ペガサスの独り言

ペガサスの独り言

中学1年3学期(長男)


最初のうちは、1日中寝ている事が多かった。
しばらくすると、昼過ぎ位に起きてPCに向かう日々が始まる事となる。
それでも食欲が無く、成長期であるはずなのに体重は8キロも落ちて、もともと細い身体はまるでガイコツのようになっていきました。

朝、自分が仕事に出かける時間には寝ている息子。
夕方、仕事から戻ると、PCの前で元気そうに何かやっている。
そんな日々をどのくらい過ごしたのだろうか?
自分の中で、何か麩に落ちない気持ちが大きくなっていきました。
調子の悪い姿をほとんど見ていなかった自分にとって、学校に行けない理由が理解できなかったのです。

半月ごとに通っていた心療内科では、先生が話を聞いてくれて、安定剤を処方されるのみ。
治るまでには時間がかかるよ!とは言われていたが、日々何か変化するわけでもなく・・・

その頃に自分が思っていたことは、
1:いつになれば学校に行けるようになる?
2:学校に行けないのなら、家にいて学校と同じリズムで生活できないか?
3:どのようなステップで治していくのか?
4:治療中はストレスの無い生活をしなければいけないと言うが、完治した後でストレスに耐えられるのか?
5:家にいて、勉強をしなくてもいいのか?

いつ治るかわからないけど、治った後に息子が苦労しないように!
その為に今やらなければならない事は何なんだろうか?
そんな事ばかり考えていました。
(あくまでも親の立場として。)

深夜に長男と話し合う事もありました。
「遅くまで起きていないで、早く寝るように心がけるように!」
「そうしないと朝が起きれないだろう!」

実はこれが大きな間違いだったんですよね。
起立性調節障害の場合、朝起きれないのは仕方がないことなんです。
でも、その当時はこの病気の事なんか頭に無かったですから・・・

この先どうするのか?
心療内科に通っているだけで治るのか?
毎晩のように妻と話し合いました。(と言うか、喧嘩してました。)

自分:「心療内科の先生はどうしろって言っているんだ?」
妻 :「ストレスのかからない状態で気長に待つしかないって!」
自分:「いつまで待つんだ?他に何か打つ手はないのか?」
妻 :「分からないよ~。自分で聞いてくればいいじゃない?」
自分:「・・・・・」

仕事なんか休んで、聞きに行ってくればよかったんですよね?
でも、それをしなかった・・・
出口の見えない長男の不登校生活の中、夫婦とも疲れてしまっていて・・・
遅くまで起きている息子に付きっ切りになる妻。(子供部屋に入り浸り状態)
夫婦の会話も長男の事ばかりで、それも愚痴や文句ばかり。(一方的に自分が!ですが。)
夫婦が一緒にいる時間なんてほとんど無くなっていきました。

もともと、考え方がまるで違う夫婦ですので、なかなか意見が一致しません。
絆が深まるどころか、自分的には離婚の危機だったんです。
でも、それって子供があまりに可哀想だし、本意ではなかったので何とか思いとどまりましたけど・・・
今考えると、おとなげない対応だったと反省しています!

そんな中、本来責任感が強くプライドの高い息子は、なんとか前に進もうという思いがあったらしく、2年生になったら学校へ行きたいと言う様になっていったのです。
「良くなってきたのかな?」
そんな期待感に少しは自分も落ち着いていきました。

そして、2年生になって、気持ちも新たに少しずつ前に進もうという長男の気持ちを生かそうと、1時限でもいいから出席しよう。という日々が始まりました。
この後にくる、大きな波も知らずに!

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