中年よ、大志を抱け!

中年よ、大志を抱け!

娘の誕生日に思った事



しかし、自分に子供が出来てから、恐る恐る抱いてみると、なんて赤ちゃんって小さくか弱いもんなんだろう、という思いと、俺がこの子を守らないと、という思いと、愛しい、という思いが重なって、可愛がるようになったわけです。親になれて良かった、と思ったわけです。

今、長男は3才7ヶ月ですが、毎日大騒ぎしながら楽しい日々を送ってます。1才を迎えた長女はまだ話しも出来ませんが、ちょこちょこ歩くようになり、自己主張も始めたところですが、二人とも、これからどんな子になるんかな?なんて楽しみなわけです。

ところで、最近は、子供に関する虐待や事件が後を絶ちません。学校は命の大切さをもっと教えなければ、と言ってますが、言葉で教えるには限界があると思うわけです。

本当に命の大切さを実感するにはどうしたらいいか…僕には残念ながらはっきりとした答えがありませんが、僕がそれを実感したことはあります。

その1つの例として、去年長女の出産に立ち会った時の日記を再録して見たいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「出産にたち会った日」

家で、夜8時頃陣痛が始まりました。担当してくださっている産婦人科のお医者さんに電話すると、病院に行ったほうがいいとの事でした。

病院までは早ければ車で1時間ですが、混んでいれば3時間はかかるので、すぐに出発したわけです。

で、無事に1時間ちょっとで着き、すぐに診察、出産の準備に入りました。

2時間半ほど病室の外で待っていたら、お医者さんが来て、「もうすぐ赤ちゃんが生まれますけど、分娩室に行ってみますか?」と聞くわけです。

え?っと思いましたが、「ええ、行きます」と答え、分娩室に入るための服に着替えて入りました。一生に一度くらい見ておいてもいいかも、と思ったわけです。

部屋に入ると家内がう~~~んといきんでる最中でした。

お医者さんが「あと一回で生まれるからね、がんばってね」と言いました。

僕はどうしていいか分からずとりあえず家内の肩に手を触れて「大丈夫か? がんれよ」と言いました。

二人のお医者さんが赤ちゃんを取り出すんですが、僕もそちらのほうに行こうと思えば行って、赤ちゃんが出てくるところを見ることも出来たんですが、何しろ血はたくさん出てるし、羊水でしょうか? なにか薄い黄色っぽい液体も出てるし、血のような匂いもするし、ちょっと怖い感じがして、それに加えて、どれどれ? なんて見に行くのも変だと思ったし、それで家内の顔のそばにずっといました。

家内が、ひときわ大きくう~~んと言ったかと思ったら、「ほら、出てきたよ」とお医者さんが言い、赤ちゃんが出てきました。

赤ちゃんはずっと羊水の中にいたので、口や鼻から「ぷぅっ」という感じで液をはき出し、おぎゃあ!と泣きました。おぎゃあと泣きながら吐き出したって言う感じでしょうか。

そうか、息をするために泣くんだ、と思いました。

あとから、赤ちゃんがはじめてなく声はAの音(ハ長調のラ)だと聞いた事があるなとか思い出したり、そうかそうか、この世に産まれるために泣いたんだな、まず泣いてから、そして生きるんだ、とか、なんだか哲学的なことなんかも思いましたが、その時は一生懸命出てきた娘の姿を見て、なにか生命のたくましさに触れてるという感じでただぼぉっと見ていました。

「はい、産まれたよ」とお医者さんが家内に赤ちゃんを見せると家内は「ああ、やっと産まれたね。よしよし」と嬉しそうに言いました。

僕も不思議な感動に包まれて娘の体を看護婦さんが拭いたりするのを見てましたが、「奥さんはここを出るまでちょっと時間がかかるので、待合室で待っててください」と言われ、服を着替えて待合室に戻りました。

やがて家内も赤ちゃんも出てきて、赤ちゃんは新生児室に入りました。

時々目をあけたりにこっと笑ってる姿を見て、お医者さんに「もう笑うんですね」と言うと、「たいていそうよ。きっと産まれてきて嬉しいんですね」と言われました。

素直にそうなんだと思いました。2歳7ヶ月になる長男なんか毎日楽しそうですもん。ほんとに生きてる事が楽しくてしょうがないって感じです。

きっと、誰だって幼い頃はそうだったんだと思います。生きる事って、楽しい事なんだと感じてるんだと思います。

それがいつかやがて辛い事や悲しい事に出会うようになるんだろうな、とか、生まれて来たくはなかった、なんて思うこともあるかもしれないと思いました。

でもそんな時、「君は嬉しそうに生まれてきたんだよ」と僕が見たことを伝えてあげたいと思ったんです。

長男が生まれた時は、初めてということもあってか、サルみたいな顔だなあとか思って、心から可愛いとは思えなかったんですが、今度は生まれたところを見てるためなのか、不思議な事に同じようなサル顔なのに、いとおしくて可愛く思えました。

生まれたばかりの娘の顔をみながら、強く、そして楽しみながら生きていって欲しいと願ったわけです。

そして僕自身もきっとこの世に出てくることが嬉しくて生まれてきたはずだという事を忘れずにいたいと思うわけです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まあ、こんな感じだったんですが、あらためて読み返すと、去年のその光景が、家内や子供の息遣いやお医者さんや看護婦さんの様子、そして、匂いまでもが鮮やかによみがえって来ました。

人間の誕生とは、ほんとに神秘的なものです。そして赤ちゃんから幼児、第一次性徴期、第二次性徴期を経て成人となる成長の過程は、僕ら成人に達した大人の想像をはるかに超えるほど躍進的、画期的なものです。そして同時に、成人に達するまでは、心身ともにもろく、周囲の影響をもろに受ける存在でもあるわけです。

誰が彼らの成長を見守り、いい影響を与え得るのでしょうか?

…そこのところは、僕ら大人がしっかりと自覚しとかなけりゃいけないところじゃないかと思うわけです。

命の輝きを、命の大切さを、命の神秘さを、もっともっと大人自身が知らなけりゃいけない、と、思うわけです。

なにも出産の模様を見せなきゃいけないって言いたいわけじゃありません。そういうの、苦手な人もいるでしょうしね。でも、人生の素晴らしさとか、生きるって素晴らしいなぁ、って思ったこととか、なんでもいいですから、心から感動した事を折々に話してやる、ってのは大切じゃないかと思うわけです。

子供に対してだけじゃなく、大人自身もお互いにね。

まあ、そんな事を昨日、今日、思ったわけです。

で、僕は息子と娘に何を感動した事を伝えてるかなって思い返してみると・・・「ガメラってすげぇなぁ、とーちゃんこれ大好き!」とか、・・・あら?

それじゃあかんじゃん!

なわけです。

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: