。何故、疑心暗鬼に陥るのかと言えば、体が感じてしまうからです・・・真実を。その時、患者さんが持っているは自由は多くはありません。そうなってから、多くのご家族が「告知すれば良かった、可哀想な事をした」と後悔しています。真実を告げることが「可哀想」だったのに、時間が経つと、告げなかった事が「可哀想」に変わっていく・・・本当の「可哀想」は何なのでしょう。告知を悩む時、じっくり考えてみてください。嘘を付くのであれば、最後の最後まで、とことん。真実を告げるのであれば、小出しにせず、一気に!これが良いのではないか?と感じます。
2008年03月03日
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この病気の年代は幅広いですが、中でも私は30代、40代の患者さんと直接お付き合いする機会が多いです。こういう年代の患者さんには、大抵小さいお子さん、もしくは未成年のお子さんがいます。お子さんがいるからこそ、辛い治療にも耐えられる、いえ、耐えねばならず、とにもかくにも死ぬ訳にはいかない!!と、皆さん、思っています。子供には自分が必要なのだから・・と。では、お子さんの方はどう思っているのでしょうか?愛する父親、もしくは母親が命がけの戦いを自分のためにしている・・・そんな時、お子さんはどう思うのでしょうか?例え、小さくても応援したい、力になりたい、助けになりたい・・・そうは思わないでしょうか?お子さんが未だ小さいからと、お子さんへは父親、または母親の本当の病気の話をしない方が殆どです。何歳なら理解出来る、何歳以下なら無理というラインはありません。だから、お子さんが何歳であれば伝えるべき・・・なんていう事は言えません。ヒゲさんは、奥様がスキルスとわかった時、当時小5と中1の二人の娘に事実を告げました。迷ったと思います、でも、ちゃんと伝えました。母親が癌である事、長くは生きられない事を包み隠さず話しました。お父さんは、絶対にお母さんの病気を治す事を諦めないから、おまえ達にも協力して欲しいと言ったそうです。奥様が入院中、何度となくお見舞いに行きました。大抵は、娘さん達も来ていて、下の娘さんが母親の腕に馬油を塗ってマッサージしているのを見た事があります。ごく普通の家族の空気が流れていました。病室という以外は、何も特別な事はありませんでした。奥様は、自分がいなくなってからの娘達の成長期における、誰でも通る異性間の事を心配したようで、そんな性教育的な事を書き残していました。midoriさんの中学生の娘も事実を知らされていました。母親が体力を失ってからは、自ら重い荷物を持ち、midoriさんの体を抱えて歩いていました。TDLの帰りに東京駅に見送りに行った時、中学生の娘はお土産や旅行バックを抱えて歩いていて、私が持つから、かしてという、私の言葉にじゃぁ、これお願いしますと言って、一番小さなバックを寄越しました。もっと、大きいのを持てるから、その大きいバックをかしてそういう私に大丈夫です、持てますこう言って、ニコッって笑いました。自分で出来る事は極力自分でする、どうしても無理な時は大人の助けを借りる。これが、midoriさんの生き様を見てきた彼女の信条のようでした。どのお子さんにも当てはまる訳では、ないだろうけど、事実を知ったお子さんは、やはり父親、母親の何らかの助けをしたいと、自然に思うもの・・・その上で、考え、感じ、成長もするもの。そして、子供であっても嘘は嫌なもの・・・親の病気は出来れば、避けたいけれど、避けられないのであれば、必ずしも、親の病気が子供にとってマイナスばかりにもならないと、感じた出来事でした。
2007年02月21日
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以前、書いていた「癌告知」に思う事の続きを再開します。この病気は発覚時にはステージ4という場合がとても多いです。もちろん、そうじゃない方だって沢山いますけどね。この時、多くの主治医はこのままでは余命数ヶ月~1年と、ご家族には説明します。ですが、この時患者さん本人は太っていたりして、何ら変わらず昨日と同じ生活を送れていますので、本当にステージ4???と思うものです。で、これから化学療法や、手術と言った治療が始まる訳ですが、これが上手く運ぶ患者さんもとても増えています。副作用というお荷物は出来ますが、いつもの生活を維持出来る患者さんは沢山います。こうなると、最初に聞いたあの恐ろしい余命は何だったのか?嘘じゃなかったのか?医者っていう輩は、オーバーに話すものだ・・・ははは・・・・あんな余命なんて話を本人にしなくて良かった、余計な心配をかけるだけだった・・・なんてね。こんな笑い話になる事だってあります。ちなみに、うちがそうでした。あっ、でもうちの場合は何もしなければ余命数ヶ月って初めに言われたよって、元気な時に話しましたけどね。ですが、順調に治療が運んでいる間はこれでも良いのですが、そうでは無くなってしまう患者さんだって中にはいるのです。ずっと順調な患者さんもいますよ~くどいくらいに念を押しておきますケド。順調で無くなってしまった患者さんの主治医は、治療法をあの手この手で変化させ、何とか「今」の維持に懸命になります。残念ながら、これに限界が訪れてしまう場合もあるのです。限界が訪れたこの時、主治医から余命1ヶ月・・・そんな話が現実味を帯びて話される事がとても多いです。こうなると、体はもう嘘をついてくれません。そして、ああ・・・もっと真実をちゃんと話しておけば良かった・・・・元気な時間に好きな事をさせてあげるのだった・・・と、・・・私はとても後悔しました・・・・こんな時の余命1ヶ月だって、当てにはなりません。数ヶ月に及ぶ事だってありますから。案外、病院内でそれなりに居心地良く、心穏やかに過ごせる事もあります。でも、旅行や趣味に没頭出来るような時間ではなくなってしまいます。先月他界したkazeさんは全てを知っていましたから、ご自分がいなくなった後の事・・・お子さんのあれこれを、ご友人に託しました。散財とも思える旅行だってしました。今も私を支えてくれる言葉だって残してくれました・・・・私にとって、大切な宝物です。彼女の思いがあるから、私はこれを続けていられるのです。体は嘘をついてはくれません。患者さんによっては、鬱病になる方、患者さんのご家族だって鬱病になる方もいます。kazeさんの生き方は理想だとも思いますし、誰もが出来る生き方でもないでしょう。考え方はさまざま・・・人もさまざま・・・変える事が出来ない現実の中で、人はどう生きるべきなのでしょうね・・・
2006年12月10日
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昨日に引き続き、癌告知に関するお話です。癌告知と言いましても、ここではスキルスに限定してのものですが。多くの告知パターンの一つに医師→家族→患者という流れがあります。突然の事でご家族も動揺し、落ち込み、嘆き悲しみ、そして迷った末に本人に告げる・・・こういう事が多いです。この時に多くのご家族は余命を告げずに全てを話す、もしくは一部を外して残りを話す・・・こういう結論に至ります。スキルス胃癌という病気になった方が、その時点でこの病気を熟知している方などまずいません。ドラマや有名人の話題で名前だけは知っているけれど・・・この程度です。そして、今や癌は治る病気だという風潮もあります。それでも、癌は癌だと落ち込み「あと何年生きられるのだろう」と、そんな思いもよぎります。あと数年の命なのだろうか・・・そんな思いが。知子さんも、そんな患者さんの一人でした。全ての癌が取りきれなかったと説明を受けてはいましたが、それが何を意味するのかは理解してはいませんでした。今後の化学療法で、良くなると思っていました。もう長くは生きられないかもしれないと、感じていた様子でしたが、開腹時に余命半年と言われた事は知りませんでした。私は父の時に、もっとちゃんと時間を告げるべきだったと後悔していましたので、知子さんには半年とは言わなくても、長い時間は無いという点は話すべきだと思いました。ですが、ご主人も実姉もこれには反対で言わずにおこうと言う事になりました。知子さんは普通の主婦です。家計を考え、当時中3だった三男にかかるお金を考え、同居しているお姑さんへの遠慮もあり、自分のことなど二の次の人です。入院・手術でかなりの出費もかさみました、その中で自分の事など優先するはずもありません。行きたい所、やりたい事、会いたい人・・・あったはずです。それとなく、薦めてみましたが「三男が高校受験だから、来年あたりね」と笑うばかりでした。○○が食べたい・・・程度の事は言いましたが、それ以上の事は言いませんでした。抗癌剤の副作用による下痢、取れない痛みで、旅行しよう!なんて気にもなれなかったのでしょうけれど。私は今は無理してでも思いを叶えてあげる時だと、常に思っていましたので、ご主人にも実姉にも何度もお尻を叩くように薦めていました。一度だけ、日帰りで山梨の温泉に実姉夫婦が連れて行きました。その時に撮った知子さんの写真の明るい笑顔は、遺影となりました。また、後日続きを
2006年11月17日
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何度となく告知に関する思いを書いてきましたが、姉貴さんから先日の日記に頂いたコメントを読みまして、改めて告知に関する思いを、少しばかり書こうと思います。悪までも、医師でも看護士でもない、私個人の考えですけどね。私の父も姉貴さんの弟さん同様に、いきなり父一人で主治医から癌告知を受けました。それも回診の時に、「病名を聞いていますか?未だでしたか?貴方は胃癌ですよ」・・・こんなノリで聞かされたと、父は言っておりました。その後に付け足すように「未だ、充分に治る胃癌だから私が責任を持って治します」と、フォローはあったようだけれど。治ると言われた癌だから、余命の話はありませんでした。その後、大どんでん返しがあった経緯は、左横のフリーページに書いています。私はそれまで癌告知というものは、まず医師から家族に説明があってその次に患者にするものだとばかり思っていましたので、いきなりの告知には驚きました。父の場合は、単なる胃癌という説明からスキルス・ステージ4と急変した、特異なケースですが。これまで、幾度となく告知に関してのお悩みを聞いてきました。病名告知は今や常識になってきましたが、次の問題はどこまで真実を告げるべきか、そしてどうやって伝えるべきか・・・です。父と違い、スキルスと最初から判明している患者さんの告知は、まずご家族に説明してから本人に告知、もしくは、家族同伴で告知・・・この2種類が殆どのようです。抗癌剤治療の性質から、告知は必要不可欠だと思っています。命がかかっている治療だと認識していなければ、あんな副作用で辛い思いをする治療など、誰だって放棄してしまいます。家族が最初に告知を受けた場合、家族も悩み抜いた末に事実を告げる・・・こういう流れが殆どです。この場合、まず患者さんがお元気である時にすべきでしょう。そして、出来れば主治医にお時間を作って頂き、主治医から前もってどこまで話すかを相談の上、主治医から本人に告げる事が良いのではないか?と私個人は思っています。家族から真実を少しずつ聞いた、ある男性患者さんが「真実を小出しにされてきたので、100%は家族を信用できなくなった。常に未だ何かを隠しているんじゃないか?と疑ってしまう」と、こっそり心情を吐露してくれた事があります。余命を含めた話にすべきかは、患者さんの社会的立場も関係してきますので、是か非かは言い切れないものがありまが、告知すると決心されたのであれば、主治医から希望の道も含めて全てを話して頂く事が望ましいのではないかと、思うのです。長くなってしまいました、1日じゃとっても書けませんねぇ・・・ご自身の命の限りを知っている、この病気の患者さんとは何人もお付き合いがあります。そんな方々の思いも含めて、また、後日続きを書きます。
2006年11月16日
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患者さんのご家族からよく受ける質問に「全てを告知すべきでしょうか?」と、いうのがある。今や「癌」という病名を隠す病院はまず無い。癌告知は当たり前になった。だが、病名は伝えても本当の病状は伝えない病院は結構ある。そこで、ご家族は悩むのだ。患者さんご本人がご自分の闘病記をネット上で公開されている方も多くなり、そういった闘病記を読むにつれ「隠していて良いのだろうか?」と思うらしい…全てを知ってる方が、こんなにも前向きに充実した時間を過ごされていると言うのに、うちは…と、自己嫌悪すら抱くようだ。貴重な時間を無駄にしているような気持ちになってしまうようだ。こういう質問は正直言って、答えは難しい。患者さんの状態、癌告知を受けてからの時間、性格、家庭環境、社会的な立場等…皆さん違うから。ただ、ひとつ言えるのは、どんなに隠しても自分の体調の変化に疑問を抱かない患者さんはいない。何も考えていないように見えて、実は考え込んでいて、そっとしていて欲しいと思っているかもしれない。ご家族には近すぎて見えない、患者さんの心理がある。歯がゆいだろうけれど、どうしても越えられない壁がある事を認めなければならない…と、私は思う。その上で、ご家族は自分にしか出来ないサポートをすべきではないだろうか…これは、私個人の考えだけれど。
2006年07月11日
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昨年6月に出会った、30代のある男性患者さんは、私の目を見て「自分は余命を含めた全てを知りたいのです」と、言い切った数少ない方だった。どうも、周りの皆が何かを隠しているような気がしてならない。さすがに親に聞くのは可哀想だから、嫁を怒鳴りつけて本当の話を聞いてきました・・・と言っていた。自営業を営んでいる方で、ご家族で会社を経営されている。名目上は父親が社長だけど、実質的な社長を務めておられるようだった。余命を含めた全てを聞いてきました・・と淡々と話した後、「ほら、自分が死んで親戚とかが遺品整理で自宅にやってきて、隠しているエロ本が見つかったら格好悪いでしょう。自分はもう死んでいるのだから構わないけど、嫁が恥をかきますからねぇ・・ははは・・・」そんな風に茶化した後、「何でこんな病気になったのかなぁ~やはり病気ってストレスが原因ですかねぇ・・?そんなストレスなんて感じていないんだけどなぁ~、やっぱり接待がストレスだったのかなぁ・・」お酒が全く飲めないのにお客さんから誘われると無理に一口飲んで、あとは飲めない分、場を盛り上げるのに苦労していたようだった。「あれがストレスと言えば、ストレスだったから自分が死ねば弟が同じ仕事をするはず。弟まで同じ病気になっては大変だから、自分の給料を減らして人を雇うかなぁ・・・結婚したばかりでまだ子供はいないから、嫁はいずれ再婚できるだろうし・・・」等と、家族の心配ばかりをされていた。そして、「今の病院に不満がある訳じゃないけど、自分はがんセンターに世話になる訳にはいかないんですよ。がんセンターに入院なんてしたら、癌だって皆にバレるでしょう。折角、自分に付いてきてくれているお客さんが離れてしまう。今の病院なら、ちょっと酷い胃潰瘍で通せますから。」とも、言っていた。決して長いとは言えない余命を知りながら、その上で家族とその行く末ばかりを気にかけていた。事実上、社長ともなれば自分の事は二の次にならざるを得ない。病気以外にも重いものを背負っている患者さんだ。「今の家業を継ぐまでは、決して人に自慢出来るような人生じゃなかった。逆に人に言えるような仕事をしてこなかった。」と、前置きをしながら今の仕事にかける自負を語っていた。仕事の話の時は目が輝いていたな・・・2~3時間くらいだったかな・・・お互い声を出して時に笑い合い、こんなおしゃべりをした。「でも、自分は全く死ぬ気がしていないし、絶対に治ると思ってますから。誰にでも言える話じゃないから、聞いてくれてありがとうございました。」と、言って元気に帰って行かれた。あれから、1年が経過。その後、連絡を頂いていないので、化学療法が奏効して多分お元気なのだと信じている。お元気な時には、大抵皆さんご無沙汰してしまうから、元気な証拠だと思っています。
2006年07月07日
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