セイヤのblog

2016.12.11
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テーマ: 徒然日記(25316)
カテゴリ: 思想

小学生の時、担任が語った「個性」についての例え話が分かりやすい!と話題に

先生>「例えばこのクラスのみんなが『晴』という漢字を書いても線のとめかた払いかたは絶対に同じにはならない。それが個性です。みんなが『晴』と書く中で『雨』と書いて、僕はみんなと違うんだ!すごいろう!!と言ってもそれは個性とは認められません」



この記事を読んで私も「上手いな!」と感じたんですが、如何にも違和感を感じたので先程まで徒然に考えておりました・・・


 小学生という年齢、小学校という共同体、教師という立場からの此の時点での最善手であった事は間違い無いのだろうと私も考えます
。ただ、これは「世間の常識」という枠組みを諭したという事であり「個性」とは 無関係の話でもあるのだと思います。「個性」はシンプルに「違い」と翻訳されて使われる事が多いので致し方無いのかもしれません。

「個性」に定量的な線引きがあるという認識自体が「没個性」の社会を形成してしまう・・・

これを突き詰めてしまうと自己言及的に無限ループする話に成りかねないのですが、それに飽く事無く耐え続けるのが個性の尊重という事なのかもしれません。「個性」なんてマトモに定義し説明できる様なものでなく、
極めて 個人差 のあるパーソナルな「単なる許容範囲」というだけの事なのだろうと考えます。

昨今の日本でのダイバシティ論議が痛々しいのは、この定義し難い「個性」と「多様性」を混同して話す傾向にある為なんだろうな・・・






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最終更新日  2016.12.11 16:04:56
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Re:「個性」を定義してはいけない(12/11)  
kopanda06  さん
おひさしぶりです。

人とは違う意見を言うことは、個性でもありますが、間違いと排除されることもあります。
個性か否かは、結局は世の中に受け入れられるか否かということかもしれません。
そのためには、その意見の理由を説明でき、他人に納得してもらえることが必要でしょう。

ということは、本当の個性であっても、「受け入れられない」という理由で排除されてしまうものが世の中には多々あるということです。
天才たちが苦労した歴史があるのもそのためだと思います。
(2016.12.11 20:59:45)

Re>kopanda06さん  
セイヤ777  さん
天才は圧倒的多数の凡人より高見に居る存在である訳ですから、理解されず異端扱いされるのは宿命ですね。
と、考えると人類の進歩や変革は「異端者の歴史」と言えるのかもしれません。
「個性」で括ってしまうと「凡人間での差異」も該当してしまいそうです。
「個性」という言葉を使えば使う程「個性という同調圧力」になってしまう日本の現状は其の辺りを勘違いしているからかもしれません。

「多様性」は好むと好まざるに関わらず生物が種を残す為に自然に選択する「論議する以前のモノ」の様に感じます。「天才という異端」も「凡人」も、どちらも多様性を担保する貴重な群なのでしょうね。
(2016.12.13 12:39:50)

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