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今月の宝生会はさほどの人出ではなく、のんびりした雰囲気。都内ではそれほど大きい会もなかったように記憶しているが、かえってこれくらいの密度で観られるのはありがたい。
「蟻通」(紀貫之)、「杜若」(在原業平)と中古文芸の世界を題材とする作品が並ぶ。 「蟻通」は久しぶりの鑑賞。一応四番目物に分類されるが、明神の化身である老人(シテ)が神に近いということで脇能としても扱われる。今回も初番に持ってきているので、略脇能ということになるのだろう。
突然の雨に加えて、馬が倒れてしまい立ち往生している紀貫之(ワキ)の前に現れた老人。深い闇の中にぼっと浮かび上がるようなひっそりとした感じが続いていく。地謡が近藤乾之助さん&寺井良雄さんブレンドで心地よい。シテの小倉敏克さんの絶句がもったいなかった。声もひっそり感も好きな方なので残念であった。
2つ目は「杜若」。この季節にふさわしい曲。シテ女が業平の扮装をして、しかも杜若の精であるという設定で、時に女、時に男、時に精と幾分倒錯した雰囲気が立ち上る。宝生の「杜若」は派手ではないけれども、色彩が落ち着いて、水の流れが聞こえてきそうな感じになる。謡の感じゆえであろうか?今井泰男さん地頭で8人の揃いも心地よい。
シテは波吉改め藤井雅之さん。非常に印象的ということもなかったが、優美な女性のものが上手な方だと思う。
この2曲は複式夢幻能の形が可能なのに一場ものという点でも共通する。「蟻通」の老人も「杜若」の女も、前半の雰囲気そのままに、後半に入っていく。逆に言えば、前半から後半の雰囲気を作り出しつつ展開させるわけで、面白い組み合わせにしたと思う。
ラストは「舎利」。これは宝生流では比較的上演機会の多い作品ではなかろうか。仏舎利を盗み出す足疾鬼ソクシッキとそれを奪い返す韋駄天イダテンとの対決という痛快な作品。 シテが前田晴啓さんで、ツレが高橋亘さん。正直、スピーディーさでどうかと思っていたが(失敬な)、まったくの杞憂で、勢いのある縦横無尽な対決で面白かった。前田さんの謡は女性のものでも深みがあると思うが、こういう化け物系でもその深みが遺憾なく発揮されていた。前場のありがたい仏様の話から、にわかに空掻き曇り正体を現すところが特に良かった。
今月は宝生会の「石橋」がない。この10年ほどずっと続いていたのではないかと思うが(もちろん欠かさず観ているわけではない)、「石橋」の披キのない年になる(来年あたり高橋憲正さんではないか♪)。そんな物足りなさを軽く吹き飛ばすかのような「舎利」であった。
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