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NHKオンデマンドで、大河ドラマ「毛利元就」を見た。その中で毛利兄弟の言い争う場面があった。毛利兄(渡部篤郎)は若くして毛利家の当主になり、まだ地方の豪族に毛の生えたようなちっぽけな家であったため、主君大内義弘の言いなりとなって京都に連れて行かれ、そこで戦乱に明け暮れた。そしてすっかり「闇落ち」して故郷に帰ってきた。毛利弟(中村橋之助:当時)は、幼くして両親を失った同志である兄、京都からも温かい気遣いの手紙も送ってくれていた兄が、すっかりやる気をなくして酒浸りになっている様を見て、「兄上はいったいどうされたのじゃ」(←こんな感じの意)毛利弟は弟で、傷ついた兄の様子を思いやり、最初のうちは口出ししなかったのだが、いよいよと言った感じで涙を浮かべて訴える。すると毛利兄は、「美しかった京都に最初は心がウキウキしたが、やりたくもない戦に何年も駆り出され、家来も死に、都もどこも見ても死人だらけの荒れ果てた町になり、虚しい想いを抱えるのももう限界なのじゃあぁぁぁぁ わしはもう、どもならぁぁん(←ざっくり意)」と、毛利弟も引いたんじゃないかと思うくらい、涙も鼻水も(もしかしたよだれも)ダムが決壊したみたいに顔から水分放出して、誰にも言えなかったであろう心情を弟にぶちまけた。渡部篤郎の迫真の演技に、思わずもらい泣きしてしまいそうになるが、「ハナ、ハナ、チーンしんちゃいっ」そっちのほうも気になってしまった笑。で、思い出したのだがやっぱり大河ドラマの「花燃ゆ」での兄弟のシーン。吉田松陰(伊勢谷友介)は幼い頃、吉田家に養子に出されたのだが、元は杉家(農家を兼ねる下級武士)の次男坊だった。吉田弟は最初は、十歳の年でお殿様に講義を披露するほどの秀才で、藩をあげての期待の星だったのに、脱藩はするわ黒船に密入国しようと突撃するわ、その他諸々の悪行(藩にとって)を重ねあげくに謹慎させられ牢屋にも入れられ、実家の杉家もとてつもなく肩身の狭い思いをいなければならなくなり、杉兄(原田泰造)は吉田弟に、「お前は幼い頃から養子に出され、寂しい思いをさせて申し訳ないと思っていた。しかもあの苛烈な叔父に折檻のような教育を受け、どんなにつらかったかと思う。だけどお殿様の御目通りも許されるくらい幼いながら立派になり、お前なりの才能もあるだろうが、なにより努力もあったのだと思う。それが陰ながら自分たちの誇りでもあった。しかし今、お前のその過激な行状は実家に多大な弊害をもたらし、我が杉家に対する世間の風当たりは非常に厳しい。どうか、どうか、お前の思うところもあるだろうが、我慢してここは辛抱しておとなしくしていてくれ、頼む(←ざっくり意)」と涙ながらに訴える。原田泰造演ずる兄に感情移入してしまい、こっちまでもらい泣きしてしまった。吉田弟もその熱い情感にほだされたのか、涙を浮かべて「うんうん」と頷く。その次の場面、吉田弟は、また懲りずに密航するために舟をコキコキ漕いで(漕いでいたのは弟子?)、「兄様はわかってくれる」とほざいていた。ひっくり返ったね私笑。同じく大河ドラマ「真田丸」で、真田パパ(草刈正雄)が「武田は滅びん」と言った次の場面で「武田は滅びる」と言った以上のひっくり返り度笑。あくまでドラマのことで、実際の兄弟関係ってそりゃあ星の数ほど色んなパターンがあるとは思うけど、そんな兄弟姉妹いない私にはとても印象に残る場面だった。
2024年05月11日
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一度目の乳がんの手術の後、退院して初めて診察室に赴いた私に、いきなり担当医がパソコンの画像を私に見るよう促した。そこに映っていたものは、魚の白子を紫に着色して、その中に海藻のヒジキをたっぷり混ぜたような塊だった。それは私の切除した「癌の塊」だった。紫色は手術の時か後に着色したらしい。「それ」を見せられると思ってもいなかった私は「あんなヒジキみたいなモンが体にあったなんて・・・・」と、そのあと担当医が何をしゃべっていたか耳に入ってこなかった。二度目の乳がんの手術の後、今度は違う病院で、手術が終わって「とれたてほやほや」の「生の癌の塊」を、手術室横の小部屋でダンナは担当医から見せられた。銀色のトレイに載せられた「それ」を、いきなり見せられると思わなかったダンナは、体格のいい担当医と看護師さんと自分でぎゅうぎゅうのその部屋で、「クラっ」として若い看護師さんに倒れかかりそうになったのを、踏ん張ってこらえたらしい。「とれたてだったから、(ほんわり)した匂いにやられた」と、術後の私に青い顔をして報告した。体から「思いもかけぬもの」を、しかも「いきなり」見せられたら、医療従事者ではないかぎりその衝撃は深いと思う。映画やドラマで、江戸、明治、大正時代の設定で、「ゲホッ」と登場人物が咳をして手で口をおさえる。そしてその手のひらを見ると血がついていて、その人物はびっくりする、というシーンがよくある。その手のひらについているのはもちろん「本当の血」ではなく、撮影用のインクだろうし、お茶の間に衝撃を与えてはいけないからか、手に着いた血の量も「ちょっぴり」だ。そのシーンで伝えたいことは「自分の体からとんでもないものが出てきた衝撃」ではなく、「当時不治の病と言われた(結核)にかかっていること=死に向かっている」ことをその登場人物や視聴者に提示すること、ではないかと思う。映像的に「吐いた血」というのはそんなに生々しく表現するのは難しいだろう。あんなインクが垂れたようなものでは絶対ないはずだけど、私を呆然とさせ、ダンナをクラっとさせた「癌の塊」みたいなものを、視聴者に見せてはいけない。これが小説で表現されるとどうなのだろうと、明治時代の俳人、正岡子規を主人公とした「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石」伊集院静:著を読んだ。それまで私は正岡子規という俳人に特別興味もなかったし、もちろん俳句の趣味もなかった。ただ「結核の描写」がどのようにされているのか見てみたかった。「三十五歳で世を去った日本文学の未来をひらいた(帯より抜粋)俳人の物語」を読みたいと思ったわけではなく、「喉を、息ができないほどのもの」が通過して「口の中いっぱいから溢れ出す」と自分で想像しているものが、どのように描写されているのだろうか、それを読みたかった。そんな小手先の技術を(いつか使おうとして)盗み見ようと、畏れ多い真似をしてしまった私には、あの紫に着色されたヒジキのような「心根」が巣くっている。それを目の前で「いきなり」見せられてしまった。「病状を表現する」が「うまく」なりたい、なんて馬鹿だった。この本を読んで「正岡子規」のことをもっと知りたいと思った。
2024年05月02日
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中学生の頃読んだ小説というのは、思春期から壮年期の時を経て、人生に多大な影響を与えるもののように思う(おおげさ)。と、言っても先日書いた「復活の日」はうろ覚えにしか記憶になかったが笑。そんなわけで中学生の頃、横溝正史著作「悪魔の手毬唄」を読んだ。「復活の日」と同じように小遣いで買ったのだろう。思えば昭和50年代の、当時の新興住宅街に「古本屋」というものがなかったように思う。だから「本を読む≠中古本」だった。そもそも新書を買うしか選択がなかったのだから、中学生の私は何件かあった本屋を、夏休みの日がな一日巡り歩いていた。その本屋も今では一軒も姿を残していない。残ったのは、夏休みの蒸し暑い、クーラーなんて概念のない夜、人生初の徹夜をして一晩で読み切った思い出だ。徹夜なんて、その後何度も(色んな事項において)経験するのだが、何事も「初体験」は「子供」から「大人」への大事な通過儀式だ(おおげさその2)。はっ、と気づいたら外が明るかった、のはなんかやばいことをした罪悪感もあったように思う。で、内容の話なのだが、ご存知我らが「探偵:金田一耕助」が、戦後の岡山の二軒の対立する旧家を巡って起きる「手毬唄」になぞらえた連続殺人、そして20数年前の殺人も絡んできて、とてつもなく複雑に入り組んだ人物相関のややこしい事件を解決していく話だ。この小説を読むに際して、何パーセントの人が「オリジナル人物相関図」を書いたことだろう笑。この小説を読んだ後も、色んな推理小説、ミステリーを読んだけど、やはり印象に残っているのは、終盤犯人もわかって、もう誰も殺されることはない、だけどこれで安心なんて少しも感じられない大勢の事件関係者の皆さんを金田一耕助は集めて、「どうでしょう、皆さんでこの事件を討論してみませんか?」と語りかけるのだ。「犯人はお前だ!」なんて、のちに現れる「マゴ」のようなことは「じっちゃん」はしないので笑、事件関係者を集めた席の金田一耕助の眼の光は、消えそうなろうそくのような弱いものだったのではないだろうか。関係者たちが、「今思えば、ああだったのかも」「こういうことではなかったのか」と、議論が白熱すればするほど、自分たちの中で気持の収まりどころが解決すればするほど、唯一部外者の金田一耕助の眼の光は沈んでゆく。金田一耕助って、ええなぁと、思い続けて、40年後岡山の「横溝正史疎開宅」に行って「金田一耕助の小径」を歩くことになるのだ笑。
2024年04月21日
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というタイトルの小説を読んだのは確か中学生の頃。その文庫本のカバーには、当時公開された同作の映画の主演を務めた草刈正雄の写真が印刷されていたから、「映画になるほどの豪華な傑作なんじゃ」と、たいしてお小遣いもらってないはずなのにわざわざ新品の文庫本を買って読んだのだ。「たいしてお小遣いをもらってない」なんて、「たいしてお小遣いをむすめゴたちに与えてこなかった」ハハが、どの口で言うてんのじゃ、と一行書くごとに突っ込んでいては前に進まない。いや、やはり思い返してみるに、それから45年ほど月日の流れた現在、「新書なんて買えんわい」記録が毎年更新されている。ブック○フやフリマの「五冊で400円」でばっかり購入しているので、その一冊一冊手に取るたびに「あんたもここ(たぶんその本にとって人生の終わり近く)で、このオバサンのとこくるとは思わんかったじゃろ」と、感慨深く話しかける笑。たいしてお小遣いをもらってないわりに、新品のぴちぴちの文庫本を購入する財力が、中学生のワタシにはあったのだ。財力というより「購入するに際しての優先順位」が激しく変動したのだろう。45年の月日の流れは、そうした自分の価値観の変動だけでなく、実物(ぴちぴちの文庫本)も目の前から変動していき、今はどこへ流れていったのか、どこかのオバサンの手に渡っているのか、それともワタシより先に人生を終えてしまったのか。かの本、「復活の日」も今は手元にはない。でも、何年かぶりにこうしてブログを再開するにあたって思いついたタイトルは、「復活の日」だった。手元にないのに。ぴちぴちの文庫本を、購入の優先順位のトップに置ける状況に戻ったわけではないのに。「復活の日」の内容はよく覚えていないが、なんとなく、人類の危機を乗り越えた結末だった気がする。私もとりあえず、「危機」は乗り越えたのかもしれない。まだ「結末」ではないけれど。そんなわけで、また日々の拙いあれやこれや、書いていきます。以前、仲良くしていただいた方、このブログに気がついたらまたよろしくお願いいたします。 .
2024年04月14日
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