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2006年10月04日
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今回、盛岡には所用があって行ったのだが、ぷらぷらと歩いている際、石川啄木新婚の家なるものを見つけた。というわけで、今日は石川啄木と彼の勤務した岩手日報の話だ。
石川啄木、新婚の家.jpg

すでに辺りには夕闇が迫っていて、中には入れてもらえない様子だったので、翌日、もう一度行ってみることにした。
石川啄木新婚の家(昼).jpg
石川啄木、表札.jpg

玄関には「石川啄木」と書かれた表札があった。本物かどうかはしらないが、いかにも今でも石川啄木が住んでいて、「ごめんください。」と言えば家人が玄関まで出てきそうな雰囲気である。「ごめんくさい」と言えばチャーリー浜が出てきそうな気配でもある。

玄関で靴を脱いで中に入ると事務所があって、一応「こんにちは」と声をかけてみるが誰も出てこない。仕方なく自分で「どうぞお入りください。」「ありがとう。」と言って中に入った。見学無料となっているので、遠慮なく奥へ進む。説明やら年表やら写真やらが壁に飾られてあって、それを読むと、この家が元々は武家屋敷であったことがわかる。せいぜい200石くらいの武家屋敷だろうか。大きさとすればそれくらいだろう。もともと石川家の居宅であったわけではないようだ。

我が四畳半1.jpg

石川啄木は、表玄関ではなく裏玄関を使用していたようで、裏玄関から入ってすぐの四畳半の部屋を夫婦の部屋としていた。「わが四畳半」という著作をご存知だろうか。その四畳半である。それにしても、新婚の家なんて名をつけてあると、まぁ、この部屋で色々したんだろうなと想像してしまう。

ここへ来たときは、記憶がこんがらかっていて、『病状六尺』を書いたのは石川啄木であると錯覚していた。ここで書いたのかどうかを確認しようと資料を見たが、あれは正岡子規だったと思い出した。『一握の砂』もこの家で書いたわけではなさそうだ。(多分)

石川啄木は岩手日報という新聞社に勤めていた。今でもその新聞社はある。ホテルで配られていたので読むことにした。

読んでみて驚いたのは、徹底的に安倍政権を非難していることだった。「あいまいだ」なんだと、理屈をつけて非難するのだが、その根拠の中に挿入されてある一文が凄かった。それは「これは小沢一郎氏の政策とは全く違うものだ。」というもので、この新聞社が全面的に小沢ファンであるとわかる。新聞において、小沢と違うことが、政権批判の根拠となるのだから、小沢の影響力は凄まじいのだろうと想像する。

居酒屋で聞いた話では、青森、岩手、宮城の政治家は、小沢一郎詣をするそうで、彼の支持なく勝つことは難しいらしい。岩手の5つの小選挙区のうち4つが民主党であるそうな。しかし、そのような論説が許されて良いのだろうかと思う。



盛岡の気温は低かった。その日に関して言えば東京より3度か4度は低い。東京から新幹線「はやて」で2時間20分くらい。戦国時代なら、10日間くらいの旅程だろうか。月へ行くようなものだ。





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最終更新日  2006年10月04日 18時27分50秒
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