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先日のブログで、上の子どもが剣道大会で優勝したらお取り寄せの餃子を買おうと話していたら本当に優勝したっていう話を紹介しましたが、「約束はちゃんと守りましょう」ということで、今般お取り寄せをしました。 この「ぎょうざの満洲」は埼玉県を中心に東京にもお店のある普通のチェーン店の中華屋さんのようで、私にとってはなじみがありませんでした。でも、東京へ研修に行って泊まる宿の近くでフラッと入ったのがこの「ぎょうざの満洲」でした。関西人にとっては「ぎょうざの」の枕詞の後には「王将」と続くのですが、この満洲は果たして味の方はどうなんだって思っていました。 見た目は王将と比べるとやや小ぶりかなって思ったのですが、食べてみると中の餡が思いの外スパイシーで肉汁もたっぷりなのです。王将に慣れ親しんだ私にとっては、王将とはちがうおいしさを感じました。 その後は研修へ行くたびに必ず1回は食べに行くようになりまして、先日も行ってきました。「ビール+餃子」の黄金タッグにごはんと漬け物も付いているのですから、お腹も満足でした。 そして毎回行く度に気になっていたのが、お店に置かれている「冷凍餃子を宅配します」の広告。私の家も私の実家も「餃子は家で手作りするもの」って思っているし、私はおいしいと思っていても子どもや妻がどう感じるかということで、お取り寄せはしたことなかったのです。 そして今回、上の子どものがんばりもあって(っていうかこれが目的にがんばったのか?)、ついにお取り寄せを実施し、埼玉の工場からやってきました。 今回注文したのが広告の中で一番小さな6パック12人前が入ったミニマムなものにしました。もし、不評でも私が頑張れば食べられるから。 で、焼いてもらって出てきたものを食べた子どもたちの反応・・・。「う~~まい! 王将よりいいよ!!」だってさ。 ちなみに、送料750円を加えて2250円でしたので、1パック2人前が735円。1人前にすると187.5円ですから、王将よりは少しだけお高い(王将が180円くらいだったと思います)のですが、妻も「これなら冷凍してあるし、お取り寄せもありやね」とのことでした。 思わぬ好評にこっちもうれしくなりますが、「パパは東京で食べているんやろ、ずるい~」だって。だからこうしてお取り寄せして味わうことができたやん。 それはともかく、喜んでもらえてよかったです。 ところで、パッケージにある「3割うまい!!」はどんな意味があるんだろうって思っていました。HPによると『3割とは、原材料費、人件費、その他経費が3割ずつで、いつの時代でもバランスのとれた営業をし、お客様の期待以上の高品質を提供する事を目標としております』とのことでした。
2011年06月30日
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29日の東京電力管内の電力需要は午後2時台に4570万キロワットに上り、3月11日の東日本大震災後では最大を記録した。この日の東電の最大供給力は4880万キロワットで、供給力に対する使用量の割合(使用率)は93・6%に達し、余力が乏しくなった。【産経新聞ネット版から引用】 東電管内ではついに本日、余力が乏しい状況になってしまったとのこと。そりゃそうですよね、これだけ暑いといくら節電呼びかけても熱中症でぶっ倒れたんじゃ意味無いですからね。特にお年寄りや小さな子どものいるご家庭では、決して無理しないでください。そこまでする必要はないと思いますから。 むしろ、節電に最大限貢献しなければならないのは、こんな事態にしてしまった詐欺政党をはじめとする政治屋連中なんだから、国会議事堂は当然冷房カットということで。っていうか、別に東京になくてもいいんだから、福島原発が見えるところにみんなで移ってほしいところ。「直ちに健康に影響はない」んだったよね、ブヒブヒ枝野さんよ~ だったら、直ちに政治屋全員で福島に行け! 私が住む関西でも関電の原発の定検が完了していないことなどから、同じように節電を呼びかけています。原発を持っている地域は似たようなものかもしれませんが、去年のような猛暑になればどうやって夏を乗り切ったらいいのかなって思いますよね。 とりあえずは、図書館のような公共機関へ行くとかしないと無理かな。奈良は特に盆地だから暑さも倍増ですわ~ ところで、最近は「脱原発」とか「原発を止めて自然エネルギーによる発電」って言う話を聞きますし、どっかの居座りボケ総理もそんなことを言っていますが、長い目で見ていけばこんな大きな原発事故を起こしたわけですから「脱原発」の流れは仕方ないのかなと思います。 以下は個人的な見解で申し訳ないのですが、最近「脱原発」や「自然エネルギー」の話が出ると、以上に書いたようなことが分かって言っているのかどうか怪しい、単に原子力憎しで言っているのではないか、って思って仕方ないのです。 そりゃ今回の福島原発の事故は、世界最大級と言われたチェルノブイリをしのぐような大事故ですからね、その気持ちは分かるんです。ただ、じゃそれを否定した場合、自然エネルギーだって文字通り「風任せ」的な状況なわけですから、これまでのような便利な生活はできないということでいいんですよね、っということなんです。 私は脱原発を進めるのであれば、その代わりは火力しかないだろうと思っています。出力的にも申し分ないし、何より安定した熟成された技術ですからね。効率も以前のものと比べると格段によくなっていますし。火力というと、わけのわからんヤツが昔の石炭火力のような黒煙もくもくのイメージしかない(事業仕分けの時も誰だかそれに近いことを言ってたような・・・)ようですが、最近の火力発電は天然ガスによる発電ですからね。また、最新鋭の石炭火力は黒煙もくもくではありませんので、念のため。 ただ、火力発電は地球温暖化防止という観点からはよくないです。効率はよくなっても「ものを燃やす」行為には違いないですからね・・・。 話を戻して、国全体で今の生活水準や産業構造を含めて電力需要をどう考えるのかを真剣に議論してどの程度の需要があるのかをはじき出した上で、当面は原子力でまかないながら何年後に新火力を立ち上げて、原子力は休止→廃止、自然エネルギーはあくまで補助エネルギーとして位置づけて・・・なんていう中長期的な目標を示さないといけないんじゃないかって思っています。 ってまぁ、人それぞれいろんな思いがあるでしょうけど、以上が個人的な思いです。 ボンクラ政治屋にはこんなことも考えていないでしょうな・・・。
2011年06月29日
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私の下の子どもは今日が10歳の誕生日。最近は水泳をがんばっていて少ししまったように見えますが、やはり太いです。特にお腹が・・・。背は145cmとクラスでも男の子の中では一番大きく、とても4年生には見えません。体重は・・・かなり重いですわ~ さて、平日の誕生日ということで、事前の話では保育所当時からの友だち2名ほどが家にやってきて誕生日パーティをするようなことを話していました。ところが、帰りの列車に乗っているときに妻からやってきたメールには「おいちゃん(義弟のこと)のお店に来て(義弟は飲食店を経営しています)。」とのことだったので、なぜなんだろうって思いながら店へ行きました。 店のドアを開けると、大勢の子どもの声が・・・。そうです、実際に誕生日パーティに来たのは2名ではなく7名!しかも、何人かの親御さんも加わってのにぎやかな状態となっていました。元々は私の家でやっていたのですが、とても食事の用意なんかできないということで、急遽義弟の店に行ったとか。 お友だちもうちの下の子どものためにたくさん集まってくれて、プレゼントも持ってきてくれたとのこと。下の子どもも大喜びでした。 それにしても、たくさんのお友だちが集まってワイワイ楽しんでくれているのを見て、こっちまでうれしくなりました。
2011年06月28日
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本日、333333ヒットを達成しました。3並びはどなたがゲットするかなって思っていたのですが、ゲストの方でした。ご覧いただきましてありがとうございます。ちなみに、ゲットされたゲストの方は有名な会社からのアクセスでした・・・。 ところで、私のブログにはいつもの常連さん以外にもたくさんの方にご覧いただいています。会社名や組織名は明かしませんが、本当に多くの会社や組織の方にもご覧いただいていること、とてもうれしく思っています。 一定のテーマじゃなくバラバラのテーマであり、時にはゆる~く、時には激しく、時にはマニアックで、アクセスされた方が「なんじゃこりゃ?」って思われるような内容もありますが、毎日でなくても時々ふと思いついたときに、「あそこのブログ、今日は何が書いてあるかな」程度でご覧いただければそれで十分なのです。 アクセス数や人気投票数を競う気はさらさらなく、「気が向いたら見てね」くらいがちょうどいいかなってね。 来る8月1日にはブログ開設6周年を迎えます。私のブログでは写真を使うことが多いので、その写真を保存できる容量が少なくなってきているので、新たにブログを立ち上げるか、毎月100円で容量を増やすか迷うところであります・・・。
2011年06月27日
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今日は天気もまずまずだったので、アマチュア無線の移動引用に行ってきました。本来なら昨年も行きましたが、三重県の青山高原へ行きたかったのです。でも、家の用事もあったので神戸市西区に行くことにしました。 行った場所は阪神高速北神戸線の前開PAです。あまりロケ的にはよくなかったのですが、次の予定を考えるとやむをえないかなっていうところでした。今日は50MHz帯で運用しましたが、伝播状態はややよいと思いきや、私のいた場所がよくないのかあまり入感せず。それでも、北海道と3局交信することができました。2時間でたった3局ですからね、さっぱりでした。 その後は、用事の場所へ行ってからも運用してみましたが、1局と交信できただけ。期待はずれの状況でした。 また機会があれば、青山高原にでも行ってみたいと思います。
2011年06月26日
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私の家のセカンドカー(っていうか、主に妻が使用していますが)のサンバー。昨年1月にタイヤを交換したところなのですが、今日久しぶりに車を洗っていると右後輪のタイヤの外側が磨耗しているのを発見。固めのタイヤにしているのになぜ? と思いながらもタイヤ館へ直行、みてもらいました。 担当の方の話では、後輪のアライメントが狂っているかもしれないけど、それを調整するのはなかなか大変だそうです。今日は車を使う予定があったので、とりあえずホイールバランスだけを確認してもらうことにしました。 ところで、今日作業をしてもらった担当の方はその店のピット長でしたが、以前に私のサンバーよりもまだ古いサンバーに乗っていて、当時のサンバーの後輪の調整を行ったことがあるとのこと。富士重工(スバル)は他のメーカーにはないちょっと変わったこだわりをもっている会社ですが、後輪の調整にも少し特徴があるそうです。 その方が乗っていた当時のサンバーも私のサンバーも設計思想は同じだったそうで、今後アライメント調整をしなければならない事態になれば、相談に乗ってもらえそうです。 話を戻して、タイヤはきちんとみておかないといけませんので、気をつけていたつもりなんですが、もう少しちゃんとチェックしなければならないなと思いました。
2011年06月25日
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先日の大井川鉄道のSL列車乗車の続きです。 大井川鉄道のSL列車は昔懐かしい客車が今でも活躍しているのです。私のような鉄道ファンには「旧型客車」とよんでいますが、概ね戦後の1955年くらいまでに製造されていた車両を指しています。(本当はもっと細かく分類も出来るのですが・・・)↑ 出入口のドア 幅が狭くて走行中でも開閉自由なドア さて、この旧型客車の特徴としては、「車内が木製」「冷房装置無し」「乗降ドアは手動で走行中も開いている」というところでしょうか。車内が木製や冷房装置無しというのは、古い車両にはありがちですけどね。「乗降ドアは手動で走行中も開いている」というのは、初めて見たらびっくりすると思います。ドアには戸締め装置なんてないですから、発車間際に飛び乗ることも、降りることも可能なのです(よい子はマネしないでね)。 この旧型客車は私が学生の頃は山陰や東北を中心に数多く活躍していました。何両も連結されて堂々とした編成を見せていましたし、もう少し遡れば急行列車として使用されていました。しかし、車両そのものの老朽化や客車を牽引する機関車の老朽化、列車ダイヤの速達化によって客車列車そのものが電車やディーゼルカーに置き換えられるなど、急速に姿を消してしまいました。 今回乗車した大井川鉄道には 両の旧型客車が活躍しています。その一両一両が同じ経歴ではなく、車両の特徴もバラエティに富んでいますが、興味がなければ「ただの古い車両」ですよね・・・。 この日の編成は、先頭のC5644からオハフ33 215+オハ35 559+スハフ42 2186+オハ47 512+オハ35 459+オハ35 22+オハ35 435+E102 となっていました。↑ 床も木張りです 車体は茶色一色のものが多く、旧型客車の晩年には青色一色の車両が多くて私的にはそちらの方が好きなのですが、オリジナルは茶色一色です。車内は冷房装置がないこともあるのですが、天井が高くて広々とした空間が広がります。また、車内は白いペンキが塗られた車両が多いのですが、一部の車両には木目がよく目立つニス塗りの車両があって懐かしさも増大です。↑ 車内がニス塗りの車両もあります ちなみに、この手すりあるいは取っ手のような六角形状のものは何だか分かりますか?↑ 急行列車で使われていた時のスペシャルアイテム、頭もたせ これは通称「頭もたせ」とよばれるもので、ここに頭をもたれさせると居眠りしても頭が痛くないという優れものなのです。木でできていますし、その角度がまたなかなか絶妙だったりします。この頭もたせのある車両は1951年から国鉄が急行列車用に製造したスハ43系の系列であり、この編成の中ではスハフ42、オハ47にあるものです。↑ かつては急行列車として活躍していた車両です↑ これが本物の「網棚」。ちゃんと網になっているでしょ。↑ 荷物を重さのせいで網がややもっこりします(荷物は私のリュックです) さらに車内を見渡すと、大きな広幅の窓、「網棚」の名称通りの網が張り巡らされた吊り棚、窓やドアの取っ手には真鍮製の金具が使われています。私にとってはこれら一つ一つがとても懐かしく、学生の頃に好んでこの旧型客車に乗っていた頃を思い出します。↑ 窓の取っ手です↑ 通路のドアの取っ手です。今の車両と向きが反対です。 なぜ好んで乗っていたのか。数が急速に少なくなってきていたから、というのもあるのですが、車内にはいると古い家に来たような雰囲気と匂い(匂いはおそらく消毒剤の匂いだと思うのですが)、走り出せば鈍重なジョイント音をきざみながらリズミカルに走る、冷房がないので窓を開けて走るので気持ちの良い風が通ってくるなどなど。 私が好んで乗っていた頃はすでにSLはなく、牽引する機関車も親戚のいる和歌山なら貴重なEF58が牽引していた以外はディーゼル機関車のDD51牽引の客車列車に乗車することが多かったのですが、牽引機以上に一両一両生い立ちや車両の状況の違う旧型客車に前出のような魅力を感じていましたね。 だから、今回の大井川鉄道においても、SL以上に旧型客車のことが気になって写真もたくさん撮りました。また、動き出してからも客車の走行音を聞きながら学生の頃に乗りまくったときのことを思い出していました。大井川鉄道ではスピードはさほど速くないんだけどね・・・。 今回のSL列車乗車の人たちの中では、昔懐かしいSLへの思い入れは多い人がほとんどで、車内での列車の紹介でも主役であるSLのことを紹介していたけど、そのSLに匹敵するくらい価値のある脇役の客車もあるんだということを、覚えておいていただければいいなぁと思いました。 主役も脇役がよいから余計引き立つというものですわ~↑ ニス塗りの贅沢な空間です。
2011年06月24日
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先日、大阪・谷町四丁目にある大阪歴史博物館へ行ってきました。ここは太古の昔から現在までの大阪の歴史を振り返ることができる施設でして、私は始めていきましたがもう開館10周年だとか・・・。 そんな大阪歴史博物館で7月4日まで、特別展として「懐かしい市電とバスのある風景」という催しが行われています。大阪は今でも路面電車の阪堺電気軌道が走っておりますが、昭和44年まで大阪市内には大阪市直営の大阪市電(以下、市電)が走っていました。市電や市バスの歴史や写真については、別の機会にも見たことがあるのですが、今回の特別展では昭和初期に「市営モンロー主義」とよばれた『市内交通の整備は大阪市が行う』方針に対して真っ向から挑んだ(大阪府が大阪市の意向を聞かずに営業許可したのが原因だそうですが、ホントかな?)大阪乗合自動車についても触れられていたのは、マニアックな方にはおもしろかったのではないかと思います。かくいう私もそうなんですが・・・。 しかも、その内容というのが「広告やチラシ」の類を展示していたことが私にとってはとてもよかったです。 さて、明治時代に市電の運行を始めた大阪市ではその後順次路線を延ばしていったわけですが、そんな中で大阪乗合自動車(略称大阪バス 車体の色から青バスと呼ばれていたそうです)は大正13年に大阪市内でバス事業を開始し、市電と競合するようになりました。大阪市も市電とかぶらない郊外地域で昭和2年からバス事業を始めたわけですが、市中心部の「市電対青バス」の競合状態は熾烈を極め、割引切符を発売するなど実質的な値下げをして対抗していたようです。 ちょうどそんな時期の広告やチラシが今回の特別展で展示されていました。しかも市電側ならわかるのですが、青バス側の広告やチラシだったのです。 まず、「捨テラヌ広告」と赤書きされて1円区間の「御試乗券」と書かれた割引切符が添付されたチラシがありました。ご丁寧に主な停留所から1円区間で乗車できる停留所名までが書かれていました。 それから、これは「ご意見をどしどしお寄せください」としたチラシもありました。要するに、バスの乗り心地や清潔な車内かどうか、運行状況や運転士の運転が適当かどうか、そういった気づきの内容についての意見募集の内容です。そのチラシに描かれていたのは、当時運行されていたバスが高座にあがって「私を叱ってください」というようなデザインになっていました。些細な点でも改善できるところは改善していこうという姿勢の表れでこういう意見募集は今でも時々見かけますが、昭和初期の時代からやっていたんですね。 ところで、昭和初期にはこうしたサービス合戦はいろんなところであったのかもしれませんね。例えば、大阪・天王寺と和歌山を結んでいた阪和電気鉄道(以下、阪和)。現在はJR阪和線となっているのですが、ここは元々私鉄として昭和4年に開業、関西の奥座敷の白浜温泉へ高速で列車を走らせることを目的に設立したそうです。大阪と和歌山の間にはすでに南海鉄道(現・南海電鉄)がありましたので、当然競合相手ということになるのですが、海沿いに点在する町が沿線にある南海に対して、大阪~和歌山間をほぼ一直線に結び、沿線にはこれといって大きな町もない阪和の対決は南海の方が有利なのは明らかでした。 後発の悲しさと沿線の状況から、阪和では「何とかお客さんに乗ってもらいたい」ということで様々なサービスを提供したりしていたようです。割引切符の発売はもちろんのこと、直営のバス事業において今で言うデマンドバスのような取り組みなど当時としてはかなり先進的な取り組みをしていたとか。また、少ないお客さんを大切にするために、「乗車しようとするお客さまがおられるのであれば、列車を発車させてはならない。遅れは列車の速度でカバーせよ」ような決まりもあったとか。これは、今のような過密ダイヤではできないでしょうけど、「なんとか乗ってもらいたい」という気持ちの表れなんでしょうし、遅れを回復するための車両や線路のメンテナンスも徹底されていたのでしょうね。 話を戻して、青バスのこうした涙ぐましい努力も昭和15年に青バス側が大阪市へ吸収合併されて終焉となってしまいます。時代が戦争へと突き進んでいる状況であったことからやむを得ないといえばそれまでですが、仮に戦争が無くても体力勝負のような状況になっていたと思うので、青バスが公営交通に対してどこまで太刀打ちできたのか。あるいは、青バスが見事なまでの合理化を推し進めて逆に公営交通を追い込んでいたのか。それとも、両者過熱しすぎてどこかで手打ちになったのか。さぁどうなったんでしょうね。 そういう歴史的背景をかいま見える広告やチラシというのは、「たかが広告、たかがチラシ」なのですが、とても価値あるものだと思います。私はこういう広告やチラシをみるのが好きなのですが、今回の特別展では写真を撮ることは厳禁だったのが残念でした。でも、貴重なものを見ることが出来て満足できました。
2011年06月23日
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私の下の子どもが剣道以上にがんばっているのが水泳なのですが、本日のテストに合格して7級に昇格したとのこと。7級は平泳ぎが完璧にできることだそうですが、最初は手こずったものの、やっと合格しました。やっとって書きましたが、意外と早かったそうですよ。 水泳を始めて1年余りですごい上達だと思います。私自身が泳げますけど我流ですが、下の子どもの泳ぎは教えてもらっているくらいですから、すごいきれいでかつ、早いです。私自身は下の子どもが泳ぐ平泳ぎは見ていないのですが、妻の話ではやはりきれいに泳いでいるとのこと。とりあえず、平泳ぎまで完璧にできたらいいかなって思っているのですが、本人はまだもっとやりたい様子。 水泳を始めてお腹の出っ張りはなかなか引っ込みませんが、確実に体はしまってきているようです。背もあるし体も大きいので、もうしばらくはさせてみようかなって思っています。
2011年06月22日
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大畠章宏国土交通相は21日の閣議後会見で、東日本大震災の被災者(原発事故避難者を含む)が東北地方の高速道路を無料走行するのに必要な被災証明書類の発行基準で、市町村によってばらつきがあることを巡り、「被災地復興を考えて制度を導入したのであり、節度ある形で対応していただきたい」と発言。軽い損害でも被災者と認め、証明書を発行する自治体側の動きをけん制した。 被災者の認定について国交省は統一した基準を設けておらず、自治体の判断に委ねている。同省では、地震や津波で財産に損害を受けた場合などに被災者として認定することを想定していたが、現実には、停電や断水が起きた地域の住民であれば被災者と認める自治体もあり、追随する動きが広がることが懸念されていた。 ただし大畠国交相は被災者の認定基準について、「ああしなさい、こうしなさいと現段階で申し上げる考えはない」と述べ、誰を被災者として認めるかの判断はあくまで自治体に委ね、国としては関与しない方針を明らかにした。【毎日新聞ネット版から引用】 詐欺政党の場当たり的な施策だった「高速道路上限1000円」という愚策。二酸化炭素排出25%マイナスを打ち出したのと同じ政党とは思えないまさに場当たり的な施策だったわけですが、元はというと詐欺フェストにあった「高速道路無料化」の成れの果てだったのです。まぁ無料化なんてできるわけないのに、自民党への対抗上と国民を欺くにはこの程度のハッタリは必要だということだったのでしょうか。 そんな愚策も東日本大震災の復興支援に充てるために廃止されることになりました。まぁ観光地には一定の効果はあったようですけど、本来ならどの程度恩恵があったのか、逆に二酸化炭素の排出がどの程度増えたのかなどを検証する必要があると思うのですが、そんなこと詐欺政党にはどうでもいい話なんでしょうね・・・。 さて、高速道路上限1000円の愚策に代わって、東日本大震災の被災者を対象に東北地方の高速道路が罹災証明書などがあれば無料通行することができるということになりました。少しでも被災者の利便を図ろうという詐欺政党にしてはいい取り組みだと思いますが、問題がないわけではありません。 本文にもありましたが、罹災証明書の発行基準が自治体によってまちまちだそうですね。この辺は自治体の裁量ということなんでしょうけど、本来ならどの程度までなら発行してよいという統一見解をだしておかないと、この自治体はOKなのにこの自治体はNGなんていうことになるといけませんからね。こういうところが抜けているんですよ、この詐欺政党は。 これで思い出すのが、阪神大震災のときの緊急通行車両の証票。『緊』の文字が書かれた車両は専用レーンを通行できるというシステムだったと思うのですが、その発行基準がどうもあいまいというのか、よくわからなかったですね。だから、専用レーンも『緊』マークの車両で渋滞していましたわ~ 何が緊急で緊急でないのか、よくわからなかったですね。 それと、先の罹災証明については、ちゃんと偽造防止対策はされているんでしょうか? 身障者の方が駐車禁止場所での駐車が認められる「駐車禁止等除外証票」がカラーコピーされているのではないか、なんていうことが言われます。身障者の方にとっては何ともやるせない事実があるそうですが、こんな大震災でも震災の地で人様の物を盗むバカタレがいるように、罹災証明を偽造して不正に通行しようとする「くそたわけ」もいるかもしれません。 そんなアホなことをする日本人がいるとは思いたくもないのですけど、やっぱりいるんでしょうね・・・。
2011年06月21日
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蓮舫行政刷新担当相は20日午後、首相官邸で記者団に、日本の次世代スーパーコンピューター「京」が計算速度世界ランキング1位となったことについて「関係者の努力に心から敬意を表したい」と語った。 蓮舫氏は2009年11月の事業仕分けで、次世代スパコン開発に関し、「世界一を目指す理由は何か。2位では駄目なのか」と追及し、波紋を呼んだ。記者団がこの点をただすと、「メディアが勝手に(発言の)短い部分を流した」と強調。一方で、京の1位奪取に関して「ナンバーワンになることだけを自己目的化するのではなく、オンリーワンを目指して」と注文も忘れなかった。 【時事通信ネット版から引用】 一昨年の事業仕分けで次世代スーパーコンピュータの開発に対して、「2位じゃだめんですか?」とのたまったレンホーとかいうグラビアあがりのヤツ、その発言に唖然呆然とし、怒りすら覚えたわけですが、関係者は、『あんなレンホーごときに言われっ放しでいいのか?』『あの程度のヤツに言われてたまるか!』という反骨心で開発を続けていたんでしょうね、予算を削られながらも。 その結果がついに世界の頂点に上り詰めたわけですから、関係者は痛快でしょうね。モノづくりは日本のお家芸ですし、どっかの国のようにパクリをするようなことはしてませんからね。 それにしてもあのレンホーとかいうヤツ、「メディアが勝手に発言の短い部分を流した」「オンリーワンを目指して・・・」なんて言い訳していますが、こういうのを「見苦しい」っていうんだよね。また、政治屋って自分の発言に責任をもてないということもよくわかりましたね。少なくとも、このレンホーとかいうヤツはそうですわ~ 民主党にしてみたら、このニュースは面白くないのかも。民主党の宗主国(?}ににらまれるとか・・・? ついでに、レンホーとかいうヤツが「世界一を目指す理由」を問っていたけど、前出のとおりモノづくりは日本のお家芸、モノづくりで日本という国はこれまでも世界と戦っていたわけだから世界一を目指すのは当然、結果はその後についてくるもの。2位狙いで開発なんてしませんから。 話を戻して、日本の開発陣に敬意を表します!
2011年06月20日
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今日は朝9時から淀川河川敷の西中島で試合がありました。この試合は「大阪ベースボールクラシック敗者復活戦」の第2回戦でした。今日は正捕手のT7さんが欠席ということで私がキャッチャーとなる事態になりましたが、その他にはN4さんやT16さんも参加ということで内野陣は鉄壁でした。 先発はH12さんで、最近は打ち込まれることが多いとのことで事前に練習したときもやや球がばらついているし、変化球も切れていないかなって思っていましたが、試合に入るとよくまとまっていました。 試合の方は、H12さんのピッチングが安定して得点を許しませんでした。最近の打ち込まれるような危なげもなく、4回まで無得点に抑えました。守備陣も安定していて、ダブルプレーを取るなどよく守っていました。 打線の方も、初回に相手エラーとT16さんの好走塁で1点を先制、3回にはT16さんのセンターオーバーのホームランで3-0としました。 5回からはT16さんがリリーフに立ち、1点を失いましたが、6回表には3者連続三振に抑える(3つ目の三振は追い込んでからボールがすっぽ抜けたんですが、バッターのバットに当たってそれを私が捕球してファールチップで三振という珍しい結果に)など安定していました。 そして、6回裏にはH10さんのライトオーバーのツーベースでダメ押しの2点をあげて、5-1で勝ちました。 私は久しぶりのキャッチャーでしたが、三塁に盗塁したセカンドランナーを三塁で刺したり(H12さんの投球とサードのT16さんのベースカバーが絶妙でした)、飛び出したセカンドランナーを挟んでアウトにするなど、珍しくよく動けていました。 でも、やはりしんどいですわ~ 【今日の成績】 1打席目 死球 2打席目 二飛 3打席目 投ゴロ 19打数5安打5打点3三振8四死球 打率 .263
2011年06月19日
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今日のブログは草野球の話、二連発です。まずは昨日の試合について。 昨日は職場の野球部の今年初めての試合が久宝寺緑地軟式野球場でありました。朝早くに降っていた雨が上がっていたし、グラウンドの方も使わせてもらえるとのことだったので、昼以降の天気は気になったのですが、雨が降る前にすませてしまおうということで試合をすることになりました。 相手は某経済団体のチームで、職場の野球部のHマネージャーの知り合いのチームだそうです。 さて、職場のチームは去年の大会で優勝して以来試合がなく、またグラウンドの練習も雨で流れたりして、実質去年の大会以来の試合となりました。それでも、ほぼベストの近いメンバーが集まりましたが、監督のT8さんが欠席だったので僭越ながら私が監督代行を務めました。 試合の方は序盤は相手投手の早いテンポと速球に手こずりましたが、3回にOH77君のヒットからYR1君の二塁打で先制、4回にも四球や相手エラーの乗じてOH77君、YR1君のタイムリー、さらに5回にも四球やK24君、U10君のタイムリーでダメを押しました。結局は10-0で勝ちました。 私は9番サードで出場しましたが、四球3つを選んでいずれも盗塁をするという珍しいことをしました。そのほかはセンター前ヒットとサード内野安打といずれも出塁することができました。守備もガゼルスでは最近一塁送球が不安定だったのですが、今日は長らく一緒に野球をやっているYR1君がファーストだったので、少々それても大丈夫ということで安心して送球することができたました。 ちなみに、時間があったので7回終了しても続いて行いましたが、そこまで持っていた天気ももう我慢してくれなかったのか、大雨で中止となりました。
2011年06月19日
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大井川鉄道には現役として走行可能ないわゆる「動態保存機」として5両のSLを保有しています。このうち今回の牽引機はC56でした。 C56は1935年から製造された160両製造されたSLですが、小型軽量でありながら炭水車がついていることから運行の航続距離が長いということもあって、ローカル線を中心に活躍していました。C56には太平洋戦争中に90両がタイに送られてしまったわけですが、今回の牽引機の44号機はまさしくそのうちの1両でした。そしてタイへ行ったC56は一両も戻ってきませんでしたが、戦後もタイで活躍していた2両が1979年に日本にもどってきて、この44号機が大井川鉄道にやってきたわけです。(あともう1両の31号機は靖国神社にて保存) 日本に戻ってきたときはタイ国鉄仕様になっていたのですが、徐々に日本仕様にもどされており、最近はボイラーも別の機関車のものを流用して取り替えられたとか。 C56の特徴は炭水車の形状にありまして、ローカル線での運用を前提に造られていましたから、転車台(ターンテーブル 機関車の向きを変える)がなくてもバックで運転しても後方確認がしやすいように炭水車の形状が横からみると斜めにカットされているのです。普通の炭水車は四角い箱ですからね、身を乗り出さないと見るのはつらいですから。 さて、この日は客車7両を牽引しての運行となりましたが、さすがに重いわけですから途中で止まることはないでしょうけど、機関車の状況を考えれば無理はさせられないと言うことで、大井川鉄道では列車の一番後ろに後補機(後ガマ)をとして電気機関車をつないでいます。この機関車も茶色一色で個人的には地元の阪和線や紀勢本線を走っていた国鉄のEF15を思い出させるような感じでとても懐かしく感じるのですが、実際には大井川鉄道が1949年に導入したプロパーの車両とのこと。近々西武鉄道から移籍してきた機関車に置き換えも予定されているそうです。 SL列車はC56が先頭に立ち、客車7両を挟んでE102が後補機という編成でしたが、個人的にはC56やE102以上に気になるのがその間の客車なのです。その話は後日ということで・・・。
2011年06月17日
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「国会の中に『菅の顔だけはもう見たくない』という人が結構いる。本当に見たくないなら、早くこの法案を通した方がいい」。菅直人首相は15日、再生可能エネルギーの利用を促進するため、電力会社に固定価格での買い取りを義務づける法案の成立を退陣の条件とする考えを示した。同日夜、今国会での法案成立を求める超党派の国会議員らが国会内で開いた会合で語った。 同法案は東日本大震災当日の3月11日午前に閣議決定されたが、国会審議は始まっていない。民主党執行部は特例公債法案と第2次補正予算案の成立を「退陣の花道」とするシナリオを描いているが、首相は「この法律を通さねば政治家としての責任を果たしたことにならないので頑張り抜く」と強調した。【毎日新聞ネット版から引用】 えらいこと、飛ばしよんなぁ~ 四面楚歌に近い状況で、さすがに頭ん中がメルトダウンしてきたか、このスッカラ菅は!『菅の顔だけはもう見たくない。(中略)本当にみたくないなら、早くこの法案を通した方がいい』 = 『殺されたくなかったら、早く金を出せ!』 よく似ていますよね。ホントこいつ、よく考えてモノを言っているのか? まぁ、考えているわけないか、スッカラカンだもんな。 それにしてもこいつ、この間一定の時期が来たら辞めるとかなんとか言ってなかったっけ? 「一定の時期」って、この電力会社に再生可能エネルギーの買い取りを義務づける法案の成立だったというわけかな。「震災関連」の法案はそっちのけで、というのがこいつらしいといえばそうだけど、震災関連だったら居座られてしまうから早く辞めてもらうためにも、この辺で手を打つというのもありなのか? いやいや、ペテン師・詐欺師が総理やっているくらいだから、この買い取り法案を通したら「次はこれ」なんて延命のためにいろいろ出してくるだろうからな~ とにかく、こいつにはとっとと辞めてもらうしかないんだけど、詐欺政党ではスッカラ菅後の「党の顔」を自衛隊を暴力装置というセンゴク某を中心に水面下で模索しているらしい。 いやいや、これだって詐欺政党が野党だったところに散々時の与党にいろいろ言ってなかったっけ?ホント、こいつら全くアホ過ぎて話にならんわ~ 長男が通う中学校の教諭にクレームを付け、金を脅し取ろうとしたとして、福岡県警が同県内に住む長男の母親(46)と、母親の知人の男(29)について、恐喝未遂容疑で立件する方針を固めたことが捜査関係者への取材でわかった。 学校側に理不尽な要求や苦情を繰り返す保護者は「モンスターペアレント」と呼ばれ、近年社会問題化しているが、刑事事件に発展するのは異例。 捜査関係者によると、2人は3月上旬、長男が担任の男性教諭から体罰を受けたと因縁を付け、担任らから金を脅し取ろうとした疑いが持たれている。 関係者によると、昨年10月中旬、担任が校内で騒いでいた長男を注意したところ、長男が担任の腹を蹴ったり、トイレットペーパーを投げたりしたため、担任がほおを平手打ちした。 長男は病院で検査を受け、母親は「金を払わなければ警察に訴える」「金を払えば何も言わない」などとタクシー代や診察代を要求。学校側は実費の1万数千円を支払ったという。【読売新聞ネット版から引用】 犯罪者は政界の中ではなく、学校にもいましたね。モンスターペアレント、ホントこいつらもどうしようもないですね。 本文を読んでもらって、悪いのは生徒側か学校側か。良識あるこのブログをご覧のみなさんには愚問でしたね。 当然このバカ親のクソガキが教師の注意に腹を立てて腹を蹴ったのがそもそもの原因でしょ。それを担任が身の危険を感じて手を出した。ただこれだけなんですよ、どっちが悪いかっていう以前の問題でしょ。 ただ残念なのが、学校側がバカ親に金を払ってしまったこと。こんなことをするから余計つけあがるんですよ。何があっても金は払ってはいけません。ましてや、教師の方は蹴られているわけだし、学校側も税金で購入している学校の消耗品を投げられているわけだし、逆に金はこのバカ親に請求しなければならないじゃない。 いつもいうことだけど、こんなしょうもない親がいるからそれをみてクソガキが育つというものです。学校側は報復を恐れたのか余計に問題が大きくなると思ったのかわかりませんけど、しょうもないバカ親を増幅させないためにも、最初の時点でとっとと警察に連絡して傷害事件で立件してもらって一件落着にした方がよかったですね。 本文の状況では、クソガキが捕まるのではなくバカ親と「お前は何の関係があるねん」の知人と称しているヤロウが恐喝未遂容疑で立件されるみたいです。 前にもこのブログで書きましたけど、『親になってはいけないヤツが親をやっている』のがそもそもあかんのですわ~ 福岡県警には社会問題化しているモンスターペアレント問題に真っ向から立ち向かってもらって、苦しんでいる学校関係者や周りの関係者を救えるようにがんばってほしいと思います。 それにしても、何でこんなくだらない世の中になってしまったんですかねぇ・・・。
2011年06月16日
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先日のブログで紹介した元・南海のズームカー21001系を撮影したのは大井川鉄道の下泉駅でした。この駅は無人駅なのですが、なかなか味わいのある駅でした。大井川鉄道は単線なのですが、この下泉駅で上り下りが交換(行き違いという方がわかりやすいかも)できるようになっていまして、プラットホームは線路と線路の真ん中にある(島式ホームといいます)ようになっていました。 この写真ではプラットホームは写っていませんが、そのホームから写真の右側にある木造の駅舎に向かう通路から出発する列車を写しています。列車を降りたお客さんが構内踏切を通って駅舎のほうへ歩いていきます。 この人たちはこの後、駅近くの広場に待機していた観光バスの乗って出発していきました。 これが下泉駅の駅舎です。木造の風格ある駅ですが、残念ながら無人駅です。かつては駅員が配置されていたんでしょうね。そのような感じがしました。 ところで、この写真に写っている道は、「鉄腕DASH!」でTOKIOの山口達也さんと城島茂(リーダー)さんが自転車とSL列車の競争をした際に走った道だそうです。 駅前には懐かしい郵便ポストがありましたよ。この円筒のポストはみていてもホッとしますね。私の実家の近くにもありまして、実家から通勤しているときはいつもこの円筒形のポストの前を自転車で走っていました。 ちなみに、今のポストは形が四角いから郵袋(文字通り郵便物を入れる袋のこと)をセットしやすく、かつ取り出しやすくなっているそうですが、この円筒形のポストは郵袋が入らないとか・・・。だから、ポストに投函された郵便物を手で回収して郵袋に入れないといけないって聞いたことがあります。なかなか大変だったんですね。 最近はこのようなポストを見かけることが少なくなりましたが、これは現役のようですのです。 事前に何のリサーチもなく、この次の列車の移動を考えればこの駅までしか移動できなかったわけですが、この後に乗車した元・南海ズームカー21001系や後日紹介するSL列車など、たまにはこういう移動もいいかなって思えるようなものでした。
2011年06月15日
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先日の東京出張の前に、横浜で途中下車して献血してきました。神奈川県内では初めての献血になります。横浜駅の周辺には今回の東口と西口にも西口献血ルームがあるそうで、どちらも駅からは近いようですが、6月2日にリニュアールオープンしたという東口クロスポート献血ルームへ行きました。 JRの改札を出て、東口の方へ歩いていくと案内表示があったのでそれに沿って行くと献血ルームの入っているビルがわかりました。ここの献血ルームの特徴は入り口の間口が広くて開放感があります。こんなに開放感のある入り口の献血ルームは初めてでした。その他の感じは最近の新しい献血ルームによく似ていまして、時間もそうだったのかもしれませんがやや混雑していました。それでも思ったよりも早く献血となりました。 採血する場所も最近の新しい献血ルームのような感じで、テレビもゆったり見られるようになっていました。この日も血管は浮きにくかったのですが、係の人が躊躇せずに針を刺してくれたので大丈夫でした。躊躇されるとさらにあとで痛い目にあうことがありますから、実は嫌なんですわ~ さて、献血が終わってから景品をいただいたのですが、リストをみてびっくり! バックからタオルからはたまた、あきたこまち5kgなんていうのもありまして、種類がとても豊富なのです。係の方に話を聞くと、神奈川県ではこれが普通だそうですが・・・。 で、結局いただいたのは、神奈川県バージョンのナースキティタオルにしました。それと、献血ルームのマスコットキャラ「けんけつちゃん」のこれまた神奈川県バージョンもいただきました。 献血の結果は、コレステ君が203と少しだけおとなしくなってくれましたけど、この日の血圧測定で下が94とやや高めだったのでそれが心配かな・・・。 それにしても、神奈川県の献血ルームの景品はすばらしいです。東京や大宮、名古屋はお菓子の類の種類が多かったし、もう少し関西の献血ルームもがんばってほしいかなってね。
2011年06月14日
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先週までの東京出張の前に、大井川鉄道(正しくは"鐵道"です)に乗ってきました。大井川鉄道はSLの運転を行っているローカル私鉄として有名ですが、その辺の話は後日にするとして、今回はその大井川鉄道で運転されているローカル列車の話です。 大井川鉄道は前出の通りSLを運転している鉄道なのですが、ローカル列車までSLが牽引しているわけではなく、普通の電車が運転されています。かつては廃止された北陸鉄道の車両なんかもあったわけですが、現在はなぜか元関西の私鉄で活躍していた車両が多いのです。今回の話として取り上げた元南海の車両以外にも、京阪の特急車だった3000系とか現在でも近鉄南大阪線で活躍しているやはり特急車の16000系がそのままの塗色で活躍しています。いずれの車両も乗ったことがありますが、やはり思い入れの大きいのは今回取り上げる南海21001系です。 南海21001系は1958年に南海高野線を走る特急、急行用として登場。現在では線形が改良されましたが、河内長野以南では急勾配、急カーブの連続する区間が多く、特に橋本以南では現在でもその状況が続いています。このような区間を平坦区間はかっ飛ばし、急勾配区間はしっかりと上り下りする車両として登場したわけなんです。「ズームカー」とは、カメラのズームレンズのように一つで広角から望遠まで使えることを例えたものと聞いています。 車体は急カーブが続く区間を走るために短めの17mとなっていますが、特急にも使われたために、車内はこのような転換クロスシート(今で言うJRの223系新快速のようなシート)となっています。(ロングシートの車両もあり) また、正面は当時国鉄や他の私鉄でも流行していた「湘南顔」(国鉄の70・80系電車の正面に酷似)で、塗色は淡緑に濃緑のラインという軽快なものです。 ただ、永年の使用により老朽化が進んだために、1997年を最後に引退してしまいましたが、2両編成×2編成が幸運にもこの大井川鉄道へ移籍することができました。(他には島根県の一畑電車へも2両編成×4編成が移籍) 個人的には、高野線を利用する際には好んでこの21001系に乗っていたのを思い出します。あの淡緑に濃緑のラインの塗色は、当時の南海の標準色だった濃緑と淡緑のツートンカラー(高野線の他の車両はステンレス車体なので銀色一色ですが)よりも軽快だし、車両自体もかつて国鉄阪和線を走っていた70系電車にも似ていたこともあったのですね。 そんな21001系が引退して、遠く静岡の地で活躍していることは知っていましたので、今回乗ることができたらいいなと思っておりました。どの車両が来るのか時の運だったのですが、SL列車からの折り返し駅の下泉駅で待っているとやってきたのは見覚えのある塗色、「やった、21001系!」小躍りしながら写真を撮っていました。 残念ながら塗色は保たれているものの塗装はかなりくたびれており、さびの補修はされていますがパテ埋めの状況がうまくないので、凸凹になっていました・・・。編成も南海当時の4両編成ではないのですが、室内の状況は南海当時のままだし、扉に貼られたステッカーにはこのようになっていました。 2004年3月31日付けで閉店した関西国際空港にあった「エアロプラザタカシマヤ」の広告です。こういう当時の広告も残っているのが特徴です。 この列車は終点の金谷駅で降りましたが、もうすぐ製造後45年になろうとしているこの車両、補修跡が痛々しいのでこの先どれくらい活躍するのかわかりませんが、いつまでも古き良き南海のままで活躍してほしいと思いました。
2011年06月13日
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今日は別の話題を予定していたのですが、昨日と今日行われた上の子どもの剣道の試合の結果についてです。 上の子どもは昨日の郡の大会に出場、参加者はそんなに多くはなかったものの、「とりあえず試合時間の3分間をきちんと戦う」ことを目標にしてがんばったそうです。相手にも恵まれたところもあったのかもしれませんが、その結果準決勝まで駒をすすめ、それにも勝って決勝戦へ。相手は一学年上の人だったそうで、試合時間の3分で決着がつかずに延長戦へ。その延長戦の開始直後に、いつも自分が決められている「出小手」1本で勝利となって優勝したそうです。 本人にしてみたら、試合時間の3分間をきちんと戦ったし、気分的には満足していたのかもしれませんが、延長戦になって気持ちをリセットできたかどうかはわかりませんが、いつも自分自身がやられている技で勝てたのですから、少しは進歩したのかなって思いました。 またこの日は団体戦にも優勝したとのことで、後日表彰状の伝達が学校で行われるようです。 それから、今日は県大会出場をかけた試合に出場、ベスト8に入れば県大会に出場できるとのことでした。結果はベスト16どまりだったのですが、敗者復活枠に移りましてそこで何とか残ったことにより、県大会出場が決定しました。 ところで昨日、個人戦と団体戦に優勝したことを話していたときに、「県大会に出場できるような結果なら、お取り寄せの餃子(この話は後日にします)をしようか」と話していたのですけど、本当に県大会出場になるとはね。もしかしたら、餃子を取り寄せてほしいからがんばったのか? 上の子どものメールにも『餃子、決定!』って書いてあったし・・・。 話をもどして、上級生の3年生が夏の大会で引退するわけですから、自分自身ももっと切磋琢磨していかないといけないと思いますが、チームをまとめていけるくらいの技量も身につけてほしいものです。
2011年06月12日
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今週は月曜日から金曜日まで東京へ仕事に行っており、今日帰って来ました。その行き帰りにあったことなどは後日報告したいと思いますが、今日は今回の東京での仕事にあわせて会えた幼馴染のナカシン君との飲み会のことです。 前にもこのブログで触れたかもしれませんが、私は1972年に大阪市内の住吉区から現在実家のある堺市に引っ越しました。そして集落の幼稚園、小学校、中学校に通っていましたが、ナカシン君も同じで幼稚園や小学校もクラスは別だったけど同じところだったし、中学校では同じクラスになったこともありました。また、高校も同じ高校だったので、その付き合いはかなり長いのです。だいたい40年近くになりますね。 ナカシン君は就職後しばらくして関東の職場へ転勤になり、関東での生活はかなり長くなりましたが、それでもこうして私が上京するときはタイミングが合えば、一緒に飲みに行っています。もっとも、ナカシン君はほとんどアルコールはダメなんですけどね・・・。 昨日の夜に東京駅で待ち合わせて、その近くの居酒屋へ行きました。3年くらい前にも会う約束をしていたのですが、ナカシン君の仕事の都合で会えなくなってしまったので5年ぶりくらいで会うことができました。久しぶりに会ったけど、そんなに体形に変化はありませんでしたが、本人曰く「ちょっと太ったかな」だって(元々細身なんです)。それなら、私なんかどうなるねん? 5年ぶりくらいに会ったのでお互いいろいろ積もる話がありました。元々バイク好きなナカシン君なので、関東で知り合ったバイク好きのメンバーと関東近郊の観光スポットなどへ出かけているようで、その模様はナカシン君のブログでも紹介されています。仕事は忙しいようだけど、アクティブに活動しているようです。 また最近の話で、東日本大震災当日の話やその後の計画停電で列車が運休したために、職場から自宅まで約8~9時間かけて帰ったなんていう話もしていました。 まぁそんな話をしていまして、あっという間に時間が過ぎました。 それにしても、住んでいる場所が離れていても、また歳をとっても、こういう付き合いを保てているって何だかうれしいなぁと思います。 しばらく東京へ行く仕事はないと思うのですが、またタイミングが合えばこうして飲みにいけたらって思いました。
2011年06月11日
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廃車になったバスが倉庫などに再利用されているケースが時々ありまして、バス好きな私にとってはちょっとうれしいものです。さすがに中に入ることはできませんけど、廃車当時の塗装のまま残っていることもありますから、貴重なものと思っています。 表紙の写真は若狭地方へ仕事で行った際にみつけた、港に置かれている古いバスです。この塗装から昔の京都交通バスであることがわかります。かつての京都交通は亀岡市に本社を置き、京都市内と福知山や舞鶴を結ぶバス会社だったのですが、2004年に会社更生法を適用して倒産。京都市と亀岡市の路線は京阪バスグループとして京阪京都交通に、福知山市や舞鶴市の路線は日本交通グループとして京都交通(2代目)となりました。 写真のバスは三菱ふそう製のMRとよばれるバスだと思いますが、置かれている場所が漁港の中で作業もされておられるでしょうから、遠くから撮影しただけにとどまりました。海のそばに置かれているので、潮から護るためか屋根にはシートがかけられていますが、状態はまぁまぁいいようです。おそらく車内には漁具などが保管されているんでしょうね。 ちなみに、このMRとよばれるバスは、私の実家のある南海電鉄バス(現・南海バス)でもたくさん使われていまして、私にとっても馴染みのあるバスでした。あまりたくさんありすぎて当時は好きじゃなかったんですけど、こうしてみると懐かしいなぁと思いました。 漁港などに置かれているケースは北海道でもよくみかけました。漁具が置かれているのか番屋代わりになっているのかわかりませんが、廃車後も役に立っているんですね。
2011年06月04日
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ホント、この国っていつからペテン師と詐欺師が闊歩する世の中になったのか。今日も昨日に引き続き、アホな動きがありましたね。国民を馬鹿にしているとしか思えない! っていうことで、今日も昨日に引き続きスッカラ菅内閣とその周りの不愉快な馬鹿者の話です。 鳩山由紀夫前首相は3日午前、菅直人首相が早期退陣を否定していることについて「きちっと約束したことは守るのはあたり前だ。それができなかったらペテン師だ」と述べ、激しく非難した。都内の自宅前で記者団に語った。 鳩山氏は2日昼の民主党代議士会直前に首相と面会した内容に関し「復興基本法案の成立と平成23年度第2次補正予算案の編成のめどがたったら(首相の座から)お引き取りいただくということに、首相は『結構だ』と言った」と強調した。 その上で「不信任案(採決の)直前には辞めると言い、否決されたら辞めないと言う。こんなペテン師まがいのことを首相がやってはいけない」と指摘。「人間としての基本にもとる行為をしようとしているのなら、即刻党の規則の中で首相に辞めていただくように導いていかなければならない」と述べ、両院議員総会を開いて首相に早期退陣を求める考えを示した。 不信任案に賛成した松木謙公前農水政務官ら2人への除籍(除名)処分については「冗談じゃない」と語り、処分は不要との見解を示した。 自身の対応についても「不信任案が否決されたら突然言葉をひっくり返して『そんなことを言った覚えはない』という人間だとすれば、不信任案に賛成すべきだった」と述べた。一方で「首相が詐欺師まがいのことをやるとは思わない。今でも信じている」とも語った。【産経新聞ネット版から引用】 内閣不信任が否決されたのを受けて、気色悪いくらい満面の笑みだったスッカラ菅。そりゃそうでしょうね、政権詐取の時は有権者を欺いたのに引き続き、今度は身内をも欺いたわけですから。風見鳩が「ペテン師だ」っていっても、アンタも騙されたんだよ。 さて、この詐欺政党は「開かれた政党」といわれているそうですけど、そんな名前が恥ずかしくなるような密約というか水面下で駆け引きがあったみたいですね。すなわち、『(復興基本法案と2次補正予算の成立の)目途がついたら総理の座から降りる』ことについて、スッカラ菅は飲んだと見せかけて、逆に風見鳩はバカ正直にそれを真に受けたわけですよ。加えて、全体の会合でスッカラ菅がすっかりお得意となった「一芝居」を打って党が一致団結させて不信任案を否決させたわけですから、役者としてはスッカラ菅が一枚上手、風見鳩はバカをみたっていうことです。 だからアンタは、キングメーカー気取りではなくてとっとと辞めといたらよかったんですよ。ホント、全く役立たず! 結局は大騒ぎしただけで何ら変化なく、スッカラ菅は引き続き政権のトップとして居座り続ける構図はこれまでどおりです。それにしても、このスッカラ菅は恥ずかしくないんかな。昨日のブログにも書きましたけど、未曾有の大震災と終息を見せない原発事故というこんな時期に「内閣不信任」を突きつけられるのは、普通ならありえないでしょ。日本の危機というこんな時期に、政争ごっこしている場合じゃないというのは当たり前で、いろんなしがらみがあってもそこはとりあえず置いてしっかりと復興していこうというものなんですよ。日本の戦後もそうだったんじゃないですか? ところが、このスッカラ菅内閣というのはとてもそんな代物じゃない。東日本大震災前からゴタゴタだったでしょ。震災直前には、禁止されている在日外国人からの不正な献金を受けていたとか、もっと前には尖閣の問題もありましたよね。選挙では見事に有権者を騙して政権を盗った(あえてこの文字)ものの、とても政権を任せられるような状況ではなかったのです。そして、今回の未曾有の大震災でしょ。被災地の人たちは「政争よりも復興」って言ってますけど、その裏には「いつまでこんな避難生活をさせているんだ!」っていうことなんですよ。どこの政党でもいいけど、今はとりあえず詐欺政党が責任政党なんだから、何とかしろっていうことでしょうね。 今回の内閣不信任という茶番劇は、「リーダーシップを発揮できないヤツは去れ!」って言うことなんだけど、スッカラ菅にはそんなことは分かってませんし、取り巻きの連中にもそんなことは分からない。「国民の自分たちの生活が一番」ですからね。結局はこれまでの3ヶ月間と同じような状況がこの先もダラダラと続いていくと思います。とっても残念だけど。 そして昨日のブログにも書きましたが、震災復興や原発事故終息とは全く関係のない増税や外参権が議論されるようになるんじゃないですかねぇ・・・。
2011年06月03日
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菅直人首相は同日昼、国会内で開かれた民主党代議士会で、東日本大震災や福島第1原発事故に触れ「一定のめどが付き、役割を果たした段階で若い人に責任を引き継いでほしい」と述べ、対応にめどが付いた段階で辞任する意向を表明した。【時事通信ネット版から引用】 ついにスッカラ菅内閣への不信任決議が可決されると思いきや、昨日まで散々不信任案に賛成の意向だった連中の見事な保身により否決されてしまいました。しかも、「お前! 辞めるって去年言ってたんとちゃうんかい!」のルーピーハトヤマがまさかの風見鶏(風見鶏に失礼だから、「風見鳩」で十分か)ぶりを発揮して、それに「東日本大震災の被災者や原発事故よりも、自分のことが一番!」のその他大勢の詐欺政党員が賛成に回ったことが大きいわけです。いいですか、今回賛成に入れた連中の顔と名前を良く覚えておきましょうね、次の選挙には必ず目にもの見せてやるから。 さて、前置きが長くなりましたが、なぜこんな時期に内閣不信任案が上がってきたのか。被災地はもちろんのこと、原発事故が一向に終息を見せない中で「こんなことをやっている場合ではない」のですけど、こうなった経緯は「スッカラ菅が思いつきで動いて、余計ゴタゴタにしてしまったこと」なんですよね。 例えば、「僕は原子力に強いんだ」なんて妄想を元に原発事故を終息できず(これは誰がやっても一緒だったかもしれないけど)、被災地視察しても行っただけという実績作りだけ(仮設住宅建設も「私が強く指示すれば実現できる、私なりの見通しで言った」という馬鹿げた発言も)、サミット中に表明した太陽光パネルの1000万戸設置構想も関係者には何も話さず思いつきで発言(思いつき発言はこの他にもたくさんありましたが)とまぁ、よくぞこんなアホなことばかりやってくれたものだって思いますわな~ 誰が言ったか「御輿は軽い方がいい」って言うのがありましたが、さすがにスッカラ菅内閣はその御輿が発泡スチロールでできているくらい軽かったんでしょう。だから、あまり軽すぎては担ぎがいがないだけでなく、どこへ飛ばされてしまうかわかりませんからもう少し「空気の読めるヤツ」に代えたいって思いますよね。 それにしてもスッカラ菅自体は「一定の目途が付き・・・」とコメントしていますが、その『一定の目途』とはどの辺が一定の目途なんですかねぇ。っていうか、ここまで約3ヶ月の間、震災復興のために何ら有効な手立てを打てていないし、原発事故も終息の目途すら立たない状況なのに、どこまでできたら『一定の目途』なのかわかりませんね。 もしかしたら、スッカラ菅お得意の「思いつき」とか「自分が強く思えばできる」って考えているのかもしれないし、そんな発言でいたずらに延命しているだけじゃないのって思うんですけどね。 そして、震災関連で目をくらませながら、外国人参政権をこそっと通し、復興名義で増税するという「詐欺政党の本領発揮」をするつもりかもしれません。 風見鳩のルーピーハトヤマは、6月くらいを目途にスッカラ菅が辞めるのではなんてバカな見通しをコメントしているようですが、空気の読めなさではルーピーと双璧なスッカラ菅、こんなおいしい総理の座を降りるわけないでしょ。どうせ「まだ目途がついていない」って居座るよ、絶対。 ホント、与野党ともこの茶番劇を見せられた有権者のことをわかっているのか、って思いましたよ。みんなまとめて懺悔してほしいですわ~
2011年06月02日
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大阪・港区にある海遊館は大阪を代表する観光スポットの一つとしてすっかりおなじみとなりました。私もここは大好きで何度も行ったことがありますし、私の子どもたちも学校の遠足などで行ったことがあります。何度も行っているとさすがに飽きてくるのでは、と思われるかもしれませんが、私も子どもたちもそうですが何度行っても飽きませんね。一日いても大丈夫なくらいですわ~ 海遊館には巨大な水槽の中を優雅に泳ぐジンベイザメをはじめ、カマイルカ、ゴマフアザラシ、アシカといった水中を泳ぐ生き物だけでなく、リスザルやサギなど陸の生き物もいるんですが、私はなんと言ってもペンギンが一番好きです。 ペンギンの部屋の上から砕いた氷か雪が降っているところでペンギンたちは固まっているのですけど、中には元気よく泳いだり動き回ったりするのもいて、それこそ一日中見ていても飽きないです。特に、この写真の下のほうにいるペンギンは何度も水辺にやってきて水に入ろうとするのですけど、何かためらっているようで水辺と奥のほうを行ったり来たりしていました。(で、結局は水には入らなかったんですけどね・・・) ホント、一匹でいいから持って帰りたいって思いましたよ~ また、エイやサメに触ることができる特別展示もあって、下の子どもと一緒に触っていました。サメはさすがに堅くてザラザラでしたし、エイはヌルヌルでした。下の子どもはこわごわ触ってしましたけどd、貴重な体験となりました。 ところで、今日は下の子どもの小学校が創立記念日で休みだったのと、義母さんが一度も海遊館に行ったことがなくて行ってみたいということをおっしゃっていたので、休みをもらって一緒に見に行くことにしました。今日は雨だったし空いていると思いきや、他の小学校や幼稚園の子どもたちが多かったです。また、下の子どものお友だちも海遊館に来ていました。義母さんも楽しんでいただいたようでよかったです。
2011年06月01日
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