とちめんぼう

人工知性体との付き合い


『グッドラック』続編はどうなるか?
 アシモフの一連のロボットでは、ロボットは無論「ロボット三原則」に従っている。
ただし彼らは大局的に人間のためにならないと考えると三原則を超える行動もとる。
『ゴールデン・フリース』ロバート・J・ソウヤーでは人工知能がある遠大な目的のために殺人を犯す。
 小説『未来の二つの顔』(J.P.ホーガン)では、人工知能が学習し、成長するうちに「ロボット三原則」に近いものを学習する。(ちょっと楽天的すぎるけど。)
 FAFのコンピュータたちは、ねこ島さんの日記のご指摘のとおり、三原則には従っていない。
 『グッドラック』の続編が書かれるとしたら、単なる「コンピュータの反乱」ものにはなってほしくないし、コンピュータと人間が安直にわかりあえる話にもなってほしくないし、もちろん作者はそんな話にはしないだろうと思う。雪風第一作は人間の思惑をよそに飛び去っていく雪風がとてもかっこよかった。
 『グッドラック』では最後、意外な言葉で深井零と雪風の関係が語られるが、この辺がもっと掘り下げられるのかな?『グッドラック』ではコンピュータたちをどうしても登場人物たちが擬人化して考えてしまう場面が幾度か出てくる。ナイーブだなあと思う一方で、擬人化して考えるのにも共感できる。(危険だが)

人間と機械
 多くの小説や映画は「コンピュータは自意識を持つのか?」とか「コンピュータは人間とわかりあえるか?」ということはとりあえず棚上げして作られているように思うが、とことん突き詰めた作品も多くありますよね。
 人間と機械の戦いや共生を描いた作品としてはグレゴリイ・ベンフォードの一連の作品を思い出す。『』『星々の海を越えて』では機械生命と有機生命の戦い。そのまた続編では人間は機械と戦うために自分自身もサイボーグ化していく。人間を理解しようとする(ひじょーにグロテスクな方法であるが)機械生命も登場する。
グレッグ・イーガンの一連の作品にはコンピュータなどに人格を丸ごと移すものがいくつもある。
まだまだあると思うが、とりあえず思いついたのはこれぐらい。
 こうなってくるとどこからが人間でどこからが機械なのか判然としなくなってくるなあ。有機部品なら人間なのか。無機物なら機械なのか。じゃあ有機コンピュータなんてのが出てきたらどうなるか。

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