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欲望〔その所有という観念〕


前回は所有の概念について書きましたが、今回は「所有の観念論」について。


とにかく、所有の観念は早くから発達します。
乳児は母親を独占的に所有すること強く欲します。
幼児が言葉を憶えて最初にする主張の一つは「それ、ぼくのっ!」という所有権の主張でしょう。
人が最初に経験する他者との争いは、おもちゃの所有をめぐるケンカです。
そのうちに、異性の所有をめぐってケンカを始めます。

このように所有の観念は基本的です。
ですが、基本的なものほど、考えれば分らなくなるものです。

所有の観念は、「対象を自由にできる」「思い通りになる」あるいは「他人の勝手にさせない」という観念と結びついています。
所有ということが成り立つには、最低限、自分の意思が影響を及ぼすこと、思い通りになることが必要でしょう。

しかし、思い通りになるものが、果たしてこの世に存在するのでしょうか。

生物は他者の思い通りにはなりません。
犬、猫、虫、植物など、どれをとっても自分勝手で、簡単に人の言うなりにはなりません。
とりわけ人間、それも女性がそうです。

人間が自分の思い通りにするために作った道具にしても、私の言うなりになったためしがありません。
テレビや洗濯機などは勝手に故障するし、「高機能になれ」と念じても決して高機能にはなりません。
思い通りにできることと言えば、せいぜい電源を入れたり切ったりするくらいのものですが、そのスイッチでさえ故障したりするのです。

もっと単純な道具になると、故障はずっと少なくなりますが、私の言うことをきかない点では変わりがありません。
こういう道具は必要なときに限って姿を消してしまいますし、ハンマー、のこぎり、ナイフなど、原始的になればなるほど、思い通りに使うことは困難です。
ちゃんと使うためには、何年も修行を積まなければならないのです。
これでは、「道具が人間の思い通りになっている」と言うよりも「人間が道具の思い通りになっている」と言う方が当たっています。

コンピュータのように複雑な道具になると、使いこなせている人間はごく僅かです。
使うことが出来ているにしても、コンピュータは人間なら百年かかるような複雑なミスをわざわざ犯すし、また救いがたいことに、ミスだという事を絶対に認めようとはせず、同じミスを頑固なまでに、何万回でも正確に繰り返すのです。
それに私よりも、語彙能力とコミュニケーション能力に優れているくせに、謝罪の言葉の一つも寄こさないのです。

さらに、土地、家などは、まったく勝手そのものです。
働けといっても働くわけではないし、固定資産税くらい自分で何とかしろ、と言っても馬耳東風です。
自分の都合で勝手に老朽化したり、価格を下げたりするのです。

言うことをきかないのは、生物や道具だけではありません。
こともあろうに、自分自身の身体でさえ言うなりにはなりません。
思ったように早くは走れないし、空を飛べないし、勝手に病気になったり、勝手に機能を止めてしまったりするのです。
眠りたくないのに勝手に眠くなるし、眠ろうとすれば眠れない、勝手に太る、やっとのことで体重を減らしても必要な肉が落ちて不要なところは太いままであったりします。
老化するまい、死ぬまいと思っても、絶対に思い通りにはなりません。

しかし、勝手さにかけては、何といっても心にかなうものはないでしょう。
勝手に落ち込んだり、記憶するのを拒否したりするのはもちろんのこと、そもそも「思い通りになる」というとき、その「思う」こと自体、我々とは関係なく勝手に起こるとしか言いようがありません。
「パートナーが欲しい」という欲望も勝手に起こるものですし、また、「欲望を制御しなければ」と思う気持ちも勝手に起こるのです。

だからたとえ自分の「思い通り」になるものがあったとしても、「思い」そのものが勝手に起こっている以上、我々の自由になるものは、何もありません。
何者かが勝手に我々をもてあそんでいるとしか思えないのです。

これでは、身体と心を所有しているというより、むりやり押し付けられている、といった方が当たっているのではないでしょうか。
ろくでもない心と、欠点だらけの身体を生まれながらに押し付けられて、断ることもできず、心の中に勝手に生じる考えの言うなりになっているのです。

このように、本来の意味で自分の思い通りになるものが無い以上、我々が所有できるものは何もないのでしょう。



≪以下続く≫



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