お金を掛けずに勉強したい!!

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弥生時代~邪馬台国まで~


今日は弥生時代についての更新です。この弥生時代も2日での更新になるかな?といったところです。

弥生時代に入って、大きく変わる点といえば、 稲作の伝来 金属器の伝来 この2つをあげることが出来ると思います。そして、 邪馬台国 と続きます。それぞれ、結構たくさん把握しておかなければならない内容が増えてきます。ですから、丁寧に時間をかけて学習する癖をこの時代で是非養ってください。それがひとつの訓練になります。今後の時代では、益々複雑になっていきます。この時代くらいから、「あれ?なんだっけ?」ということが増えてくるのではないでしょうか?では頑張っていきましょう!

<金属器の伝来>
日本には、この時代に金属器が伝来します。ただし、 ほど同時に2つの金属器が伝来した という事を理解しなければならない。そして、それぞれ一体何に使ったのか?ここを勘違いすると、センター試験などの正誤問題で正解できなくなってしまうから注意が必要だ!

伝来した2つの金属器とその用途
青銅器  = 祭器に使用。銅剣、銅矛、銅戈、銅鐸の4種類あり。
銅鐸  → 近畿地方に分布
平形銅剣 → 瀬戸内地方に分布
細形銅剣 → 九州北部に分布

鉄器  = 実用の利器として使用。農・工具

とまあこんな感じね。青銅器というのは、強度が低い(=もろい)金属だったから、木を削ったり土を掘ったりっていう使い方には、鉄の方がよかった。じゃあ、何に使おうか?となったときに、恐らく、お祭りの時に出す、宝物として使用されたんじゃね~のか?とかなんとか考えられている…とまあこういうこった。それと、鉄器。こいつの用途で、農具・工具というのがあるけど、勘違いしないで欲しい。今なら、ホームセンターに行けば、いくらでも全身(?)金属のスコップなんかが売っているけど、ああいうんじゃない。
木製農具の先=土と接する部分 にはめこんで使用した
というのが正しい認識。要するに、役には立つんだけど高級品だったから必要な箇所のみ鉄を使用した。というこった。鉄資源をめぐっては、後の時代に朝鮮半島で争うなどしているからやっぱり高級品だったんだろうね。今みたいに何でもかんでも鉄とか他の金属で作っているなんて事はなかったというわけだ。

で、話を青銅器に戻すぞ。祭りの時に使用されたと考えられているが、近畿地方の銅鐸。こいつは全く不明。形からすると、お寺の鐘の様にも見えるけど、鐘の様に使ったのか、単なる飾りだったのか?全く解っていない。ここは考古学者さん達にお任せしようと思う。

さて、ここで一つの疑問が発生だ。金属器を使うようになったという事は、従来の石器は使用していないのか?という話。これ、打製石器と磨製石器のところでも放したけど、全く同じで、金属器が伝来したからと言って、全部金属器に変わったなんて事はない。ちゃ~んと従来の石器も使用している。だから、 金石併用時代 なんていう風に考えれば良いだろう。おっと、弥生時代と言えば中学以来の弥生土器っていうのがある。こいつも次でまとめておいたから一緒に覚えてしまおう。

<その他の銅製品と弥生土器>
銅鏡 → 輸入品と国産があるから注意!!
     輸入 = 舶載鏡  国産 = ホウ(にんべんに方の字)製鏡
     同じ鋳型で製造したもの = 同笵鏡(ドウハンキョウ)
弥生土器 → 壷(ツボ)、甕(カメ)、 高杯(坏も可)(タカツキ) 甑(コシキ)
       高杯 = 食品を盛り付けた  甑 = 米を蒸した

どうよ?なかなかややこしいでしょ?ていうか、どうやってお前覚えてん!!って思われると思うんだけどね…気合で覚えた!としか言いようがない。笑
といっても気合だけで何とかなるなら誰も苦労しない。日本史LOVEなヤツなら何の問題もなくウェルカムだろうけど、嫌いな人からしたらとんでもない話だろうから。クレヨンしんちゃんがピーマン食えるようになるくらい大問題なわけだ。
そこで、一つ言える事は、口の中から溢れるくらい食べ物を詰め込んだら…あんたそれちゃんと吐き出さずに(何一つ口から飛び出さないように)食べれるか?無理や思う。勉強ってのもそれと一緒でさ、キライなら兎に角、一気に食べようとしないこった。15分とかでも良いから、 それを絶対毎日続けることが超重要 だと俺は思う。で、「そのうちやる~」ってのもダメだぞ。絶対しないから。笑


さて、それじゃあ続きを書こう。「もうお腹いっぱい」とか聞こえてきそうだが、まだ行くぞ!頑張って食え!笑

<稲作の伝来について>
稲作と聞くと、そらあんた、弥生時代からだ。これは誰だって答えられると思う。ところがだ。最近はチョット様子が変わってきててね、
縄文時代後期~晩期の頃に、既に農耕が開始されていた
と考えられている。稲作に関しても。でも、農耕に関してはそういう事が言えるということで、稲作と農耕を一緒にしないように!ちなみに、縄文後期の遺跡で農耕に関する発見と言えば 菜畑遺跡(九州) が有名。まあようは、何でもかんでも朝鮮半島か中国から伝来するもんだから、この当時の日本の最先端地域は北九州だったってこった。
じゃあ、稲作は日本の何処まで伝わってる?これは重要だぞ。答えは、九州、四国、本州。北海道や南西諸島には伝来していないから間違えるなよ!

じゃあ、この辺りまでをまとめて、4日目は終わりにしておこう。

<稲作伝来>
稲作 = 九州北部、西日本に伝来 = 定住生活が一般的になる
     本州は日本海に沿って北上 → 青森県まで
北海道 = 稲作伝来せず →  続縄文文化
沖縄・南西諸島 = 稲作伝来せず →  貝塚文化 (南島文化)

田の種類 = 初期と後期に分かれる

初期 =  湿田 (沼地を利用)
     田植えをせずに 直播
     収穫時は 石包丁 での穂首狩り
 木製農具 = 木鋤(キスキ)、木鍬(キグワ)、 田舟 田下駄
  田舟(タブネ) = 収穫物を落とさないように
  田下駄(タゲタ) = 身体が沈みこまないように
 収穫後 = 木臼、竪杵(タテギネ)を使って脱穀
高床式倉庫 、貯蔵穴にて保管

後期  =  乾田 の出現(中期以降西日本にて)
      収穫方法 = 鉄鎌で根狩り
      木製農具から鉄製農具の使用
      ※ 大足 の使用 = 肥料を踏み込む農具


まあこんなもんだな、ウン。ちょっと今日は内容が多いけど頑張ってノーととるとかして勉強して下さい。次回は、生活とか邪馬台国とか、そういうのをまとめてしまう予定です。

でわでわ。

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