「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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〇六年沖大祭報告(3)
「首里八景をめぐる」
「首里八景」について
首里の見所の代表といえば首里城でしょうか?しかし当たり前すぎるので、何かないかと探していると、ありました、「首里八景」。みなさんは知っていましたか?わたしたちは偶然、ネット検索で発見し初めて知りました。以下、具体的な場所や名称を書いておきます。
1、「冕嶽積翠(べんがたけせきすい)」(弁ヶ嶽/首里鳥堀町)
2、「 壇春晴(うだんしゅんせい)」(雨乞嶽/首里崎山町)
3、「崎山竹籬(さきやまちくり)」(崎山村/首里崎山町)
4、「経台新荷(きょうだいしんか)」(弁財天堂/首里当蔵町)
5、「龍潭夜月(りゅうたんやげつ)」(龍潭/首里真和志町)
6、「虎山松涛(こざんしょうとう)」(虎頭山/首里赤平町)
7、「西森小松(にしもりしょうしょう)」(西森/首里儀保町)
8、「万歳嶺夕照(ばんざいれいせきしょう)」(首里観音堂/首里山川町)
誰でも知っている場所もあるし、ほとんど地元の人しか知らないような場所もあります。とにかく難しいことは抜きにして、さっそく見て回ることにしまししょう。
( )の点数は、旅の会による独断と偏見の絶景ポイントです。
1、「冕嶽積翠(べんがたけせきすい)」(8点)
弁ヶ嶽は、モノレールの終着点=首里駅から東方向にある目立たない小高い丘(森)ですが、実は、弁ヶ嶽の頂上は那覇でもっとも高い地点(海抜標高165.7メートル)です。
説明版によると、沖縄本島中南部では最も高いとのこと。そのため、昔は航海の目標ともなっていました。峰全体がご神体となっていて、首里王府時代には、1・5・9月には国王自らが訪れて、祭祀がとり行われたそうです。沖縄戦の際に、御嶽の門をはじめ、峰全体は破壊されました。現在の御嶽の門は、戦後になって首里鳥堀町民の奉仕によって造られたそうです。
頂上からの眺めは良く、森全体も静寂が漂っていてオススメです。しかし、森に到着してまずはじめに目に飛び込んでくるのが、「不法投棄するな!」の看板の山であったのが残念でした。
2、「 壇春晴(うだんしゅんせい)」(10点)
「雨乞嶽」は、その名の通り、昔は雨乞いをした場所です。ここはとくに旱魃がひどい時には王様が家臣を率いて直々にやってきて祈願したそうです。現在は公園になって、最近新しく展望台が設置されました。那覇、首里の街が一望できます。絶景です!
公園内の一画には「御茶屋御殿石造獅子」(うちゃやうどぅんせきぞうしし)というシーサーが鎮座しています。1677年に作られたも、王府の別邸・御茶屋御殿に置かれていたものです。
ちなみに、獅子は“火避け”のために置かれていたもので、東風平(現・八重瀬町)の八重瀬岳を向いているそうです。遠く東風平には、火難をもたらすと考えられていた八重瀬岳という山があって、獅子はそっち方向に睨みをきかしているということのようです。なるほど、たしかに国際通りの御土産屋に並んで愛嬌振りまくシーサーたちとは違って、威厳を備えていました。
3、「崎山竹籬(さきやまちくり)」(7点)
「竹籬」とは竹で作った垣根のこと。その名の通り、昔は竹垣で囲まれていたそうです。現在は「崎山公園」となっていて、景色がきれいです。
公園にあった説明文によれば、崎山・鳥堀・赤田は、「首里三箇」と呼ばれ、庶民の街だったそうです。水が豊富で泡盛製造があちこちで行なわれていました。その泡盛製造も今ではたった一軒しか残っていないそうです。公園近くにある「瑞泉酒造」のことです。
4、「経台新荷(きょうだいしんか)」(5点)
弁財天堂は、首里城公園内の円鑑池に浮かんでいます。お堂は15世紀に朝鮮から送られたお経を納めるために建てられました。島津侵入の際に破壊され、沖縄戦で全壊し、復帰前に復元されました。池には網ですくえるほど魚が泳いでいました。
抹茶色の円鑑池+石造の天女橋+普通すぎる弁財天堂がマッチしているところが評価されるべきなのでしょう、たぶん。好印象をもつ方も少なくないと思います。
5、「龍潭夜月(りゅうたんやげつ)」(昼3点、夜9点)
15世紀に国王尚巴志が掘らせた人工の池だそうです。爬龍舟競争を披露し、冊封使をもてなしたとか。池には、鯉やアヒルやカミツキガメ(いちゃいけません)がいます。夜になると首里城はライトアップされますが、旧県立博物館側の龍潭池のそばに立って眺めると、とても映えます。人口の景観はたいがい語るに足らずなのですが、首里城のライトアップだけは成功だったと思います。
6、「虎山松涛(こざんしょうとう)」(8点)
現在は「虎瀬公園」となっています。環状2号線から入る場所が分かりづらく、目には入っているのになかなかたどり着けず苦労しました。頂上の岩石が虎の頭見えたから一帯は虎頭山(とぅらじやま)とも呼ばれるそうですが、頭の上に立ってるはずの自分では形についてはまったく分かりません。
首里王府時代には、「虎頭ヌ御殿」とよばれる小規模の別邸があって王家の遊覧地となっていました。山には松林が広がっていましたが、戦争で完全に消滅したようです。
ちなみに、公園の隣にはハデハデな建物があります。けっこうめ脱のですが、「虎頭ヌ御殿」はこんなにケバい建物だったのでしょうか。・・・
7、「西森小松(にしもりしょうしょう)」(1点)
もっとも発見しづらい場所でした。儀保交差点付近をうろうろしていると、「北森 儀保町 拝所入口」という碑を見つけました。「北があれば西もあるはず」と思い、近くを歩いていたオジーに聞いてみました。
「ここは『北森』のようですが『西森』ってどこですか?」
「『ニシモリ』?ここだよ」
そういってオジーは「北森」を指差しました。ハッと気づいたのはずいぶん後のことでした。ウチナーグチでは「北」は「ニシ」でした。ということは「西森小松」は「北(ニシ)森小松」が正しいのではないかと、密かに疑っています。
眺望は良くありませんが、「八景」の中でもっとも神聖な雰囲気の漂うところでした。なので、山の中の写真を撮ることは気が引けたので撮っていません。入口の石碑だけでお許しください。
8、「万歳嶺夕照(ばんざいれいせきしょう)」(4点)
観音堂は大道から首里へ登のぼり、都ホテルの先を右折してすぐにあります。最近、建て替え工事でもしたのか、本堂は真新しいです。
景色は悪くはないのですが、都ホテルとか電柱が視野に入ってしまっていまいちです。座る場所が整備されているので、ゆっくりできる場所ではあります。
(トピックス)首里金城町、どう読む?
今ではほとんどの人が(しゅりきんじょうちょう)と読むはずです。「金城町の石畳」や「金城町の大あかぎ」などの名所でも有名です。
ところが(きんじょうちょう)が一般化するまでには、さまざまなドラマ(と言っていいのかどうか分かりませんが)があったようです。ことのおこりは、NHK沖縄放送局が那覇市役所に、「首里金城町は『かなぐしく石畳』と呼んでいるが、バス停にはローマ字で『KINJHO』と表示している。どちらが正しいか?」という質問でした。この件ついて那覇市町界町名整理審議会で話し合われたのは、一九七二年六月からです。会長は、「『きんじょう』と呼ぶのは外来者が勝手に呼んでいるだけ。『かなぐしく』が正しい」と主張しましたが、多数決では、きんじょう15/かなぐしく5となりました。しかし採決は保留され、以降「かなぐしく派」と「きんじょう派」は、さまざまな場でそれぞれの意見を訴えます。
例えば「かなぐしく派」は、由緒ある城下町の名前を残すために、小禄金城(かなぐすく)の役員たちを参考人としてよんで、正当性を主張したりしました。また「きんじょう派」は、「近代的」とか「『きんじょう』はハイカラだが、『かなぐしく』は読みにくい」と主張したそうです。最終審議会は、一九七五年十二月。実に3年余にもわたる議論が続き、多数決で「きんじょう町」が採択され、現在に至っています。
以上、「南東地名研究センター」の「南東の地名(第2集)」の「沖縄の地名・区画の変遷―とくに旧那覇市の町名―」より紹介しました。著者は、当時審議会の会長だった川平朝申さんという方です。「かなぐしく派」だった氏の悔しさがにじみ出た文章です。
鬼餅(ムーチー)の由来
旧暦十二月八日は、厄払いのため「ムーチー」を食べます。この「ムーチー」には由来があります。しっかり者の妹と暴れ者で手におえない兄が登場する例の話です。みなさんは、この「鬼餅由来」の話を、誰から、どのように聞いているでしょうか?今回は数々の「鬼餅の由来」を紹介します。地域によって、時代によって、語る対象が子供か大人かなどによって、少しずつ変わっています。これが民話の面白いところかもしれません。
「1・2・3・4・小禄
小禄の風景 ~魅惑の軽貨物が行く~
那覇空港から出発
待ち合わせ場所に登場したのは、一台の白い軽貨物でした。さっそく相変わらず口うるさい旅の会メンバーたちを乗せて出発です。まずは空港へGO!
「もしも空港からタクシーで那覇に向かったら。観光客の目に映っているはずの景色を見てみよう」ということでさっそく走り出しました。
まず「フリーゾーン」。前から知ってはいましたが、入ったことがないので、正面から突入。すると、入口の警備員がなんだか行く手をさえぎるんです。結局、敷地内をUターン。謎は解けぬまま。「われわれ一般ピープルが買い物をするところではない」という教訓を得て次へ進みました。
続いて左手に「SEAMEN’S CLUB」の看板を発見。これは、以前は現・奥武山公園内にあったもので、当時は「ユナイティド・シーメンズサービス」といいました。軍人・軍属の福利厚生施設です。早くから移転が決定していたのですが、移転先が決まりませんでした。やっと動いたのは一九九二年。沖縄の復帰二〇周年記念事業の一つとして、奥武山公園に県立武道館を建設することになって、「移転先は那覇軍港」と決まりました。ここまでは調べていたのですが、ようやく今回、移転先の場所が分かりました。
左手に広がるのが那覇軍港です。ジープなどの軍用車両を見ることができます。もちろん道路沿いのフェンスには「米軍用地に無断立入ることを禁止する 違反者は日本国の法律に依って罰せられる」の例の看板がはってあります。実は陸軍管理です。那覇軍港は、一九七四年に日米両政府間で「移設条件付き全面返還」が合意されましたが、三十年以上動かず現在に至っています。今年五月一日には、「浦添に建設される新たな施設(追加的な集積場を含む。)に移設」を条件に全面返還が再合意されました。
車窓から見える敷地内は、戦前には「屋良座森城(ヤラザムイグシク)跡」がありました。このグスクは、首里王府が対岸の三重城(ミエグスク、現ロワジールホテルの裏手)とともに砲台を設置し、海からの外敵に備えたものです。17世紀初めの薩摩が来襲した時、激しく砲撃し那覇港からの上陸を断念させたそうです。また沖縄にイモを普及させ、黒砂糖の作り方を広め、木綿織りを広めた「沖縄の産業の恩人」=儀間真常のお墓があったのもこの辺りです。沖縄戦の後、那覇軍港を占領したアメリカ軍によってグスク跡はアスファルトで塗り固められ、儀間真常のお墓は跡形も無く敷きならされてしまいました。この周辺にあった御嶽や拝所は、現在は少し離れた「山下西児童公園」の裏山に、住吉神社と一緒に置かれています。「観光客の目に映らない景色」も多いということが分かりました。
空港通りから三三〇へ
右手の自衛隊の建物を見ながら先へ進み、軍港ゲート前の山下交差点を右折。山下といえば、その昔は「ペリー区」と呼ばれ、米軍相手の歓楽街でした。現在はその面影はなく、住宅街です。
ちなみに、ペリー区への名称変更の由来は、山下が「マレーの虎」という異名をとった日本軍の山下奉文(ともゆき)将軍と同じ名前だったのを米軍が嫌ったからだそうです。当時軍政府・政治部長だった大佐が、「ヤマシタハ、キニイラン! ペリーニシロッ」と命令したとか。いかにも、山下から黒船ペリーに名前を変えてしまうあたり、アメリカらしいといえなくもありません。「ペリー」の名前は、「ペリー保育園」、「ペリー歯科」などとして現在まで残っています。
国道三三〇号を右折。ファミマの先の信号を左折すると、小禄市営住宅の裏手にある田原公園に到着します。実は、魅惑の軽貨物の運転手S君の子どもの頃の遊び場でした。S君は小禄界隈のプロフェッショナルなのでした。
コンクリート製の滑り台。超急勾配で怖いです。「ダンボールを敷いて滑る」(S君談)そうです。「ここにネットが張ってあったんだけど・・・」どうやら滑り台の前あたりに、子どもが遊べる網が張ってあったみたいです。公園には寿山という大きな丘があります。丘の内部は壕があります。沖縄戦当時、「巌(いわお)部隊」(南西諸島海軍航空隊)が入っていました。一九四五年六月くらいから寿山あたりは激戦地となって、かなりの死傷者が出ました。最終的に降伏したのは、九月五日。七日に第32軍が降伏したから、最後の最後まで抵抗してたのでしょう。壕の中は、手榴弾を使って自決する兵隊がいたので、あちこち内臓がはりついていたといいます。現在は、壕の入口は封鎖されていて中に入ることはできませんが、覗いた感じでは、コンクリート製の壁が頑丈そうです。説明版くらいはあってもいいかなと思いました。
三三〇号線をジャスコ方向へ。ちなみに、三三〇は昔の軍用道路3号線といい、一般車両は入れませんでした。ちなみ×2に、ジャスコも高級住宅地となっている金城地区も昔は米軍基地でした。基地内の住宅や小学校などが嘉手納基地に移設されるに伴い、国道三三一号線東側部分が返還されたのは一九八〇年です。
日本最南端の駅・赤嶺駅の先を左折。旅の会のメンバーにも度々お世話になっている「マンガ倉庫」わきを進みます。直近のバス停は「第2ゲート前」です。これも一帯が基地であった名残です。わずか二十年ほどで、昔を忘れてしまうくらいに変わってしまうものです。
次のバス停は「新町入口」。正式には「辻新町」というようです。戦後すぐにできた米兵相手の歓楽街だったそうです。その当時、小禄はほとんどが占領されていて、米兵が夜な夜な女性を捕まえてレイプする、ということが多発していたようです。そこで、だったら米兵相手の街を作っちまおうということでできたのが新町でした。今は、傍目に見た感じでは羽振りの良い時代の面影はありません。夜にならないと分からないかもしれませんが。
宇江原、高良へ
小禄南図書館。小禄唯一の図書館は、豊見城に近い高良にあります。この一帯が、戦後すぐの小禄の中心地で、図書館は役場だった時もあるそうです。宇江原・高良一帯は、今も住宅地が密集していますが、道路に面して大きな墓がいくつもあるなど、昔の雰囲気が漂っているところでもあります。小禄中学校の裏門近くに「安次嶺嶽」と「安次嶺シーサー」があるらしいということで探しましたが、結局見つからず。助手席に座るK君の拙いナビにより到達することができませんでした。
瀬長島、そして三三一号線を北上
豊見城を経由して瀬長島へ。瀬長も豊見城じゃないかって?そう固いこと言わないでください。
「瀬長島でビーチパーティー」というのは旅の会の定番でもありますが、今回はこんもりとした森を密着リポートするのが目的です。瀬長島ってよくみると森なんです。軽貨物の怒涛の坂道発進に期待したのですが、登頂できると思われる道は通行禁止。あっけなくあきらめました。
ここにはその昔、グスクがあったそうです。中山の尚巴志が落城させました。戦後は米軍基地でした。「海軍瀬長島弾薬貯蔵所」。これによって、島の形はだいぶ変わってしまったそうです。瀬長島一帯の弾薬庫を嘉手納弾薬庫へ移設して返還されたのは一九七七年です。今では家族連れで遊べる手軽なビーチが、グスクだったり、基地だったりというのは驚きです。
島を出て、三三一号線を那覇方面へ。やがて左側には、自衛隊基地が見えてきます。はじめが「航空自衛隊那覇基地」。ここは海上自衛隊第五航空群との共用施設だそうです。以前は、アメリカ軍の「那覇空軍・海軍補助施設」として使用されていた場所で、一九七二年の返還と同時に自衛隊に引き継がれたところです。
さらに進むと、「陸上自衛隊那覇駐屯地」も見えてきます。空港通りの右手に見えた建物がそうです。ここも以前は米軍基地で「那覇ホイール地区」でした。一九七二年の返還の際に自衛隊に引き継がれました。
最後に再び空港通りに合流し、明治橋を越えました。明治橋から海に浮かぶ島がみえます。海面すれすれのところに石垣を確認することができますが、これは「御物城(オモノグスク)跡」です。「御物城」は、琉球が中国・朝鮮・東南アジアなどの各国と活発に交易を営んでいた頃の倉庫だそうです。とても重要な施設だったようです。「第二尚氏王朝の始祖となった金丸(尚円王)はここの長官であり、その勢力をバックに第一尚氏王朝を打ち倒すことができたのであった。」(「沖縄県の歴史散歩」〔山川出版社〕より)単なる小さな島ですが歴史を感じます。時代は流れて明治になると、沖縄一の料亭=風月亭が建っていました。今は軍港内で米軍の通信施設です。将来はどのように利用されるのでしょうか?
以上、魅惑の軽貨物編でした。S君、お疲れ様でした。
以下、補足です。
「安次嶺嶽」と「安次嶺シーサー」について
「おろくの歴史を訪ねる講座」(編集・発行 小禄南公民館)が発行した一九九三年三月段階では、「小禄中学校の裏門」とあったのですが、後日ネットで調べたところ、赤嶺配水池(赤白タンク)が目立つ「赤嶺緑地」に移動していることが分かりました。戦後、アメリカ軍に接収されてから、三十数年ぶりに元の場所へ戻ったようです。シーサー、良かったね!
(番外編)嘉手納基地が那覇にある!?
「航空自衛隊那覇基地内に、航空郵便取扱所として、嘉手納飛行場管轄の施設が一部あります」(「沖縄の米軍基地」〇三年三月版)
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