追憶

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age@ 拾えばいいじゃん べっ、べつにあんたなんかに興味は無いん…
乗らない騎手@ ちょっとは木馬隠せw あのー、三 角 木 馬が家にあるってどん…
うほ@ もう一度見たいドラマランキング 私は・・・ 1ラスト・フレンズ 2ブラ…
Dec 1, 2007
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秦末から漢建国にかけての 楚漢戦争を描いた、中央電子台(中国のNHKのようなところ)制作の大河ドラマ 第二巻 
 秦の大将軍・章邯に、大黒柱の将軍・項梁を打ち破られた楚は、体制を建て直し、懐王の命により項羽と劉邦らを二手にわけて、先に関中に入ったものを関中王にするとの盟約のもとに、秦を滅ぼすべく関中にむけて進軍を開始した。 
 項羽は鉅鹿の戦で、自軍の5倍を誇る章邯の大軍を項羽自らの勇猛さで破り、おじ項梁のかたきうちを果たし、実質上、反秦勢力の総大将となった。投降してきた章邯を、軍師范増の言を入れて許したが、20万以上の秦の将兵の捕虜に対しては、反乱を懸念して全てを生き埋めにする、という残忍さも見せた。
 一方の劉邦は、儒者のレキ食其などの策略で、城をひとつひとつ降し、南進した。 途中、韓を再建して韓の宰相・張良の協力を得たことは、劉邦の大きな幸運だったということだろう。 張良の作戦はすばらしく、さらに南陽を落として、関中への南の入り口・武関を突破して、項羽にさきがけて秦の首都・咸陽に入った。
 後から、函谷関側からせまってきた項羽は、劉邦が函谷関を閉ざしていることに激怒し、劉邦を大軍を持って攻め殺そうとした。項羽の伯父・項伯のとりなしで、弁明の機会を与えられた劉邦は、名高い「鴻門の会」で、項羽と相対することになる。この会見で項羽の軍師范増は、劉邦の非を唱えて殺害しようと3つの計を案じていた。
 范増は、劉邦が天下に対して野望があり、その配下に有能な部下がいて侮れないことをよく知っていて、ここで殺しておかなければ項羽の天下は危ういという危機感をもっていた。しかし、勇猛で自負心の強い項羽は劉邦を軽視していたところがある。
 鴻門の会での范増の策略は、張良の知略、剛勇で主人思いの樊カイ、そして劉邦自身の必死の弁明によって退けられ、劉邦は項羽の懐疑心を解き、虎口を脱することができた。
 この「鴻門の会」の後、項羽が、亡秦の裁断をすることとなるが、
 劉邦が秦のものには手をつけず、秦王・子嬰も許し、秦の厳法を取り除いて民衆の人気を得ていたのに対し、項羽は秦憎さのあまり范増の言うことも聞かず、宮殿や宝物を焼き払い、子嬰を殺して残虐行為を尽くした。 劉邦は、項羽の論功考証によって、僻地の漢・巴蜀の地に追いやられた。これも劉邦を警戒する范増の策である。


 張良の知略、劉邦の、部下の言を聞き、人を生かして使うことの人徳。 勇猛で残忍だが、へりくだってくる人に対しては甘さが出てしまう項羽。 
 それぞれの特徴がよく出ていて、面白かった。
 しかし、映像はやはり貧弱ですね。 項羽や章邯の大軍も、とても数十万には見えず、せいぜい数百人の陣営にしか見えませんでした。
 やっぱり張良の智謀はすごいですね。 劉邦はだんだん高祖らしく見えてきました。





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Last updated  Dec 1, 2007 07:03:29 PM
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