Tarsha's Trace

Tarsha's Trace

2008.09.08
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そこで、自分と違う意見を持つ人と相対したときに、

自分が自分自身に対して抱いている「正当性」が崩されそうになると、その途端、ものすごく不愉快になる。

相手が「自分が正しい」と信じ込んで、「お前の考えは間違っている」とぐいぐい押してくるのが分かると、よけいそうだ。

おまけに、自分の意見の正当化に、さりげなく、mentor の名前を差し込んでくる。

こんな相手に接すると、「あなたのほうが間違っているのだ」と、なんとしても押し通したくなる。


「対話」って難しい。



自分の意思を通すだけなら、

相手は存在しないものとして、自分との間の回路をシャットダウンしたり、あるいは無理に力に訴えたほうが、ずっと簡単なのだ。




自分と相手の立ち位置を、よくよく知ることも。


そして、意見は違っていても、相手の人格を否定しないことが、最低の生命線・・・





こんなことをつくづく思ったのは、昨日、月に1度の大きな meeting の合間のランチタイムに、ある問題で先輩と議論したからだった。

その先輩とターシャは1歳しか違わず、これまでもよく話してきた仲の良い先輩だった。そういう人を相手にしても、いざ意見が食い違うと、こんなに相手を受け入れがたくなるのかと感じたのだった。


一つ嫌だったことは、ランチも済んで議論も済んで、みんなと会場に戻る道すがら、その先輩から、

「Tarsha Curie はひどい女だと思ったよ」

と言われたことだった。


もちろん、その問題を先輩が知った時に、そう感じたということである。

真剣に取り合う必要などないと言うように、先輩の口からさらりと流れた言葉。


けれど一瞬、その場から浮き立っているような異様感を感じた。

相手に対するとげを、「これまでの短くない付き合い」でくるみ込んでいる感じ。





けれど、はて、後からこの言葉だけ、記憶から浮かび上がってきた。


・・・・・・


その時すかさず、「『私も、先輩は甘っちょろいなと思いましたよ』と切りかえしてやれば良かった」と、自分の機転のなさを悔しく思ったりもした。


最後にポロッと出た言葉―

結局、先輩は、私を、そして同じ意見を持つほかの先輩方を、断罪したままなのだ。




「正しさ」に目隠しされて、「自分にも見えない部分はある」ということを、知らないんだ。

その「正しさ」は絶対的な mentor の存在に裏打ちされているから、1ミリも動かすことができない。


そういう姿勢が良くないのは―

結局、先輩のようにやれない人、やらない人、違う意見を持っている人を「断罪」するからだ。でもその実、先輩自身が、一面からのみ人を決めつけ、切り捨てる「断罪」を非難していたのだった。

文学の分析でよく見かけるロジックがここにある。

―相手の論理を崩そうとして、無意識のうちに自分も同じ論理の中に組み込まれている、という。



自分とは異質で多様な「他者」との<対話>―これが、ターシャの、今後最大のテーマになると思う。







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最終更新日  2008.09.08 22:40:18
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