「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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〇六年沖大祭報告(2)
国際通り
国際通りに潜入
「今さら国際通りなんて・・・」などと言わないで下さい。今回の潜入で、国際通りでも数々の“発見”ができました。
この日は、「首里城祭琉球絵巻行列」が行なわれ、通りは車両通行止めで歩き放題。行列の見物客はみんなそっちのほうに見入っていましたが、旅の会だけが行列に見向きもせず、国際通り探索にいそしんでいました。
安里側から出発。牧志公園のところの交差点前で橋を渡ります。この国際通り唯一の橋が、「蔡温(さいおん)橋」です。現在、橋梁工事をしています。なぜ蔡温の名前がついているか興味のあるところですが、細かいことは差し置いて次へ進みます。交差点を渡ると、通りの両側には最近話題の消費者金融が並んでいます。
今年は無関係のところでも話題になった熊田○子とか、
しょこたんの「マナーにも○ネー講座」とか、
「キャッシングの正しい知識」を熱く語る佐藤○子だったり、
「♪忘れないで、お金よりも、大切なものはある~」とか、
「事前にしっかりチェック!」とか。
牧志の交差点から、三越前まではほとんど「消費者金融通り」の様相を呈しています。ところで、なぜ消費者金融は同じ場所に集まりやすいのでしょうか?
そんなことを考えながら、「てんぶす那覇」の前へ。ビルの名前は「にへーでービル」。「それはないだろっ!」とツッコミが入りました。ここはちょっと前まで、「国際ショッピングセンター」がありました。その一・二階には「球陽堂書房」が入っていたそうです。ちなみに今は「球陽堂」はメインプレイスにありますが、その前は牧志郵便局の向かい側にありました。「ショッピングセンター」の前は、「アーニーパイル国際劇場」(後に「国際琉映館」に名称変更)がありました。これが「国際通り」の名前の由来だそうです。そのそばには、今では伝説となっているそば屋=「井筒屋」がありました。
「沖縄三越」。開店は、一九五七年。当時は「大越百貨店」でした。大越の「大」は大城さんの「大」で、「越」は東京にあった超有名な百貨店の老舗「三越」の「越」。後に「三越」と提携し、「沖縄三越」に名称変更しました。だいぶ前の話になりますが、戦後復興期の一時期、この地に瓦工場があり、住居建設に活躍したみたいです。
沖映通りとの交差点は「むつみ橋交差点」といいます。橋がないのにです。実際は、だいぶ前に「むつみ橋」という橋が架かっていたそうです。そう、ここは川が流れていたのです。ふさいでしまったので、橋もなくなったとのことです。その後に陸橋ができたようです。それもいつの頃か知りませんがなくなりました。実は今も道路の下を流れています。
交差点に位置するOPAのビルの地下のトイレは、ネット情報によると、心霊スポットらしいです。あんまり霊に興味もないのでこれだけにしておきます。
ここからゆるやかな坂道になります。途中右側に真新しい巨大なビルが建っています。「ホテルJALシティ那覇」です。以前は、戦前からの百貨店の老舗である「山形屋」がありました。一九九六年に閉店してしまいました。「山形屋はもう見れないのかぁ」と残念がっているお母様方、大丈夫。旅の会がこのくらいで引き下がるわけには参りません。久茂地側沿いを走り、「美栄橋」付近を過ぎた時に、国際通り方面を見ると、「山形屋専用駐車場」の青い文字がハッキリと確認できます。
坂道を登りきったところの左手が「旧国映館」です。こうしてみると、昔は映画館が多かったみたいです。一九五〇年代初期は、那覇市内だけで8つもあったそうです。テレビの普及とともに、急速に衰えていきました。映画全盛期の一九五五年に国映館は開館しました。奇妙な形をしているので、目立ったようです。後に「世界館」と名称変更。ちなみに、旅の会のM君は、ここで「千と千尋の神隠し」を見たと言います。今となっては貴重な体験です。
ちなみに、国映館の向かい側は、現在は「おきなわ屋本店」になっていますが、一時期、auの「いいじゃん」という建物があって、カラオケやネットが無料でできたため、高校生のたまり場になっていたそうです。旅の会のY君情報です。
次の信号を右折すると「一銀通り」です。名前の由来は、交差点の角にあった「第一相互銀行」です。現在は「沖縄海邦銀行」となっています。通り名は公募で決定しましたが、なかには「抵抗通り」や「一騎打ち通り」なんていうのもありました。ちょうどその頃、那覇市長選挙で人民党の瀬長亀次郎氏が当選し、人民党を悪魔のごとく嫌っていた軍政府が特別補助金や琉球復興金融基金を止めてしまうというようなことがありました。そのため道路建設は中断してしまったのです。なんとか一九五八年に開通しますが、そうした歴史があったため一風変わった名前が応募されたのでした。
ここから松尾の交差点までは、小店舗が並びます。国際通りの中でもいくぶん静かな所です。松尾交差点を越えると、一段と御土産屋がハデになってきます。「ガメラ」とか「明日のジョー」とか、キャラクターものがドッと目立ってきます。ここからは「キャラクター通り」です。
そうこうするうちに、パレットくもじが目の前に現れます。交差点から見ると、両翼を広げた鳥のようでもあり、視覚効果を狙った設計になっていると感じました。「旧ベスト電器」は現在、取り壊しの真っ最中です。ベスト電器以前は、「りうぼう」がありました(一九五四年~)。パレットくもじができてそこへ移転しました。
あっという間に“奇跡の一マイル”を歩いてしまいました。めまぐるしく変わる街並みを、時にはのんびり眺めながら歩いてみるのもいいかもしれません。
(番外編)お土産の正しい買い方
国際通りには、「沖縄一安い店!」を掲げる店が何軒もあります。確認したところでは、系列店も一つずつ数えて約15店舗ほどです。一体どこが真実を語っているのか?基準を「残波(白)720ml」として観察してきました。
1575円(ちょっと高い気が・・・)
1512円(まだまだ)
1370円(おっ、かなり値が下がったぞ)
1300円(やるなっ!)
そしてついに、
1287円(安いんじゃない、これ!)
ピー、ここまでっ。なるほど競争力が激しいから安くなるんだろうなぁと思い、感心していました。
後日、この結果を忘れた頃、あらためてふだん使う店を調べてみました。すると、
「りうぼう栄町店」で1100円、
「サンエー安里店」の「毎日特だ値」で1005円、
「かねひで与儀公園前店」の「只今特価中」で986円!しかも一升瓶は1577円!
知ってしまうと、少し悲しい気分です。
新都心
1、新都心に謎の森出現
新都心をウロウロしていると、那覇国際高校の近くに、まだ開発されていないうっそうとした森を発見しました。この正体が分からず悩みの種でしたが、最近になって「沖縄タイムス」ホームページの「特集・連載」で次のような記事を見つけました。
〈二〇〇六年一月二十七日 朝刊三十面〉
守る。自然 いま 未来(16)
第4部 都会に残る緑 @那覇近郊
新都心公園 湿地7ヘクタールに託す原風景
那覇新都心。銘苅小学校や市役所銘苅庁舎の北東に、ホタルやカエル、水鳥などが息づく七ヘクタールの湿地帯がある。周辺で大型商業施設や高層マンションの建築ラッシュが続く中、市内でも貴重な手付かずの自然が残る。
一帯は元の銘苅川の一部。旧銘苅集落の村ガーとして親しまれたわき水「シグルクガー」が今も残り、一九五三年の米軍による土地接収で消失した「地域の記憶」をかすかに伝えている。
市は、一帯を新都心公園「沖縄の杜ゾーン」として二〇一〇年までに整備する予定だ。
市民やNPO、行政関係者らでつくる「なはエコネットワーク」は、公園づくりについて自然環境に配慮するよう提言。ホタル生息地を通る予定の遊歩道のルート見直し、多目的広場を撤回した上での森の拡充など、計画の見直しを求めている。
「伐採するのはあっという間だが、いったん壊した自然を回復させるには何十年もかかる」。事務局長の上原辰夫さん(52)は訴える。
一九八七年に全面返還された新都心地区(二百十四ヘクタール)は、開発が本格化する九〇年代後半まで県内有数の野鳥の生息地だった。市の九七年の調査ではセイタカシギやアカショウビン、サンコウチョウなど七十三種が確認された。
しかし、その後の急速な開発で多くの森や湿地が消失。カイツブリやカルガモの営巣地があった池も埋め立てられた。
上原さんは「最後に残った七ヘクタールだけでも残したい。いつか、人口三十万の県都の庁舎近くで水遊びや野鳥観察ができるかもしれない」と夢を語る。
「きれいに芝生が敷かれた公園はほかにたくさんある。ここだけは“別世界”でいい」。旧銘苅出身で、今も近くに住む写真家の花城勝子さん(61)も保全を呼び掛ける一人だ。
「子どものころ、家の周りのあちこちにホタルがいた。よく捕まえては瓶に詰め、枕元に置いて眠った記憶がある」
この地に組踊のモデルとみられる「銘苅子」の屋敷と墓があった歴史や「天女伝説」などを、現在の新都心の子どもたちにも知ってほしいと願っている。
「田んぼや畑に囲まれ、川の水量も豊かだった集落と人々の暮らしがかつてここにあった。そのことが忘れられていくのは寂しい」と花城さん。「心の原風景を残したい」と力を込めた。(社会部・田嶋正雄)
・・・・・ 那覇市を占める森林面積はたったの1%です。うまく自然を生かした街づくりができるといいと思います。
2、土地の強制接収
布令一〇九号「土地収用令」にもとづく土地の強制接収は、伊江島や宜野湾・伊佐浜が有名ですが、実は真っ先に行なわれたのは、現・新都心地区一帯です。一九五三年四月に接収された一帯は、米軍の住宅地(米軍牧港住宅地区)になりました。一九七三、四年に、日米両政府は「条件付き全面返還」で合意しましたが、返還が完了するまでに十年かかり、しかも「細切れ返還」だったため、さまざまな問題も発生したようです。
接収前には岡野や平野という区名がありましたが、現在はなくなり新たに「おもろまち」という地名が誕生しました。ちなみに安岡中学校の「岡」は、岡野に由来するそうです。
3、丘の上の謎の施設
「TSUTAYA」や「洋服の青山」の向かい側の丘の上にある奇妙な施設、みなさんも目に入っていると思います。あれは何かと調べてみると、「安里配水池」というものでした。首里大名の調整池とつながっていて、日量最大給水量二万七千立方メートル、新都心や安謝、与儀など5.5万人への給水が可能だそうです。
この丘は、実は沖縄戦で激戦地として名高い「シュガーローフ」です(日本軍は「すりばち丘」と呼んだ)。日本軍の陣地があり、一九四五年五月十二日から約一週間にわたって頂上争奪戦が行なわれ、1日に4度も双方の制圧部隊が入れ替わるなど、激しいものでした。十八日に米軍が完全制圧しました。
配水池の周りは公園になっていて那覇市内が一望できる絶景ポイントで、しかも沖縄戦の重要な戦跡の一つですが、入口に看板すら立っていないので、誰も行けません。ハッキリ言って、もったいなさ過ぎます。
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