ユニークフランクトランク

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【記録】 宮崎駿監督の引退会見の内容。

大好きな大好きなジブリの宮崎駿監督の言葉。ずっと残しておきたいのでニュース記事からコピペして残しておこうと思います。

リンクはこちら→ 宮崎駿監督引退会見・一問一答、全文書き起こし

以下コピペ

●当然まただろうと思われているんですけど、今回は本気です 9月6日、スタジオジブリは都内で宮崎駿監督の引退会見を行った。会見には宮崎駿監督のほか、鈴木敏夫プロデューサー、星野康二社長が出席し、約1時間半にわたって記者からの質問に回答した。当日は国内外から約600名の記者・70台のテレビカメラが集まるなど、注目度の高さを伺わせる会見となった。 今回の会見は、9月1日(現地時間)にヴェネチア国際映画祭で発表された宮崎監督引退の発表を受けて開催されたもの。『風立ちぬ』を最後に長編アニメーション制作から引退するという突然の発表に、日本はもちろん世界中から驚きの声が上がっていた。 宮崎監督はなぜ引退を決意したのか。引退後はどのような活動をしていくのか。当日語られた内容を、ここに全文書き起こすことにする。 宮崎監督:公式引退の辞ということで、公式とまでしなくていいと思ったんですが、メモを皆さんにお渡ししているので、質問をいただければ何でも答えるという形でごあいさつにしたいと思うのですが、一言。僕は何度も今まで辞めると言って騒ぎを起こしてきた人間なので、当然まただろうと思われているんですけど、今回は本気です。 --(笑) 鈴木プロデューサー:お集まりいただきましてありがとうございます。始まったものは必ず終わりがくるということだと思います。僕の立場で言うと、落ちぶれて引退をするというのはかっこ悪いと思ってまして、ちょうど『風立ちぬ』という映画が公開して、いろんな方に支持されているときにこういうことを決めた、そういうことでいうと良かったんじゃないかなと思っています。今後ジブリはどうなっていくんだろうと、当然そういうことについて疑問を持たれると思います。11月23日公開の高畑勲監督の『かぐや姫の物語』。これは皆さんにご心配をかけましたけど、鋭意製作中。11月23日、必ず公開するということをお伝えしたいと思います。これはまだ企画その他は発表できないんですが、来年の夏を目指してもう一本映画を製作中であります。 --監督から子供たちへ伝えたいことは? 宮崎監督:そんなにかっこいいことは言えません。何か機会があったら、私たちが作ってきた映画を見てくだされば何か伝わるかもしれません。それに留めさせてください。 --長編アニメーションの監督を辞めるということでいいのでしょうか? これからやっていきたいことを具体的に教えてください。 宮崎監督:我ながらよく(引退の辞を)書いたなとおもったんですが、"僕は自由です"と書いたので、やらない自由もあると。ただ車が運転できる限りは、毎日アトリエに行こうと。それでやりたくなったものや、やりたいものはやろうと思っています。まだ休息をとらなければならない時期なので、休んでいるうちにいろいろわかってくるだろうと思うんですが、ここで約束するとたぶん破ることになると思うので、そういうことでご理解いただければ(笑)。......続きを読む ●鈴木プロデューサー「少しほっとするみたいなところがあった」 --1984年に公開された『風の谷のナウシカ』の続編はこの先作る予定、作りたいというお考えは? 宮崎監督:それはありません。 --(韓国記者)韓国にも宮崎監督のファンがいっぱいいます。ファンに一言お願いします。また、今話題になっているゼロ戦についての問題についてどう思っていますか? 宮崎監督:映画を見ていただければわかると思っているのですが、いろんな言葉にだまされないで、今度の映画も見ていただけたらいいなと思います。いろんな国の方々が私たちの作品を見てくださっていることは非常にうれしく思っています。同時に作品のモチーフそのものが、国の軍国主義が破滅に向かっている時代を舞台にしていますので、いろいろな疑問が私の家族からも、自分自身からも、スタッフからも出ました。それにどういう風に答えるかということで映画を作りました。ですから映画を見ていただければわかると思います。映画を見ないで論じても始まらないと思いますので、ぜひお金を払って見ていただけるとうれしいです(笑)。 --今後ジブリの若手監督の監修やアイディアを提供したり、脚本を書いたり、関与するお考えは? 宮崎監督:ありません。 --"今回は本気です"ということですが、今回と今までとは何が違うのでしょうか。 宮崎監督:『風立ちぬ』はポニョから5年かかっています。その間映画を作り続けたわけじゃなくて、シナリオを書いたり自分の道楽の漫画を書いたり、美術館の短編をやるとかいろんなことをやってますが、やはり5年かかるんです。今、次の作品を考え始めますと、たぶん5年ではすまないでしょうね。この年齢ですから。すると次は6年かかるか、7年かかるか。あと3月もすれば私は73歳になりますから、それから7年かかると80歳になってしまうんです。僕はこの前お会いした文藝春秋の元編集長だった半藤一利さんという方とお話してですね、その方は83歳でしたが、背筋が伸びて頭もはっきりしてて本当にいい先輩がいる。僕も83歳になってこうなったらいいなと思うものですから、あと10年は仕事を続けますと言っているだけで、続けられたらいいなと思いますが、今までの延長の部分には自分の仕事はないだろうと思っています。そういうわけで僕の長編アニメーションの時代ははっきり終わったんだと言う風に、もし自分がやりたいと思っても、それは年寄りの世迷い事であるという風に片付けようと決めています。 --引退を鈴木さんと正式に決めたタイミングは? 宮崎監督:よく覚えてないんですけど。もうダメだって言った途端に鈴木さんが"そうですか"と。何度もやってきたことなんで、そのとき鈴木さんが信用したかどうかはわかりませんが、ジブリを立ち上げたときにこんなに長く続ける気がなかったことは確かです。何度ももう引き時なんじゃないかとか、やめようという話は2人でやってきましたので、今回は本当に"次は7年かかるかもしれない"というのに、鈴木さんもリアリティを感じたんだと思います。 鈴木プロデューサー:正確に覚えてるわけじゃないですけど、『風立ちぬ』の初号(試写)があったのが6月19日なんですよ。その直後だったんじゃないかと思うんです。宮さんの方からそういうお話があったとき、たしかにこれまでのいろんな作品でこれが最後だ、これが最後だと思ってやっている、そういう話がいろいろあったんですけど、具体的には忘れましたけど、今回は本気だなと僕も感じざるを得ませんでした。というのも、僕自身が『ナウシカ』から数えると今年がちょうど30年目にあたるんですけど、いろいろありました。ジブリを続けていく間で。これ以上やるのはよくないんじゃないかとか、やめようとかやめまいかとか色んな話があったんですけど、今回は僕もこれまでずっと30年間、緊張の糸がずっとあったと思うんです。宮さんにそのことを言われたとき、緊張の糸が少し揺れたんですよね。別の言い方をすると、僕自身が変な言い方ですけど少しほっとするみたいなところがあったんですよ。 だから僕はね、若いときだったら留めさせようとかいろんな気持ちが働いたと思うんですけど、自分の気持ちの中で、括弧つきなんですけど、"ご苦労様でした"っていう気分がわいた。そういうこともある気がするんです。ただ僕自身は今、なにしろ引き続いて『かぐや姫の物語』を公開しないといけないんで、途切れかかった糸をもう一回しばったりして仕事をしてる最中なんですけど。それを皆さんにこうやってお伝えする前に、いつ皆さんにどうやってそれ(引退発表)をやっていこうかを話し合いました。その中で皆さんの前にまずそれを言わなければ(いけないのは)、やっぱりスタジオで働くスタッフだったんですよ。それを皆さんにいつ伝えるか。ちょうど『風立ちぬ』の公開がありましたから、映画の公開前に映画ができてすぐ引退なんて発表したら話がややこしくなると思ったんですよ。だから映画を公開して落ち着いた時期、社内では8月5日にみんなに伝えることをしました。映画の公開が一段落した時期、みなさんにも発表できるかなと。いろいろ考えたんですけど、時期としては9月頭ですよね。そんな風に考えたことは確かです。 --(台湾記者)台湾の観光客は日本に旅行するとジブリ美術館は必ず外せない観光名所になっています。台湾のファンは監督が引退するのを残念がる声がいっぱいあります。引退後は時間がたっぷりあるので、海外へ旅行を兼ねて海外のファンと交流する予定はありますか。 宮崎監督:「ジブリの美術館」の展示については私は関わらせてもらいたいと思っていますので、ボランティアでという形になるかもしれませんが、自分が展示品になっちゃうかもしれませんが(笑)、ぜひ美術館にお越しいただいた方がうれしいです。......続きを読む ●宮崎監督「一番自分の中に刺のように残っているのは『ハウルの動く城』」 --鈴木さんは『風立ちぬ』を進めた段階で最後になることを予感するようなことはありましたか。宮崎監督はこの映画を最後にすることに関して、引き際に関する美学などありますか。 鈴木プロデューサー:僕は宮さんと付き合って、彼の性格からしてひとつ思っていたことは、ずっと作り続けるんじゃないかなと思ってきたんです。どういうことかというと、死んでしまうまで、間際まで作り続けるんじゃないかと。すべてをやることは不可能かもしれないけど、何らかの形で映画を作り続けるという予感の一方で、宮さんという人は35年付き合ってきて常々感じてたんですけど、別のことをやろうと自分で一旦決めて、それをみんなに宣言するという人なんですよ。もしかしたらこれを最後に、それを決めて宣言して別のことにとりかかる、そのどっちかだろうって思ってました。『風立ちぬ』という作品を作ってそれが完成を迎え、その直後にさっき言ったような話が出てきたんですけど、僕の予想の中に入ってましたので、素直に受け止めることができたっていうんですかね。たぶんそういうことだと思います。 宮崎監督:映画を作るのに死に物狂いで、その後どうするかは考えてなかったです。それよりも映画はできるのかっていう、これは映画になるのかとか、作るに値するものなのかということのほうが自分にとって重圧でした。 --(ロシア記者)「以前のインタビューではいろんな外国のアニメーション作家から影響を受けたということを教えていただきました。その影響を与えた方はロシアのノルシュテイン監督も入っていると思いますので、そのあたりを詳しく。 宮崎監督:ノルシュテイン監督にどういう影響を受けたかという話だと思いますが、ノルシュテインは友人です。負けてたまるかという相手でして、それほどじゃないんですが(笑)。彼はずっと外套を作ってますね。ああいう生き方も一つの生き方だと思います。今日実はここに高畑監督監督も一緒に出ないかと誘ったんですけど、"冗談ではない"という顔で断られまして。彼はずっとやる気だなと思ってます(笑)。 --あえて挙げるならもっとも思い入れのある作品は? すべての作品を通してこういうメッセージを入れようと意識していたことは? 宮崎監督:うーん......一番自分の中に刺のように残っているのは『ハウルの動く城』です。ゲームの世界なんです。でもそれをゲームではなくドラマにしようとした結果、本当に格闘しました。スタートが間違っていたんだと思うんですが(笑)。自分が立てた企画だから仕方ありません。僕は児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入った人間ですので、今は児童書もいろいろありますが、基本的に子どもたちに"この世は生きるに値するんだ"ということを伝えるのが、自分たちの仕事の根幹になければならないと思ってきました。それは今も変わっていません。 --(イタリア記者)イタリアを舞台にした作品を色々作っていますが、イタリアは好きですか? あとこれは感想ですが、日野原先生などを目標にされたほうがあと20年30年行きられるので、そのほうがいいと思います。(ジブリ美術館で)館長として働かれると訪問者は喜ぶと思います。 宮崎監督:僕はイタリアは好きです。まとまってないことも含めて好きです。友人もいるし、食べ物はおいしいし、女性は綺麗だし、でもちょっとおっかないかなという気もしますが、イタリアは好きです。半藤さんのところに10年行けばたどりつくのか、その間仕事を続けられたらいいなと思っているだけで、それ以上望むのは半藤さんがあと何年がんばってくださるかわかりませんから。半藤さんは僕より10年前を歩いてるんで、ずっと歩いていてほしいと思います。館長になって入り口で"いらっしゃいませ"っていうよりは、展示のものがもう10年以上前に書いたものなんで、ずいぶん色あせていたり書きなおさなければいけないものがずいぶんありまして、それを僕はやりたいと思っています。これは本当に自分が筆で書いたりペンで書いたりしなきゃいけないものなんで、それはぜひ時間ができてやりたいって、ずっとやらなければいけないと思ってきたことなんでやりたいです。 美術館の展示品というのは毎日掃除してきちんとしてたはずなのにいつの間にか色あせてくるんですよね。部屋に入ったときに全体がくすんで見えるんです。くすんで見えるところを一箇所何かキラキラさせると、そのコーナーがパッと蘇って、不思議なことにたちまちそこに子どもたちが群がるというのがわかったんです。美術館みたいなものを生き生きさせていくには、ずっと手をかけ続けなければならないことは確かなので、できるだけやりたいと思っています。 --美術館では短編アニメも監督されていますが、これも展示の一環と考えると、短編アニメにこれから関わるのでしょうか。もともとスタジオジブリは宮崎監督と高畑監督の作品を作るために作った会社だと思うんですが、高畑さんも今度の作品が自分の最後にして最高傑作になるかもしれないと言うわけですから、宮崎さんと高畑さんが一線を退くことになると、ジブリの今後はどうなるのでしょうか。 宮崎監督:引退の辞に書きましたように僕は自由です。やってもやらなくても自由なので、今そちらに頭を使うことはしません。前からやりたかったことがあるもんですから、そちらをやろうと思います。とりあえず。それはアニメーションではありません。 鈴木プロデューサー:僕は現在、『かぐや姫の物語』の後、来年の企画に関わってます。それで僕も年齢が宮さんよりけっこう若いんですが65歳なんです。この爺がいったいどこまで関わるかという問題があると思うんですが、今後のジブリの問題というのは、今ジブリにいる人たちの問題でもあると思うんですよ。その人達がどう考えるのか、そのことによって決まるんだと僕は思ってます。 宮崎監督:ジブリの今後については、やっと上の重しがなくなるんだから、こういうものをやらせろっていう声が若いスタッフから鈴木さんに届くことを願ってます。それがないとダメですよね。何やっても。それです。僕らは30のときにも40のときにも、やっていいんだったら何でもやるぞという覚悟でいろんな企画を抱えていましたけど、それを持っているかどうかにかかっていると思います。それを門前払いする人ではありません、鈴木さんは。ということで今後のことは、いろんな人間の意欲や希望や能力にかかっているんだと思います。......続きを読む ●ジャパニメーションというのがどこにあるのかはわからない --他にこれはやってみたかったなという長編作品、やらずに終わってしまった企画があれば。 宮崎監督:それは山ほどあるんですが、やってはいけない理由があったからやらなかったことなんで、ここで述べようもない。それほどの形にはなってないものばかりです。やめると言いながらこういうのはやったらどうだろうとか、そういうことはしょっちゅう頭に出たり入ったりしますけど、それは人に語るものではありませんので、ご勘弁ください。 --具体的に今後どんなことをやりたいのでしょう。日本から海外にいろんなことを発信されたが、今後違う形で発信する予定はありますか? 宮崎監督:やりたいことがあるんですが、やれなかったらみっともないから何だかは言いません(笑)。僕は文化人になりたくないんです。僕は町工場のオヤジでして、それは貫きたいと思っています。だから発信しようとかあまりそういうことは考えない。文化人ではありません。 --当面は休息を優先するということでしょうか? 『風立ちぬ』ですが、東日本大震災や原発事故に関しての発言をしているが、震災や原発事故で感じたことが最新作に影響は? 宮崎監督:『風立ちぬ』の構想は、震災や原発事故に影響されていません。この映画を始めるときに初めからあったものです。時代に追いつかれて追いぬかれたという感じを映画を作りながら思いました。それから僕の休息は他人から見ると休息に見えないような休息でして、仕事を好き勝手なことをやってるとそれが休息になることも随分あるので、ただゴロっと寝転がってるとかえってくたびれるだけなんで、夢としてはできないと思いますけど、東山道を歩いて京都まで歩けたらいいなと思ってますけど、途中で行き倒れになる可能性のほうが強い(笑)。それはときどき夢見ますけど、多分実現不可能だと思います。 --今のお答えですが、時代に追いつかれ追いぬかれたということが今回の引退と関係ある? 宮崎監督:関係ありません。アニメーションの監督が何をやってるかは皆さんよくわからないことだと思うんですが、アニメーションの監督といってもそれぞれやり方が違います。僕はアニメ映画出身なもので描かなきゃいけないんです。描かなきゃ表現できないので、そうするとどういうことが起こるかというと、メガネを外してですね、こうやって描かないといけないんです。これを延々とやってかないといけないんです。どんなに体調を整えて節制しても、集中していく時間が年々減っていくことは確実なんです。実感しています。『ポニョ』のときに比べると僕は机を離れる時間が30分早くなっています。この次はさらに1時間早くなるんだろうと。その物理的な加齢によって発生する問題はどうすることもできませんし、それで苛立ってもしかたがないんです。では違うやり方をすればいいじゃないかという意見があると思いますが、それができるならとっくにやってますからできません。ということで僕は僕のやり方で自分の一代を貫くしかないと思いますので、長編アニメーションは無理だという判断をしたんです。 --クールジャパンと呼ばれる世界をどう見ていますか。 宮崎監督:本当に申し訳ないんですが、私が仕事をやるということは一切映画もテレビも見ないという生活をすることです。ラジオだけ朝ちょっと聞きます。新聞はパラパラっと見ますが、あとはまったく見ていません。驚くほど見ていないんです。ですからジャパニメーションというのがどこにあるのかはわかりません。本当にわからないんです。予断で話すわけにもいきませんから、それに対する発言権は僕にはないと思います。皆さんも私の年齢になって私と同じデスクワークをやってたらわかると思いますが、そういう気を散らすことは一切できないんです。参考試写という形でスタジオの映写室で何本か映画をやってくださるんですが、たいてい途中で出てきます。仕事をやったほうがいいと(笑)。そんな人間なんで、今が潮だなと思います。 --監督の中には引退宣言をせずに退かれる方もいますが、あえて引退宣言という形で公表しようと思った最大の理由は? 宮崎監督:引退宣言をしようと思ったんじゃないんです。僕はスタッフにもうやめますと言いました。その結果、プロデューサーの方からいろんなそれに関しての取材の申し入れがあるけどどうするか。いちいち受けてたら大変ですよという話がありまして、じゃあ僕のアトリエでやりましょうかという申し入れをしたらちょっと人数が多くて入りきらないという話になりまして、じゃあスタジオでやりましょうかといったらそこもどうも難しいという話になりまして、それでここになっちゃったんです。そうするとですね、これはなにかないと、口先だけでごまかすわけにはいかないので、公式に引退の辞を書いたんです。それをプロデューサーに見せたらこれいいじゃないっていうんで、こんなことになりました。こんなイベントをやる気はさらさらなかったんです(笑)。ご理解ください。 --鈴木さんから見た宮崎映画のスタイルを改めて。また宮崎映画が日本の映画会に及ぼした影響について評価・解説をお願いします。 鈴木プロデューサー:言い訳かもしれないけど、そういうことをあまり考えないようにしてるんです。どうしてかというと、そういう風にものを見ていくと目の前の仕事ができなくなるんですよ。僕は現実には宮崎駿作品に関わったのは『ナウシカ』からなんですが、そこから約30年間ずっと走り続けてきて、それと同時に過去の作品を振り返ったことはなかったんです。それが多分仕事を現役で続けるってことだと思ってたんです。どういうスタイルでその映画を作っているのか、感想として思うことはありますけど、なるたけそういうことは封じる。なおかつ自分たちが関わって作ってきた作品が世間にどういう影響を与えたのか、それも僕は考えないようにしてきました。そういうことです。 宮崎監督:まったく僕も考えていませんでした。採算分岐点にたどり着いたって聞いたらよかったでだいたい終わりです。......続きを読む ●監督になってよかったと思ったことは一度もありません、アニメーターは何度かある --(フランス記者)フランスはいかがでしょうか。 宮崎監督:正直に言いますね。イタリア料理のほうが口に合います(笑)。クリスマスにたまたまフランスに用事があって行ったときに、どこのレストランに入ってもフォアグラが出てくるんです。これが辛かったなって記憶があります(笑)。それが答えになっていません? あ、ルーブルはよかったですよ。いいところはいっぱいあります。ありますけど、料理はイタリアのほうが好きでした。あの、そんな大した問題と思わないでください(笑)。フランスの友人にイタリアの飛行艇じゃなくてフランスの飛行艇の映画を作れって言われたんですけど、いやーアドリア海に沈んでいったからフランスの飛行艇はないだろうという話をした記憶はありますけど。フランスがポール・グリモーっていう、『王と鳥』っていう名前になってますが、昔は『やぶにらみの暴君』っていう形で、反戦映画じゃなかったけど、1950年代に公開されて甚大な影響を与えたんです。特に僕よりも5つ上の高畑監督の世代には圧倒的な影響を与えたんです。僕はそれは少しも忘れていません。今見ても志とか世界の作り方を見ても本当に感動します。いくつかの作品がきっかけになって自分はアニメーターをやっていこうと決めたわけですが、そのときにフランスで作られた映画のほうがはるかに大きな影響を与えてます。イタリアで作られた作品もあるんですが、それを見てアニメーションをやろうと思ったわけではありません。 --1963年に東映動画に入社されてちょうど半世紀。振り返って一番辛かったこと、アニメを作って一番よかったと思うことは。 宮崎監督:辛かったのはスケジュールで、どの作品も辛かったです。終わりまでわかっている作品は作ったことがないんです。つまりこうやって映画が収まっていくというか、見通しがないまま入る作品ばっかりだったので、それは毎回ものすごく辛かったです。最後まで見通せる作品は僕はやらなくてもいいと勝手に思い込んで、企画を立てたりシナリオを書いたりしました。絵コンテという作業があるんですが、月刊誌みたいな感じで絵コンテを出す。スタッフはこの映画がどこにたどり着くのかぜんぜんわからないままやってるんです。よくまぁ我慢してやってたなと思うんですが、そういうことが自分にとっては一番しんどかったことです。でも2年とか1年半とかいう時間の間に考えることが自分にとっては意味がありました。同時に上がってくるカットを見て、ああではないこうではないといじくっていく過程で、前よりも映画の内容についての自分の理解が深まることも事実なんで、それによってその先が考えられるような、あまり生産性には寄与しない方式でやりましたけど、それは辛いんですよね(笑)。とうとうとスタジオにやってくるという日々になってしまうんですが、50年のうちに何年そうだったのかわかりませんが、そういう仕事でした。 監督になってよかったと思ったことは一度もありませんけど、アニメーターになってよかったと思ったことは何度かあります。アニメーターっていうのはなんでもないカットが描けたとか、うまく風が描けたとか、うまく水の処理ができたとか、光の差し方がうまくいったとか、そういうことで2、3日は幸せになれるんですよ。短くても2時間くらいは幸せになれるんです。監督は、最後に判決を待たなきゃいけないでしょ。これは胃に良くないんです。ですからアニメーターは最後までやってたつもりでしたけど、アニメーターという職業は自分に合っているいい職業だったと思っています。 --それでも監督をずっとやってこられたのは? 宮崎監督:簡単な理由でして、高畑勲と会社が組ませたんじゃないんです。僕らは労働組合の事務所で出会ってずいぶん長いこと話をしました。その結果、一緒に仕事をやるまでにどれほど話をしたかわからないくらいありとあらゆることについて話をしてきました。最初に組んでやった仕事は、自分がそれなりの力を持って彼と一緒にできたのは『ハイジ』が最初だったと思うんですけど、そのときにまったく打ち合わせが必要ない人間になってたんです。双方に。こういうものをやるって出した途端に、何考えてるかわかるって人間になっちゃったんです。ですから監督というのはスケジュールが遅れると会社に呼び出されて怒られる。高畑勲は始末書をいくらでも書いてましたけど、そういうのを見るにつけ僕は監督はやりたくないと。やる必要がないと。僕は映画の方をやってればいいんだと思ってました。まして音楽や何やら缶やらは修行もしなければ何もやらないという人間でしたから、ある時期がきてお前一人で演出をやれと言われたときは本当に途方に暮れたんです。音楽家と打ち合わせなんて何を打ち合わせしていいかわからない。よろしくって言うしかない。しかもこのストーリーはどうなっていくんですかって、僕もわかりませんって言うしかないんで。 つまり初めから監督や演出をやろうと思った人間じゃなかったんです。それがやったんで、途中高畑監督に助けてもらったこともありましたけど、その戸惑いは『風立ちぬ』までずっと引きずってやってきたと今でも思ってます。音楽の打ち合わせでこれどうですかって聞かされても、どこかで聞いたことあるなとか、それくらいのことしか思いつかない(笑)。逆にこのCDをとても気に入ってるんですけど、これでいきませんかと。"これワグナーじゃないですか"(と言われる)とか、そういうバカな話はいくらでもあるんですけど、本当にそういう意味では映画の演出をやろうと思ってやってきたパクさんの修行とですね、絵を描けばいいんだって思ってた僕の修行はぜんぜん違うものだったんです。それで監督やってる間も僕はアニメーターとしてやりましたので、多くの助けやとんちんかんがいっぱいあったと思うんですけど、それについてはプロデューサーがずいぶん補佐してくれました。つまり、テレビも見ない、映画も見ない人間にとってはどういうタレントがいるのか何も知らないんです。すぐ忘れるんです。そういうチームというか、腐れ縁があったおかげでやってこれたんだと思っています。決然と立って一人で孤高を保っているというそういう監督ではなかったです。わからないものはわからないという、そういう人間として最後までやれたんだと思います。 --『風立ちぬ』について。長編最後の場面のセリフを「あなたきて」から「あなた生きて」に変えたとプロデューサーが以前話されていました。宮崎監督が考えていたものとは違うものになったと思いますが、長編最後の作品として悔いのないものになったのか。また今変えたことについてどう思っていますか。 宮崎監督:風立ちぬの最後については本当に煩悶しましたが、なぜ煩悶したかというと、とにかく絵コンテを上げないと、制作デスクのさんきちという女の子がいるんですが、本当に恐ろしいんです(笑)。他のスタッフと話してると床に"10分にしてください"って貼ってあるとかね。机の中にいろんな叱咤激励が貼ってありまして、そんなことはどうでもいいんですけど(笑)。とにかく絵コンテを形にしないことにどうにもならないので、とにかく形にしようと形にしたのが追い詰められた実態です。それでやっぱりこれはダメだなと思いながらその時間に絵が変えられなくてもセリフは変えられますから、自分で冷静になって仕切り直ししたんです。こんなこと話してもしょうがないんですが、最後の草原はいったいどこなんだろう、これは煉獄であると仮説を立てたんです。ということはカプローニも堀越二郎も亡くなってそこで再会してるんだってそういう風に思ったんです。それから奈緒子はベアトリーチェだ、だから迷わないでこっちに行きなさいって言う役として出てくるんだって、言い始めたら自分でこんがらがりまして、それでやめたんですよね。やめたことによってすっきりしたんです。神曲なんて一生懸命読むからいけないんですよね(笑)。 --自分の作りたい世界観は表現できたのか、達成感はありますか? もし悔いが残っているとしたらどこですか? 宮崎監督:その総括はしていません。自分が手抜きしたという感覚があったら辛いだろうと思うんですけど、とにかくたどり着けるところまではたどり着いたという風にいつでも思ってましたから、終わった後はその映画は見ませんでした。ダメなところはわかってるし、それが直ってることもないので、振り向かないようにやってます。同じことはしないつもりで、ということなんですが。......続きを読む 続きます。


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