良い事をされましたね、依頼者もさぞかし喜ばれた事でしょう

「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で被害時は皆大騒ぎしてましたが
今だ被害地の苦労は続き大変ですが、少しでも貢献できる事を継続する事により貢献も生きるでしょう
そんな意味で某グル-プも形を変えて月々奉仕してます
がぱって下さいね。 (2012年02月15日 10時59分46秒)

Freedom[和気愛々]

Freedom[和気愛々]

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2012年02月14日
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テーマ: 日記(2912)
カテゴリ: カテゴリ未分類
昨日のことでした。

きっかけは一本の電話から。

「今日、ちょっと時間ある?自転車の修理なんだけど、俺じゃ手がつけられなくて…」
自転車屋の友人からでした。
準備をして友人の待つ自転車屋に行くと「待ってたよ、俺じゃこれ手がつけられなくてね」
と言って差し出したのは一台の自転車。
僕は見たとたんに不思議に思った。

「これ…どうしたんだろ?」と思うくらい自転車は滅茶苦茶に壊れていた。

ハンドルは無理矢理ひしゃげたように、曲がりタイヤはグシャグシャ。


多分、数十年前の自転車だろう。
「直すのってこの自転車を?」と僕は一言言ってしまった。

すると友人が一通の手紙を「実はこういう訳なんだ」と渡された。

内容は
~~
修理をして頂ける自転車屋さんへ

このような手紙を添えて大変申し訳ありません、実はこの自転車の主は先月遺体で見つかった主人の自転車です。

私たち家族に残ったのはこの自転車だけなので、できるだけ直していただけると嬉しいのですが、もう何件もの自転車店にお断りをされていているのですが、私たちの思いと主人との思いがこもっているので修理していた出けると幸いです
~~

との内容だった。
僕は差出人の住所を見てやっと理解できた。


おそらく3月11日の震災で被災された方なのだろう。
僕は様々な思いを抱えながら作業に取り掛かった。

高校時代に友人の自転車屋でアルバイトをしていたのだが、友人の自転車屋は何故だか古い自転車が年に数回、回ってくるのだが、いつも友人のお父さんが修理をしていたが、数年前に他界してしまった。

それでも友人はそういった思い入れのある自転車を断ることをせず修理をしていたのだが、今回だけは友人の手に負えなく僕に連絡してきたらしい。

改めて自転車を見てみると、フレームのパイプ部分は外れてしまっているし、前タイヤを支える部分である「フロントフォーク」と呼ばれるところは開いてしまい、片側だけでタイヤを固定しているだけといった形だった。



オーバーホールと呼ばれる作業だが、作業が8割方終わりかけた時に友人と話しをした。
「これ、できるだけ使えるように戻してあげるか」と言って使えないと言っていた部品を指差した。
「そうだな…」僕は友人の目を見て言った。

正直、使えるかどうかは不安だったが、僕は岐阜で経験し友人は埼玉で揺れを感じていた。
僕が経験した揺れは最初は目眩と感じていたが、それは自分だけではなかった。

作業をしていた機械で使う切削油という油があるのだが、入れてあるタンクから水があふれ出しはじめたのだ「これは?」と思い周りを見ると目に入った蛍光灯が揺れている。

それも今までに経験がしたことのない揺れだった。

そして周りの人が一斉に「地震だ!!」と叫んだ。
僕はとっさに機械の非常停止ボタンを押すのが精いっぱいだったのを今でも覚えている。

友人が経験したのは、作業中に突然、ドカンという縦揺れが起き、すぐに横に揺さぶられるような地震だったらしい。

そんな話を聞きながら僕は自転車を見た。

この自転車に乗っていた人は一体どんな揺れを感じどんな恐怖だったのだろう…

そう思い、また作業に取り掛かった。

そして駄目なものを手作業で直していたが、結局自転車屋にある工具だけでは足りず、僕は自転車を積んで知り合いの工場を訪ね、パイプを曲げる機械や溶接機を借り、できる限り元の形に戻した。

そして丸一日かけて友人と部品を直し、なんとか乗れる形まで戻した。
友人が修理が終わったとの電話をかけていたが、いつも明るい友人がちょっと思い表情だったのが印象的だった。

僕は友人と久しぶりに話をしていたが、友人がボソッと「これでよかったのかな」とつぶやいた。

僕はその一言でやってよかったのかと疑問に思ったまま、自宅に帰った。

そして知り合いの人と電話をし、電話を切ってすぐにだった、携帯電話が鳴り、出てみると知らない人の声だったがその人の「修理していただいてありがとうございます」という一声でピンと来た。
その方は修理を依頼した奥さんで、あの自転車は主人が通勤に使用してたもので、主人が気に入っていた自転車。

震災当日もいつものように自転車にまたがる主人を見送る際にいつもなら「行ってきます」と言っていたらしいが当日は「うん、行ってくる」と言ったのが最後の言葉だったらしい。
そして震災が起き津波警報が聞こえたので奥さんは避難所になっていた高台にある小学校に一生懸命走り難を逃れたが、今でも目の前で起こった惨状を覚えているとのこと。

迫りくる黒い海に飲み込まれていく家々、我が家が流されていき、津波は学校のすぐ下まで来たとの事。

そして、夕方から降ってきた雪の中避難所になっている学校に家族が来たが、旦那さんとは連絡が取れぬまま、旦那の仕事場に向かうことにしたがその途中で見た瓦礫の山。
車が家の二階に突き刺さり、川は黒い水が流れ、やっとの思いで旦那の仕事場らしき所についたが、建物は何もなく、そこには民家の屋根だけがあったと言っていた。

それから2週間近く、学校の備蓄であったパンと毛布だけで過ごしたが電気が止まっておりとても寒い中毛布だけで過ごしていたらしい。
しばらくしてから救援物資が届き始めたが一人につきペットボトル一本とパンとおにぎりだけだったらしく、近くにいた子供が「お腹すいた」と言うので奥さんは自分の分であるパンをあげ、自分は空腹を我慢していたとの事でした。

そして震災後すぐに来たのがメディアのヘリコプターが空高く飛んでいたが、一晩中飛ぶのでうるさくてしょうがない、何のためのヘリコプターなのか、周りの人と「あんなことしているなら少しでも食料を運んできてほしい」と言っていた。
そして、震災後一カ月は寒い思いをしたが、しばらくして、自衛隊のヘリコプターが救援物資を運んできてくれた時は涙が出たと言っていた。

旦那を探し歩いたが、結局見つからず、3カ月、半年と過ぎ、一年がたとうとしていた先月、に警察の方から電話があり「ご主人の物と思われるものが見つかりました。」と電話があり、駆けつけてみると、この自転車があったとの事だった。

そして数日後に旦那の職場から3キロ近く離れた場所から変わり果てた姿で見つかったらしい。

そして奥さんが私たち家族に残った唯一の遺品が旦那が生前大切にしていた自転車なんですが、どこの自転車屋さんにも断られてしまい、自転車屋のつながりで紹介してもらったのが友人の自転車屋だったとの事でした。

奥さんから「修理をしてもらい本当にありがとうございました、家族共々本当に感謝しております。修理代をお支払いしたいので」と言ったときに僕は「僕たちにできることをしただけです。お金なんてもらえないです」と言って断った。

そして電話を切って友人から電話がかかってきて「なぁ、あれは俺たちにできる貢献だな」と言ったら友人も同じように「修理代なんていらない」と断ったらしいです。


正直なところ震災後の日本の力には驚きを隠せませんでした。
しかし、そんな中、募金されたものの行き先など、疑問に思うことが多々ありました。

少しでも早くあの未曾有の大惨事から復興してもらいながらも、自分たちの胸にしっかりと刻み込んでおくべきだなと思いました。





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最終更新日  2012年02月14日 17時30分41秒
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