神頼みな毎日

神頼みな毎日

熱い痛い動けない


 背筋が凍る。冷や汗が流れる。なんて表現がありますが、この話はそれどころではありません。全身に痛みのような恐怖が走り、冷や汗どころか滝のような汗が流れてしまうほど、恐ろしく怖い。微塵の救いもない話なのです。
 気をつけてください、引き返すなら今ですよ。今ならまだ間に合います、聞いてしまってから「聞かなきゃよかった」なんて言われても困るんです。
 ……おやめにならないのですね。そうですか、分かりました。貴方はとても勇気のあるお方だ。尊敬します、是非話し終えたら笑顔で笑い飛ばしてやってください。僕自身も救われますから……。
 この話を聞いたのは去年の夏。仲間たちと海で遊んで、予約していた旅館で夜をすごしていた時におもむろに仲間が始めた話です。恥ずかしい事に僕は、この話を聞いた時怖さのあまりしばらくお風呂にも入れませんでした。
 それでは……。始めましょう。

  ◇

 仲のいい友人たちと、海にやってきたのは八月の中旬の事。バイト代をつぎ込み、ちょっとした遠出で綺麗な海へとやってきた。
 男ばかり、と言うところに悲しさを覚えるも現地に着いた時には、白砂浜、暑い太陽、そして輝く海を前に、しばらくすればそんなことも忘れてしまった。
 ビーチボールや浮き輪を片手に、皆で海に飛び込んだ。午前中、朝早くから海に突入し、燦然と照りつける太陽の下で水と戯れた。
 可愛い女の子を発見し、ナンパを仕掛けるもあえなく玉砕する友人を笑ったり、バレーで異様な盛り上がりを見せファインプレーを連発したり。とにかく楽しくて仕方なかった。真っ黒に日焼けした。
 さて時間はあっという間に過ぎて、そろそろ旅館に行こうかと言う話になった。腹もすいたし、疲れもだいぶ溜まっていたから、じゃあそうしようかと旅館に向かった。
 小さな旅館だった。小さいながらにお風呂が売りで、料理もおいしいらしくお客は多いようだった。小汚いというわけではないけれど、とても古い建物で、不思議な雰囲気のある内部。若い女性の旅館の人に案内されて部屋に向かう。
「なんか夜になったら、あれだよな」
 仲間の一人が、妙に声のトーンを下げて呟いた。
「あれってなんだよ」
「ほら、なんか出そうじゃん。幽霊」
 にやにやと笑いながらそいつは言った。
「お前もホントそういうの好きだな」
「そんなこと言って、怖いんだろ。本当は」
 なんて馬鹿言いながら、笑っていたときだった。
「お客様。幽霊の話なんていうのはお好きなんですか?」
 俺らの話が聞こえたらしく、少し前を歩いて案内をしていた旅館の人がやわらかい笑顔で振り返って聞く。
「出ますよ。うち」
 突然だった。からかわれているのかと反応に困っていると、その人は真剣な顔になり、話を続けた。
「こういう仕事なんで、言いふらされてお客様が怖がってしまうと困るんですけどね。うち自慢のお風呂場。あそこにいるみたいなんですよ。幽霊」
 本当に稀に見える人とか、何か悪戯される人もいるみたいなんですが……。と彼女は真剣な顔から一転、笑顔に戻る。
 どう受け取るべきか迷っていると、俺たちの部屋に着いてしまった。話の途中ですみませんがと言い残して、その人は去ってしまった。俺たちにはなんとも言えない静けさだけが残された。
「……。本当だと思うか? 今の話」
「お客に対するサービスとか。そんなんじゃないの?」
「いやでもさ、それで悪い噂が立ったら困るじゃん。それに結構真剣な顔してたぜ?」
「うーん。風呂場かぁ」
 しばらく皆で議論していたが、誰も風呂に行って確かめようなんて人間はいなかった。意外と皆ビビリなのだ。
 やがて時間がきて、おいしそうな食事を前にその話はみんなの頭の中から消えていった。

 食事も終えて、しばらく部屋でトランプなんかを楽しんでいたが、海に行ったあとの独特の体のべたつきに耐えられず、俺は風呂に行くことにした。
 なんでこんなにべたべたなのに旅館に着いた時、入ろうとしなかったんだろう。なんて服を脱ぎながら考えていると、忘れていた幽霊話の事を思い出した。
 出ますよ、うち。――彼女の言葉を思い出す。
 まさかな。そう心の中で言いつつ、少しどきどきしながら戸を開けた。
 ……。当然ながらいるわけはない。白い熱い湯気が出てきただけで、幽霊なんか影もない。風呂場は旅館内とは違い古くはなく、綺麗で清潔だった。
「やっぱでたらめだったんだなぁ」
 シャワーで軽く全身を洗い流してから、湯船に身を沈める。全身がぴりぴりとした。
 風呂場には人は誰もいなかった。俺一人だ。湯船に身を沈めていると、水の音だけが静かに響いていて、それ以外はとても静かだ。息がつまりそうなほどに。
「こ、こんなんで怖がるなんて馬鹿みたいだな……」
 声を出していないと、静けさに押しつぶされるような気がした。
 なんとも居心地が悪い。やっぱりもう出よう。そう思いおもむろに湯船から立ち上がろうとするも
「あれ……体が……」
 体が硬直したように動かなかった。嫌な予感が頭をよぎる。金縛りと言う奴か? 全身は湯船に浸かったままだ。 
 なんど立ち上がろうとしても駄目だった。こんな完璧な金縛りがあるのか? 絶対に力を入れているのにも関わらず体はぴくりともしない。
「動けないでしょ」
 若い女の子の声がした。とっさに声の方向に視線を向けると、白い蒸気の中から、ふぅと薄い何かが現れた。姿までは見えないも、そこに何ががいると感じる。
「私の力で、動けなくなってるの」
 幽霊――。本当だったのだ、あの話は。思わず、ひぃっと情けない声を漏らす。
「冗談だろ? そんな……」
「冗談じゃないわ、悪戯ではあるけど」
 必死に力を入れるも、体は微塵も動かない。体をどうにかするのは、どうやら不可能らしい。
「お願いだ、落ち着こう。なんで悪戯なんてするんだよ。そもそもここは男湯だ。女湯に行けよ」
「落ち着いてるわ。悪戯するのは暇だから。それにここは混浴よ」
 そうだった。変な期待をして混浴を選択したんだった。
「暇なら、俺らの部屋に来ればいいさ。何もこんな風呂場で……」
「男の子の部屋に行くなんて、そんな恥ずかしいことできない」
 混浴風呂ならいいのか。と思ったが口には出さずになんとか説き伏せられないかと頭を回転させた。
「かといってここでは、あんまり人が来ないだろ? 今も俺一人だし」
「いいえ。何か期待した顔で来る男は結構来るよ」
 同類たちがですか。類は友を……いや、言うまい。
 それにしても不思議な光景である。肩までしっかり湯船に沈めた男と、姿の見えぬ女の幽霊が対話している。
「変な期待を胸に抱いて湯船に浸かる男達。私の声に笑顔で振り返る男達。でも誰の姿もなくて怯える……」
「分かった。分かったから……」
 まんまと幽霊の策略に乗った自分が情けなかった。
「でもなんでこんなところで悪戯なんか……、そもそもなんで幽霊になったんだよ」
「そんなよくありがちな説得なんか聞かないわ。ここにいるのは私の勝手だし、幽霊になったのもわたしの自由。貴方には関係ないの」
 皆大抵、そうやって話せば分かるなんて説得してなんとかしようとか思ってるのよねぇとため息混じりにぼやく幽霊。姿が見えないので年齢は分からないから、今までの若い女の子のイメージも一転、妙におばさん臭いと感じてしまう。
「まぁ皆私があまりにも怖くて、最後は失神してお終い。骨を湯船にうずめることになるの」
 恐怖で失神か。あれ? でも…… 
「俺……、あんまり怖くないよ?」
「え?」
「なんか話してみると、いい子っぽいし……。なんか幽霊って感じじゃないって言うか……、怖くない」
 そう、さっきまであった恐怖感は消え去っていた。全然怖くない。
「何よ、それ」
「全然怖くない。むしろ好感持てるというか」
 声しか聞けないが、普通の子のようだ。悪戯好きと言うのもなんとなく可愛い。話し方も結構普通で、よくある幽霊みたいな気味の悪い声とか話し方ではないので、こっちとしても幽霊だと気にもせずに会話もできる。空に向かって言葉を発するのは変な感じだけど……。
「話してたら、全然怖くなくなっちゃった」
 俺がそういうと、風呂場にくすくすと笑い声が響く。
「私が怖くない?」
「うん」
「……怖くないなんて言えないはずよ」
「だって怖くないんだ、何故だか」
「……」
 すうっと彼女は湯気の中へと消えていった。辺りは静かになって、女の子の声は聞こえなくなった。また水の音だけが静かに響く。
「……。終わったのか」
 怖くないとか、驚かないとか言われるのがショックだったのかもしれない。幽霊とはそういうものなのかもしれないと思った。
 とにかく俺は、どうやら助かったらしい。他の奴らとは違うのだ。
「さて、出るか」
 しかし体は動かない。
 まだ金縛りは解けていないのか。それと、なんだか様子がおかしい。そう……、お湯が熱く……なってきている?
「ちょ……」
 気付いたときには遅かったのだ。俺は幽霊の説得し方を誤った。そう本当の恐怖はこれからなのだ。
 気付けば物凄い勢いで、どんどん風呂の温度が上昇していた。立ち上がる蒸気。幽霊の奴は、風呂の温度に関する部分をいじくっているようだった。なんて非人道的な行動なんだ。
 じんわりと汗がにじむ。こんがりと日に焼けた俺の皮膚。そう、俺は全身日焼けの身。
 海で何時間も太陽の下に晒し続けた肌は、かくも熱湯に無防備である。それなのに幽霊の阿呆は温度を上げるという愚行。
 これから展開されるであろう事実はかくも恐ろしく、壮絶な痛みを伴うことなのである。しかし気付くのが遅すぎた。
「や、止めろ……い、嫌だぁぁぁぁ!」
 声の限り叫ぶ。助けてくれっ! 皮膚がひりひりするんだっ! 止めてくれぇ! しかし誰もこない。友人達が助けに来てはくれないかと入り口に目を向けるが、人の気配はないようだ。
 しかし温度は上がりつづける。もしこのペースで上がり続けたら俺は一体どうなってしまうんだろう。体感温度は普段と比べて五割増し。そして高温による激痛。
「た、頼むから。止めて……くれ」
 幽霊に必死に哀願するも、返事は帰ってこない。沈黙だけがそこにあった。静かだった風呂場は一転地獄と化し、自分の心臓の音が鈍く響いていて、沸騰するお湯の音が耳につく。
 こんな、こんな幽霊がいていいのか。普通怖がらせるにしても、もっとマシな方法があるだろうに、日焼けしている人間を風呂の中に入れて金縛りかけてお湯の温度を上げるなんて……。なんて回りくどい……じゃなくて。そんな幽霊、幽霊じゃないっ!
 ぢりぢりと皮膚に突き刺すような刺激を与え続ける熱湯。湧き上がる熱気で完全に日焼けしている顔にも痛みが走る。
 腕、足、胴体に至るまで真っ黒な俺は、熱湯の熱さが逆に冷たく感じてしまうほど追い詰められていた。
 力の限り暴れる。動かない。逃げ場はないみたいだった。

「うわぁぁぁッ! あぁぁぁッ!」

 風呂場にはただ空しく、悲鳴が響きわたるだけだった。
 夏の風呂と言うのは、とても厳しい場所なのだ。特に日焼けの時は。



© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: