藻琴山についてその4





「藻琴山」は、アイヌ語の地名?

 モコトは、アイヌ語ですが、藻琴山はアイヌの人たちには、トエトクシベ(=湖の奥の山)と呼ばれていたそうです。

 ちなみにモコトとはアイヌ語で、「モコト」または「モムト」で、「眠っている沼」という意味で、「藻琴湖」のことを指し、後に藻琴湖にそそぐ藻琴川の流れ出る山ということから、「藻琴山」と呼ばれるようになったようです。


 また、アイヌの人たちは、文字を持たず、様々なことを口承で代々伝えてきました。

 アイヌの伝説(民話、神話)なども同じで、今残っている文献を拾ってみても若干内容がくいちがっていたり、落ちていたりということもありますが、「藻琴山」に関する伝説には次も様なものがあります。


「摩周岳(カムイヌプリ)」の話

 昔、無法者だった藻琴山(トエトクシベ=湖の奥の山)を湖の南の男山(ピンネヌプリ)がそれをこらしめようと槍投げの試合をしました。

 男山の投げた槍は藻琴山の胴にささり、血が屈斜路湖の岩を赤く染めました。

 藻琴山は血を吹きながらも男山に投げ返したのですが、ねらいがはずれて男山の肩をかすってその後ろの、摩周岳(カムイヌプリ)に突き刺さりました。

 怒った摩周岳は摩周湖畔の岩を血と涙で染めて、千島の国後まで飛び、爺爺岳(チャチャヌプリ)になってしまいました。

 それ以来男山はオプタテシケヌプリ(槍がそこでそれた山)と、摩周岳をイケシェヌプリ(立腹山)とかオメウケヌプリ(抜けていった山)と呼ぶ様になったそうです。



 なんとまあ、壮大な神話で、あの見るからにおとなしそうな藻琴山も、昔は実に荒々しかった??ということがわかります。


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