がんバレー“ジャンプくん”GO!

がんバレー“ジャンプくん”GO!

PR

×

プロフィール

ジャンプくん97

ジャンプくん97

カテゴリ

ただ今、「カテゴリ」保留中!

(1271)

ボーっとタイム

(216)

排球通信

(305)

排通士(士魂勝才)

(443)

評論家生活

(725)

猛牛党

(108)

ベンチサイド

(32)

プライベートビューイング

(130)

ニュースは【考える葦】

(743)

砂かぶり

(158)

日本の歩き方

(707)

「NIPPON!」応援団

(207)

視聴者は視た

(136)

満腹通信

(329)

麺通団T支局

(234)

お酒は温めの燗がいい

(56)

徳島‘ほな’県(けん)!

(11)

吉野川長治(映画)

(109)

健康・体調に気をつける

(202)

MILEAG PANK 無駄遣いに注意!

(3)

経済白書~ん

(100)

無印ファンド

(102)

【腹が立つ!】

(38)

あっさり慶太(コンサート&ミュージカル)

(15)

学校日記

(64)

家族日記

(47)

M亜門でなく『T阿門』

(51)

【新中国・上海】09

(87)

北中南米’11

(264)

家族旅行(マレーシア2009&2015)

(184)

韓国2008

(178)

南極旅行記H18(2006)

(196)

家族旅行(ハワイ2007)

(57)

北朝鮮旅行記H16(2004)

(29)

南アフリカ旅行記H14(2001)

(27)

東南アジア95

(89)

アンデスとイースター島1994

(120)

アラスカ・ハワイ1993

(78)

【中東】1992

(83)

【東欧南欧の旅】1991

(153)

メキシコ・ブラジルの旅(1990)

(97)

【ヨーロッパ・エジプト】最長の旅(1989)

(135)

アメリカ旅行記S63(1988)

(88)

中国旅行記S62(1987)

(86)

プレハブ通信・行脚H17・18(05・06)

(348)

アメリカ2016

(112)

バックナンバー

2026年06月
2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2008年07月30日
XML
カテゴリ: 評論家生活
こんなコンビもなかなかいない。

最後のプロの球を清原に投げる桑田。怪我も癒えて、いよいよ1軍間近の清原。

こんな2人の関係というのはどういうものだろうか!?

徳島の者にとってある意味、KKコンビは【敵】でした。

池田高校の夏春夏を誰しもが望んでいた。当時のTVはこぞって池田高校の特集を組んだ。

しかし、3回戦。対広島商業高校戦。水野の頭にボールが直撃。もう、心配でならない。しかし、水野は広島商業に勝った。後遺症がなければいいのだが・・・見ていた池田ファンはそう思ったのに間違いない。

そして、準々決勝。

昨年の夏。荒木大輔を擁する早稲田実業。事実上の決勝戦とも言われた。しかし、決着は1回についた。

よく春は明徳との準決勝。そのときの明徳の監督はおじいさんだった。0-1と池田高校がビハインドのまま8回。ここで、連打!2-1の逆転。



そしてこの年夏も、野中を擁する中京高校との事実上の決勝。

 行き詰まる投手戦。 試合は3-1で池田の勝利。このとき、TVで夢中だったおばあさんは興奮しすぎたのか心臓発作でなくなったと、新聞に載っていた。

そして、運命のXデーがやってきた。

池田対PL。 阿波の金太郎・水野&阿波の桃太郎・江上に対するのは1年生エース桑田。1年生4番バッター・清原。

このとき、PLの初戦となった高校のアルプスはTVで「なんで、11番のピッチャーを出すんだ!なめている。」などといいながら、完封負けに唖然としていたのを覚えている。

試合は、水野がズタズタに打たれる。信じられない光景だった。最後のとどめは桑田のホームラン。

読売新聞は大会後、特集を組んだ。タイトルは【池田からPLへ】だった。

PLの黄金時代。

しかし、池田も負けてはいなかった。選抜で梶田-藤原バッテリーで優勝した。このとき捕手の控えだった九鬼は後に教育実習で私が共感として教えた。そのとき、中学校にプロ野球団が電話が何度もかかってきた。ドラフト直前の教育実習だったためだ。

KKのドラフトは当時ものすごいニュースになった。

また、後に桑田の暴露本もだしたスポーツ用品会社の社員もいた。彼は後にプロレスラーにもなった。




こんなコンビもなかなかいない。

最後のプロの球を清原に投げる桑田。怪我も癒えて、いよいよ1軍間近の清原。

こんな2人の関係というのはどういうものだろうか!?

徳島の者にとってある意味、KKコンビは【敵】でした。

池田高校の夏春夏を誰しもが望んでいた。当時のTVはこぞって池田高校の特集を組んだ。



そして、準々決勝。

昨年の夏。荒木大輔を擁する早稲田実業。事実上の決勝戦とも言われた。しかし、決着は1回についた。

よく春は明徳との準決勝。そのときの明徳の監督はおじいさんだった。0-1と池田高校がビハインドのまま8回。ここで、連打!2-1の逆転。

 このときの1回戦は、帝京高校。甲子園1塁側内野席で観戦していた。一緒にいたクラブの仲間は、「池田対中京でなく、ユニフォームが阪神によく似ているから、まるで池田対阪神だ!」といいながら、試合はあっさりと終わった。このときの、5番吉田のホームランが選抜唯一のホームランだった。

そしてこの年夏も、野中を擁する中京高校との事実上の決勝。

 行き詰まる投手戦。 試合は3-1で池田の勝利。このとき、TVで夢中だったおばあさんは興奮しすぎたのか心臓発作でなくなったと、新聞に載っていた。

そして、運命のXデーがやってきた。

池田対PL。 阿波の金太郎・水野&阿波の桃太郎・江上に対するのは1年生エース桑田。1年生4番バッター・清原。

このとき、PLの初戦となった高校のアルプスはTVで「なんで、11番のピッチャーを出すんだ!なめている。」などといいながら、完封負けに唖然としていたのを覚えている。

試合は、水野がズタズタに打たれる。信じられない光景だった。最後のとどめは桑田のホームラン。

読売新聞は大会後、特集を組んだ。タイトルは【池田からPLへ】だった。

PLの黄金時代。

しかし、池田も負けてはいなかった。選抜で梶田-藤原バッテリーで優勝した。このとき捕手の控えだった九鬼は後に教育実習で私が共感として教えた。そのとき、中学校にプロ野球団が電話が何度もかかってきた。ドラフト直前の教育実習だったためだ。

KKのドラフトは当時ものすごいニュースになった。

また、後に桑田の暴露本もだしたスポーツ用品会社の社員もいた。彼は後にプロレスラーにもなった。

時間というものは早いな!

クリックはこちらここをクリックしてください





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008年07月30日 21時54分50秒
コメント(1) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


池田高校  
匿名 さん
池田・水野が僅差で敗れるのではなく、大差でぼこぼこに負けたのが良かった。

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: