つながる☆たまごの広場

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孤独(他人を理解するという事の限界)


とは良く言うけれど、単純に
「最近誰とも会わなくて~淋しいんだよね~」と言うのとは少し違う内容で。

人を理解したり、人を救ってあげようと思っても限界があるという事である。
人はみな、他人の気持ちなぞ、ホンマのホンマの所では判ってあげられないのだ。


ついこの間まで、何かと困難が一度にやってきて、とっても大変だった。
(上を見上げりゃキリが無いんだろうけれど~♪)
その時、何が一番大変だったって、周りも自分も全然余裕が無い事である。
みんなが自分の苦しみを背負い、十字架を背負い、悲しみに耐え、痛みを訴えずに頑張っている。
そんな状態だった。

私は、だけれど。
ただ単に、人恋しかったり、淋しかったり、誰かと話したかったりって言うのなら簡単だと思う。
誰かと会えば良い。元気なら会いに行ける。足も動くし気力もある。
時間があれば新しく友達を作ったら良い。
ちょっと外に出れば、人は動いている。歩いている。

でも、ここ最近の私達一家は忙しくて日中どこにも出られず、心にも余裕が無くて行動も起こせず、
体も疲れきっている。
誰かと話したくても、皆自分の事で忙しい。
自分から出向くには時間も無いし、そのくらいなら義父の入院してる病院へ行く。
家族は、皆その事(義父の病気と自分の仕事や役目)で疲れきっている。
だから家で息抜きが出来ない。
そんな状態だった。

きっと、これは私に限らず、(と言うか私なんかは家族の協力があった方で全然マシだろう)
家族の看病に当たった当事者みな、体験する事だと思う。
だから、私は、親の介護や看病がきっかけで離婚するカップルの気持ちが判る。
綺麗事だけ言ってられる、かわいい状況じゃないのだ。

どこでも息が抜けなくて、この苦しみを誰かに判って欲しいと切に願って、
でもどうにもならない日々が続いた。

勿論、本人も病気で苦しいのだけれど、本人だけじゃなくて、みんな大変なんだ。
そう思ったら、「人って孤独だな」って思った。


これは私のうつ闘病、夫と義父の入院をきっかけに思ったことでもある。

私達はまだ苦しくても、体とココロさえ壊さなければ、いい。
過ぎてしまえば、楽になれるから。
でも、義父こそ、本当に辛かっただろう。
40年以上寄り添った妻と別れ、長男がやっと授かった初孫は成長していくのに、
それも見て行く事が出来ず、自分だけ先に逝かなくてはいけない。
病気の苦しみや、一人だけ苦しんだり置いてけぼりという孤独感は誰も判ってくれない。
医者すらも。
「大変でしょう」と同情する事は出来ても、所詮、人の苦しみは他人は判ってあげられないんだ。


私は鬱のひどいとき、自分の身の回りをするのもシンドイくらいの脱力感、空虚感、無力感に
襲われていた。人間以下のひどい有様だった。
そんな状態を人にさらけ出すのも嫌だったし、そんな状態だから人と話そうとも思えない。
そもそも、人と話す言葉を考える事すら億劫なのだ。
医者に「どうですか」と聞かれても、「苦しい、死にたい」しか言えなかった。
この、ココロの苦しみをどう言葉に出来よう。
そもそも、言葉にする時点でそれは嘘になる。
事実を全て正しく表せる言葉なんてありやしない。

そんな日々が一年以上続き、引きこもり状態で誰にも苦しみを訴えられなくなってしまい、
私は死ぬ事ばかり考えていた。
こんな状態で私が生きて居ても仕方ない、居ても迷惑になるだけだ。
生きていても苦しい、情けない・・・ずっと考えるようになった。
その時は本当に孤独だった。辛かった。
結局、私はそれを一度だけ実行してしまい、その時に自分を想ってくれる人が周りに
沢山いる事を知ったから、立ち直れた。
(別に、今日ベイブリッジで自殺しようとパフォーマンスした男みたいに、止めて貰いたくてした訳ではないけれど)

だから、私は、義父が「痛いんや、しんどいし、こんなんで生きてても仕方ない。殺してくれ」って
言った時、少しだけだけれど、良く判った。
だから、私は安楽死は否定しない。
でも、家族も本人も選ぶ権利があると思うし、私は娘の成長を一回でも多く見て欲しかった。
多分、義父にとって生きる事はもう苦しいだけだったと思うけれど。
だから、「お義父さん、苦しいやろうけれど、スヌっちにもっと会ってやって」
って、それしか言ってあげられなかった。

家族も無力だ。
何も助けてあげられないのだ。もはや。

そう思うと、私は疲れてても出来る限り義父に会いに行った。
だから後悔はしてない。
でも、だからって言って、何がしてあげられた訳ではない。
義父は、さぞかし、淋しかっただろう。痛かっただろう。苦しかっただろう。
本当に、ゴメンね、お義父さん。

だから、人間は、孤独だと思う。
生まれる時も、旅立つときも、一人だ。

夫が入院した時、久しぶりにそんな孤独感をちょっとの間だけ感じていた。
凄く心細くて、でも誰にも頼る訳にも行かなくて。
自分からは会いに行ける気力も余裕も無いけれど、誰かに会いたくて、話したくて、甘えたくて。
娘が傍で笑ってくれてたから、私は頑張れたけれど、夫は夫で、病室で一人不安と孤独を
かみしめてたらしい。
笑って、「おとんの気持ちが少しだけ判ったわ」って言っていた。
私も、ほーーーんのちょっとだけ、義母の苦労が判った気がした。

孤独だけれど、人は誰かと交わらずには生きていけない。
結局、お互いを完全に理解できないと判りながら。
私も、そんなんできっと、これからも多くの人と交流したいと思うだろう。

@2004年7月14日16:14 第1稿

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