神頼みな毎日

神頼みな毎日

中途


 さび付いたフェンスの向こう側に人影を見つけて、俺はひとつ深呼吸をした。そして努めて明るい声を出した。
「こんなとこでなにやってんのさ、日和」
 学校の屋上のフェンスの向こうに、日和が腰を下ろしていた。俺はフェンスを掴み、もたれるようにして軽く体重を預ける。彼女は俺の声に振り向くと、しばらく驚いた顔を見せた後に優しく微笑んだ。
「なんとなく、ここに座ってみたくなったの。ドラマみたいでしょ」
 そう言って前を向いて空を見つめる彼女。少し風が吹いて、そんな彼女の髪の撫でた。ツヤのある肩ほどまでに伸びた髪が、寂しげに揺れていた。
「怖いかなって思ったんだけど……、意外と平気だった。もう何も怖くないかも」
 足をぶらぶらさせながら日和は言う。屋上から日和の足は空に投げ出されていた。そこから落ちれば死ぬ。しかし日和は全く怖がりもせず、ただ足を動かしていた。
「赤坂君。ここから落ちたら、すごく楽になると思わない?」
「日和」
「ここで死んで、色んな怖さから開放される。なんてね」
「……たしかに色んなことから逃れられるかもしれないな」
 ――死。その言葉に反応して、思わず責めるような言葉が出た。
「別に逃げようって訳じゃないの。ただ、こんな青い空に飛び込んだら気持ち良さそうで……全部綺麗さっぱり消えちゃうかなって」
 風で乱れた髪を軽く手で押さえて、日和はすっと遠くを見る。
「昔ね、詰まんない日々の中で時々死が身近にあって、すごく綺麗に感じることがあったの。普段は怖くてたまらないのに、時々とても素晴らしい友人のように感じるの。たしかに死なんて綺麗なもんじゃないって分かってるわ」
 日和は少し身を乗り出して、遥か下の地面を覗き込む。
「飛び降りたって空には溶けない、下に醜くて汚い死体が残るだけ。分かってる……でも何故か安心するの。死ぬって、お母さんに抱かれてるみたいなのかなって思うの。時々だよ」
 私、おかしいかな。そう言って日和は笑った。俺はただフェンスに手を絡めたまま、空を見つめる。青くて、澄んでて溶けてしまいそうな空だった。
「……よく分かんないけど、でも俺達は戦わなきゃいけない。死だっていつも身近にあるけど、でもそれに身を委ねちゃ駄目だよ」
「うん……分かってる」
「死のうなんて思うなよ。……しっかり生きようって思わないと駄目なんだ。少しでも気持ちが折れたら駄目だ……。俺達がやっているのはそういう戦いなんだ」
 せめて最後の時くらい、笑っていようと思っていたのにいつの間にか真剣に俺は喋っていた。まるで自分に言い聞かせているような、そんな言葉だった。
「大丈夫、今はもう死が怖いよ。だから死が綺麗とか感じるのはこれが最後。皆と一緒に、精一杯……」
 そして日和は立ち上がり、フェンスを登る。スカートなのに一切気にしないで、さっさとフェンスを越えてこちら側へ戻ってきた。
 スカートはドロに汚れて、ワイシャツも同様に汚れていた。ところどころ破けていたり、血がついていたりする。ぼろぼろの日和の格好を見て、俺は決意した。何回目の決意だろう。
 日和がフェンスを越えて、しっかりと俺と同じ地面に立つ。真っ直ぐな目で俺を見た。
「……私達、今度も無事に帰ってこれるかな。私、こうやってまた赤坂くんと話ができるかな」
「……やろうぜ。俺、無事に今日を生き延びたらお前に……」
「私も無事だったら……」
 沈黙。俺も日和も何も言わなかった。黙ってただ青い空を見ていた。

 ドアの開く音がして俺と日和が振り返ると、そこには西野の姿があった。
「おぉ、西野」
「よっ、赤坂。それと日和ちゃん」
 西野は髪の毛を紅く染めていて制服もだらっとした着方をしていた。しかし彼もまた、酷く服が汚れていて顔に傷が見られた。
 背丈は俺より低い。女子だけど背が高い日和と同じくらいだった。
「佐藤はどうした?」
「下で待ってるよ。もう本気だわ、俺もやんねーとなぁ」
 そういうと西野はうーんと背伸びした。こんな状況でも彼は能天気な不良を気取る。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
 日和の言葉に頷いて、皆で屋上のドアをくぐる。

 聖戦、なんて言うのは俺らがこれからする戦いの事を言うのだろうか。



 ◇



 出来事の始まりは完全に不意打ちなものだった。三日前の朝に、それは起こった。

「赤坂君、大丈夫?」
 ハンカチを差し出して、心配そうに俺の顔を覗き込む日和。
「大丈夫だから」
 本当のところは大丈夫じゃなかった。全身が過大に与えられた暴力に悲鳴を上げている。昼休みたまたま知らない後輩が外見感じ悪そうな連中にからまれているところに通りかかった。その後輩と目があい必死に助け求められて仕方なく輪に参加したのが間違いだった。後輩は逃げおおせたみたいだが俺は不良たちに割って入って、不良後輩集団にボコられた。
 馬鹿みたいだ。いい笑い話だと思う。笑いたくても全身が激痛に覆われているので笑えないのが悔しい。人数からして勝ち目はなかったし、ボス的な存在の奴はとくに強かった。なんで参加したんだか……自分でもよく分からない。喧嘩に自信があったのだろうか。小さい頃から剣道の道場に通ってて体も鍛えてるからって、喧嘩の強さとはまた別だった。体育館裏であっさりサンドバックと化して、気付いたら俺は日和に介抱されていた。
「後輩君と廊下であったの。真っ青になってて、私を見つけて早口で先輩が僕の代わりにって伝えてくれた。……赤坂君人助けとかそういうことするんだね」
「お前と知り合いの後輩だったの?」
「うん。私と同じ図書委員なの」
 日和は同じクラスメイトの女子だ。ストレートの黒髪は肩ほどまで伸びていて、大きなくりっとした目が印象的だった。今年同じクラスになるまでは存在も知らなかったし、しばらくは注目していなかったのに、最近一番気になる女の子だった。
 理由は眼鏡からコンタクトに変えて見違えたから、なんて言ったら笑うだろうか。だけどその変わり映えは見事なもので、真面目で少し暗そうな外見は一気に美少女に激変した。
 彼女は眼鏡からコンタクトに変えただけでなく髪も綺麗にカットして、メイクまで軽くし始めたていた。なんせ見向きもしていなかったからもしかしたらメイクは前からしていたかもしれないけど、でもその変化は髪や眼鏡の有無だけでは有り得ないし、やっぱり今回から突然女の子として変わったようだった。
 きっと俺と同じように、急に気になりだした奴らも多いと思う。男がいかに面食いで、心変わりを簡単にやってのけるか。今回の事でそれをよく学び、自分は決してそうではないと思っていたけど考えを改めることにした。可愛いものは可愛い。
 そんな彼女がぬらしたハンカチで俺の傷を拭いてくれているのだから、凄く嬉しい。嬉しい反面、格好悪すぎる自分が憎い。逃げ出したいなんて衝動に駆られるも、酷く打った足は痛みに動かなかった。
「ありがとう。もう大丈夫だから」
 なされるがまま介抱されるのは気恥ずかしい。大丈夫だからと言って彼女から距離を取ろうとするも、
「大丈夫? 立てる? 保健室行く?」
 と心配そうに覗き込まれてさらに距離が近くなってしまい、もうぎりぎりダウン寸前だった。
「大丈夫だから。立てるし、保健室行く必要も無いよ」
 なんとかそれだけ言って立ち去るつもりだったが、足が言う事を聞かない。痛みに耐えて無理やり立ったが、これは逆効果だった。苦痛に顔をゆがめながら立ったところで、彼女がもっと心配するだけなのだ。
「痛そうだよ、歩くの辛いんでしょ? 私に掴まって。保健室行こ」
「いいよ、帰って家で寝るからさ」
「風邪じゃなくて怪我なんですけど」











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