三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

日本仏教の七宗派-禅円密戒(天台)



平安仏教系  真言宗 1000万 天台宗 140万
禅宗系   (臨済宗100万)(曹洞宗160万) 
浄土系   (浄土宗650万)(浄土真宗1300万)
法華経系  (日蓮宗 1100万)

その他  170万

概数でこれくらいといわれています(平成九年度宗教年鑑より)

カッコで括った5つの宗派について
これまで紹介しましたが、
これらの宗派の祖師(宗派を開いた人)は
いずれも天台宗の比叡山で学びました。

すなわち、天台宗は日本仏教の源とも言えるのです。

その天台宗を開いたのが伝教大師(最澄)です。

伝教大師は若くして比叡山に籠もり、
修行生活に入ります、そのうちに法華経に基づいた
天台教学こそが真理であるとの確信を持ちます。

その後奈良仏教を嫌い京都に遷都した
桓武天皇と和気広世の庇護を受け、
奈良の学僧を相手に法華経を講義したりしますが
本格的に天台教学を請来したいと思い
遣唐使船に乗り唐へ向います。

当時の遣唐使は成功率50パーセントとも言われ
文字通り命がけでした。

そのときの遣唐使船は四隻。

伝教大師の船は順調に唐へと着きましたが、
もう一隻は漂流の末、ようやくたどり着き、
後の二隻は難破し、行方不明になっています。

ようやくたどりついた船に乗っていたのが
弘法大師でした。

もし、遣唐使船のうち唐についた二船が行方不明になり、
行方不明になった二船が唐に着いていたら?

日本の仏教も大きく変わっていたかも知れません。

伝教大師は約一年の滞在の後、帰国します。
天台教学を期待されて持ってきたはずだったのですが、
意外にも評価されたのは、
ついでに請来した密教のほうでした。

翌年、天台宗を正式に開宗しますが
与えられた枠は天台教学1名、密教学1名でした。
(当時の僧侶は国家によって枠が
決められた定員しかなれませんでした)

したがって天台宗は中国の天台とは異なり、
法華経と密教の融合した形という独自のものとなりました。

天台宗は総合大学にもたとえられ、
禅(禅定)・円(天台)・密(密教)・戒(戒律)とも言います。

それに対して以前に紹介した五つの宗派は
その一部を発展させた専門大学ともいえるでしょう。

天台宗の特徴としては一乗の成仏を
唱えたことがまずあげられます。

簡単にいえばすべての人は救われるということです。
現代では「当たり前ではないか!」
と言われそうですが、その当時の仏教(奈良仏教)では
そうではありませんでした。

そのために、伝教大師は徳一菩薩という
法相宗を代表する高僧と
合計9つの書物をお互いに著して
激しい論争を展開しました。

当時、僧侶になるには、二百五十の戒律を
受けなければなりませんでした。

奈良仏教の諸派の僧侶は当然のこと、
その後に成立した真言宗もこの戒律を
授かることが僧侶になる条件でした。

ところが、伝教大師はこれに異を唱えます。

その前に仏教についてお話しなければなりません。
インドで仏教は大きく部派仏教(小乗仏教)と
大乗仏教に分かれました。

簡単にいえば部派仏教は
「個人が自らの救済を求める」
のに対して
大乗仏教は
「他者の救済を重視する」
といえます。

日本に現在残っている仏教諸派はすべて
大乗仏教の影響を受けています。

当時でも部派仏教は大乗仏教への
仏教哲学の基礎として学ばれていたに過ぎません。

ところが、前述の二百五十戒は部派仏教に
基づく戒であり、大乗仏教の戒とは異なります。

それゆえ、伝教大師は
「大乗仏教の僧侶は大乗戒を授かるべき」
と考え大乗仏教の戒檀(戒を授かる場所)
を作ろうと考えました。

ところがこれがまた、当時戒壇を管理していた
奈良仏教の諸派との軋轢を生みます。

伝教大師は大乗戒壇を見ることなく
その生涯を閉じました。

一方真言宗は二百五十戒に加えて
密教戒を別に授かることで、
その問題を解決します。

さて、天台宗は伝教大師の死後、
悲願の大乗戒壇を設立します。

一方、開宗以来のウイークポイントであった密教ですが、
唐に送り込んだ円仁・円珍の両大師が
請来することによって解消します。

さらに浄土思想をも取り入れ
ますます発展していきます。

しかし、本来の天台教学は密教・浄土などを
包括する教えではありません。
それを日本独自の曖昧さで
うまく取り入れたように思われたのですが、
抱え込んだ矛盾が臨界点を越える時が来ます。

それが末法の時代といわれた鎌倉時代です。
高度な教学と修行体系を持った天台宗は
天変地異に苦しむ庶民に対して、
有効な手段を持ちえませんでした。

むしろ単純な教義とたやすい修行方法が
待ち望まれました。

浄土教団がまず天台宗から離脱し、
禅宗も袂を別ちます。

日蓮上人は多様な教えを抱え込んだ天台宗に対し
法華経の本義を説き、親鸞上人は戒を捨て
阿弥陀如来に対する確信を重要視し、
道元禅師はただ、座禅する形に仏を見いだして
独自の世界を作り上げていきました。

日々の生活に苦しんでいた当時の庶民に
その教えは広く受け入れられて行きました。

現代においても天台教学に関する書物が
一般の文庫や新書で親しまれることは少ないですが、
日蓮上人、親鸞上人、道元禅師に関する
著作が少なくないことを考えれば、
お分かりいただけるかと思います。

一方で、日本仏教のほとんどを
生み出した天台宗は現代においても
十二年籠山行・千日回峰行などで
今なお注目を集める存在です。

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