“お笑い”哲学論のページにようこそ!

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◆前略、私の依頼人様◆


先日、メールでお答えしましたが、ついに電話で催促される時期になりました。
申し上げにくいのですが、お約束した仕事は、まだ出来ておりません。
深くお詫び申し上げます。

その後、風邪のお加減はいかがでしょうか。
訃報より先に催促の電話を頂けるということは、ご壮健の証し、なによりの事とお慶び申し上げます。
向寒の時節柄、仕事を忘れて、長期休暇をお勧め致します。

最近、私の方も、電話が鳴るたびに心臓の発作が起こり、すっかり体調を崩してしまいました。
お約束した仕事も手につきません。

それにしても、催促の電話に心暖まるものはありません。
「締め切りは気にするな」とか「ハワイ旅行が当たりました」といった電話は間違ってもありません。
たまには間違ってもよさそうなものです。
(催促という、人間として間違った行為をしているのですから)

(第一、私と約束を交わしたのが間違いではないでしょうか)

それでも、健康を害してまで、お怒りになる気持は、よく解かります。
たしかに、十月に「武士に二言はありません。今月中に完成させます」と約束しました。
そして、その約束を守れませんでした。
しかし、厳密に考えれば、この事実からは「マッケンジーは武士ではない」という結論しか出て来ないはずです。

失礼ながら、約束を守れなかった人間を厳しく責め立てるという行為に対して、少々疑問に感じる昨今です。
催促される昨今になって、疑問に感じるようになってまいりました。
私は自分がどんなに困窮しても、他人の過ちを責める人間にだけはなりたくありません。


もちろん、私が責められるのは仕方ありません。
しかし、その場で責められるのならともかく、10月末の期限の約束を破ってから、すでに一年が経っているのです。
過去の過ちを何度も責め、いつまでも赦そうとしないのは、心が狭すぎるのではないでしょうか。

私はこの一年というもの、血の滲むような努力を重ねて、かろうじて約束を忘れる事に成功しているのです。

残念ながら、不幸から逃れるには忘れるしか方法がない、という場合がよくあります。

その事は充分ご承知の事と思います。
それなら、忘れさすまいと執拗に責め立てるのは、治りかけた傷口に塩を摺り込むような行為だという事もお分かりのはずです。
思いやりの心があるなら、自分も一緒になって不幸な事態を忘れようとするのではないでしょうか。

神父でもないのに、私のような人間の中に罪の意識をかき立てるのは、やめて頂きたいのです。
私は周囲から、罪人扱いされ続けているため、いつの間にか自分は罪深い人間だと思うようになりました。
もうすぐ出家するかも知れません。
(周囲が全員出家するのを待っていたのですが、その気配もありません)
出家したら、私を出家に追い込んだ人間の不幸を祈って余生を送るつもりです。

勝手な事を書きましたが、お願いですから、ご自分を責めないで下さい。
私にも責任の一端はあるのです。
相手を責める態度を捨てて、手に手を取って共に苦難を乗り越えようではありませんか。

私は武士ではありませんが、これでも男です。
“来年”には必ず仕上げます。
末筆ながらご自愛のほどお祈りします。

草々




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