「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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私の海外渡航記録
精華女子高校 出光良治
ホームステイに一言
留学先の米国で射殺された高校生の事件に関連して最近の海外留学事情、特にホームステイについての教育関連関係者から意見、声が新聞の投稿欄に見られないようだ。ここに敢えて、私見を述べたい。
現在たくさんの小、中、高、大学生が夏休みや春休みに米国、オーストラリア、カナダ、英国でホームステイをしている。私の甥も中三と小六の兄弟がカナダでこの夏ホームステイをした。私自身、四年前の夏休みにいろんな中学、高校の生徒をアメリカのカリフォルニアにホームステイの為に引率した。
ホームステイ期間中は、現地の各家庭に預かってもらっているわけで、一人歩きすることはほとんどない。米国は車がないとよそへは行けない社会だから、ホームステイ先の父か母の手を借りることになる。そういう面で、単なる旅行とは違って、非常に安心できる。身の安全は現地の各家庭が守ってくれる。
これからも、留学生射殺事件にめげずに、ホームステイが盛んになることを希望するのだが、次のことを厳守していただきたい.未成年者は絶対に禁酒禁煙。引率者も受け入れ家庭が禁酒禁煙ならば当然それに従うこと。受け入れ家庭の電話を無断で使用しないこと。道路を渡るときは必ず横断歩道を使うこと。(米国では、車は走る凶器である。)
2.イギリス家庭滞在(1973年2月)
20年前、初めて国際線に乗った。羽田からアラスカのアンカレッジに寄って、空からの北極海の景色に興奮した。西ドイツのフランクフルト経由でイギリスに行った。ドイツの空港は私にとって初めての有料トイレ体験であった。1ヶ月の英国滞在の後、帰途は南回りでギリシャのアテネ空港では珍しい文字に驚いた。次はインドであったか、タイであったか忘れたが、暑かった空港だけが記憶にある。そして飛行機は香港に寄った。便所の男界、女界の文字が印象的であった。
約1ヶ月間、イギリスの家庭に滞留して英語学校に通った。ロンドンよりバスで3時間くらいのボーマスという港町であった。これは、リクルート社が新卒者向けに企画したもので、企業が1万円を補助した体裁を取っていた。33万円のパック英語研修であった。
私がお世話になった家庭は、6歳くらいの女の子、32歳位の母親、35歳位の父親、60歳位の祖母の4人家族であった。近くの家にはスペイン人、イラン人もホームステイしていて一緒に歓談もした。パブで飲み、ディスコで踊り狂った。英語学校には2階建てのバスで通ったが、歩いても20分くらいで行けた。ある時、バスで英国人の乗客が、誰に言うとはなく、「日本人は中国語を喋るのか?」と言った。私は、とっさに、「日本人は日本語を喋ります。」と言った。
途中、1週間ほどスコットランドに行こうと思い立って、逗留家庭に話すと、何と1日1ポンド位の計算でお金を返却してくれた。これは、アメリカのホームステイと違って、イギリスでは受け入れ家庭が旅行社よりお金(下宿料)を貰っている証であろう。バスでロンドンまで出て1泊、そこからエジンバラまで鉄道を使った。そしてヒッチハイクでアバディーン、インバネス、ネス湖、エジンバラと回った。スコットランドでの3泊とロンドンの1泊は、全てユースホステルを使った。アバディーンでは、米国からリュックを背負ってヒッチハイクをしている青年から、夕食にグリーンピースをごちそうになった。又、トイレに入っている時に、外で大きな声で誰かが何か言っていたが全く意味不明で、大きな日本語で、「入っています。」と言ってやった。エジンバラからは鉄道でロンドンへ、そしてバスでボーマスに帰った。別な旅行でバーミンガムにも行った。B&Bすなわちベッド&ブレクファストに泊まったのが、どちらの旅だったか、忘れてしまった。カレッジがこじんまりと堀で囲まれていたのが強烈に頭に焼き付いている。ロンドンの大英博物館の展示品にもただただ圧倒された。エジプト文明を移転していた。いろんな初体験を楽しんだ英国研修だった。
アメリカ留学(1974年春夏秋)
今は東急電鉄に吸収合併されて、消滅してしまった会社、大阪の東急土地開発(株)より、米国のワシントン州シアトルに英語研修という形で派遣された。東急土地開発(株)はシアトルとホノルルに子会社を持っていた。半年間の研修後、1名をシアトルに、1名をホノルルに配属の予定であった。相棒は、大文豪井上靖の甥であった。
シアトル大学の寮に入った。英語学校(ESL)は、その寮の一部を使っていた。食事は3食全て大学の学生食堂を利用した。ミルクやジュースは飲み放題であった。豊かな国であると思った。英語学校には日本人が3分の2以上を占めていたが、それでもイラン、イラク、サウジアラビア等の中近東から、ブラジル、メキシコ等の中南米から、アルジェリア(北アフリカ)からも来ていた。日本人の面白い例としては、国鉄(現在のJR)職員、大阪市役所職員、裁判官等の公務員が公務で英語研修を受けていた。自費で来た女性弁護士や医者もいた。その女性弁護士は東京大学卒で今まで負けることを経験したことのない完璧な常勝チャンピオンであったようだ。彼女は英語学校での4週間単位の次のステップに進級できなくて泣きじゃくった。9ランクあって、英検2級だと4ランクに編入される。私達2人ともに、
たまたま、同時に4ランクから初めて順調に9ランクまで進んだが最後の卒業試験はパスしなかった。帰国後、シャープ(株)の海外事業本部で貿易英語・実用英会話に磨きをかけ、社内の英語研修に没頭して英検1級を取った.今ではシアトルのELS英語学校の卒業試験に何とか合格できるのではないかと思っている。シアトルのワシントン州立大学でのトッフルの試験で当時550点取った。英検1級がどうであろうかなという成績であろう。
富士フィルム研究所研究員を筆頭に、裁判官、大学付属病院看護婦、そして不動産会社社員の私の4人で、ワシントン州の内陸部のスポケン市まで、万国博覧会を車で見に行き、イエローストーン国立公園にまで足を伸ばして、米国の雄大さに感嘆した。万博は4年に1回、世界のどこかで催されているわけで、1970年には大阪で開かれている。又、シアトル市には万博のニードルタワーがその跡を残していた。スポケン市の万博には会期中、ブラジル人、アルゼンチン人、日本人2名の計4名でも行った。15,6歳の女の子に、お金をせびられ、コーヒーカップに即席の記念写真をはめこむパートナーとしてアルバイト採用して、米国の記念として彼女と一緒に写った。彼女にはモデル代として、1ドル払った。カナダのバンクーバーのバスセンターで、若い男性からバス代をせびられたこともあった。1973年の英国エジンバラで、又、今回の米国シアトル市で、マリファナをいずれも公園で勧められたことがある。私は進歩主義者だが臆病者で、こういう危険物は一切断わった。
シアトル滞在中に、一人旅をしたくなった。サンフランシスコまで、飛行機に乗り、そしてレンタカーでヨセミテ国立公園まで往復した。シスコ到着の日は、とにかく泊まるところをと車でバークレーの公園で話しかけた青年の好意を受け、彼と教会の地下室に寝た。彼は裸になって寝たので私はびっくりした。ヨセミテ公園では何とか山小屋に飛び入りで泊まれた。公園で車のキーを付けたまま、ドアを閉めてしまって困惑した。回りの人達が針金でドアの隙間からドアロックを引っ張り上げて開けてくれた.途中、一直線を飛ばし過ぎの連続でヒーターが過熱。煙(湯気)が出ていた。スタンドでボンネットを開けてもらってヒーターの栓が取られるや、イエローストーン公園のガイザーみたいに湯しぶきが噴き上がった。
日本では絶対に起こらない現象ではないだろうか?
ガソリンスタンドでの給油は店の人がしてくれた。ガソリンを給油した女性オーナーは、ワシントン州立大学の修士号を持っていた。高学歴社会だなと感じた。バークレーの教会で泊めてくれた無色風の青年も大学を出ていた。この頃は未だ、日本車には気付かなかった。よくレンタカーを借りたが、ほとんどがオートマチック車であった。私はいまだにマニュアル車に乗っており、かつ代車もいつも日本ではマニュアル車だ。私のオートマチック車経験は、今のところ、米国でのレンタカーということである。
米国ホームステイ引率(1988年夏)
35歳で精華女子高校に勤務し始めて5年目の夏休み、米国カリフォルニア州オレンジ郡にいろんな中学、高校生を男女混合で引率した。プラセンティアという」ロサンゼルス郊外のディズニーランドに近い所だ。国際教育交流教会が東急観光(株)とタイアップして企画したものだ。旅行会社の添乗員もなく、私一人で皆の切符を預かり、23名を飛行機の中で、ロサンゼルス空港で、そして空港の外でと、数の確認に追われた。
午前中は小学校の校舎を使って英会話が組まれていた。私は付き添いで時々生徒の為に通訳をした。本物の警官が来て,銃を扱わせてくれたり、手錠をかけたりしたこともあった。背の高いバスケットの選手が来たこともあった。近くの消防署や図書館まで歩いて行って説明を受ける授業もあった。
午後はいろんな楽しい企画が組まれていた。生徒たちと共にローラースケートに2日ほど熱中したこともあった。5軒に1軒位の割合でプールを所有していて、みんなで計5日位、水泳を楽しんだ。海にも2回行った。海岸で生徒は面白い光景を見た。それはハワイのワイキキでよくやっていたので私は知っていた。先が強い磁石になっている鉄棒を持って砂浜の上を歩いている老人を見つけたのである。いろんな貴金属、ネックレス、時計等がこの棒に付着するのである。老人は自慢げに、今身につけているネックレスもここで拾得したと話してくれた。退屈凌ぎと健康のため、趣味と実益を兼ねて、この砂浜で宝捜しをしているのだと説明してくれた。生徒たちは興味しんしんで目を輝かせた。
午後の企画で特に素晴らしかったのは、市庁舎訪問だ。その日は市庁舎に米国旗と日の丸の旗とが並んでいた。市議会の座席も説明があり、5階建ての市庁舎の隅から隅まで見て回り説明を受けた。日本でこういう企画をしてくれるだろうかと思った。警官にしろ、バスケットの選手にしろ、消防署も市庁舎も本物を見せる。サービス精神旺盛で、みんな非常に好意的である。民間外交、草の根外交はホームステイが一番だ。
1日見学のツアーは豪勢であった。ユニバーサルスタジオの素晴らしさは特段であった.日本の東映太秦映画村の段ではない。30分ものの舞台劇が生でいくつも楽しめるし、規模が桁違いに大きい。イルカやサルやオーム等の動物ショーもあるし、西部劇の撃ち合い、殴り合いのスタントマンショーでは2階から地上へ落ちたり等、日本では見ることのできない本物を実演していた。いろんな催しのあっているエリアに来る途中がすごかった。バスで30分位だったと思うが、幾度も感動した。道が突然、濁流に飲まれたり、橋げたが折れそうになったり、洞穴(トンネル)の中でバス全体が揺らぐ錯覚現象の中、炎が出たりと、さすがアメリカの誇るユニバーサルスタジオだと感心した。ただ一方的に見せるのではなく、観客をアトラクションに巻き込むのがアメリカ流だなと思った。例えば、宇宙遊泳の特撮シーンをみんなで見るとき、観客より宇宙飛行士を募って、専門家とアマチュアの即席俳優で演技をした。オームの動物ショーでは、ボランティアを募ってドル紙幣を出させて、それをオームに取りに行かせた。
ノッツベリーファームでの劇やアイススケートショーも印象に残っている。子供向けの乗り物、例えば、三井グリーンランドみたいなのがあると思えば、ホーンティッド・ハウスでは錯覚を利用して斜面にいる気分にしたり、ちょっとごちゃまぜのアトラクションだった。
ものすごい人出で、これが本場物かと感心したのがディズニーランドである。毎日夜9時には花火が打ち上げられていた。その日は、朝から終日楽しんで、夜の花電車を見て、駐車場から花火を楽しんだ。ディズニーランドの外の豪華ホテルには別の日に、ホームステイの家族と生徒2名と共に、夕方から来て光と水の奏でる鮮やかなショーを見た。北九州市のスペースワールドでは夏は夜9時頃、光を遠くから放射して全体を彩るが、それとは光の集中度、使い方が違う。どちらも音楽に合わせて光を様々の色で使う点は同じだ。
ディズニーランドは、この年の秋に修学旅行で北海道と東京ディズニーランドに行く事になっていたから、比較の意味でも、しっかり見てきた。日本には潜水艦がない。スモール
ワールドの曲は全く同じだが,片や英語、片や日本語だ。昔風の鉄道が全周か半周かも違う。マイケル・ジャクソンのミュージカルは、同じ映画をやっていた。これは、立体感を増幅させるための専用眼鏡を着用させられた。360度のワールド・パノラマは、米国と日本の位置を考えて、西洋は東洋を、東洋は西洋を恋焦がれるという考えからか、丁度反対の内容であった。すなわち、米国では中国大陸に主題を取り、東京ディズニーランドではアメリカ合衆国の多面性をテーマにしていた。宗像市のユリックスでプラネタリウムをよく、見るが360度大パノラマは、その大きなもので、真上には写されず心持ち上向きの部分が中心である。プラネタリウムは真上を見るために椅子に座り、その椅子の背が深くバックできる。大パノラマでは椅子がない。立って見るように出来ていて、暗い中、ぶつかり合わないように、手すりが列を作っている。米国と日本のディズニーランドは、基本的には同じである。面積は東京の方が少し大きいらしいが、もっともっと拡張の方針だから、カリフォルニアのよりはビッグなものになろう。東急土地開発(株)時代に総務部海外企画課でフロリダ州のディズニーワールドの資料を整理して社内誌に掲載したが、それはそれは大きいものだった。一度行きたいものだ。
フリーウエイは、米国の発展の基盤である。日本の高速道路と異なる点は、お金を払わなくてよい点と、3人以上の多人数ならばプールウエイという専門道路が使える点だ。渋滞の時は、むしろプールウエイの方が早い。省エネ考慮の策かなと思う。
1974年の時と違ったのは、日本車の多さであった。テレビの日本車の宣伝にもびっくりした。たいして大きくないメーカーでも進出していた。ガソリンスタンドではセルフサービスで券を買って、車の持ち主が自分でガソリンを入れる。10年後の日本も多分このように自動化するのだろうかと、ふと思った。
ホームステイ先の家族構成は、父親(36歳)、母親(35歳)、長男(11歳)、長女(9歳)、次女(6歳)、次男(3歳)の6人家族であった。祖父母の家と、姉夫婦の家が近くの町にあり、祖母の誕生パーティに一緒に付いて行った。メローエイジと印刷されたピクチャーカードをプレゼントした。
日曜日の朝は、教会に家族と共に皆で出かけた。木曜の夜には、夫妻と私の3人で、キリスト教信奉者の勉強会に出かけた。個人の家であった。談話の時、男と女は別々のグループで話をするように注意された。家の子供達は大学生のベビーシッターが面倒を看ていた.その都度、3ドルほど渡していた。素晴らしい経験であった。皆さんも是非ホームステイに行ってください。私もまた、トライしたいと思っています。
(米国カリフォルニア州の滞在家庭にての写真省略)
福岡県高英研会報 Vol.23 (平成5年6月発行)
その後、平成9年夏、オーストラリアのブリスメーンにホームステイ引率をしました。病み付きになります。平成15年7月5日までの海外出航暦は、10回です
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