Sumthin' 2x

Sumthin' 2x

To All Women





というのも近所に住んでいたお母さん3人がちょうど同じ時期に妊娠したので、お互いに助け合ったことから、生まれてからは3人(ジラ、IとJ)は兄弟も同然に育った(みんな男の子だったというところがすごい!)。彼等はNew York Cityの決して「良い」とは言えない地域で育った。

自分の親が忙しいと、IもしくはJのお家でお風呂に入れてもらい、ご飯を食べさせてもらっていたという。ある日、Iのお母さんがひどい生理痛で動けず、ジラに電話で(Iとその兄弟は外出中だった)、生理用ナプキンを薬局で買ってきてくれと頼まれ、12、3歳という多感な時期にIのお母さんのためだからと恥ずかしながらも薬局で生理用ナプキンを買ったというジラ。そして今、ジラはIのお母さんを「第2の母」と呼ぶ。そして未だにNYへ帰ると息子組&母組交えて食事に行ったりする。

ジラは私と出会って初めてのデートでIとJの話を楽しそうに、どれだけ結束が固い友達同士かということを話してくれた。「どんな女も俺達の関係は崩せない」と豪語されたのには「ふんっ」とも思ったが、そういった親友を持たない人(特に男性)を数名知っていたので、誰かそれだけ信用できる友達がいるってことはいいことだと思うことにした。

私はこの国に住むようになって、色々な人種、宗教、そして考えの人と会ってきた。そしてそういったひとつのカテゴリーで人達をまとめてしまうことの危険性に気がついた。いつも楽しみに拝見させていただく方のホームページのエッセイにも、

『一般に人が「みんな」という表現を伴ってあらわす個性を差すとき、それはその対象である集団のせいぜい三割が共有するものにすぎない。』

と書かれており、それから「みんな」や「ナニジン」と言うときに気をつけるようになった、だって私の知っている「ナニジン」はその集団の三割だけかもしれないのだから。もうひとつ、私は人が第三者の話をしているときの「えっ、それってナニジン?」と聞いておいて「やっぱりねぇー」という「ステレオタイプの確認」が苦手になった(特にネガティブなことについて)。だから人にも「それってナニジン?」と聞かなくなった。

実はジラの大親友二人は白人だ。ある連休にジラがいきなり「Jが近くまできていて、今日は彼の誕生日なんだ。せっかくの連休だし会いにいきたい」(近くまでって・・・車飛ばして5、6時間くらいの距離ね・・・汗;)。結局、連休で何もすることがなかった私達は車を飛ばして会いに行ってきましたよ。Jのお友達の家では即席パーティーが盛大に行われており、会場へ着いたときは人がいっぱい。ジラはJを探しだす。「ねぇ、どんな感じの人なの?」と私もJを探すのを手伝う。「んー、背はこのくらいで・・・」とおおまかなことを言うジラ。

私はJが白人なのは彼に会うまで知らなかった。会って「おっ」と思った。でもそれから酔っ払いながら子供時代にした悪さなどの話をし、大笑いする二人に「違い」は感じなかったんだよね・・・。

またジラは「俺達エディー・マフィーのコメディのレコード(すごい時代でしょ 笑)を擦り切れるくらい聞いたんだぜ。みんな一字一句を繰り返せるほど」と話してくれた。これには私はちょっとびっくりした。なぜならエディー・マーフィーは黒人コメディアンで、彼のジョークにはかなり人種的なことも含まれているから。そして彼らはRUN DMCなどのラップやレッド・ゼッぺリンのロックも一緒に聞いていた。そんな思い出話をとびっきりの笑顔で話すジラを見ていると、それは

「ブラック・コメディー」でも
「ブラック・ミュージック」でも
「ハードロック」でもなく


「彼等の」コメディー、そして音楽だったのではと思った。

この世の中にはびこる人種差別は根強い問題で、そのことについてどうのこうのと書いていくことは私には心の準備もできていないし、とても難しい。だから私は私に出来ることからやろうと思ってる。私に出来ることは

真実を知る努力を怠らないこと。

そして自分の子供に色々な種類の事、物、食べ物を経験させ、先入観を持たない子に育てる努力をすることだと思う。自分の子供が色々な文化に触れて、

「違う」ということが「変」

と思わない子に育つように努力すること。

そしてお子さんを持つ、お母さん達 (many respects)、そしてこれからお母さんになりうるであろう、すべての女性にこうやってささやかなりとも、呼びかけること。

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