スイッチ♪O~N!!キラリ★

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弟子入り

モノを教わるってのは教える側の気分に依存するので教えたい気持ちになってもらわないと教えてもらえないのが普通なのです。
 そして教えたい気持ちになるのは、その場、その時期に教える側が関わっている中で一番頑張っている人間ただ一人なわけです。

 二番なんて見えないですよ。名前も覚えないですよ。

 こんなのどんなジャンルでも同じです。

 モノを教わる側が大した努力もしていないのに教えてもらえると期待するのが間違ってますよね。
 だって料理人でも芸術家でもヤクザの部屋住みでも、僕がやっている程度のことは誰だってやっているし当然わかっている。
 目に見える範囲でさえ二番になったらもう終わりなんです。
 絶望的に終わり。
 一番だけは世界で一番かもしれない可能性があるけど、二番になったらもう終わりです。

 昔、僕の本にも書いたことがあるんですがK-1に出ている選手は、あのリングに上がるまでは自分よりも強い人間なんて見ないですよね。
 自分が一番強いから、あのリングに上がるわけです。

 修業期間中は強いかどうかの結果は問われないけど教える側が教えたい気持ちになるだけのことはしてないと教えてなんてもらえないですよ。

 そして自分がどんなに頑張っているつもりでも二番なら教える側には見えないですよ。
 一番しか視界には入らない。

 それに結果で負けるのは才能が関係あるけど努力で負けるのは人間性の問題。

 教える側にも、それがわかるんですよね。

 だから一番にしか教えたくならないのは当然すぎるほど当然なんです。

 こっちがどんなに頑張っているつもりでも関係ない。
 こっち側が今までの人生で一番頑張っているつもりでも関係ない。

 全て教える側の一方的な判断なんです。

 子供の頃から僕は、それに気が付いていたんですが子供の頃には教える側が区別を意識的にしているのではないかと思っていました。
 でも大人になって自分が教える側になってわかったのは何も「あいつは頑張っているから熱意を持って教えよう」とか「あいつは努力が足りないから指導に手を抜こう」と思っているわけではないんですね。

 単純に見えないんです。
 アピールだけが上手で努力が足りないのに視界に入ってくる人間はかえって、それが目立つから除外しようとはするようになりますが。

 一番頑張っている人間だけが特に視界に入るんです。

 意識的に区別して選り分けているんじゃないんですよね


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