2011・9豊見城へ

豊見城さくさく散策(1) 2011/09/06

前のミーティングで「9月はこまめに活動しよう」ということを決定し、さっそく実行に移しました。第一弾は「豊見城さくさく散策」(勝手に名づけましたゴメンなさい…)。さっそくいってみよう!

前もってコースを書いておきます。

真玉橋→瀬長島→アカサチ森→数珠森→そば屋(志ぐぁー)→与根漁港

いかにも旅の会っぽいコース設定だと思いませんか。。



午後10時。沖大に旅の会メンバーが結集。おぉ今日は集まったなぁ、まっすぐに並んだら地平線の向こうまでいくんじゃないか・・・(涙)

とにかく出発。

最初に着いたのが、沖大からわずか5分。真玉橋。

おいおい、真玉橋なんて毎日通学で通ってるじゃないか、旅の会もつまらんところに行くんだなぁ・・・

ちょっと待ったぁぁぁぁ


真玉橋はホントは奥が深いぃんです。(噂のS・Sの「深イイ話」じゃないゼ)

まず漠然とあの国場川に架かってる橋を「真玉橋」だと思ってるでしょ。違うだなぁこれが。実は、もともと架かっていたのは「木橋の五連橋」で次のように名前がついていた。

沖大側(北)…=名無し=世持橋=真玉橋=世寄橋=名無し=…豊見城側(南)

名無しって何かつけてあげればよかったのにね。


P9060287.JPG

とにかく案内板から説明すると、

1522年に 「首里と島尻を結ぶ交通の要として築かれました。」 たぶんこれが「真珠道(まだまみち)の一部として建造された」(ウィキペディアより)ということなのだと思います。

1707年に 「石橋への改築工事が開始され、翌年完成しました。」 1837年には 「世寄橋を改築し、その北側に新たに世済橋を築き六連の石橋になりました。」

沖縄尾石造文化を代表するとても美しい橋だったけど、1945年には 「沖縄戦で破壊されました。」 これは「退却時に日本軍によって破壊された」(ウィキペディアより)と説明しないと状況がが分かりません。

実は沖縄戦で破壊された文化財のなかには、日本軍によって破壊されたものも多い。軍事上必要な際には、日本軍も米軍も関係なく軍隊は常にそうする、ということはおさえておいた方がいい。ということは、軍事上必要なものは保全するということもあるということだ。


1996年に 「戦後つくられた橋の改修工事に伴う発掘調査によって、戦前の真玉橋が豊見城市側と那覇市側の双方でみつかりました。」 保存のための住民運動によって保存されることが決められました。



・・・と長々と説明しておきながら、あらためて書きづらいのですが、真玉橋に来たのはこれが主要な目的ではありませんでした。

えぇぇ

ソレハナイヨナァヒッシデヨンデシマツタデハナイカ、オイ

すまんすまん。

本当の目的は、これ。



P9060292.JPG

シーサー。けっこう普通の「イリヌ・シーサー」。「西のシーサー」の意味。

・・・ここで僕はため息をついた。

なぜって、「西の」ということは「東のシーサー」もいるということではないか!

今知った、今知ったばかりだ。ちゃんと事前に調べておけば良かった。

また行かねばならないじゃないか・・・

僕は落胆した。

けど良かった。だって沖大から5分だから。

僕は希望を持った。


「イリヌ・シーサー」の由来は次回とします。



豊見城さくさく散策(2) 2011/09/09

「豊見城村史」より。

 昔奥武山公園の東南、漫湖の中に大きな怪物がすみ、真玉橋、嘉数の部落民をかたっぱしから食い荒らそうとした。これは村の一大事とあって、皆手に棒や刀を携えて防戦したが力及ばず、村の人々は断念、怪物に食われるのを待った。そのとき三個の大石が降ってきて、怪物の暴れ狂うシッポを押えた。それで怪物は永久に身体の自由を失ない漫湖の中に据えつけられたのが今のガーナー森であるという。
 かねてガーナー森が書かず、真玉橋を喰いつぶそうとしている野心を神様が見ぬかれ、機会をまっておられたが、この時とばかり早速三個の大岩を投げられて、ガーナー森の臀部を強く押さえつけられたのであった。
 嘉数、真玉橋では神様の御加護に感謝し、ガーナー森の魔風を押し返すために唐獅子を据え、ガーナー森からの危難に備えた
ということである。それから後はガーナー森の不安もなく村は栄えて今のようになったということである。



さて、次は瀬長島に向かいました。真玉橋から南へ、まっすぐ、まっすぐ、まっすぐ、行くと、瀬長島につきます。

暑くて喉が渇いて販売機でジュースを買おうとすると、何と150円! さんぴん茶も水も150円! 山とか島とか輸送費がついて高くなったりするけど、瀬長島は陸みたいなもんじゃん。

けっ!!!

でも、買ったけど。喉の渇きにはどうしようもない。

メンバーのF君より、碑文があるというので、そっちのほうへ向かう。

P9060299.JPG

「平敷屋朝敏生誕三百年記念顕彰碑」。

説明文によると、組踊の作者で瀬長島にちなんだ「手水の縁」が有名らしい。詳しいことは自分で調べてください。

ひとつおもしろい話。

仲風節というので朝敏さんが詠んだものがある。歌意は「語ってくれ 恋をしに渡ろう この世で暁をしらせる鳥が鳴かない島があるならば」。

朝が来ない。いや~アツアツの二人にはもう・・・

「暁をしらせる鳥が鳴かない島」、これは瀬長島のことなのですが、なぜ「暁をしらせる鳥」つまりニワトリがいない島だったのでしょうか?

これについても実は解答を持っていますが、今しばらくあとに報告します。



とにかく、だらけててもしょうがないので、今回の目的地、瀬長島山頂へ向かいました。

P9060307.JPG

チェーンを越えて・・・


野良猫がニャー、乾燥して白くなったカタツムリの殻が大量に落ちている、木が生い茂り眺望もよくない。

「カタツムリ嫌いです」、「チェーンは族対策じゃないか」といったあんまり前向きじゃない話をしながら進むと、変な小道が。

「行ってみよう」

「カタツムリ嫌だから行って来て」

「行ってきます」

カタツムリ大丈夫派が代表して散策を開始。ずんずん進んだ(らしい)。

けっこう奥まで入っていけた(らしい)。行き止まりになっていてお墓らしきものがあった(これはデジカメで見せてもらった)。

山頂付近のお墓は誰のだろう? 小道は最近整備した雰囲気も漂っていた。うーん。

さらに進もうとすると工事で行き止まり。

これはどうやら最近話題になっていた温泉ホテルの工事。かりゆしウェアに身を包んだ人が何人も出歩いていました。

P9060312.JPG

仕方ない、遠巻きに那覇空港の写真でも撮って終りにしてやらぁ・・・。眺望悪し。

でも、なんだかもう一回探検してみたい気持にも駆られる不思議な場所だった。



豊見城さくさく散策(3) 2011/09/11

瀬長島から下ってきて、今度は島一周。誰でもやったことあるか。

今回はJ君の先導で、拝所をめぐりました。J君によれば拝所は3つあるとのこと。

これまであんまり気にしてこなかったなぁと思い、いつもより注意深く見て回りました。

左回りにまわりました。

P9060315.JPG

まず駐車場の所。


P9060316.JPG

あずまやの所。ニャーも一緒にパチリ。

P9060318.JPG

「子宝岩」。
 戦前は、ここの波打ちぎわに石灰岩が隆起してできた高さ数メートルの岩があった。
 その岩には上下二つの穴が開いており何時のころからか村内外から人々がここを訪れ「子宝に恵まれますように」と祈り、男の子が欲しければ「上の穴」、女の子が欲しければ「下の穴」へ、小石を投げ入れて願かけをする習わしがあった。
 地元の人々は、その岩を親しみをこめて「イシイリー」または「子宝岩」と呼んだ。


とのことです。これは比較的目立つよね。


P9060319.JPG

この拝所はかなり目立たない。

「波平玉女」「手水井」の文字が刻まれてました。うーん、何なのだろう?

もしかしたら島を探索すれば、他にもいろんな拝所があるのかもしれません。そもそもここは「信仰の島」だったらしいですから。


そうそう、(2)で示唆していましたが、なぜ瀬長島は「ニワトリがいない」のか?

それは「豊見城村史」によれば

鶏を飼うと必ずハブが鶏を食べに山(城)から下りて来た。昔からハブの多い島だったので鶏を飼わなかった。したがって鶏のなかない島であったのである。

そうかー、カタツムリの殻がどうのこうのとか、ニャーに目がくらんで、ハブの存在まで意識がまわってなかった。やぶにのそのそ入り込んでいったメンバーは命知らずですね~

島離れ際に、Kが「飛行機撮りたい」というので、仕方なしに一緒に撮りました。

ちゃんといいカメラじゃないと迫力のある写真は撮れないみたい。この日もけっこうマニアな人たちが撮影してましたね。

たざずんでるとオバーが声をかけて来た。島を散歩してたらしい。

そして、なぜだか分からないけど、アメをくれた。

会って30秒でアメをあげるなんてさすが沖縄のオバーであった。



これで瀬長をおしまいにし次ぎの場所へ行くと思ったら・・・


まだ瀬長を離れない、なんだかしつこい旅の会だった。



豊見城さくさく散策(4) 2011/09/12

なぜかオバーにモテた御一行は次に・・・まだ瀬長。

P9060328.JPG

瀬長交差点のところにポコッとしたあの丘、分かりますか?

あの丘が「あかさち森」。

交差点からは見えないけど、瀬長島の方面からまっすぐ進むと、右手に拝所があります。赤い鳥居が目立つかな?

ここは戦前まで瀬長島にあった数々の拝所を、戦後になって瀬長島が米軍に土地接収されてしまったため、「あかさち森」に移動し安置したものです。

境内には、井戸が並んでて、左より「御月御井」「知念御井(波平御井)」「按司御井」「前ヌ御井」とありました。

左から二番目の「波平御井」は、島で見た目立たない拝所「波平玉女」と関係があるのかもしれません。うーん、分からない。

ここに来た目的は、拝所を見学するのと、もう一つこの丘にある戦争中のガマを見学するためでした。

P9060333.JPG

「あかさち森」は沖縄サミットのときに、業者が資材置き場として利用するために東側半分が削り取られてしまったそうです。写真で分かりますか、丘に掘られた2か所の穴。軍構築壕ですが、調査も行なわれることもなく、業者によってコンクリートで封じられてしまったそうです。(「ガイドブックに載らない史跡」ホムペより)

保存の責任がはっきりしないと、そういうことが起こってしまう。「史跡」とみるか「遺物」とみるか・・・。

写真でも分かるかな?資材置き場というかゴミ捨て場っぽく使われてるみたいです。写真には写ってませんが、青いショベルカーの手前に「KBC学園 入学式会場」と書かれた案内板が倒れてました。一同「うーん・・・」。


休む間もなく、今度は与根集落へ直行。目的のそば屋はすぐ目の前。



というか、通り過ぎた。

P9060336.JPG

そばの前に「数珠森」へ。某コンビニ駐車場より。バス停にも「数珠森入り口」ってあるくらいだから、「あぁあれのことか」って思う人多いと思う(いないか!)。

前に瀬長から豊崎へ通ってる大橋から見えて、あれ何だろう?って気にかけていましたが、今回尋ねることができて光栄です!(F先輩の弁)

急こう配の坂道を登っていく、「また森かよ」とぐちりつつ。登り口には「数珠ガー」という井戸がありました。使ってる気配無し。

頂上までは行けないのかな?中腹に石が二つ並んだ拝所がありました。そのそばにはK君は「ガマかな?」という目立たないくぼみがありました。実際にガマかどうか分かりません。ただ「数珠森」に軍構築壕があるということは調査済みです。

P9060342.JPG

来た道を戻る。サンダルで山登り、半ばやけくそ。



豊見城さくさく散策(5) 2011/09/12

島行って、森行って、森登って、やっと旅の会はわちきにそばを食べさせてくれるのね・・・。

犬のお預けの厳しさを身をもって知ったわたしは、他メンバーのバイクをやや引き離し、一路そば屋「志ぐぁー」へ向かいました。

P9060344.JPG

なぜか昼時なのに客がいない。

駐車場に止めると、なぜかお店のおばさんが笑顔いっぱいで手を振ってくれました。

うーん、何かモテるな~。。。

ソーキすばを注文。並680円。

P9060347.JPG

事前に予約してたことが功を奏して、大盛りにしてくれました。わーい、わーい、わーい。

なんか御主人まで厨房から出てきてくれたりして。

そば研もなが売れたものよ(ウソ)

さてそばのお味は・・・


そば研の口に合うものでした。メンバーからは「さっぱりしててうまい」でした。

ソーキもほどよく。

夏向きな感じがしました。

・・・

せーの、

ごちそうさまでした!



また来るね~

そうして次に「与根新港」へ。

「今度釣りをしよう」と意気込むメンバーに連れられて漁港へ。

P9060350.JPG

ここではタマンとか、チヌとか、カーエーとか、そんなのが釣れるらしい。

「タマンて言ったら高級魚じゃないですかぁ」

俄然身を乗り出したメンバー。

釣り道具一色そろえるには曙の「サンノリ」がいいらしいこと、超手軽に釣れるらしいこと、D君の甘い言葉に「すぐ釣り道具買いに行こっ」と乗せられやすいM君。

というわけで、近々「釣り研」が開催されるかもしれない。

それにしてもこの日は自衛隊機の騒音がうるさかった。なんでも百里基地からF15がきてるらしいからその影響だと思う。



さくさく散策はこれにて終了。10時開始で2時前終了の手軽な旅でした。


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