三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

宗教とは何か?



『三人文殊さんは、「宗教」をどのように
お考えになっているのか?』

こんな質問をいただきました。

漠然とした質問ですが、自分なりに答えてみます。

こんな話を聞いたことがありませんか?

「宗教は道は違っても、いきつくところは同じ」

相当修行をされた方が言われるのなら、なるほどと思うのですが、
宗教とは縁があまりない、もしくは、それほど詳しいとは
思われない方からそう言われてビックリすることがあります。

「何を根拠にそんなことを・・・」

そう思わざるを得ません。

何故か宗教の話になると、専門家と素人の
区別がないように思われます。

例をあげるのもなんですが、宗教と言ってもイスラム教などは
日本でいうところの、「宗教+政治+軍事」のようなもので
他国を攻撃して、占領したところに教線を
拡大するようなスタイル。

「どう見ても日本の宗教とは感覚とは違いますよ」

といったところ

「三人文殊さんなんか、そんな感じに見えますけどね」

と言われて・・・

絶対に違う(;一_一)

それはさておき、同じ仏教と言っても、たとえば真言宗と天台宗
禅宗は重なっている部分もあるような気がしますが、浄土宗は
どうなんだろう?まして浄土真宗なら???

しかし親鸞上人の六角夢告に話など聞くと・・・

~~~~~以下引用~~~~~

親鸞上人は29歳の時に比叡山と決別して下山し、
後世の祈念の為に聖徳太子の建立とされる六角堂へ
百日参籠を行いました。そして95日目の暁の夢中に、
聖徳太子が示現され(救世菩薩の化身が現れ)、

「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 
一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」

あなたは、今まで坊さんたるものは妻を
めとってはならない、と禁止されていた伝統の戒律を、
今こそ破らねばなりません。
私は玉のような美しい女性となり、あなたの妻に
なりましょう。そして、一生の間、よくあなたの活動を
たすけ、いのち終わるとき、私の生涯はこれで十分で
あったと、心から喜べるようになる極楽浄土に
一緒に参りましょう

~~~~~以上引用~~~~~

一般的に考えれば

「なんという都合のいい話」

一方で人間の弱さをさらけ出したという
評価もされています。

でも私はそうは思いません。

ちなみにこの「女犯偈」の内容は、さまざまに
評価されているようですが、たぶん親鸞上人以外には
全く意味がない代物と思えます。

その意味がない代物を勝手にさまざまに解釈されることは、
多分、親鸞上人からすると恐ろしく不本意。

実は、これがまさしく行者である親鸞上人の悟り
禅問答の答えのようなものですね。
というのが私の勝手な解釈です。

そう考えると、浄土真宗とも近いものがある?

結局、私にとっての宗教とは
「見えない世界を感じれるもの」
のように思います。

この文言だけをみると非常に誤解されやすいかもしれません。
私は宗教の世界に完全に入り込んでいますので、
このような極めて主観的な言い方になります。

まとまりのない文章で、申し訳ありません。

最終更新日 2009年03月29日

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