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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。前回からの続き。2024年1月3日 彦根城を訪れた。彦根城の建築物を一通り観覧し、大名庭園である玄宮園に向かう。案内パンフレットによると、正式名称は 「玄宮楽々園」大規模な池泉回遊式庭園である玄宮園と御殿に望む池泉・枯山水庭園である楽々園の総称とのこと。玄宮園の名の由来は、「荘子」の文中にある中国の皇帝が退位した後に暮らした玄宮に由来すると言われているそうだ。藩庁である「表御殿」の北に位置し退位した者が住む隠居所であるという共通性から命名されたのだろう とのこと。楽々園。無料観覧可能。屋敷の玄関口。横の庭園入り口から庭園内へ。居室の奥に茶座敷が並ぶ。この茶座敷は「地震の間」と呼ばれていたそうだ。案内板にその謂れが記載されている。建物構造が、屋根は薄い板材を使用、床下は建物規模に比して足下を強固にし、建物全体の重心を低くして屋根裏には筋違いが存在する造りになっているとのこと。「地震の間」についてもう少しWebを調べてみると、旧江戸城(現皇居)にも「地震の間」なる建築物が存在したそうだ。どの建物にも隣接せず徹底した軽量化と土台強化による耐震構造にし建物の重心も低く設計されていたとのこと。累代、徳川家の譜代大名として関係も深い井伊家。大きな地震を経て同じような構造の建築物を彦根城にも建設したのは想像に難くないように思った。元旦の能登半島地震で被災地域では救出・避難支援・復旧の真っ只中のいま被害に遭われた方々の無事を祈るばかりだが、まさか彦根城にも震災経験に基づく工夫をこらした建築物が残されているとは思わなかった。古の時代にも地震・天災から人命を守るための改良が行われており、その陰にはきっととても辛い経験が秘められているのだろうと感じる次第。玄宮園へ。この庭園は有料。玄宮園は、隣接する楽々園と共に国の名勝に指定されている。また、2015年(平成27年)には「びわ湖とその水辺景観 -祈りと暮らしの水遺産-」の構成文化財として日本遺産に認定されてもいる。庭園から彦根城を望む。あいにくの曇天だがとても美しい景観である園内のベンチからの1枚。しばし休憩。この景観、とても美しいと思うと共に、どこか既視感がある...休憩しながらなにげに考える。なんだっけ????・・・思い出した!ここ、この風景、古の名時代劇ドラマ 「暴れん坊将軍」で見たことある!マツケン(松平健) 演じる 徳川吉宗 が爺と共に池の畔の芝生に立ち江戸城をバックに話すシーンだ!Wikipediaで暴れん坊将軍を調べてみると、やはり、撮影場所に玄宮園の記載あり。すっきりした気分で玄宮園を後にし、内堀の畔を歩いて表御門に戻る。彦根城博物館。この博物館、彦根市の市政50年を記念して1987年(昭和62年)に建てられたもので、藩主井伊家の所蔵品を中心に展示している施設。所蔵品は9万1千点超とのこと。(彦根城博物館HPより)また、博物館、管内展示品の撮影が許されている。(但しフラッシュ禁止)彦根藩井伊家2代当主の井伊直孝のものと伝わる甲冑・具足・太刀、「井伊の赤備え」だ。こちらは本陣を示す幟と家来の軍医さんの甲冑とのこと。そのほか、井伊家所蔵の宝物の品々が展示されている。刀剣・能面・衣装・茶道具や書物などなど。また、建物自体も展示品となっており、奥の客間などが博物館と隣接している。お城のおまけ程度に考えていたが、しっかり見て回ると2時間ぐらいは軽く掛かるほど見応えのある博物館だった。城内の観覧・散策を終え帰路につく。外堀の京橋口から続く、夢京橋キャッスルロード。江戸時代の町割りを模した通りで小洒落たカフェやお土産物屋さんが立ち並ぶ。昼飯は 彦根ちゃんぽんの発祥 と云われているお店 をかべ にて。彦根チャンポンとミニチャーハン のセットと餃子を注文。ごちそうさまでした。歩いた距離と歩数。城内を随分散策したためウォーキングワークアウトでは12.4kmを記録。歩数11,524歩。おつかれちゃんでした。
2024/01/06
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年1月3日 彦根市 曇り 最高気温10℃ 最低気温4℃曇天なるも1月としては暖かく穏やかな日。今年初めての気ままな歩き録は、徒歩でビワイチでは巡ることができなかった彦根城へ。歩いた経路は以下の通りで、Google Map では約6km程だが城内観覧で実際には倍の12km程となった。 彦根駅 ー 二の丸佐和口多聞櫓 ー 馬屋 ー 天秤櫓 ー 太鼓門櫓 ー 天守 ー 西の丸三重櫓 ー 玄宮園 ー 彦根城博物館 ー 夢京橋キャッスルロード ー 彦根駅彦根城の全景俯瞰図。大変大きなお城敷地である。天守は国宝、多聞櫓・馬屋・天秤櫓・太鼓門櫓・西の丸三重櫓の5つの建築物が国の重要文化財だ。玄宮園は井伊家の庭園。彦根城は、徳川四天王の一人 井伊直政 を中興の祖とする 井伊家 彦根藩 の居城だ。国内の現存天守12城のうち国宝指定されている5城の1つである。築城は1603年(慶長8年)着工、1606年(慶長11年)に天守完成、複数回の工期を経て1622年(元和2年)に完成。築城に当たっては近隣の大津城や佐和山城など近江国内の諸城を破却・移築しての建設で、譜代随一の大名の井伊家として江戸時代初期の一国一城令を率先垂範した事例となったとのこと。現存12城の写真も展示されていたので国宝5城に丸をつけてみた。上から2つめが彦根城。(国宝5城:左上から松本城・彦根城・姫路城・犬山城・松江城)8:00 彦根駅からウォーキングスタート。駅前の 井伊直政像 去年5月以来の対面。彦根城は駅から琵琶湖に向かって一本道。距離にして1km程度。外堀の佐和口多聞櫓(重文)に到着。前の道路は一般道。その傍に重要文化財の多聞櫓が建っている。向かって左が重文の多聞櫓。右側は再建され開国記念館となっているが左右対で多聞櫓。狭間の道路を抜けるとその奥に馬屋がある。馬屋(重文)こちらも一般道の傍、一般駐車場の隣にあり油断すると見過ごすレベルで普通に建っている。無料観覧可能で開けっぱなしである。家族と来て車止めて嫁さん子どもがトイレに行っている間に観覧できるレベル。恐るべし彦根城... である。馬屋の前が表御門。この内堀より先が有料エリア。受付事務所でチケット購入。彦根城・玄宮園・彦根城博物館のセット\1,200を購入。(バラバラで買うより\100だけお得)右側が彦根城博物館。のちに観覧する。受付窓口を抜けると櫓に向かう階段。段と段の間隔がばらばらになっている。これは敵が攻めてきたときに上りにくいように敢えて間隔をズラしているらしい。石段の先に天秤櫓がある。石垣をぐるりと廻り写真の架け橋につながる。とても大きく美しい形をした櫓である。よく見ると櫓は左右非対称。また、石垣の積み方が左右で異なる。右側は築城当初の「牛蒡積み」といわれる積み方、左側は幕末嘉永年間に積まれた「落し積み」といわれる積み方。(櫓内に掲示の説明による)櫓の内部の階段。彦根城は櫓も天守もすべて ほぼ梯子といえるぐらいに階段が急角度である。上れる階段には手すりが備え付けられ、各所に係員の方が常駐されていた。天秤櫓を過ぎると次に太鼓門櫓(重文)。天守がある本丸表口を守る櫓門で城内合図の太鼓を置いたことから名付けられたらしい。太鼓門の向かいにある時報鐘。係の方に伺うと毎日9時・12時・15時に時報の打鐘があるとのこと。ちょうど通りかかったのが9:00頃で梵鐘の音色と共に太鼓門をくぐった。この鐘の音は日本の音風景百選に選定されているらしい。太鼓門櫓をくぐるといよいよ天守(国宝)である。彦根城はひこにゃんのおうちでもある。天守は3階3重の屋根で構成されており、屋根は「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」を多様に配し2階と3階には「花頭窓」、3階には高欄付きの「廻縁」を巡らせるなど外観に重きを置いて変化に富んだ美しい城容となっている。政治的象徴としての外観の美しさだけでなく、城本来の機能である軍事面でも優れており、天守の北側の附櫓と多聞櫓の壁は鉄砲玉から守るため2重壁になっており、間には栗石を詰めて防弾効果を高めているとのこと。 だそうです。(彦根城HPより)また、彦根市のゆるキャラマスコットがなぜにネコなのか?彦根藩井伊家二代当主の井伊直孝公をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる ”招き猫” が元になっているとのこと。 らしいです。 (彦根市HP ひこにゃんプロフィールより)先代の彦根城マスコットキャラ 「城まる君」は亀とお城をモチーフにしたが、やはり人になじみ深いネコのほうがアイドル要素もあり人気を博したよう...「城まる君:彦根城とその別名金亀城にちなみ亀と天守閣を合体させ擬人化したもの」(Wikipedia '87年世界古城博覧会 より)蛇足だが、城まる君の今は... 徒歩でビワイチ⑧ を参照。お城散策に戻る。天守内に展示の甲冑。国宝指定の証書。天守から西の丸と琵琶湖を望む。本丸敷地には桜の木が多数植林されている。彦根城は桜の名所でもある。西の丸三重櫓へ。三重櫓から琵琶湖を望む。三重櫓内部の階段。急さ加減がわかるだろうか。西の丸から玄宮園に向かって石垣を下る。石垣の巨大さがわかる景観。石垣の上にさらに石垣。遠方の突端は天守のある本丸差見櫓跡あたり。長くなったので一旦ここで終了。次回、玄宮園と彦根城博物館をまとめる。おつかれちゃん。
2024/01/03
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