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その⑫ ~退院 PartⅡ~



外泊から戻った退院前夜、私は同じ病室の方々や仲のよかった
ドクターに向けて、手紙を書きました。
外泊中、実家で思いっきり泣いたこともあって、少しすっきりしたのか、
気分は少し落ち着いていました。
本当はその後の生活への不安でいっぱいだったけれど、感謝の
気持ちだけは伝えたいと思っていました。書きたいことは山ほど
あったけれど、いざ便箋を前にすると、なんだか筆が進みませんでした。

消灯後も、テレビの光を頼りにして、10通ほどの手紙を書き終えました。
ベッドに横になって、しばらくこの4ヶ月のことを考えていました。
治療は終わったとはいえ、髪の毛はまだほとんど丸坊主だし、体は
ふらふらするし、正直言ってあまりすっきりした気分での退院ではないけれど、
それでももうここに戻ってこなくていいんだ、と思うと少しだけ気分が楽に
なりました。ただ、この先どうすればいいんだろうという気持ちがとても
強かったことを覚えています。

退院当日は、会社の上司が病院に来てくれ、両親と主治医を交えて退院後の
話をしました。前日に、主治医にはしつこく「大変だったってことをちゃんと
アピールしてね!!」とお願いしていたこともあり、大量の抗癌剤を投与したため
体はかなりダメージを受けているということ、しばらくは自宅療養が必要なこと、
時間をかけないと体は元に戻らないこと、今までのように無理は出来ないこと等を
かなり厳しい調子で話してくれました。会社側への説明が終わったところで、
私と母親だけカンファレンスルームに残り、今後の生活についてや、妊娠・出産の
可能性など、疑問に思っていることについて、追加で説明をしてもらいました。
右の卵巣・卵管は摘出してしまいましたが、子宮や左の卵巣への影響は今のところ
見られないので、生理が順調に来るようになれば、妊娠や出産は可能だとの説明を
受け、私自身も母親も一安心でした。

一通りの説明を受け、退院の手続きを終えた後、両親と上司と共に昼食をとりまし
た。(私の入院していた病院には、お見舞いの方や入院中で食事制限のない患者さ
ん達が入れるレストランがあり、見晴らしもいいので私も家族や友人がお見舞いに
来てくれ、調子がいいときは何度かそのレストランで食事をしていました。)
もちろん話題は会社への復帰のことばかり。強い口調で主治医が説明したにも関わ
らず、父親は退院して1ヶ月したら復帰させます、と上司に言っていました。

今考えると、入院中ずっと私に代わって会社との交渉役をしてくれていた父が、
会社に対して精一杯の誠意を見せようとしてくれていたのだと思います。

でも、その時の私は入院中となんら変わりない体調の中で、不安も抱えているのに
それをわかってもらえていない気がしてとても悲しかったし、悔しかった。体の
ことだけを考えたいのに、そうできない現実に直面したような気になっていま
した。「復帰したら、髪の毛のことはどうしようか?」そう上司に聞かれ、
「カツラを被ります」と答えたものの、本心はカツラを買う気など微塵もありませんでした。

会社のことは考えたくない。それが、正直な気持ちでしたが、
復帰することを前提に、と「休職」ではなく「欠勤」という扱いにしてくれて
いること、仕事が軽い部署に異動を認めてくれていること、
短縮勤務という形から復帰をスタートさせてくれることなど、
会社側も出来る限りのことを考えてくれていました。

両親は、一般企業でそこまで考えてくれている会社は珍しいし、
恵まれた環境に置かれているのに復帰に対して一向に前向きにならない私に
疑問を持っていたと思います。

でも、その頃の私は全てに対して前向きな気持ちを持てずにいました。
治療が終わって、ようやくほっとしたのに、次のハードルがもう目の前に置かれ
ていること、なにより、自分の見た目が明らかに変わっていることに対する
ショックが大きすぎて、何もやる気になれませんでした。
外に出て、自分と同年代の女性を見るたびにその気持ちは大きくなっていました。

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