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肝組織の繊維化は30歳まではほとんど上昇しませんが、30歳を過ぎると年齢とともに繊維化は上昇していく傾向があります。B型慢性肝炎は50%が30歳を過ぎて肝炎が急速に進行し、難治性となり進行していきます。残りの50%が落ち着いてきて医療機関を受診しなくなる傾向が多いようです。したがって自然寛解が期待できる年齢の若いときに治療を行うことが必要です。
2006.12.15
HBs抗原B型肝炎ウイルスに感染しているのかを調べるマーカーです。血液中にHBs抗原が陽性であればウイルスが肝臓にいることを示しています。HBs抗体B型肝炎ウイルスに感染したが、今ではすでに血液の中からウイルスが追い出されていることを示すマーカーです。すなわちB型肝炎が治っていることを意味します。HBc抗体B型肝炎ウイルスに感染したことを示すマーカーです。現在も感染している人では高力価ですが、過去に感染して治っている人では低力価です。HBe抗原B型肝炎ウイルスが盛んに増えているときにみられるマーカーです。HBe抗原が陽性の人ではGOT、GPTの異常を認めることが多く、慢性肝炎も活動性で進行します。また、感染力が強いことを意味します。HBe抗体B型肝炎ウイルスの増殖がおさまっていることを意味します。肝炎も落ち着いていることが多く、GOT、GPTも正常のことが多いです。また、感染力も弱くなっています。しかし、慢性肝炎の20%~30%の人はHBe抗体が陽性でも肝炎は進行し、肝硬変になっている人もいます。HBV-DNA血液中のB型肝炎ウイルスの量を示します。
2006.12.10
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灯台下暗し、近くにあるものほど見えないものだ。何気なく通りかかった市立図書館に入ってみた。小学校の頃は良く通っていたことがあるが何十年かぶりで訪れた。特に目的も無く「はじめは懐かしいなぁ」と思っていただけで便所でもして帰るつもりだったが、ふらふら観回っている内にビジネス書からCD・漫画本に至るまで結構豊富な品揃えに驚いた。長期入院以来、結構 本を読むことが多くなっていた。図書館でPC検索して無い書本でも、リクエストカードを提出することにより各市立図書館のネットワークを利用でき他の図書館から取り寄せることが出来る。いつもAmazonで購入していて、翻訳本などは「バカ高い本だなぁ」と思いながら結構な値段を払っていたが、市立図書館はなんといっても無料なところがエクセレントだ!購入しようとしていた数十冊をリクエストしたが今のところすべて取り寄せてもらえている。すこし感激!結構 マニアックな本もリクエストすると出て来るのがすごい!!もう今後、本を購入しなくてもよさそうだ。漫画喫茶も要済みだなこれは・・・。生涯一度は読むべき本
2006.11.17
その後、3ヶ月ほど正常値を維持していましたが、再度 GPT値;80付近 に上昇してまたキョウミノ注射週3回投与し、2ヶ月ほどで正常値。また2ヶ月ほどたった頃、再度 GPT値;80付近 に上昇。またキョウミノ注射週3回投与し、2ヶ月ほどで正常値。もぐらタタキ状態だ。数値が上昇しているかどうかは、体調に全く違和感がないので定期検診は毎回、先生に結果を聞くまでドキドキする。先生が みの もんた とダブる時がある。転勤のたびに、転院していたがなかなか病院を決めるのは苦労する。近所の開業医の先生に相談して教えてもらうのが一番良いと思うが、結構近辺の各総合病院など紹介されたりもする。肝臓病ならこの先生という人がいたら良いのだがなかなかそうはいかない。いろいろ情報収集するしかない。日本肝臓学会では、ブロックごとに肝臓専門医に関する情報をホームページ上で公開しています。ウイルス性肝炎の感染者や患者の団体があり、電話相談等も受け付けています。日本肝臓病患者団体協議会 全国肝臓病患者連合会、東京肝炎の会 なぜ 病気になってしまったのだろう?悔やんでも悩んでも仕方ないが・・・。問題が解決する訳でもない。すべてを受け入れて前へ進むしかない。今出来ることから始めるしかない。運命から逃げず、まっすぐ未来をみつめて。少しずつ、一歩づつ、夢のかけらをひろい集めてみようと・・・。
2006.10.27
何とかインターフェロン投与 24週 半年間の投与が終わり、すぐにセロコンバージョン(HBe抗原が陰性化し、HBe抗体が陽性化する)が起こりました。ただ数値はその後ジリジリと再度上昇し GPT値;100付近 で停滞していました。インターフェロン投与も終了し、副作用からも開放された事もあり、定時退社で仕事復帰しました。インターフェロン投与終了後、半年ぐらい経った頃、体調も良好で少しも違和感がなかったのだが、GPT値;100付近 で停滞していた数値が急に GPT値;600程まで上昇し、急性増悪を起こしドクタートップ自宅安静を余儀なくされてしまいました。インターフェロン投与終了後、急性増悪を起こると聞いていたので覚悟はしていましたが・・・。さすがに半年以上の長期休職をさせて頂いた矢先にまた、休職は少し抵抗があり定時退社でこなしていける仕事でもないのでやはり退職することにしました。仕事を辞めてじっくり体調を整えた上で、自分の体調にあった仕事を選ぶことにしました。入院しようか?とのことだったが、1週間ほど自宅で安静にしていたところなんとか峠を越したようだ。キョウミノ注射2アンプル毎日注射したところ2週間ほどですぐに数値は落ちてきました。キョウミノ注射を週3回にし、1ヶ月ほどで GPT値;100付近 になり2ヶ月経過で正常値に戻りました。インターフェロン投与後、セロコンバージョンしても1・2年は不安定な時期が続くそうですが・・・。ウイルスは急性憎悪を起こしたことにより、4.9 にまで落ちました。 急性増悪を起こし数値が上昇するとウイルスが減るらしい。・・で、またウイルスが増えてきて、急性増悪を起こし、数値が上昇するとウイルスが減る。の繰り返しのようだ。ウイルスが減って落ち着いてくれればいいのだが・・・中々そうはいかないようだ。それを繰り返せばもちろん肝臓はどんどん痛んでいくのだ。ああ・・・。
2006.10.21
遠くからかなづちの乾いた音だけが響いていた。仕事を辞めて実家へ戻ることを決意し、会社に事情を説明すると有難い事に体調が回復するまで休職し、実家のある支社へ移動すればいいと寛大な処置をとって頂きました。半年間 週3回 インターフェロンを投与の間 倦怠感と食欲不振は続きました。19歳から一人暮らしをしていたので、いざ実家に帰ることになると荷物が多い。引越しの際、家具類はおろか身近な物以外は、ほとんど捨ててきたが実家の自分の部屋がダンボールで天井までパンパンに埋まってしまった。インターフェロン投与後、だいたい8時間程でジワジワ副作用がくるので、午前中病院で注射をしてもらうとだいたい夕方ぐらいに効いてくる。夕方にしてもらうとちょうど夜中ぐらいになるので夕方に投与してもらうことにした。その頃にはもう寝ているので余り副作用を感じることがなかった。それにしてあの頃はよく寝ていた。出張でのホテル住まいが多くいつの頃からかぐっすり眠ったことがなかったけど・・・。病院へ行くか散歩にいく以外はほとんど寝ていた。テレビの音や音楽など機械的な音は耳障りに聞こえ、小鳥のさえずり・夕方のカラスの鳴き声は、とても癒されたことを覚えている副作用として懸念されていた脱毛はなかった。覚悟はしていたのでぬけてくれば丸坊主にするつもりだったが・・・。視力低下もあるとのことで眼科への定期検診があったが問題はなかった。連休や正月は、病院の外来が休みなので時間予約を入れておいて病棟の処置室で注射をしてもらいました。正月そうそう若い看護婦さんの前でお尻を出して注射してもらうのは、申し訳ないやら虚しいやら・・・なんともおめでたくない気持ちでした。
2006.10.20
領収書は大切に保管しておかなければ病気に縁がなかったら全く知らなかった健康保険制度たまたま知人に聞いて申請したが聞かなかったら自分で入った医療保険の支給しかなかった。こんな制度があったとは無知は怖い。入院費を払った時は少々ビビッタが本当に助かった。傷病手当金被保険者が病気やけがのために働くことができず、連続して3日以上勤めを休んでいるときに4日目から支給される。給与日割分の6割相当額 最長1年半ぐらいで満了だったと思うが・・・。高額医療費支給医療費の自己負担分(外来・入院)が月初~月末に一定額を越えると、越えた分の金額が申請により保険から後日支給される。一定額は80,000円ぐらいだったと思うが・・・。月半ばに入院し月半ばに退院したので分割にされてしまって一部申請できなかった。余裕があればだが出来る限り入院は月初からした方がお得。医療費控除自分自身や家族のために医療費を支払った場合には、一定の金額の所得控除を受けることができます。(実際に支払った医療費の合計額-イの金額)-ロの金額イ、 保険金などで補てんされる金額 (例)生命保険契約などで支給される入院費給付金、健康保険などで支給される療養費・家族療養費・出産育児一時金などロ、10万円 (注)その年の所得金額の合計額が200万円未満の人はその5%の金額 会社の年末調整ではやってもらえませんので、自分で申告することが必要です。医療費控除を確定申告しようと年間医療費の領収書を計算したが数百円しか戻ってこないようだったので申請しなかった。国民年金免除申請会社を退職すると国民年金の納付書が送付されてきます。収入がないのに支払い続けるのは結構な額なので本当に困難です。免除申請することにより、全額or一部免除が可能です。毎年申請しなければいけないので早めの申請がおすすめです。健康保険任意継続会社などを退職して被保険者の資格を失ったときは、一定の条件のもとに個人の希望により被保険者として継続することができます。 これにより加入した被保険者を任意継続被保険者といいます。 任意継続被保険者となるためには、 a 被保険者でなくなった日までに、継続して2か月以上の被保険者期間があること。 b 被保険者でなくなった日から20日以内に被保険者になるための届出(ただし、20日以内に届出ができなくても、保険者が届出遅延に対し正当な理由(天災地変、交通・通信関係のスト等)があったと認めればよい)をすることが必要です。 c 任意継続被保険者となれる期間は、2年間です。 国民健康保険と比較して安い方の手続きがお勧めです。※健康保険任意継続された場合、翌年は年収が減少している分 国民健康保険の方が安い場合が多いので、翌年もどちらが安いか調べることをお薦めします。※個々の健康保険組合で違いはあると思うが・・・。一度 お確かめ下さい。
2006.10.14
この世の中、フェアーなことなんてなにもない。2ヶ月にもおよぶ入院生活もインターフェロンのおかげで数値も下がり退院することができたがここからが大変でした。入院生活とは違い、インターフェロン投与の日常生活は、1人暮らしの私にはとてもきついものがありました。注射後、8時間程経つと足元からジワジワと倦怠感が湧き上がってくる感覚と頭上から重しを押し付けられているような感覚が体を駆け巡る。それに伴い食欲が全くなくなり、何も食べたくない。特にあぶら物や肉類は観るのも嫌なくらい。寝てるだけでも辛い時期でした。半年も続くと思うとゾッとしました。副作用はゼフィックスの時の比ではなかったのです。普通は、インターフェロンを投与しながら仕事へ行っている方がほとんどだと聞いていたのですが、私は仕事はおろか1人暮らしですらしていける状態ではなかったです。注射の無い日は、午前中と夕方 近くの緑地公園を30分ほどウォーキングしていました。午前中のセミの鳴き声、夕暮れの虫の声、社会生活から取り残されたようなむなしさと不安を噛み締めながら少しでも体力が回復してくれないかと淡々と歩いていました。2ヶ月にもおよぶ入院生活とインターフェロンの副作用の生活の中で、体調より仕事を優先していた気持ちも次第に薄れていき、ただ毎日健康に暮らせることがどれだけ幸せなことかが身に沁みました。仕事は選ぶことが出来ても、自分自身の体はたった一つなのです。こんな簡単なことがこの歳になるまでわからなかったとは情けない。わからなかったと言うよりも、全く実感がなかった。何かの病気になるのは、50・60歳ぐらいに年をとってから、自分はまだ30代、多少の無理は利くと自分自身の体を過信していました。私は、仕事を辞めて実家へ戻ることにしました。
2006.10.13
入院も2ヶ月近くになり、数値も停滞し全く変化がないのでインターフェロンを使用することになった。インターフェロンの投与の際、ゼフィックス同様、再度肝生検の検査を行った。以前に比べると随分、安心して受けることができた。担当医の先生と助手の先生、婦長さんに看護師さんの計4名が立ち会ってくださった。エコーで肝臓の位置を確認しながら行った。それに比べると以前の病院は、担当医の先生と看護師さんの2名でエコーなども使用せず「はい!息止めて!」と肋骨の間から感覚で突き刺していた。それが当り前のように思っていたが、今考えるとそうとう怖い!大きな病院だからとか総合病院だからと安心はできない。本当に病院は、安心できるところをきちんと選ぶべきだ。事前に先生からインターフェロンは体にそうとう負担がかかると聞いていたが想像以上だった。投与したインターフェロンはイントロンA600万まず2週間連日投与後、週3回24週投与、約6ヶ月投与だった。腕に筋肉注射して、5時間程経つと足がジワジワしてきて高熱がでた。坐薬を飲んでそのまま眠った。朝には、治まっていた・・・がまた新たな注射をする。1週間ぐらい繰り返していると次第に熱もでなくなってきたがさすがに夕方頃には、足がジワジワして体が重い、頭上から押え付けられているような感じが続く。毎日腕に注射するので、良く揉んではいたが、だんだんシコリができてきて注射の際、筋肉が硬くなってすごく痛くなってきた。すこし抵抗はあったがお尻に注射してもらうことにした。痛みには耐え難い・・・。さすがにお尻は肉厚があるのでさほど痛みが無い。それ以来、お尻専門になった。全く変化の無かった数値もインターフェロンに反応し、どんどん下がっていき2週間後には正常値に戻り、長きに渡る入院生活も終わり、ようやく退院することになった。
2006.10.08
1週間程で順調にGPT値;300付近まで数値下がったのだが、それからぜんぜん下がらない。キョウミノ点滴も2アンプル→3アンプル→4アンプル、一日使用量MAX5アンプル注入するが一向に下がる気配がみえなかった。先生曰く「夏場は内臓が弱りやすく、ウイルスが活動しているのでなかなか下がり難い。」とのことでした。なんとか3週間後には退院したかった。大切な約束があったのだが・・・。それもまさに木っ端微塵当日の朝 一人寂しく1Fエントランスでカップコーヒーを飲んだ平日は外来の患者さんで混雑しているエントランスも休日は静まりかえりすべての音を吸収してとても静かだった・・・。その後は月日が流れるのは早かった。嫌みのように音だけ聞こえる花火大会が終わり、毎朝清々しく元気に鳴いていたセミもいつのまにか鳴かなくなった。その年の夏は、病院の中で終わった。雨が降るとうれしく、真青な空が悔しかった。
2006.10.07

もう秋だなあ。夜になると虫の声に癒される。くすりの副作用等で気分がめいる時などは、朝からよくぬるめの湯ぶねにたっぷりお湯をはりゆっくり浸かることがある。お湯を少し多めに入れて溢れさすのがポイント!湯ぶねから溢れ流れるお湯を観ると欲望も満たされたような気持ちになる。少し単純かもしれないが・・・。その時、よく聞いていたのがデラ(心と身体にやさしいCD)リラクゼーション&ヒーリング・ミュージックお気に入りの3枚 Windows Media Playerで試聴できます究極の眠れるCDせせらぎ虫のシンフォニー昔のことを思い出したり、また元気になったら行ってみたいなあ・・・とかねなぜか自然が奏でる音を聞いたり、観たりすると癒される。もちろん実際に感じる方がCDでは味わえないパワーを感じる。海や山、真青な空・真白な雲・葉の真緑、波の音・小鳥のさえずり・虫の声 ただその中にいるだけで、いろいろな想いを打消してくれる。地球の鼓動・エネルギーを感じる!大自然は偉大だ!生かされている!
2006.10.06
肝臓指導医の先生の診断を受け また、新たな治療法が・・・・。「ゼフィックス投与の際、ウィルス量が減少した時にインターフェロンを 重ねて投与することにより治癒する治療法がある。」とのことだった。先生!もっと早くお会いしたかった。なんか担当医の先生が変わるごとに新たなことを言われてしまう・・・。B型肝炎治療はその治療法の選択が難しいらしい。免疫反応が個々で異なり、ウイルスのタイプ・体質等、患者に個人差があり、これといった決定的な治療法がないために、それぞれの病院で悩み、そして工夫されながら治療をしているとのことでした。先生の診断では、「入院期間2~4週間、なるべく肝臓に負担をかけず自然治癒が望ましい為、 キョウミノ点滴・要安静で、少し様子をみましょう。」とのことでした。なんとかはやく決定的な肝炎治療法を発見して欲しいものです。
2006.09.30
流されるままに流れるよりも、あきらめずジタバタしてみるのも駄目もとである。情報は集めてみないとわからない。ゼフィックスを中止し、週3回のキョウミノ注射生活を1年程経過した頃、とうとう急性増悪を起こした。休暇もなかなか取れないまま働いていたので、少し疲れ気味だとは思っていたが定期検診結果で数値 GPT値;600 付近まで上昇していた。「即、入院したほうがいいとのことだが、空きベッドがないので会社を休み自宅安静待機。」とのことでした。数値 GPT値;600 とは・・・。自分自身少しビビッた。一刻も早く入院したかったので、会社に休暇を出し、キョウミノ注射の際、開業医の先生に事情を説明し、どこか良い病院を紹介して欲しいと相談したところ、肝臓専門の良い先生を紹介して頂き、その病院に入院することができました。日本に肝臓の専門医がいるのだと初めて知りました。日本には、社団法人 日本肝臓学会 が認定する肝臓専門医がいるらしい。肝臓専門医の中でも指導医という偉い先生を紹介して頂いた。そこは大きな総合病院ではなかったが、外来は大勢、先生の診察を待っていた。ちなみに今まで診察して頂いた先生方もみなさん専門医だった。
2006.09.29
前に進むことは強い意志とそれに応じた努力が必要だが、敢えて立ち止まることも同じくらい強い意志が必要のようだ。キョウミノ注射で一旦は治まった数値は、半年も経たぬ間に再度動き始めた。週3回のキョウミノ注射を再開するが、数値 GPT値;150程 で停滞し治まるようすが一向になかった。こうなるともう駄目のようで、担当医の先生からもうゼフィックスがぜんぜん効いていないので投与を中止しようとの支持があった。ゼフィックスを中断した際、急性増悪の懸念があったが、なんとか憎悪もなく乗り切れた。数値の上昇と裏腹に、仕事は以前にまして多忙で真昼のキョウミノ注射・出張・深夜残業と忙しい日々を流されるままに仕事をこなしていた。数ヶ月間の真昼の注射生活にも関らず一向に治まる気配がなく、逆にジワジワと上昇傾向に入っていき、数値 GPT値;250程 まで上昇していた。いま考えると病気なのだから少しは自分自身の体を気遣えよと思うのだが、当時は、カラダ < 仕事 の比重がとても大きかった。本当に肝臓病だけは、薬の副作用以外は体調に異変が起こらなく、平常通り生活ができてしまうのでどうもブレーキがかからない。ついつい周りの人と同じように生活してしまう。自分自身でよほど病気のことを意識しない限りなかなか難しい。そんな生活を送ってゼフィックスを中止し、週3回のキョウミノ注射生活を1年程経過した頃、とうとう急性増悪を起こすことになる。
2006.09.23
健康なときは、わからないことが病気になるといろいろ見えて来るようになる。ゼフィックスの耐性株が出現した為担当医の先生から強力ネオミノファーゲンC(キョウミノ)注射の支持を受け、週3回しなければいけないので会社近辺の開業医を探すことにした。体調よりも仕事中心だった私は、仕事も忙しく中々夕方、定期的に抜け出すのも難しく思い昼休みを利用して、注射に行くことを前提に近くて空いている病院を探していた。運良く空いていて午前診察12:30までの開業内科をみつけ行くことになったが、何せ昼休憩の1時間で注射して昼食をとるのは至難の業だ。また注射が デッカ!おい!馬じゃないよ。しかもの2本まんがや! マンガ! 赤塚不二夫ぐらいある。私は大の注射嫌いです。未だに駄目だ。慣れない。注射の時は、目を閉じて時が経つのをただひたすら待つのみである。息をするのも忘れる。痛みといえば、刺した瞬間ぐらいで刺さっている時は痛くはないが、針が血管に刺さってると想像しただけで「イィーー」となる。ほんとにイクジがない・・・。最近の注射針は、数年前より本当に細くなった。刺している時、ほとんど感覚がない。医療製品の進歩は凄い!昼間のキョウミノ注射の甲斐あって3ヶ月程で数値が正常値へ戻っていき、なんとか昼間の注射から解放された。ウイルス量は相変わらず HBV定量(PCR) 7< で振り切ったままでセロコンバージョンの気配もなかった。強力ネオミノファーゲンC (キョウミノ)主成分はグリチルリチンといい、漢方生薬のマメ科の植物・甘草(かんぞう)から抽出されたもの。強力ネオミノファーゲンCは肝炎の進行を抑え、肝細胞がこれ以上壊れないようにするのが目的で、この治療によってGPT値を正常値近くまで下げることも可能になっています。直接ウィルスを抑制する作用がないため、ウィルスの消失率が低いのが難点ですが、インターフェロンが使えない場合や、使っても効果が現れなかった場合によく使われています。
2006.09.22
担当医の先生からエンテカビルの話は、ずいぶん前から聞いていたのだがなんか薬にクスリをぶつけてまた薬みたいな・・・。イタチごっごのようで・・・。それに応じてウイルスは変異していき、薬漬けになってしまいそうで使用するのに少し抵抗がある。エンテカビルが2006年9月認可予定ですが、アデホビルが認可をうけてわずか2年、ゼフィックスですら6年たらずです。新薬がどんどん開発されていくのは喜ばしい限りですが、抗ウイルス剤投与の際はリスクをしっかり把握した上で使用したいものです。今後のどのよな臨床データがあげられてくるかしっかり見守りたい。よい報告が上げられてくることを強く願ってならない・・・。
2006.09.17
毎食後にウルソという胆汁の流れをよくする薬を、B型肝炎が発症してからずっと飲んでいるので、もうかれこれ5年ちかくになる。いつの頃からか水を使わずに薬が飲めるようになった。せつない特技だ。ゼフィックス投与後、ちょうど一年が経過した頃、一旦は収まっていた数値が、再度 上昇し始めた。薬で抑えていたウイルスが変異し、新たな変異ウイルスが発生するらしい。今現在ではゼフィックス(2000年11月 保険認可)の耐性株(変異ウイルス)には、2004年12月に保険の使用が認められたアデフォビル(ヘプセラ)を複剤投与が主体となり、その次の新薬 エンテカビル も2006年9月 認可申請が降りる予定だが、当時はそれに対する対処法はこれといってなかったようで、肝庇護薬 強力ネオミノファーゲンC(略称=キョウミノ・注射薬)2アンプル(40ml)の注射を週3回注射することになった。ゼフィックス耐性(効かなくなる)の変異株(変異ウイルス)※ゼフィックス投与後に、6ヶ月を過ぎる頃から耐性株が出現し服用開始後1年で20~30%、 3年で50%以上 耐性株が出現し、有効性を失う。※ゼッフィックス長期投与でセロコンバージョン(HBe抗原が陰性化し、HBe抗体が陽性化する)は 治療開始時のウイルス量が少ないほど、GPT値が高値ほど起こり易いです。 GPT値が正常値の5倍以上では40~80%にセロコンバージョンが起こるのに対し、 二倍以内ではほぼ一割に満たない結果。※投与期間が一年で10~20%、二年で20~30%、三年で30~40%程度で、 長期に使い続けるほどセロコンバージョンは起き易い。※セロコンバージョンが起こった後に投与を中止すれば、約半数は1~2年内で再燃するとの報告が ある。
2006.09.16
さすがに入院以来、アルコールは止めていた。風呂上がりのカッキ―ンと冷えたビール。寝る前に飲む甘く濃くのあるバーボンのロック。禁酒して5年経つがいまだにときどき飲みたくなることがある。そんなときは甘く濃くのある炭酸飲料水コーラを飲み、欲望を麻痺させる。 ”poor sammy ”ゼフィックス投与後、半年以上が経った頃、転勤の内示が出た。体調のこともあるので断ることもできたが、副作用もやわらぎ 体調も回復して通常の日常生活を送れていたので受けることにした。当時は体調より仕事の比重の方が大きかった。ゼフィクスを継続しなければいけないので、紹介状を書いてもらい転勤先でそれなりに大きい総合病院を探し転院した。転院先の担当医の先生から思わぬ事実を知らされた。「ゼフィックスの投与は、通常35歳未満及び未婚者には余り投与しないんだけどね・・・。」とのことだった。おい!聞いてないよ。 ぇえーー 「B型慢性肝炎は、35歳ぐらいまでは自然治癒することが多い為、抗ウイルス剤などでウイルスを闇雲に刺激しないほうがいい。」そもそもゼフィックスはエイズウイルスの新薬として開発されたもので遺伝子組織の組み換えにより、ウイルスの増悪をおさえるらしい。その為、投与中に妊娠すると出生の際、遺伝子的に乳児に問題が生じることがある。(もちろん無事、元気に生まれているケースもある。)それにしても飲む前に告知義務があるのではないのか!!もし妊娠してたらどうしてくれてたの!マッタク。エイズウイルスの薬とは聞いていたが・・・。確か・・。「あんまりワルサせんように・・・。」と言っていたことがあったけど!この意味かい?! そんな言い方でわかるかいってんだコノヤロー!!たぶん誰もが一度は耳にしたことがある総合病院の先生に診てもらっていたのだから納得するしか仕方ない。自分自身で病院を選び、どんな薬か調べもせずに自分自身の手で口に入れた。自己責任だと言い聞かす・・・。後悔先に立たず!覆水盆に帰らず!”It's no use crying over spilt milk!”飲んでしまったのは仕方ない。もう前に進むしかないのだ。そんなリスクをおかしてまで薬を飲んでいたにも拘らず一旦は収まっていた数値は、再度 上昇し始めた。
2006.09.15
退院の際、先生からゼフィックスの説明があった。※投与期間は2年間。※必ず毎日1錠投与するように!勝手にやめてしまうと急性増悪を起こし危険である。※インターフェロンは体に負担がかかるが、この薬は副作用は無い。とのこと。1か月分で¥6000程だったと思う。結構な値段だった。投与後2ヶ月程で肝臓の数値は正常値へ戻っていったが、ウイルス量は相変わらず HBV定量(PCR) 7< で振り切ったままだった。投与の際、副作用は無いと聞いていたが実際は投与後何ともいえない倦怠感に襲われることになる。毎日 体がだるくてだるくて力が入らない。両手から力のエネルギーが地面へ駄々漏れしているような感じだ。気力が全くなくなり、どんよりとした状態が続いた。以前までは終電までバリバリ仕事をしていたが、入院したこともありボリュームを減らしてもらっていたのは救いだった。休日は朝から晩まで1日中ベットの上でゴロゴロするしかなかった。なにせ 食事をするのもめんどくさく、けだるいのだ。定期検査の際、主治医の先生に相談すると多少個人差はあるとのことだった。現在は薬の詳細など説明文が添付されているが、以前は薬のみの受け取りだったので主治医の先生を信頼しきっていたし、あえてどのような薬かなど調べることもなかった。そんな生活も半年ほど経つ頃には徐々に回復し、通常の日常生活が出来るようになった。
2006.09.09
入院が決まり担当医の先生から「インターフェロンは効かないことが多いのでゼフィックス(ラミブジン)なる新しい薬を使用しましょう」との説明があった。使用することによりおよそ1ヶ月と聞いていた入院も1週間程で退院できるとのことであった。おもに検査入院で肝生検と言う肝臓組織の一部を採取して肝臓の状態を調べる検査をすることになった。肝生検は鉛筆ぐらいの太さの長い針を肝臓に突き刺して肝臓の状態を調べる検査です。痛みは局部麻酔でほとんど痛くはなく、麻酔を2本注射するときに少しチクリとするくらいで、肝生検の長い針を肝臓に突き刺した時に腹の底にズンと衝撃を受けるぐらいだ。ちょうど大太鼓の振動が腹の底に伝わるときの感覚によくにている。麻酔して採取するまでは数分ですぐだが、それからが長い。肝臓から大量出血しないように8時間は肝臓を上に左横向きの状態を維持しなければいけない。起き上がることもできないのだ。これが辛い。寝ながらの尿瓶は、したくてもなかなか出ない。それに寝返りがうてないので腰が痛くてたまらなくなる。その日は、朝から点滴・絶食で食事が出来るのは起き上がれるようになってからです。その日は、いつになく長い一日なりましたが、8時間の辛抱です。8時間後はすぐに歩けるし、痛みもありませんでした。その後は予定通り1週間程で退院することができました。
2006.09.08
B型肝炎とは、B型肝炎ウイルス(HBV)の感染により発症する肝炎のこと。◆B型肝炎には、成人が初めてHBVに感染して発症した急性B型肝炎と、 B型肝炎ウイルス保持者 (HBVキャリア)が発症したHBVキャリアの急性増悪や、 慢性B型肝炎などがある。◆HBVキャリアの多くが出産時の母子感染であり、10歳代から30歳代にかけて肝炎を発症し、 一般 に、この肝炎は軽いものであることが多いために、本人が気付くほどの症状が出ることは ほとんどなく、検査によってのみ肝炎であることがわかります。85~90%の人は、数年のうちに 自然に治まってまたもとの健康な状態に戻りますが、ほとんどの人ではウイルスが身体から 排除されないままHBVキャリアである状態が続きます(無症候性キャリア)。◆HBVキャリアのうち、10~15%は慢性肝炎を発症し、治療が必要とされている。◆B型肝炎は、35歳までに80%が自然完治することが多い。◆慢性肝炎を発症した場合、放置すると自覚症状がないまま10年~15年の歳月を経て、 肝硬変へと進展し、肝がんを発症することもある。◆HBVキャリアの多くは出産時の母子感染であり、20年程前から出産時にワクチンを 投与することにより母子感染することはなくなった。◆日常生活での感染はないが、唾液・精液・血液等感染することがある。◆感染したほとんどの人が自然完治する。 まれに急性肝炎が発症してしまうが、数ヵ月の入院治療で、その移された方もB型肝炎は 完全に治癒する。◆一度、感染して治癒すると体内にウイルスの抗体ができ、再度感染することはない。◆HBVキャリアで結婚予定の配偶者には,あらかじめワクチンの投与が望ましい。◆HBVキャリアで結婚後数年以上経ち、これまでに配偶者にHBVの感染やB型肝炎の発病が 起こっていない場合には、すでに抗体ができていることが多いので過度に神経質になること はない。
2006.09.07
2001年の春、会社の健康診断で、血液検査に引っかかった。肝臓の異常値を示す数値 GPT値;150 との結果だった。1ヵ月後、再検査を受けるが結果は同じでした。再度、1ヵ月後、血液検査を受けるが下がる気配も無くGPT値は同等の数値を示していた。担当医の先生からB型肝炎キャリアによるB型慢性肝炎と診断されました。知識が無いゆえに、あまり実感が無かったが、先生の「1ヶ月ぐらい入院しよか!」との言葉に耳を疑った。「えッ!」「入院!!」「1ヶ月!!!」俺が・・・。なにが・・・。どうして・・・。体調も良く、どこも痛く無く、こんなに元気なのに・・。ガーン!ショックでした。そういえば、母方の家系がB型肝炎があると聞いたことがあった・・・。確か、親類が肝臓の数値があがり入院したと聞いたことがあった・・・。病院の帰りに本屋へ寄り、B型肝炎の本を読み漁りました。B型肝炎というものを実感し、初めて真剣に向き合うことになったのです。
2006.09.06
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