3つのたから

3つのたから

悠太のできるまで。(妊娠編)



いうのは考える事が出来ずにいた。気持ちの中では「欲しいっ!」と思っていても

「さぁ~っ!今がチャ~~ンス!!」となると、あのおぞましいツワリが蘇ってき

てしまうのだ。


心の中での葛藤が続いていた時、ママ友達から次々と「2人目できたよ~んっ!」

という報告を受けるようになってきた。創を4歳児入園をさせるためには、いつま

でもダラダラ考えている余地はなかった。私は「2人目計画大作戦!」と命名し

勝手に入園までの計画を立て始めたのだ。パパッチには、相談なしである。

私の計画はこうだ。


創大(2才5ヶ月)→妊娠。 2001年1月(ツワリの間は冬)

  (3才1ヶ月)→出産。      9月(これから寒くなる)

  (4才8ヶ月)→入園。 2003年4月(赤ちゃんはすでに1才7ヶ月)


これで、下の子がいても幼稚園行事なんかは、楽勝~~!!と思い、実際に

この計画通りに事は進んだのである。

しかし・・・大事件がひろっちん家を襲ってしまったのである!!

それは・・・ 『3人目』 の出現!!これは、予想外!一時は、完璧~!!私って素

晴らし~~っ!!と思っていた計画だったのに、創大4才7ヶ月、悠太に関しては

なんとっ10ヶ月!の時に、健心はお腹の中にやって来たのだっ!!

健心のできるまでは、おいおいお話するとしよう・・・。


悠太を妊娠した私。それは、もう幸せな・・・っておいっ!またツワリかよっ!

(怒)本当に辛かった・・・。今回は、創大がいるのである。のんびり入院もして

られない。『気合い』で乗り切る事を決断した!!

と、言っても1日中 トイレで生活する日々。創大は、小さい手で一生懸命背中を

さすってくれてたっけ・・・じぃ~~~~~ん(;。;)

苦しいツワリに、ロクにご飯も作ってやれなかった。本当に可哀想な思いをさせた

数ヶ月でした。

そんなつらい初期も、気づけばあっという間に中期です!

あの憎っくきツワリさえなくなれば、こっちのもんです!

性別判明のときがやって来ました。私は。どちらでも・・・という気持ち。

(女の子がいても良いなぁ・・・とは思ってたけどね)創大は「女の子!」

パパッチも「女の子!」周りはみんな「女の子!!」希望でした・・・。

創と2人でエコーの画面を食い入るように見つめた先には・・・

『ちんちん』発見です!!!

でも、嬉しかった~!(^0^)自分の子供なんて、そんなもんですね。

女の子じゃなかったけど、本当にちんちんが(?)愛しく感じました。

という訳で(どういう訳??)2人目妊娠時も、当たり前のように太りました。

創の時とは違う総合病院だったのですが、そこには恐怖の『栄養指導室』というの

がありました。妊婦健診で散々待たされる事で有名な病院なのに、栄養指導室行

き!になってしまうと、別の日にわざわざ予約をしてお金を払って(!)栄養につ

いて長々~~と説教されるのです。さらに、食事の内容をきっちり書いて提出もさ

せられます。 もちろん、私も栄養指導室送りにされました。

一生懸命、太りすぎがどんなにいけないか! 栄養は大切か!と延々 語ってくれ

た栄養士さんよ・・・スマン。それでも、私は 『17キロ増』 だ。






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