温故知新

いきさつ














ここで1年間。
私は来る日も来る日も吐いていました。

自分を責め、他人を責め、運命を責め、社会を責め。
障害児を背負った日々の家庭生活に苦しみ、通園通院に苦しみ。
入院の付き添いに疲れ、障害児を授かったことで壊れた人間関係に疲れ。

誰にも、夫にも内緒で、自分の中の毒素を出し続けました。
カトリックにおける懺悔のように、両手を揉み合わせて天を仰ぎ、息も絶え絶えで語り続けました。

ここで同じような想いを抱えて生きている人たちと出会い、
書くという手段で自分を客観的に見ることが出来るようになり、
次第に心が軽くなっていくのを感じました。

ある日。

近くの保育園の未就園児の会におもむき、
何度かあちらこちらで出会ったママ友達と他愛のない話をしていたときのこと。

彼女が私の娘を褒めたのです。

どこにいっても、友達やお遊びの輪に入って積極的に遊べて羨ましいな。

何気ない一言ですが、私にとっては青天の霹靂でした。

確かに、彼女はどこへ連れていっても楽しそうにしているので、
自分の息抜きのつもりであちらこちらに連れていっていました。

が、どちらかといえば意識は、
障害児なのにごめんなさい、
ご迷惑かけて申し訳ないです、
という感覚で、今回もやれやれ、と、ほっとしているぐらいの感じでした。

言われて、その日。
意識的に観察してみると、
そこにいた誰よりも彼女は楽しそうに真ん中に位置取り、
わらべうたに身体を揺らしたり、在園児に混ざって分からなくなってしまうぐらい、
皆と遊んでいたのです。

その時、その場で、母親にしがみついたり、泣いたり、やみくもに走り回っていた子供たちに発達検査をしたとしたら、娘よりもはるかに発達が早いと思います。

でも、少なくとも、その日、その場所で。
目の前の娘は誰よりも輝いていたのです。

何を教えても覚えの悪い人だけど、
もし、彼女が輝いている部分を見極め、そこだけを重点的に伸ばしていけたら、
彼女が自分自身に自信を持って生きていけるような材料、というだけにとどまらず、
対外的にも評価されるような何かを残すことが出来るようになるのではないか、と、
思いはじめました。

そう考え、おそるおそる実験してみると、やっぱり相変わらず覚えは悪い人でした(笑)
でも、それよりも重要なことがわかりました。
私が、楽、なのです。

楽しい、とは違います。
嬉しい、とも違います。

どんな気持ちからくるものなのか、まだ分からないのですが、
とにかく、気持ちが楽になり、楽に彼女と接することが出来るようになったのです。

ここで、その実験記録のようなものを残せたら、
そんな自分の励みになり、
もう少し、また楽になれそうな気がしたので、
娘と自分の観察記のようなものも、また書いていけたらと思います。

どこまで続くか分かりませんが、
皆様に見守っていただけたら、うれしく思います。
















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